2014年5月15日 (木)

ロマ書

  内村鑑三の〝悟り〟は、ロマ書3章23節から25節による、と自身が語り、それは新約と旧訳を結ぶ 急所である、と内村は悟った。旧約と新約の二つの軸で構成される楕円形の、聖書という書物の独自性を内村は強調する。しかし新訳の共同訳の文章はつまらない。内村は英文の聖書でそこへ到達した。その独自性こそが注目に値するのだ。

  サムライの子の内村が武士道を超えて聖書で悟りに達した独自性を富岡は強調する。多くの近代以降のキリスト教の信徒に対立して内村という存在が屹立する。それは先の大戦の戦中に日本の知識人たちが座談会で試みた〝近代の超克〟という主題に通底する。それは当時も解決されず現在まで持ち越されている、という富岡の指摘にアカショウビンは同意する。内村の著作を読むということは正にそのように同時に現在を読む、という事である。

  内村がロマ書から得たイエスの再臨は果たして現在どれほどの人に行われているのだろうか?アカショウビンも本日は、かつて読んだ箇所を再読するために出張先に聖書を携帯した。平明だが物足りない新共同訳の一文一文から内村の文を想起し内村の悟りに迫っていこう。

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2013年3月31日 (日)

あれこれ雑感

 仏教者の中でも道元、日蓮、親鸞の思想はアカショウビンの生涯の関心の的である。親鸞に関しては吉本隆明(以下、敬称は略させて頂く)や三國連太郎の論考は痛烈な刺激になる。

 「生と死」、「空と浄」といった主題はアカショウビンの手に負えるものではない。しかし吉本や三國、五木寛之の論考を読むと禅者や親鸞、蓮如など優れた仏教者の境地には襟を正す。

 唐代の中国禅に造詣の深い、入矢義高の「増補 自己と超越」(岩波現代文学 2012年2月16日)は、中唐禅は日本のようにセクショナリズムが殆どないことを指摘する。では他の宗派はどうなのか。唐末からの禅者たちの堕落も指摘しているが、仏教の真髄はどのような仏者に継承されたのか。日本では沢庵か白隠か鈴木正三か、鈴木大拙か?仏教者と無辜の民草の信の違いは何か?吉本隆明には「信の構造」という著作もある。信を構造として分析する動機と意図は親鸞が機縁になっている。浄土教と禅者たちの経典の比較はどのように展開されるのか。吉本にしても入矢にしても信者とは異なる立場で、それはどのように自覚され論考に限定が設定されているのか。今後も継続して思索を重ねたい。

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2012年5月12日 (土)

宗教論争(続)

 吉本隆明(以下、敬称は略させて頂く)と小川国夫の対談が初めて文芸書に出たのは「文藝」1971年10月号である。タイトルは<家・隣人・故郷>。次は1974年11月号の「野生時代」に、<宗教と幻想>というタイトルで。翌1975年には「伝統と現代」11月号に<生死・浄土・終末>、のタイトルで行われている。それからしばらく間が空き、1988年に<新共同訳聖書を読む>のタイトルで「新潮」2月号に掲載された。最後の対談は1996年2月号に<宗教論争>のタイトルで「文學界」に。このタイトルが小沢書店の両氏の対談集のタイトルとして使われているわけだ。

 そこに共通しているテーマは大きく括ると、キリスト教と仏教とはどういう宗教なのか、ということを小川は信仰者として、吉本は親鸞を読み解くなかで無神論者というより唯物論者として互いは語り合っている。小川より吉本への関心の中で両者の対談をアカショウビンは久しぶりに実に興味深く読み直した。その中でも最後の対談がオウム真理教(当時)に言及する中で鋭く対立しているところが「宗教論争」というタイトルになったのであろう。しかしながら20数年にわたって継続された両者の対談が決裂に至るわけでもなくオウムや麻原を介して立場と論点が改めて鋭く浮かび上ってきたということになる。

 それは最後の対談の中で小川がドストエフスキーの「罪と罰」のラスコーリニコフの「ナポレオンは百万人を殺して英雄なのに、僕が、金貸しのお婆さんとその姪を殺すのは何故いけないんだ」という疑いに捉えられる箇所を引用しているように、「文学にとっては永遠のテーマといってもいい」と小川は語る。二人はまるで「カラマーゾフの兄弟」のアリョーシャとイワンのように、あるいは「悪霊」のキリーロフとスタブローギンのような立場で対話を演じているようにも思えたのは錯覚だろうか。吉本は、「文学だからこそ、現実よりも悪を包括できるということはありますね」と応える。左翼文学の影響から考えはじめた、と明かす吉本が文学作品の評価の仕方として、「なるべく最大限に、善も悪も包括できているかというところにある」という言葉は文芸批評家として、あるいは思想家としてオウムや麻原を見る凡百の駄言の浅薄と狭さと吉本の視角と視線が届く広さの懸隔を明かして余りある。それは新約や旧約の聖書読解を通じて或いは親鸞の思想・思索を辿ることで獲得したものと思われる。

 これに応えて小川はフォークナーの「八月の光」の最後の殺人シーンを挙げて主人公を介して著者が米国南部のピューリタンによる偽善的な社会に主人公が「楔を打ち込んでいるようにも読める」と語る。それはキリスト教社会の偽善というものをフォークナーが作品で描いた米国という国家の現実を介して想起させる複雑さと仏教哲学で言えば業の深さとでもいうものである。その結末は「ミシシッピー・バーニング」(1988年 アラン・パーカー監督)という映画で強烈に描かれているキリスト教社会が主導する他民族国家としての米国社会が負い続ける癒し難い深い傷のようなものとして想起する。

 小川は当時のオウムに対する「一致した反対は、残念ながらK・K・K(クー・クラックス・クラン)に似ていますね」と話している。

 現在まで続く中東の紛争による無残な殺し合いは宗教を介した民族対立の酷薄さを映像で生々しく伝える。吉本・小川対談は、その根深さにも思い至る。救いは恐らく宗派、教団を超えたところにあるだろう。その世界はアカショウビンが生きている間には訪れないだろうが未だ日本は殺し合いがないぶんだけ幸せで暢気だ。終末はいずれ来るだろう。しかし些かの抵抗と思考は継続しなければならない。

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2012年5月 7日 (月)

宗教論争

 吉本隆明(以下、敬称は略させて頂く)が亡くなり、氏の著作や対談集を読み直している。アカショウビンは若い頃から吉本には親炙しているが熱烈な信奉者というわけでもない。60年安保の頃から吉本に関しては賛否両論が喋々されてきたが、アカショウビンからすれば戦前・戦中・戦後を経験した父親の世代の中では実に啓発的で、文学青年には無視できない存在だった。詩人として、文芸批評家として、思想家として、実に鋭く大柄な人として後世にも記憶されることは間違いないと思う。亡くなってアレコレ読み散らしているが『宗教論争』(小沢書店 1998年)は1971年から1996年まで断続的に行われた吉本と小川国夫の対談をまとめたものだ。それは親鸞に依拠する吉本とカトリック信仰者としての小川の「論争」だが、お互いに相手を理解しながら仏教とキリスト教の何たるかが浮き彫りにされた内容である。最後の1996年の対談はオーム真理教と麻原彰晃についても論じられている。マスコミがこぞってオーム、麻原批判に染まっていた時の吉本の麻原評価は出色だった。また、以下に引用させて頂く、夕刊紙での五木寛之のコメントは興味深かった。

 オウムは原始仏教、大乗(マハーヤーナ)、金剛乗(ヴァジラヤーナ)の三層から成る。定方晟(あきら)氏によるとオウムは智慧を代表する般若心経と慈悲を代表する法華経に興味を示さない。この両者はともに修行を重視しない点において共通しており、むしろ信を重視する。修行にかかわる経典だけに異常な関心を示した。たぶん超能力こそが彼らの仏教に求めたものではなかったのか。般若心経はそのような力への依存を否定する。法華経は衆生への愛を説く。(1995年10月17日 日刊ゲンダイ 五木寛之「流される日々」 4093回 故村井秀夫、東山に睡る⑦)

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2010年2月 6日 (土)

ケノーシスとは?(続)

 西山氏が伝えるラクー=ラバルトの晩年の講義から推察する彼の考察はルター派の神学をマルクスは政治思想として、ハイデガーは哲学に反映させた、ということである。西山氏が報告している〝ケノーシス〟は晩年のラクー=ラバルトの講義ではマルクスの〝プロレタリアート〟として次のように説明されている。

 まだ到来しないこの人間の現実的状況―なぜいまだ到来していないかというと、それが純粋に喪失しているからだ―に対して、マルクスは、プロテスタント神学の全体(そこにはプロテスタント的な終末論も含まれる)を基礎づけているひとつの神学的カテゴリー、すなわち、ギリシア語を転記して「ケノ-シス」と呼ばれているもののカテゴリーを適用しているように思われる。この語は「空無(vide)」を意味するのだが、同時に能動的な意味で理解しなければならない。タンクや水槽を空にするときにvidage(からっぽにすること)と言うように・・・。ルター以来今日に到るまでの改革派の神学は、神へと適用されたこのケノーシスの概念を中心的な神学素としてきた。受肉すべく完全にみずからをからっぽにした神。しかもこの神は、苦しみ、捨て去られ、死にいたるまでの受肉を被り、貶められる。これこそが神秘であり、啓示である。このように改革派の神学において、受肉は神のケノーシスとみなされる。同様に、マルクスにおいて、プロレタリアートは来たるべき人間のケノーシスと見なされる。このテクスト(「ヘーゲル法哲学批判序説」)の最後の言葉、「ケノーシス」こそが人類の希望、復活の希望である。すこし先回りしてしまったが、これこそがテクストの最後の一文で言われていることなのだ。「あらゆる内的条件が充たされたとき、ドイツの復活の暁(「ドイツ~暁」までには強調の読点が付されている)を、ガリアの鶏の鳴き声が告げ知らせるであろう」。ガリアの鶏の鳴き声の逸話は、ハイネからルーゲを経由してもたらされたものである。ガリアの鶏の鳴き声とは、フランス革命のことであり、ここではフランス革命が、ペテロがキリストを否認したときに鳴いたという鶏の鳴き声に比せられている。キリストはペテロに、「鶏が二度鳴くまでにお前は私を三度否認するだろう」と告げ、実際ペテロはそうしたという―そしてこのことが(逆説的に)キリストの神性を確証しているのである。この出来事は、あらゆる否定性のなかの否定性、絶対的なケノーシスにほかならない。キリストのもっとも忠実な弟子は、師が死にゆこうとしている瞬間に、師を見捨てるのだから・・・。俗っぽい言い方が許されるならば、完全に「からっぽになって」いるのである。しかしまた、まさにここに復活の証明があるのだ。(「貧しさ」 藤原書店 p206~207)

 マルクスの「ヘーゲル法哲学批判序説」は宗教をアヘンとしてプロレタリアートという概念を説明している論考である。そこでマルクスは「では、どこにドイツ解放の積極的な可能性はあるのか?」と問いプロレタリアートの概念を定義している。

 ラクー=ラバルトはマルクスの哲学の可能性をハイデガーを読解しながら「マルクス主義者」という立場から論じようとしているようにも思える。しかしそこにハイデガーのマルクス理解の可能性の微かな希望のようなものを期待している趣もある。それはあるのかどうか。

 ハイデガーはヘルダーリンの「精神たちのコミュニズム」という論考を自らの「貧しさ」と題した講演のなかで意図的にか知らずしてか下敷きにドイツ第三国帝国の崩壊のなかで戦後ドイツにヘルダーリンの政治思想を介して期待を託した、というのがラクー=ラバルトの考察である。ハイデガーは「豊かになるために貧しくある」という逆説の中に初期マルクスを読むことで哲学から現実へ橋渡しする可能性を思索していたのだろうか?それはハイデガーの戦後の思索を読み取ることで考察するしかない。その一端は戦後にハイデガーが指摘したギリシア人たちが解していた〝テクネー(技術)〟という語と概念が特にデカルト以降の近代西洋史のなかで〝工作機構〟として変質し展開された、という言説にも読み取られるだろう。マルクスやハイデガー、ラクー=ラバルトの論説、思索、考察はまたマルクスが生きた1840年代からハイデガーの生きた1945年以降のドイツを経てアカショウビンの生きる現在の日本においても共有される可能性があるように思う。それはルター派の神学の〝ケノーシス〟が仏教で説く〝仏性〟という概念を介してハイデガーやラクー=ラバルトの思索とも響き合うように思えるからだ。それは現在を生きるアカショウビンの思索と生き様を通じて伝え明かし継続される言説である。

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2010年2月 2日 (火)

ケノーシスとは?

 ハイデガーの「貧しさ」を翻訳した西山達也氏は解題でラクー=ラバルトが晩年にストラスブール大学で「マルクスの哲学―改革・批判・革命」の題目で講義したことを伝えている。それは「ルター、カント、ハイデガーを関連づけマルクスとハイネ、ブルーノ・バウアーを精読するものであった」と書いている。

 ヘルダーリンを読むマルクスとヘルダーリンを介してマルクスを読むハイデガーの思索・思考を追わなければならないだろう。ヘルダーリンが当時の政治と深く関わっていたことをハイデガーは知悉して初期マルクスを読み込んでいた。その巧妙とも、したたかとも思えるハイデガーの哲学戦略が透けて見えるようだ。若い頃に影響されたカトリック神学から後年は遥かな地平で思索するハイデガー哲学を〝ケノーシス〟というカトリック神学を通じて論じるラクー=ラバルトの解釈・戦略が興味深い。

 〝ケノーシス〟とは西山氏の説明によれば「キリストの受肉における神性の自己無化と自己放棄の教義を説明するために用いられる語である」。そして次のように氏は続ける。

 そこで言い表された能動的な自己無化は、きわめて逆説的(「逆説的」に氏は読点を付け強調している)な状況である。なぜならイエスの十字架上の死という究極の「自己無化」には「復活」がつづくわけであるが、しかしながらそれは復活のための(「のための」にも氏は読点を付けている)無化であってはならないし、自己無化が、自己性そのものを保証するために遂行されてはならないからである。このケノーシスの論理をラクー=ラバルトは刊行された著作や論考ではほとんど説明していない。だがこのことは、「ケノーシス」の神学素がラクー=ラバルト哲学を暗黙のうちに貫くひとつの筋であったという解釈を妨げるものでもない。(同書p205)

 ラクー=ラバルトがフランス国籍のユダヤ人として旧約・新約を介して思索・思考している姿が垣間見えるようだ。西山氏の解釈もハイデガー読解の新たな視角を開いている。さらにヘーゲル、マルクスを介してハイデガーの全貌に辿り着ければよいのだが道のりは遠そうだ。

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2008年11月 7日 (金)

人の生きる時間

 人がこの世で生きる時間ということを時に考えるのだ。そんな暇があったら仕事しろよ、という声は承知のうえで。キリスト教徒が「神」を信じると公言するようにアカショウビンは「神」という存在を信じるわけではない。仏教でいう「仏」は「神」とは異質の、それは概念というのか存在というものであろう。大拙を読み禅者の「悟り」という境地も俗世間の垢にまみれたアカショウビンには茫然とするしかない境地である。端座し瞑想し或る境地に至る可能性とは禅を通じて仏教の伝統の修行法である。念仏や題目は形は違えど仏教の衆生救済のひとつの形であろう。

 洋の東西を問わず生と死という対概念で人は現世と彼岸を知ろうともがく生き物なのだ。大拙の説く「霊性」という概念はキリスト教の神とも通底して思考される時空を共有していると思われる。

 肉親の死で人は何を了解するのだろうか。それはそれぞれの個人の数だけの多様性をもつものではあろう。しかし、さて次の世はあるのだろうか、と問うことはナンセンスのようにも思えるが生死の土壇場で人は深く己の生をふりかえざるをえない思考に絡めとられる。俳優やニュースキャスターの死が報じられ人は少し我が身をふりかえるが土壇場ではない。他者の死を人はどれくらい自分のものとして了解できるか、という問いに対する答えはどれほどの意味を形成するのか。哲学で死は了解できても人間ひとりの生の幾分かにも達することはできない。

 では宗教的にはどうか。来世や天国、極楽浄土は存在するのか。それはひとえに信仰の厚薄によるのであろう。しかし歳を経てますます懐疑と不安とに支配されがちな人間にとって残された生きる時間を含めて、それは喫緊の問いでもある。

 病に倒れた人が余命を宣告された時に何を考え、行動に移すかは千差万別であろう。彼や彼女は来世を思考するだろうか、それとも家族や友人との別れを準備するであろうか、あるいは自ら死へ衝動的に走ることもあるだろう、自らはどうかと問うてみても簡単に回答はできない。その問いの周辺を巡るだけだ。

 アカショウビンは道元が正法眼蔵の「生死」で次のように記しているのを繰り返し反芻し思索の縁としている。

 生より死にうつると心うるは、これあやまりなり。生はひとときのくらゐにて、すでにさきあり、のちあり。かるがゆゑに、仏法の中には、生すなわち不生といふ。滅もひとときのくらゐにて、又さきあり、のちあり。これによりて、滅すなわち不滅といふ。生といふときには、生よりほかにものなく、滅といふとき、滅のほかにものなし。かるがゆゑに、生(しょう)きたらばたこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひてつかふべし。いとふことなかれ、ねがふことなかれ。(「正法眼蔵」(四) p467 岩波文庫版)

 道元の境地は遥かの高みにあるとしても、人は限られた生きる時間の意味をまさぐる。今、この時間にも生死をさまよう人々が共時的に存在している。その幽明境はいかばかりか。私たちは祷るしかない。祷る、ただ祷る。道元が、ただ座れ、というより私たちは祷る。あぁ、この祷りは彼や彼女に届くだろうか。届かぬとしても私は祷るしかない。共に世に棲んだ日々を哀切をこめて懐かしみ苦しみを越えて彼岸に達し心安かれ、と。

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2008年8月17日 (日)

日本美術の巨匠たちと禅

 先日、上野で開催されていた「対決 巨匠たちの日本美術」展を観てきた。先般のフェルメール展の雷雨の時とは打って変わって猛暑。あの時と同様に駅近くの焼肉屋で腹ごしらえ。暑熱の中を坂を登り公園へ。フェルメール展が30分の待ち時間というので、まさかこちらも?と思いながら東京国立博物館・平成館に辿り着くと、何と!ここも20分待ち。それでも待つこと約15分で入場できたのはさいわい。

 この企画は対決と銘打つように二人の画家を並置し作風の違いを見せる。アカショウビンのお目当ては応挙VS芦雪、若冲VS蕭白、鉄斎VS大観。他に雪村と並べられた雪舟の水墨や「慧可断臂図」もあったのは日頃の行いの陰徳というものであろう(笑)。意外な収穫はあまり馴染みのない蕪村。大作も幾つかあり面白かった。彫刻では円空と木喰もあり、とてもじゃないが全てを楽しむには半日では無理。目当ての作品に集中した。応挙の屏風絵の虎が素晴らしい。隣には墨で弟子の芦雪の巨大な虎が並べられている。これもいいが師の金屏風に描かれた金と白の虎の毛は生けるが如し。弟子の個性と対照せられて企画者の狙いは了としよう。

 改めて驚嘆したのは蕭白だ。その鬼才は描くところの竜に神品のオーラを発している。春に観た大観展の竜も素晴らしかったが、こちらには不気味さと凄みがある。対する若冲の華麗も目を瞠らせる。その構図と色彩感覚は日本画の真骨頂のようにも思う。

 久しぶりに雪舟も観られて思うのは鉄斎の作品などにも感得される禅味というものである。先日読んだ上田閑照氏の禅理解などが想い起こされ江戸期の画家達に通底する禅仏教の影響にも興味尽きない。

 上田氏が鈴木大拙を呼び水に展開されている、エックハルトや禅の神秘主義から非神秘主義へ、という考察は精緻でスリリングとも言える。日本美術の傑作を観ながら、その考察の断片も脳裏に明滅した。禅の何たるかはアカショウビンには道元を通じて登攀しなければならない大いなる課題でもある。氏が「非神秘主義 禅とエックハルト」所収の「座禅論-道元『普勧座禅儀』をめぐって(p180~229)」で考察する論説は面白かった。消えたテクストと残されたテクストをめぐっての氏の考察は宗門の道元理解と在野の道元理解の異同が対照されている。「正法眼蔵」の注釈者である入谷義高氏との晩年の会話も心に沁みた。エックハルトや大拙、道元を介して渾身の執念の如き観を呈する同書に於ける思索は啓発というより挑発であり思考を辿る者の全身にも厳しく問いを発する。

 それはまた日本画の巨匠達の実践でもあったと推察される。本展に展示されていた鉄斎の「富士山頂図屏風」(1898年)は禅者たちの兀兀とした禅の風味も漂っている。それは画集には収まりきれない景色だ。鉄斎の仕事は寺田 透によれば「国粋主義者のパトス」(昭和49年11月 平凡社ギャラリー28「鉄斎」所収『鉄斎の一つの見方』)である。また「皇学と儒学の間に生まれた画業」(同・正宗得三郎)というのも肯かれる。儒学者を自認していた鉄斎だが、そこには禅のオーラも強烈に看取されるのだ。

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2008年8月 5日 (火)

大拙とエックハルト

 鈴木大拙の著作をアカショウビンは集中して読んできたわけではない。笑われてもしかたがないが、振り返ると10年に一冊くらいのペースであろうか。物心ついてから40年。ということは4冊しか読んでいないことになる(笑)。もっとも「日本的霊性」は8~9年前に一度読み直しているから、もう少しは大拙の文章に接していることにはなるかもしれない。先日はたまたま晩年にラジオ番組に出演し人生を振り返ったテープを聴いた。アカショウビンはそれくらいの読者であることは先ずお断りしておく。

 というのも前回書いた上田氏の著作は大拙との親交を本の入り口にしているからだ。写真付きで大拙が米国人たちと交流しながら禅が米国にも普及していった過程が確認できる。またエックハルト理解についてもドミニコ会派の布教家で説教家が教団に属しながら教団や伝統的な教典理解を超えた言説の真意に迫ろうとする氏の学問的熱意がひしひしと伝わる。読者は大拙や西田幾多郎、西谷啓治といった碩学たちとも接した文章を読むことで氏が言語的に禅に接近する苦闘も辿れると共に西洋近代哲学の底流ともなっているキリスト教神秘思想の興味深い例のひとつに出会うことができる。

 この著作を簡単に概括することはアカショウビンの力量では無理というものだ。弁解するわけではないが概括する、という事は、この著作に限らず原著の持つ魅力というより磁力とでも言うほうがしっくりする力を無化することでもある。著者の文章を辿ることが核心に出会うことであり、この著作の場合は上田氏の禅解釈に出会うことであり、大拙や西田の学問の源の一端にも触れることである。

 この編纂し直された文庫で上田氏は、ご自身の仕事を多くの後学の者達に伝えようと周到にまた誠実に配慮されておられる。異端とされキリスト教神秘主義と見なされたエックハルトの思想を読み解くことで禅の祖師たちや足跡が改めて光を放つようにも読めた。それは実に精緻で卓抜、難解だが理解を促す努力の楽しみも微かに覚える論説とでも言えるだろうか。晦渋な言い方で申しわけない。

 大拙の人となりに関心を持たざるをえないのは或る米国人が大拙に送った次の手紙に率直に述べられている。

 「(前略)無駄な言葉を重ねるよりも単純に言わせていただきますと、私にとって禅はまさに福音書の空気そのものです。福音書は禅ではち切れんばかりです。禅はどのような修道士にとっても修道士固有のふさわしい風土です。もし禅の空気を吸うことができなければ、私はおそらく精神的に窒息死するでしょう。(以下略)」(p58)

 欧米人の禅理解に応え大拙が試みたように上田氏もエックハルトの言説を精緻に紙背を読み取っていく。そこに辿られるエックハルトの福音書理解の独自さは、深さと好意的に理解してもよいものだ。それはルカ伝の中に伝えられるマルタとマリアの姉妹の話の解釈に見られる。エックハルトの真骨頂は恐らくそこにあると上田氏は見ている。残念だがその内容をアカショウビンが概括しても上田氏によるエックハルトの真意や上田氏の説明の巧みさは伝えられない。実際に氏の文章を辿っていただくしかないのである。このブログではアカショウビンなりの禅や仏教やキリスト教に対する考えはこれまでもしてきたし、氏に挑発されてこれからも更に展開していくつもりである。

 この著書の乱暴な結論のようなものをひとつ出しておくとすれば、タイトルからすれば身も蓋もないが、エックハルトも禅も禅の祖師たちも、神秘思想は含んでいても神秘主義ではない、ということだろうか。アカショウビンとしては、道元によればただ座れ、と静かに一喝される行によって悟りを開くという禅が上田氏の説明する言葉により、言語により周到に接近され感嘆、賛嘆すべき成果を挙げた、と先ずは言祝ぎたい。

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2007年12月24日 (月)

聖夜考

 仏教徒は、きょう、明日の異教の祭を如何に過ごすのだろうか。苦虫を噛み潰したようにか、素知らぬ風を装い世間と楽しくだろうか。「私は無宗教」というコメントが蔓延する多くの「日本人」は八百万の神々と異教の神が摩訶不思議に同居している「神国日本」で若者たちや国民は朗らかに快活に2日間を過ごし暮れから正月を迎えるのであろう。そんな野暮なことを言う輩の棲む場所は現在のこの国に限りなく少なくなっているのかもしれない。

 世界中のキリスト教徒の祝祭日を異教の輩(ともがら)も楽しむという状況が現在の先進国という国家群の国民である事をテレビや新聞等、街中の装飾、企業の収益拡大の手段としてそこここで見聞するときにアカショウビンのような偏屈でへそ曲がりの輩は次のような言説を面白く読む。それは1960年にフランスでユダヤ人教師として教壇に立つユダヤ人哲学者の言動に言及したものである。

 ---教師は当時のフランスのユダヤ共同体のゆくえをとても不安なまなざしで見つめていた。当時は第二次世界大戦が終結しまだ15年しか経っていない。ナチに加担してユダヤ人虐殺に手を貸した戦争犯罪人のフランス人たちはいつのまにか素知らぬ顔で市民暮らしをしている。ソ連からはスターリンによるユダヤ人粛清の情報が断片的に入ってきている。そのような薄氷を踏むような時代に、ユダヤ人をどうやって再統合するのかと教師は腐心する。

 それはまた敗戦後の我が国の伝統の継承に不安を抱く人々の言説とも共鳴しているかもしれない。たとえば保守の論陣を張った福田恆存や論壇人からは巫と見なされた保田與重郎の論説と逆説的に呼応するだろう。

---ユダヤの同胞たちは欧米社会へ同化しユダヤ教の伝統を棄てつつある。彼らをどうやってユダヤ教の圏域に「引き止める」かというのが教師の抱える難問である。ユダヤの若者たちはヘブライ語をもう学習しようとしない。それは苦労してヘブライ語を習得しても、その語学力をもってアクセスできるテクストには「意味のわからない時代遅れの世迷い言」しか書かれていないと広く同化ユダヤ人たちが信じていたからである。

 それはまさしく戦後教育が歴史的仮名遣いを棄却することで白鳳・天平・平安の日本の歴史と文化から限りなく離れていく過程を危惧する福田や保田の言説とも呼応するだろう。

---教師は言う。そこには恐るべき叡智の言葉が書かれている、と。イスラエル高等師範学校の校長として、ヘブライ語とフランス語のバイリンガルの教師を育てて、中近東や北アフリカに派遣することを本務としていた彼は、フランスの若者たちの前で、「ヘブライ語ができると恐るべき叡智にアクセスできる」ということを理解させることを思想的急務としていた。そのためには、「ヘブライ語ができたせいで、私は『恐るべき叡智』に現にアクセスすることができた」という事実を、今ここで身を以て示さなければならない。60年代の彼の仕事は、そうやって考えると実はきわめて選択的な読者層をターゲットにしていた書き物だったことが知れるのである。

 この教師が誰であるかはさておき、このような危機感は我が国の思想家や宗教家にどのように現在しているだろうか?また、その歴史的視界はユダヤ社会の歴史と我が国の歴史と、現在という時空間に於いてどのように交錯するのか。

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