2017年11月19日 (日)

観自在

  昨日の東京新聞の朝刊で俳人の星野昌彦さんが一文を寄稿しておられる。氏はこの一年、般若心経を読み五百の俳句を作られ出版されたという。そこで「真実を観るまなざしが『観自在』である」と。その言や好し。<観自在崖を離れし鳶の笛>という一句を介し自註している。「一歩間違えば奈落の底へ落ちてしまうかもしれない断崖を離れて、悠々と鳶は笛を吹いている」。また「観自在にも見える「鳶」に同化しようとする私がいる」とも。さらに先般105歳で亡くなられた日野原重明さんが「命というのは、使える時間。自分の持っている時間を誰かのために使ってほしい」と述べられているらしい。

「私は無神論者であるが、朝日を見れば柏手を打ち、夕日を観れば合掌して祈念する。お盆になれば、仏壇に茄子を供える」という。それは『沈黙」 で遠藤周作が書いた〝転んだ〟フェレイラが、キリスト教を布教するなかで日本という国はキリスト教の神の概念を理解できない国民だ。日本という国は〝沼地のようなもの〟、私たちが植えた苗は腐るだけだ、と司祭ロドリゴに棄教を促す契機となった日本人観、日本国観と反照する。星野さんの日常は多くの日本人の日常だろう。それをポルトガルのパードレたちは日本という国の特異性と受け取ったのだ。かつて小林秀雄はクリスチャンの妹に、僕にはけっきょくキリスト教というのはわからなかったな、と語っていた。それもまたわからずやの日本人として嘆いた根拠とも受け取られる。しかし果たしてそうなのだろうか。それは遠藤を含めて日本のキリスト教信仰者たちに問われる問いである。八百万の神々に囲まれた多くの日本人に果たして仏教も本来の仏教は正しく受け取られているのか。周囲を見渡せばそのようにも思われる。多くの日本人の葬儀で唱えられる般若心経も果たしてどれほど理解されているのか。その思索が星野氏の作品には表現されている。<羯諦羯諦波羅僧羯諦は般若心経に記されているサンスクリットの呪文で、往き往きて彼岸に達せる者よ。まったき彼岸に達せる者よ。悟りあれ。幸いあれと訳される。

  アカショウビンのような俗物にそのような境地は遥か彼方の境地だが、日々を生きるなかで警鐘のように受け取られる。一昨年の入院のときは法華経のサンスクリット訳も通読した。そこで法華経も熟読しなければならぬ。鳩摩羅什の中国語訳を介してさらに思索を促される。観自在とは人間という生き物が辿りつける境地なのか。しかしそれは何とも魅力的な境地だ。与えられた余生のなかでそのような愚想を継続したい。

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2017年9月26日 (火)

水俣病は終わっていません

  25日の東京新聞夕刊に坂本しのぶさんの写真が。その渾身のコメントが表題のものだ。胎児性水俣病でアカショウビンは若いころに写真集でその姿を拝見し絶句した。以来、水俣への関心を持続している。還暦を迎えられたのが幸か不幸かはご本人の気持ちに寄り添わなければ軽率には言えない。禍福は糾える縄の如しで苦楽は糾える紐の如しだが、福も楽もあったと思いたい。しかし健常者とは異なる次元の楽かもしれぬ。仏者なら苦楽共に思い合わせて救いとして祈るだろう。日蓮なら南無妙法蓮華経、親鸞、法然は南無阿弥陀仏、道元なら只管打座だ。様々な姿で現世は苦楽に満ちている。その苦衷は本人が経験し体験し克服するしかない。しかし、それに同苦できるかどうかは人それぞれ。しのぶさんの表情には、その一端が写されている。此の世に生を受けるのは必然と偶然が介在する。人間はそれを受け入れるしかない生き物だ。その苦楽は苦楽として受け入れ娑婆世界を生きるしかない。それを否定し身を断つこともあるだろう。しかし、しのぶさんが発する声は洋の東西を問わず声として通底すると思いたい。仏教で説く人の業とはそのようなものであろう。

  ジュネーブの会議でしのぶさんの声と姿に接した人々はそれを痛感した筈だ。その声を人間という存在はどのように受け入れただろうか。国連環境計画の高官が述べたとされる「彼女らはもはや一人ではない」の言や好し。しかし、それは各人が自らの精神に叩き込まなければならぬ困難さを伴う。その困難さをどれほどの人が我が身に課することができるだろうか。それは正しく国連という機構組織を介して人間という生き物に課される難問である。条約に批准していないボスニア・ヘルツェゴビナの政府職員は「勇気を持って世界に伝えた姿に涙が出た」、と言う。その言や好し。身をよじりながら声を絞り出す姿を注視し、熟視し、熟思しなければならぬ困難を伴うことに心したい。

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2017年9月 7日 (木)

スポーツで最も恥ずべき卑怯な行為

  6日の東京新聞朝刊の〝本音のコラム〟は、痛烈でアカショウビンにとって新たな事実を呼び戻して啓発された。ここで引用された桑田真澄氏が語った事である。

  曰く、「体罰に愛を感じたことは一度もありません」。「絶対に仕返しをされないという上下関係の構図で起きるのが体罰。スポーツで最も恥ずべき卑怯な行為です」。

  ここで強調されるべきは、恥ずべき卑怯な行為、である。道徳や人の生きるべき生き方で最も肝要な事とアカショウビンは解する。斎藤美奈子氏は、NHKドラマや先日の日野皓正氏の報道など引用し書いておられる。それによって、体罰容認論が復活しつつあるらしい。斎藤氏は「軍隊式の指導がまかり通っていた四十年前に逆戻りしたいの?」と問うておられる。それは揶揄とも読めるが、ここは、「したいのか!」、と怒りの声を上げなければならないところだ。もちろん斎藤氏にも、その意気込みはとうぜんある筈である。それほど、この桑田氏の発言と体罰容認論は四十年前どころか、戦前・戦中・戦後の軍国主義の歴史と一連の日本の現代史を振り返り論じなければならない日本人の問題である。

斎藤氏は「音楽や他の分野も同じだろう。時と場合で許される体罰などあるわけがない。時と場合で許される虐待やDVがないのと同じだ」の言や好し。

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2017年8月24日 (木)

戦後72年

 昨夜、レンタルショップで借りてきた原 一男監督の『ゆきゆきて、 神軍』を観た。何十年ぶりだろう。昨年、縁あって北関東から都下へ引っ越してきた。昨夏は同居人さんに是非、この映画を観て鎮魂の夏を過ごしたいと話しレンタルショップを探したらあるというので予約した。しかし数日して同店にはおいていないという返事だった。まぁ、現在の世相で現政権が手を尽くし発禁にしたのかもしれぬと思い同居人さんにもその旨説明した。ところが同居を解消し新たに住んでいる近くの店には何とあるというので予約し昨夜観たのである。

 それは、やはり強烈な作品である。聞けば都内で上映会も開かれるらしい。ここでアカショウビンが内容を説明するより先ず観て頂きたい。現在ならネットでいくらでも見られるのではないか。特に若い人たちには観てもらいたい。そして戦後という時空間のなかにこのような男が生きてあの戦争の現実を兵士たちの証言を闇の中から映像として明らかにした事実を自らの眼で視て頂きたい。

 それはともかく、先日は評判の『海辺の生と死』を観て感想を述べなければならないが、その前に島尾敏雄や先の大戦に関わった人々の言説、論説は戦争を知らない、アカショウビンのような戦後世代には無関心でいられない歴史である。それは現在まで継続している。そこでこの夏を新たに通過しながら今年書いた次の文章のあとに6年前に書いたブログを再掲する。

 昭和二十年、戦艦大和が特攻で出撃し徳之島沖で空から米軍機、海からは潜水艦による魚雷攻撃により沈められたのは4月7日である。生き残った吉田満氏の“作品“は文庫で読める。しかし初出の文章はGHQの検閲により日の目を見なかった。それを米国で発見したのは文芸評論家の江藤淳である。その初出の文章は昭和56年9月号の「文学界」に掲載された。凝縮された漢字片仮名混じりで実戦の緊迫が横溢している。検閲で書き直した文庫の文章とはまるで異なる。それは後に『一九四六年憲法-その拘束 その他』(文春文庫1995年1月10日)に所収された(p395~432)。それを再読し乗り組み員三千余名の鎮魂としたい。

 先日は久しぶりに文庫で、島尾敏雄(以下、敬称は略させて頂く)と吉田 満の対談を読み直した。新編で、橋川文三の「戦中派とその『時間』」(毎日新聞 1980年4月4日 夕刊)、吉本隆明の「島尾敏雄-戦争世代の大きな砦」(1986年11月15日 『静岡新聞』)、鶴見俊輔の「吉田満-戦中派が戦後を生きた道」(2001年 『潮』8月号)、が収載され、「もう一つの『〇』」のタイトルで加藤典洋の解説が付け加えられている。
 この対談は昭和53年8月に中央公論社から出版された。島尾が吉田の「戦艦大和ノ最期」を、それまで読んでいなかったという発言には改めて驚いたが両人は「夕方から夜おそくまで」(島尾)語り合って尽きなかったという。もう一度語り明かしたかっただろうが、吉田は早世する。「散華の世代から」(1981年 吉田 満 講談社)には昭和19年から51年までの吉田の論考と昭和50年にNHK教育テレビで行われた大久保喬樹との対談が収められている。これは何度か繰り返し読んできた。夏が終わるまでに再考の契機となるだろう。
 23日の毎日新聞の朝刊には「[戦争と大量虐殺] 必然の倫理観喪失」のタイトルで柳田邦男の論考が掲載されて新たな事実を知った。そこで引用されているソルジェニーッインの「煉獄の中で」から引用した一文は書き留めておこう。
 「いかなる戦争も解決にはならない。戦争は破滅だ。戦争が恐ろしいのは、火災や爆撃のためではなく、何よりも、自ら思考する者すべてを、愚鈍の必然的な暴力に追いやってしまうことだ・・・」
 柳田は、先の大戦でソ連軍による日本人虐殺の葛根廟事件を紹介して同様のイスラム過激派集団「イスラム国」のクルド族・ヤジディー教徒の大量虐殺、女性や子供の生き埋め行為を批判している。われわれは同時代のそのような現実と共時して現存していることに迂闊であってはならない。
 吉田満氏は1979年9月17日に亡くなられた。事故で片目を失明されたという話は何かの著作か雑誌の記事で読んだが2度の引っ越しで資料はない。存命であれば90歳であられる。 
 先日、高橋たか子さんが亡くなられた。80歳だったろうか。ご亭主の高橋和巳は39歳で亡くなった。京都大学の同窓だった筈だ。大学紛争の渦中から収束に至る頃だった。アカショウビンは高橋和巳の小説で「散華」という言葉を知った。それはさておく。吉田満さんの著作と高橋の「散華」は底で響きあっているだろう。39年の人生と56年の人生の中身は天地の如く違うだろう。しかし心身の底で響き合うものが在り、有る。そこに死者達の魂魄が音叉のように共振する時が有るであろうか。
 特攻の戦艦の中で奮闘し散った兵士が背負ったものが何か。それが戦後を生きた吉田満という男の生涯の十字架だったろう。仏教徒から言わせれば業の如きものである。我が人生の時は既に吉田さんの持ち時間を超えている。生き過ぎたの感がなくもない。そろそろ収束に向けて準備を整えなければならない。
 戦闘は終わっても地獄はそこここで現出していた。それは沖縄の現在に生きる人々が伝えている。新聞は23日を過ぎて歴史を忘れ新たな対象に飛びついている。震災、原発、放射能、政争と話題には事欠かない。しかし、現在の日本の繁栄と病弊、「天罰」が沖縄を犠牲にした上に築かれた、と回顧する論説に責任を持つなら、あるいは、そのような論説など知らぬところで我が世の夏を謳歌することに狂奔するなら国家と国民の存続などというものは虚像と虚構と幻想である。沖縄戦の戦闘の地獄は次のようなものである。無断引用で恐縮だが転載させて頂く。
 >夜、喜瀬武原の林道で、(照明弾で)突然明るくなって、明るくなると銃弾が撃ち込まれよったが、右足に貫通銃創を負った。(ふくらはぎの)肉を撃ち抜かれて、骨には当たらなかったから、身体障害者にならなくてすんだ。今も傷が残っている。
 足に触ったらヌルヌルする。臭いをかいだら血の臭いがした。弾が当たったと分かったら急に痛み出して、余りに痛くて立てなくなり、倒れた。他に子どもと女の人が撃たれた。子どもは尻から弾が入り腹の中で止まって、胃が破裂していた。
 (一緒にいた人たちが)三人を林道から民家に運んでくれた。翌朝、連れに来ると言っていたが、来ないのは分かっていた。子どもは翌朝死んだ。
 3日ぐらいして米軍がやってきた。最初は5、6名だったが、やがて30名ぐらいやって来た。様子を見て戻っていった。(残った)米兵が木を切ってきて、布団で担架を作って運んでくれた。
 最初は殺されると思っていた。ガムをくれよったが、もう丸飲み。米兵は親切だったが、中には睨みつける兵隊もいた。女の人も一緒だったから殺さなかったのかもしれない。一人だけだったら、あの睨みつけていた兵隊に撃たれていたかもしれない。捕虜になったのは6月の3日か4日だった。
 それは我が母が娘時代に祖父と共に徳之島から奄美大島の名瀬に渡る船が米軍機の攻撃を受けた時の船上の地獄でもある。「屠殺場のようだった」と振り返った記憶とそれは共振し記されている。
 国家の儀礼とは別に地元ではそれぞれの慰霊が行われているのをネットでは拝見できる。沖縄の地獄を踏み台にして二カ月の時を経て昭和20年、大日本帝国は二発の原爆で、この惑星に生じた新たな「科学技術」で新たな殺戮を経験し敗北したのだ。
 震災も原発事故も天災と人災の事実と負い目として国民が背負う歴史事実である。

 本日は1945年に米軍が沖縄の慶良間諸島に侵攻した日と朝のラジオが告げていた。日本国民は天災と人災に圧倒されるなかで歴史を忘れてはいけない。それから約一月間、圧倒的な物量と戦力で米国は沖縄の大地と海と民衆を抹殺した。以後、大日本帝國の象徴ともいえる戦艦大和を撃滅し都市民を空爆で殺戮し二つの原爆で帝國は息の根を止められたのである。
 幸いに戦後66年、国民は戦禍の害は被らずに済んだ。しかし戦後の復興の過程で水俣の水銀毒に見舞われながら近代文明の害毒と恩恵を浴びて日本という国は66年の歴史を刻んでいることを忘れてはならない。そこに自然の鉄槌ともいうべき災禍に襲われたのである。東北では高齢者の病死が相次いでいると報じられている。それは天災と人災でもある。身体の老化と疲弊に人という生き物は環境に剥き出しに晒されれば何とあはれな最期を迎えなければならないことか。自らの将来もかくの如しであろう。歴史を辿り現在を自覚し将来・未来へ託す。かような生き物の行き着く先の一つの例をこの震災は明かした。
 原子力がパンドラの箱であることは既に開発した科学者たちが警告している。にも関わらず災厄は防御できない。それは存在論的に言えば存在の総体からの警告である。近代から人間達はその警告に抗いつつ身を任せ生存してきた。そのツケが回ってきたことを人間は再び忘れる。娑婆の現実とはこのように虚実皮膜の間で左右される。現在は歴史の果てにあり将来へ渡される。春は残酷な季節なのである。それも桜が咲き夏に至る過程で阿呆の如く人は忘れる。夏に至るまで歴史と現実と将来へ視角を開き活路を繰り返し開いていきたい。もちろん、それは死を自ら覚悟しながらである。

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2017年5月21日 (日)

凡庸と非凡

 プロの将棋や囲碁で凡庸な手を指したり打ったりしては勝負に勝てない。トッププロの勝負は紙一重の差。羽生善治や趙治勲の実績と才能の非凡さというのはそういう修羅場を潜り抜けたところに燻銀のように光るものなのだ。

 音楽ではグレン・グールドにそれを聴く。バッハ弾きとして彗星のように現れ50年の生涯を終えた。先日たまたま中古で買っておいたモスクワのコンセルバトワールの学生達の前で演奏したライブ録音を聴き感銘新ただった。1957年の録音である。バッハの「ゴルトベルク変奏曲」でデビューして以来世界中で引っ張りだこだったのだろう。学生達の反応は敏感だ。最初はベルクのピアノ・ソナタ 作品1。これはショパン・コンクールの優勝者チョ・ソンジンも今年のサントリーホールでの日本公演で最初に弾いていた。2曲目はウェーベルン。作品27の変奏曲だ。一曲ごとにグールドの解説がつく。3曲目はクシェネクのピアノ・ソナタ3番からアレグレット・ピアチェボーレ、アニマート エ フレシビーレとアダージョ。どの作品もグールドは自家薬籠中のものとしているのが演奏からびしびしと伝わる。これを非凡というのだろう。そういう演奏だ。それはまた途中から演奏会に出ることを拒みスタジオ録音に限定することになるだけに貴重なライブ録音でもある。クシェネクのあとグールドがバッハを弾くと話しそれが通訳によって伝えられると学生達の間にどよめきが起きる。彼らもバッハでグールドを聴いているのだ。最初はフーガの技法から次にゴルトベルク変奏曲から抜粋して弾く。アカショウビンが聴いたレコード録音でグールドはピアノでなくオルガンで弾いていた。それも全曲ではなかった。なぜかその後も全曲は録音しなかった筈だ。このCDではそれが一部とはいえピアノで聴けるのが貴重だ。それに学生の聴衆を前にグールドの意気込みが伝わる気合い十分の演奏だ。

 ピアニストや指揮者の非凡とは楽譜を独自の読み、捉え方をする才能だが、それは言葉を変えて言えばコペルニクス的転回として視点を変える才能ともいえるだろう。また視えないものを視えるようにする才能とも言えるだろうか。「これまで人びとは、認識は対象に従わなくてはならぬと考えてきた。・・・しかしいまや、一度問題を逆にして試みるとよい。われわれの認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従わねばならぬとしたらどうであろうか」。これはカントの文章だったろうか。それによればわれわれが聴いているCDの録音という対象もそれを聴くわれわれの認識によって変わるということだ。しかしこのグールドの見事な演奏の価値は凡庸なこちらが変わっても微動だにしないように思える。

 それはともかく、グールドのCDは二枚組で二枚目にはレニングラード・フィルと共演したバッハのピアノ協奏曲第1番二短調BWV1052とベートーヴェンの第2番の協奏曲が収められている。これも貴重な録音だ。指揮はLadislav Slovak、ラディスラフ・スロヴァクと読むのか、未知の指揮者だ。ムラヴィンスキーでないのが惜しまれる。

 それともう一つ強烈な印象を受けた録音を紹介しておこう。オットー・クレンペラーが1934年にロスアンゼルス・フィルハーモニーを振ったベートーヴェンの第5番交響曲の録音である。ナチスの台頭でユダヤ人であるクレンペラーは米国に亡命したのだろう。この頃の米国のオーケストラの実力のほどをアカショウビンは知らないがこれは熱気がむんむんする演奏だ。何と1楽章のあとに聴衆の拍手が入るのである。ロスの聴衆はベートーヴェンの交響曲を聴いたことがなかったのか、それとも演奏の気迫に感動し思わず拍手したのか不明。しかしクレンペラーが戦後のスタジオ録音で入れたベートーヴェンの交響曲全集とはまるで異なる熱気に溢れた生き生きした演奏は録音状態の悪さは帳消しになるほどの演奏だ。もちろんスタジオ録音はそれはそれで素晴らしいのだが。

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2017年1月 6日 (金)

天文少女

 本日の東京新聞“筆洗”が興味深かった。昨年暮れに亡くなられた米国の天文学者ベラ・ルービンさんの事を書いている。宇宙の四分の一を占めながら見ることができない謎の物質「ダークマター(暗黒物質)」が存在する証拠を、銀河が回転する速度を観測することから発見した人という。それはノーベル賞級の業績らしい。10歳の頃から星空に夢中になり天文学者を志した。ところが何と、高校の教師からは「科学を志すには力不足」と言われ、名門大学からは「当大学院は、女性を受け入れない」と断られたという。しかし四人の育児をしながら学究生活を続け大発見を実現した。88歳の見事な生涯と思われる。
 昨年五月に引っ越して以来、深夜の犬との散歩で夜空を見上げることも多くなった。南のオリオンから北のカシオペア、北斗が雄大で美しい。アカショウビンは少年のころ天文学者になりたかった。そのうち他の道に迷い込んでしまった。夜空を見ればその頃を思い出す。今宵は犬たちと暗黒物質に思いを馳せてみよう。

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2016年5月28日 (土)

「持ち重り」と「しっとりとした豊かさ」

 先のブログで小澤征爾氏のベルリンコンサートの村上春樹氏のレポートの感想を書いた。その月刊誌には渡辺京二氏の熊本地震体験記も掲載されていた。しかし立ち読みでは読めなかった。そこで昨日、市立図書館へ行きカード発行の手続きをしたあとで読むことができた。無職の身に同誌は高価なのである。

 その文章で氏は「文明とは善きものだが、今回の災害を待つまでもなく持ち重りのするものなのだ」と書いておられる。それまでの氏の日常はツキュディデースを読む日々であられたらしい。表記は教科書などではツキディデス、ツキジデス、トゥキディデスではなかったか。おそらくギリシア語の音に近い表記なのだろう。そして「実はこういう虚無に面するのも悪くはない。それに面してこそ凡庸な言い草だが、人との交わりの真価が姿を現わす」と記す。文章を読むとそれは実に驚天動地の地震で生涯で二度目に体験する驚愕であった(取意)と述懐しておられる。巨大な蔵書の本棚が倒れその間で九死に一生を得たようなのである。それを虚無と振り返るのが氏らしい。その最初の体験が先の大戦の敗戦を大陸で迎え日本に帰国した時の騒然とした中での経験いらいというのも。そこから氏は江戸期いらいの日本の歴史を世界的な一つの文明として戦後の論考を刊行された。アカショウビンの読んだのはその一部であるが記述と構想、考証の正確さは熟考に値する。

 またその後には姜尚中(カンサンジュン)氏の寄稿も読むことができた。氏はたまたま仕事で熊本に滞在しており地震の体験を「大砲の弾が当たったような衝撃で目覚め」と書いておられる。氏は今年1月から地元劇場の館長を務めておられ、前日までは阪神大震災の教訓を取材するため、神戸市長田区や淡路島を歩いておられたという。それも不可思議な縁のように思われる。そして文章の中で熊本と比べて「巨大な配電盤のような東京」という比喩を使っておられる。誠に東京は日本の、世界の中の一つの配電盤のように思える。宇宙ステーションから眺める地球の夜の大都市はそのようであるのではないか。そして故郷・熊本の幕末・維新以後の歴史を辿り、次のように記す。

 ―九州の中心として近代を支えた行政機能も戦後は大半が福岡に移り、かつての求心力を失いました。

 渡辺氏の著書でも姜氏と同じく近代への視角が歴史を見晴るかす射程で論じられている。それは戦後のハイデガーが戦前、戦中からの思索をさらに深化させた論考と呼応している。ハイデガーは大戦後に起きた中国の大災害で亡くなった人々の死に対し、それは「よく死ぬ死に方ではない。死とは存在を耐え抜き迎えるもの」と思索、考察している。それは熊本地震の死者たちにも当て嵌まる。突然の災害による耐え抜くことなく死ぬ死に方だ、それは。その生死の狭間とはいったい何か?いわゆる運命か?宿命か?それはまた不条理でもあるか?その出来事の不如意を私たちは如何に思索できるのか。そこで人は自らの無力、非力を感得する。そこでどう行動するのか。そこでも生き残った人々の行動、振る舞いが問われる。それを渡辺氏は〝私には友がいた〟というサブタイトルで伝える。また石牟礼道子さんの動向も書かれ、お二人を友人たちが迅速な手配で救済された様子が記されていた。

 また二つの故国をもつ姜氏は〝愛国者と愛郷者〟という中見出しで書いておられる。パトリオットという外来語には二つの意味がある。愛国者と愛郷者である。氏は氏に向けられたヘイト・スピーチのごとき侮辱にその意味を返し同郷者のヴァナキュラー(土発的な)という語で民族は異なっても同じ親愛の情で連携する友人、知人の気持ちに共感する。アカショウビンの故郷に対する気持ちもまったく同様だ。そして氏は七年前のご長男の自死を経て故郷・熊本へ次のように書き文章を結ぶ。

 ―熊本は下り坂の時代に突入することになるかもしれません。しかし、それは荒廃を意味しません。光や明るさだけを目指す上り坂が幸せに通じるという、現代人の拭いがたい「妄信」から決別するべく、歩を進める。その先には落ち着いた、しっとりとした豊かさがあるはずです。

 両レポートは昨日の日米首脳のスピーチとも呼応する。それは為政者たちと思索者たちとの言説・論説の違和となって現れる。大戦後の原子力・核兵器下の世界の負わされた危機を政治屋たちは科学者・哲学者たちの警告を黙殺し冷笑するかのような過程を経て現在に至っている。それをマキャベリズムで冷やかに眺めるだけでは現実は動かない。ヒロシマ、ナガサキの悲劇はギリシアの舞台でなく東洋の島国で現実化したのだ。その世界史的位置づけに我々日本人、日本国民は鈍感ではあってはならない。

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2016年4月13日 (水)

日々の労働

 先日の同窓会に出席して友人たちの近況を知るにつけても多くの同年代の男たちは定年後もサラリーマン生活を継続している。それは安定した収入が得られ老後の生活設計が立てられるということだ。誠に幸いなるかな。別の友人の一人は既に年金生活を満喫している様子。もう一人の友人は数年前に退職し家族のサポートをしながら講演会、演奏会を楽しむ何とも羨ましい日々を過ごしている。多くの日本人が戦後の高度成長期から世界有数の経済大国まで復興、繁栄するなかで多くの国民は戦前、戦中からすれば実に恵まれた生活レベルに達した。そこで失ったものがあるというのは別なテーマだが戦争にも駆り出されず、日々の食事をじゅうぶんに得られ家族で余暇を楽しめるようになったのは正しく日本人の勤勉な気質、性質の賜物というしかない。

 しかるにアカショウビンの日々の労働は時給802円の〝軽作業〟である。しかし外から見るほど楽でもない。朝の7時30分から10時まで休息のない立ち仕事である。同僚たちは黙々と午前10時の休憩までアスリートの如く作業に専念する。休憩時の飲み物の何と貴重なこと。その時を経験するだけでも労働の価値が推測できる。それはサラリーマンの仕事とは明らかに質を異にする。むしろそれはいわゆる3Kに近い。きつい、汚い、危険。アカショウビンの他の先輩たちは殆どが70歳を超えている。一人の女性は80歳という。しかし、外から見れば楽に仕事をこなしているようでも、息遣いと声を聞けば体力は消耗している。アカショウビンなど「若いねぇ」と冷やかされながら、元気な爺さんたちだ、と舌をまく。老化は人それぞれ、を実感しても年代の違いによる体力差はいかんともしがたい。

 先日、作業中に「青森のりんごを買いませんか」と訛りのある男がふいに声をかけてきた。しかし皆さんお仕事中で素っ気ない。「青森のどこから」と訊ねると「弘前です」と。そうか、弘前から車でリンゴを売りに来ているわけだ。それは彼らの労働の一環なのである。丹精したリンゴを自分たちで売り対価を得る。その労働はまたサラリーマンや我々の〝軽作業〟とは異なる労働だ。そこで人それぞれに世界を見る眼が異なってくる。

 朝のテレビで昨日の新宿ゴールデンの火事の報道をしていた。昼間に出火したらしい。たまに飲み歩いた記憶が甦る。そこで商売する人たちもまた異なる世界を見ている。世界とは何か。仏教では娑婆世界である。西洋哲学の一つでは人間たちが放り込まれた場所である。そこで労働とはどういう意味を生じるのか。現在のきつくはあるが身体を動かし何かの作業をこなしているという達成感は我が身に何か満足をともなった喜びのようなものとして実感される。その満足とは何か。その喜びとは何か、少し問い続けてみよう。

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2016年3月26日 (土)

ロマンと浪漫

 昨年、入院していた時に手術後に部屋の周りを若い看護師の女性の助けを借りながら点滴をひいて歩いた。その時、壁に絵が架けられていて絵は好きですかと訊ねると「印象派は好きです」と答えた。なるほど、この人は絵をジャンルで自分の好みを相手に伝えようとしているわけだ、と解し少し物足りなかった。モネだったらモネでモネの何が好きかで話は続く。アカショウビンは絵に限らず芸術作品をジャンルで見ることは殆どない。好みの作品はその制作者であり、強いて言えば様式である。音楽については作曲者でありソナタ形式とかバッハのフーガ、ショパンのマズルカといったスタイル(様式)である。

 というのも、ミクシイの音楽好きの皆さんのコメントのなかでロマン派で好きな作曲者は誰かといった問いかけがあったからだ。先に述べたようにアカショウビンはジャンルで音楽を聴かない。〝古典派〟ではハイドンでありCDショップではバッハは〝バロック〟にジャンル分けされているが、ベートーヴェン、モーツァルト、ブラームスを聴くのである。そこでロマン派というと頭に浮かぶ、前回のブログにも書いたようにシューマンの室内楽やピアノ作品をあれこれ聴いている。以来、あれこれ思案し手持ちのCDを引っ張り出し聴き直した。

 本日は山田一雄のブラームスの交響曲第1番を聴いた勢いで、他の録音を1楽章を中心に幾つか聴き比べた。ステレオ録音では先ずオイゲン・ヨッフムとロンドン・フィル(1977年)、ギュンター・ヴァントとNDR響(1982年~1983年)。モノラルではヴィルヘルム・フルトヴェングラーとベルリン・フィル(1952年)のEMI盤、ブルーノ・ワルターとニューヨーク・フィル(1953年)。その中ではレコードで若い頃に繰り返し聴いたフルトヴェングラー、ワルターがすばらしい。しかし冒頭の部分は山田が二人の巨匠に勝るといってもよい。またワルターの2楽章は格別の美しさであることを再認識した。今宵もいくつか聴いてみよう。

 そのような機会に考えるのはロマンといい浪漫という、主義といい文化運動ともいう歴史現象の実態と本質である。ロマン派音楽という分類があればロマン派文学もありロマン主義という思想もある。その中身とは何か。そこを明かさねばならない。それはアカショウビンが現在こそ中断しているが10数年前から精読している保田與重郎の著作を辿りながらそう思うからだ。保田らが昭和初期に立ちあげた日本浪曼派の思想、文学作品は戦後、橋川文三の主著により、また竹内 好ら左派の戦後思想家たちから厳しく批判され息の根を断たれた観がある。しかしアカショウビンは著作を読み続けるなかで、そには文学、思想に対する保田の豊饒な文学・思想があふれていることを痛感した。橋川や竹内からは「巫」と揶揄された保田の論考はその痕跡を認めたうえでさらに踏み込むべき内容をもっていることは確信する。アカショウビンが保田と共有する論点は〝近代とは何か〟という問題意識でそれは洋の東西を問わない。保田がドイツロマン主義に強く共感したように〝近代〟という歴史区分の中身を明確にし論点を立てて論じなければ現在の政権のように歴史の逆戻りをしかねない危険性を帯びているからだ。

 保田によれば浪曼主義とは自然主義と異なり美に立脚し気宇や精神の新しさを造型し重視する主義である。しかし、そのような定義なら日本浪曼派ならずともあるだろう。しかし重要なのはそのような主張が昭和初期に日本の青年たちを魅了したという事実なのである。それは橋川や竹内らの批判で命脈を絶たれたと見える保田の寄った日本古代の豊饒な文化への再認識は必要不可欠。そこにしか文学、文化、思想の批判的伝承はないと思える。〝近代〟についてはハイデガーがギリシアにまで遡り近代批判を戦後も更に継続している一端はこのブログでも著書や講義録を引用し書き続け考察している。

 それは時にアカショウビンの右翼的体質と誤解も受ける。裏返せば左翼である。アカショウビンはそのような二元論で物事を割り切る安易にだけは堕ちこまないよう注意して生きて来た。それは読者の皆さんに伝えておきたい。先日、東京新聞で鎌田慧氏が鋭いコラムを書いておられた。その立ち位置をアカショウビンは共有、同意する。それは現政権に対立するから一見左翼的言辞である。しかしそれは左翼的立場ではない。現政権は右翼的だが右翼ではない。それは真正な右翼からすればモドキであろう。保田與重郎は右翼か。アカショウビンの視点は違う。竹内の言うように巫的天皇主義者というところと考える。それはもちろんアカショウビンの立ち位置と異なる。

 保田の昭和15年から16年の論考をまとめた著作が『近代の終焉』(2002年1月8日 新学社 保田與重郎文庫9)である。これは戦前の日本の思想空間を精査するうえで不可欠の資料である。若い人たちにも是非広く読んで頂きたいと心から思う。

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2016年1月26日 (火)

現在は戦時か

 神奈川新聞のインタビューで辺見 庸氏が話している。若い記者で辺見の著書をどれだけ読んでいるかどうかはともかく、辺見の気迫に臆している様子は記者のナイーブさだろうが物足りない。そこで辺見は現在の日本は戦時だと断じている。それは、この10数年の日本の政治状況を見れば熟思しなければならない指摘だ。記者もジャーナリズムも多くのジャーナリストもそこまでの危機感はないだろう。もちろん日本国民も。むしろ昭和元禄ならぬ平成元禄を謳歌しているように見えるのはアカショウビンの錯覚だろうか。

 また朝日新聞1月21日の朝刊にも辺見のインタビューが掲載されている。安倍政権が戦争法(安保法)を本気の死に物狂いで憲法改憲に突っ走っている現実を辺見は危惧し現在が平時でなく戦時だと考えるのだ。その言や好し。記者は憲法改正に対する安倍政権への反対の国民の声の大きさは侮れないのではないか、と水を向ける。それに対し辺見は苛立つように「安保法制なんて、周辺事態法を設立させてしまった1999年から決まり切ったことじゃないですか」と答える。さらに記者がSEALDsのような若者の行動は新鮮だったと話すと、あれは「現象」だとは思うが、ムーブメント(運動)だとは考えていない、という発言にアカショウビンも共感する。そして欧米でのサミットに反対するデモが資本主義のあり方そのものに反対していることに日本との違いを指摘する。「日本とは『怒りの強度』が全然違う」と。さらに安倍政権が現状をこれ以上悪くすることへの反発は認めながらも「どこか日本的で、むしろ現状維持を願っている感じがしますね」とも。「怒りの芯がない」と言うのも現状に対するアカショウビンの認識と同じだ。現状は、かつての日本ファシズムと本質が変わっていない、という辺見の指摘も同意だ。それは辺見のいう「戦時」という判断を斟酌すればだが。それには多言を要する。辺見が依拠している丸山眞男の著作にもあたらねばならない、また丸山を批判した吉本隆明の論説も介さなければならないからだ。

 先日、「一枚のハガキ」という新藤兼人監督が2011年に公開した映画をレンタルDVDで久しぶりに観直した。監督が遺言のように残した傑作である。アカショウビンは当時、渋谷の劇場で観て、その完成度に感嘆した。寿命の尽きようとする人間が残したそれは遺言と言うしかない作品だ。先の戦争への一人の映画人の渾身の発言である。それは広島生まれの監督が終生こだわる先の大戦への違和と抵抗である。奈良の天理教本部に召集された100人のおっさん兵のうち94人が死に、生き残った6人のうちの一人が妻から受け取った一枚のハガキを戦友が死んだら自分は筆不精で書いても検閲で届かないかもしれないから、そのハガキを持って、お前の気持ちはわかった、と伝えてくれという願いを叶えるために戦友の妻を訪ねるという物語である。殆ど忘れていたカットも多かったが広島の神楽舞のシーンなど実に鮮烈で面白い。監督の強烈なメッセージが伝わる。それは初期の『裸の島』のシーンも回顧されていて正に新藤兼人の集大成の如き作品に仕上がっている。初見の時の感想にも書いたけれども個々の役者への不満はある。しかし、それを超えて新藤兼人という人の強烈な気迫とメッセージをアカショウビンは新藤作品を見続けてきて痛感した。多くの人に観て頂きたい作品である。

 それはともかく、辺見 の近刊『1★9★3★7』(辺見 庸著 2015年10月27日 株式会社金曜日)は出版社を変えて増補版が刊行されたらしい。その増補箇所には興味がある。その感想は後日。

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