2017年5月21日 (日)

凡庸と非凡

 プロの将棋や囲碁で凡庸な手を指したり打ったりしては勝負に勝てない。トッププロの勝負は紙一重の差。羽生善治や趙治勲の実績と才能の非凡さというのはそういう修羅場を潜り抜けたところに燻銀のように光るものなのだ。

 音楽ではグレン・グールドにそれを聴く。バッハ弾きとして彗星のように現れ50年の生涯を終えた。先日たまたま中古で買っておいたモスクワのコンセルバトワールの学生達の前で演奏したライブ録音を聴き感銘新ただった。1957年の録音である。バッハの「ゴルトベルク変奏曲」でデビューして以来世界中で引っ張りだこだったのだろう。学生達の反応は敏感だ。最初はベルクのピアノ・ソナタ 作品1。これはショパン・コンクールの優勝者チョ・ソンジンも今年のサントリーホールでの日本公演で最初に弾いていた。2曲目はウェーベルン。作品27の変奏曲だ。一曲ごとにグールドの解説がつく。3曲目はクシェネクのピアノ・ソナタ3番からアレグレット・ピアチェボーレ、アニマート エ フレシビーレとアダージョ。どの作品もグールドは自家薬籠中のものとしているのが演奏からびしびしと伝わる。これを非凡というのだろう。そういう演奏だ。それはまた途中から演奏会に出ることを拒みスタジオ録音に限定することになるだけに貴重なライブ録音でもある。クシェネクのあとグールドがバッハを弾くと話しそれが通訳によって伝えられると学生達の間にどよめきが起きる。彼らもバッハでグールドを聴いているのだ。最初はフーガの技法から次にゴルトベルク変奏曲から抜粋して弾く。アカショウビンが聴いたレコード録音でグールドはピアノでなくオルガンで弾いていた。それも全曲ではなかった。なぜかその後も全曲は録音しなかった筈だ。このCDではそれが一部とはいえピアノで聴けるのが貴重だ。それに学生の聴衆を前にグールドの意気込みが伝わる気合い十分の演奏だ。

 ピアニストや指揮者の非凡とは楽譜を独自の読み、捉え方をする才能だが、それは言葉を変えて言えばコペルニクス的転回として視点を変える才能ともいえるだろう。また視えないものを視えるようにする才能とも言えるだろうか。「これまで人びとは、認識は対象に従わなくてはならぬと考えてきた。・・・しかしいまや、一度問題を逆にして試みるとよい。われわれの認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従わねばならぬとしたらどうであろうか」。これはカントの文章だったろうか。それによればわれわれが聴いているCDの録音という対象もそれを聴くわれわれの認識によって変わるということだ。しかしこのグールドの見事な演奏の価値は凡庸なこちらが変わっても微動だにしないように思える。

 それはともかく、グールドのCDは二枚組で二枚目にはレニングラード・フィルと共演したバッハのピアノ協奏曲第1番二短調BWV1052とベートーヴェンの第2番の協奏曲が収められている。これも貴重な録音だ。指揮はLadislav Slovak、ラディスラフ・スロヴァクと読むのか、未知の指揮者だ。ムラヴィンスキーでないのが惜しまれる。

 それともう一つ強烈な印象を受けた録音を紹介しておこう。オットー・クレンペラーが1934年にロスアンゼルス・フィルハーモニーを振ったベートーヴェンの第5番交響曲の録音である。ナチスの台頭でユダヤ人であるクレンペラーは米国に亡命したのだろう。この頃の米国のオーケストラの実力のほどをアカショウビンは知らないがこれは熱気がむんむんする演奏だ。何と1楽章のあとに聴衆の拍手が入るのである。ロスの聴衆はベートーヴェンの交響曲を聴いたことがなかったのか、それとも演奏の気迫に感動し思わず拍手したのか不明。しかしクレンペラーが戦後のスタジオ録音で入れたベートーヴェンの交響曲全集とはまるで異なる熱気に溢れた生き生きした演奏は録音状態の悪さは帳消しになるほどの演奏だ。もちろんスタジオ録音はそれはそれで素晴らしいのだが。

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2017年1月 6日 (金)

天文少女

 本日の東京新聞“筆洗”が興味深かった。昨年暮れに亡くなられた米国の天文学者ベラ・ルービンさんの事を書いている。宇宙の四分の一を占めながら見ることができない謎の物質「ダークマター(暗黒物質)」が存在する証拠を、銀河が回転する速度を観測することから発見した人という。それはノーベル賞級の業績らしい。10歳の頃から星空に夢中になり天文学者を志した。ところが何と、高校の教師からは「科学を志すには力不足」と言われ、名門大学からは「当大学院は、女性を受け入れない」と断られたという。しかし四人の育児をしながら学究生活を続け大発見を実現した。88歳の見事な生涯と思われる。
 昨年五月に引っ越して以来、深夜の犬との散歩で夜空を見上げることも多くなった。南のオリオンから北のカシオペア、北斗が雄大で美しい。アカショウビンは少年のころ天文学者になりたかった。そのうち他の道に迷い込んでしまった。夜空を見ればその頃を思い出す。今宵は犬たちと暗黒物質に思いを馳せてみよう。

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2016年5月28日 (土)

「持ち重り」と「しっとりとした豊かさ」

 先のブログで小澤征爾氏のベルリンコンサートの村上春樹氏のレポートの感想を書いた。その月刊誌には渡辺京二氏の熊本地震体験記も掲載されていた。しかし立ち読みでは読めなかった。そこで昨日、市立図書館へ行きカード発行の手続きをしたあとで読むことができた。無職の身に同誌は高価なのである。

 その文章で氏は「文明とは善きものだが、今回の災害を待つまでもなく持ち重りのするものなのだ」と書いておられる。それまでの氏の日常はツキュディデースを読む日々であられたらしい。表記は教科書などではツキディデス、ツキジデス、トゥキディデスではなかったか。おそらくギリシア語の音に近い表記なのだろう。そして「実はこういう虚無に面するのも悪くはない。それに面してこそ凡庸な言い草だが、人との交わりの真価が姿を現わす」と記す。文章を読むとそれは実に驚天動地の地震で生涯で二度目に体験する驚愕であった(取意)と述懐しておられる。巨大な蔵書の本棚が倒れその間で九死に一生を得たようなのである。それを虚無と振り返るのが氏らしい。その最初の体験が先の大戦の敗戦を大陸で迎え日本に帰国した時の騒然とした中での経験いらいというのも。そこから氏は江戸期いらいの日本の歴史を世界的な一つの文明として戦後の論考を刊行された。アカショウビンの読んだのはその一部であるが記述と構想、考証の正確さは熟考に値する。

 またその後には姜尚中(カンサンジュン)氏の寄稿も読むことができた。氏はたまたま仕事で熊本に滞在しており地震の体験を「大砲の弾が当たったような衝撃で目覚め」と書いておられる。氏は今年1月から地元劇場の館長を務めておられ、前日までは阪神大震災の教訓を取材するため、神戸市長田区や淡路島を歩いておられたという。それも不可思議な縁のように思われる。そして文章の中で熊本と比べて「巨大な配電盤のような東京」という比喩を使っておられる。誠に東京は日本の、世界の中の一つの配電盤のように思える。宇宙ステーションから眺める地球の夜の大都市はそのようであるのではないか。そして故郷・熊本の幕末・維新以後の歴史を辿り、次のように記す。

 ―九州の中心として近代を支えた行政機能も戦後は大半が福岡に移り、かつての求心力を失いました。

 渡辺氏の著書でも姜氏と同じく近代への視角が歴史を見晴るかす射程で論じられている。それは戦後のハイデガーが戦前、戦中からの思索をさらに深化させた論考と呼応している。ハイデガーは大戦後に起きた中国の大災害で亡くなった人々の死に対し、それは「よく死ぬ死に方ではない。死とは存在を耐え抜き迎えるもの」と思索、考察している。それは熊本地震の死者たちにも当て嵌まる。突然の災害による耐え抜くことなく死ぬ死に方だ、それは。その生死の狭間とはいったい何か?いわゆる運命か?宿命か?それはまた不条理でもあるか?その出来事の不如意を私たちは如何に思索できるのか。そこで人は自らの無力、非力を感得する。そこでどう行動するのか。そこでも生き残った人々の行動、振る舞いが問われる。それを渡辺氏は〝私には友がいた〟というサブタイトルで伝える。また石牟礼道子さんの動向も書かれ、お二人を友人たちが迅速な手配で救済された様子が記されていた。

 また二つの故国をもつ姜氏は〝愛国者と愛郷者〟という中見出しで書いておられる。パトリオットという外来語には二つの意味がある。愛国者と愛郷者である。氏は氏に向けられたヘイト・スピーチのごとき侮辱にその意味を返し同郷者のヴァナキュラー(土発的な)という語で民族は異なっても同じ親愛の情で連携する友人、知人の気持ちに共感する。アカショウビンの故郷に対する気持ちもまったく同様だ。そして氏は七年前のご長男の自死を経て故郷・熊本へ次のように書き文章を結ぶ。

 ―熊本は下り坂の時代に突入することになるかもしれません。しかし、それは荒廃を意味しません。光や明るさだけを目指す上り坂が幸せに通じるという、現代人の拭いがたい「妄信」から決別するべく、歩を進める。その先には落ち着いた、しっとりとした豊かさがあるはずです。

 両レポートは昨日の日米首脳のスピーチとも呼応する。それは為政者たちと思索者たちとの言説・論説の違和となって現れる。大戦後の原子力・核兵器下の世界の負わされた危機を政治屋たちは科学者・哲学者たちの警告を黙殺し冷笑するかのような過程を経て現在に至っている。それをマキャベリズムで冷やかに眺めるだけでは現実は動かない。ヒロシマ、ナガサキの悲劇はギリシアの舞台でなく東洋の島国で現実化したのだ。その世界史的位置づけに我々日本人、日本国民は鈍感ではあってはならない。

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2016年4月13日 (水)

日々の労働

 先日の同窓会に出席して友人たちの近況を知るにつけても多くの同年代の男たちは定年後もサラリーマン生活を継続している。それは安定した収入が得られ老後の生活設計が立てられるということだ。誠に幸いなるかな。別の友人の一人は既に年金生活を満喫している様子。もう一人の友人は数年前に退職し家族のサポートをしながら講演会、演奏会を楽しむ何とも羨ましい日々を過ごしている。多くの日本人が戦後の高度成長期から世界有数の経済大国まで復興、繁栄するなかで多くの国民は戦前、戦中からすれば実に恵まれた生活レベルに達した。そこで失ったものがあるというのは別なテーマだが戦争にも駆り出されず、日々の食事をじゅうぶんに得られ家族で余暇を楽しめるようになったのは正しく日本人の勤勉な気質、性質の賜物というしかない。

 しかるにアカショウビンの日々の労働は時給802円の〝軽作業〟である。しかし外から見るほど楽でもない。朝の7時30分から10時まで休息のない立ち仕事である。同僚たちは黙々と午前10時の休憩までアスリートの如く作業に専念する。休憩時の飲み物の何と貴重なこと。その時を経験するだけでも労働の価値が推測できる。それはサラリーマンの仕事とは明らかに質を異にする。むしろそれはいわゆる3Kに近い。きつい、汚い、危険。アカショウビンの他の先輩たちは殆どが70歳を超えている。一人の女性は80歳という。しかし、外から見れば楽に仕事をこなしているようでも、息遣いと声を聞けば体力は消耗している。アカショウビンなど「若いねぇ」と冷やかされながら、元気な爺さんたちだ、と舌をまく。老化は人それぞれ、を実感しても年代の違いによる体力差はいかんともしがたい。

 先日、作業中に「青森のりんごを買いませんか」と訛りのある男がふいに声をかけてきた。しかし皆さんお仕事中で素っ気ない。「青森のどこから」と訊ねると「弘前です」と。そうか、弘前から車でリンゴを売りに来ているわけだ。それは彼らの労働の一環なのである。丹精したリンゴを自分たちで売り対価を得る。その労働はまたサラリーマンや我々の〝軽作業〟とは異なる労働だ。そこで人それぞれに世界を見る眼が異なってくる。

 朝のテレビで昨日の新宿ゴールデンの火事の報道をしていた。昼間に出火したらしい。たまに飲み歩いた記憶が甦る。そこで商売する人たちもまた異なる世界を見ている。世界とは何か。仏教では娑婆世界である。西洋哲学の一つでは人間たちが放り込まれた場所である。そこで労働とはどういう意味を生じるのか。現在のきつくはあるが身体を動かし何かの作業をこなしているという達成感は我が身に何か満足をともなった喜びのようなものとして実感される。その満足とは何か。その喜びとは何か、少し問い続けてみよう。

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2016年3月26日 (土)

ロマンと浪漫

 昨年、入院していた時に手術後に部屋の周りを若い看護師の女性の助けを借りながら点滴をひいて歩いた。その時、壁に絵が架けられていて絵は好きですかと訊ねると「印象派は好きです」と答えた。なるほど、この人は絵をジャンルで自分の好みを相手に伝えようとしているわけだ、と解し少し物足りなかった。モネだったらモネでモネの何が好きかで話は続く。アカショウビンは絵に限らず芸術作品をジャンルで見ることは殆どない。好みの作品はその制作者であり、強いて言えば様式である。音楽については作曲者でありソナタ形式とかバッハのフーガ、ショパンのマズルカといったスタイル(様式)である。

 というのも、ミクシイの音楽好きの皆さんのコメントのなかでロマン派で好きな作曲者は誰かといった問いかけがあったからだ。先に述べたようにアカショウビンはジャンルで音楽を聴かない。〝古典派〟ではハイドンでありCDショップではバッハは〝バロック〟にジャンル分けされているが、ベートーヴェン、モーツァルト、ブラームスを聴くのである。そこでロマン派というと頭に浮かぶ、前回のブログにも書いたようにシューマンの室内楽やピアノ作品をあれこれ聴いている。以来、あれこれ思案し手持ちのCDを引っ張り出し聴き直した。

 本日は山田一雄のブラームスの交響曲第1番を聴いた勢いで、他の録音を1楽章を中心に幾つか聴き比べた。ステレオ録音では先ずオイゲン・ヨッフムとロンドン・フィル(1977年)、ギュンター・ヴァントとNDR響(1982年~1983年)。モノラルではヴィルヘルム・フルトヴェングラーとベルリン・フィル(1952年)のEMI盤、ブルーノ・ワルターとニューヨーク・フィル(1953年)。その中ではレコードで若い頃に繰り返し聴いたフルトヴェングラー、ワルターがすばらしい。しかし冒頭の部分は山田が二人の巨匠に勝るといってもよい。またワルターの2楽章は格別の美しさであることを再認識した。今宵もいくつか聴いてみよう。

 そのような機会に考えるのはロマンといい浪漫という、主義といい文化運動ともいう歴史現象の実態と本質である。ロマン派音楽という分類があればロマン派文学もありロマン主義という思想もある。その中身とは何か。そこを明かさねばならない。それはアカショウビンが現在こそ中断しているが10数年前から精読している保田與重郎の著作を辿りながらそう思うからだ。保田らが昭和初期に立ちあげた日本浪曼派の思想、文学作品は戦後、橋川文三の主著により、また竹内 好ら左派の戦後思想家たちから厳しく批判され息の根を断たれた観がある。しかしアカショウビンは著作を読み続けるなかで、そには文学、思想に対する保田の豊饒な文学・思想があふれていることを痛感した。橋川や竹内からは「巫」と揶揄された保田の論考はその痕跡を認めたうえでさらに踏み込むべき内容をもっていることは確信する。アカショウビンが保田と共有する論点は〝近代とは何か〟という問題意識でそれは洋の東西を問わない。保田がドイツロマン主義に強く共感したように〝近代〟という歴史区分の中身を明確にし論点を立てて論じなければ現在の政権のように歴史の逆戻りをしかねない危険性を帯びているからだ。

 保田によれば浪曼主義とは自然主義と異なり美に立脚し気宇や精神の新しさを造型し重視する主義である。しかし、そのような定義なら日本浪曼派ならずともあるだろう。しかし重要なのはそのような主張が昭和初期に日本の青年たちを魅了したという事実なのである。それは橋川や竹内らの批判で命脈を絶たれたと見える保田の寄った日本古代の豊饒な文化への再認識は必要不可欠。そこにしか文学、文化、思想の批判的伝承はないと思える。〝近代〟についてはハイデガーがギリシアにまで遡り近代批判を戦後も更に継続している一端はこのブログでも著書や講義録を引用し書き続け考察している。

 それは時にアカショウビンの右翼的体質と誤解も受ける。裏返せば左翼である。アカショウビンはそのような二元論で物事を割り切る安易にだけは堕ちこまないよう注意して生きて来た。それは読者の皆さんに伝えておきたい。先日、東京新聞で鎌田慧氏が鋭いコラムを書いておられた。その立ち位置をアカショウビンは共有、同意する。それは現政権に対立するから一見左翼的言辞である。しかしそれは左翼的立場ではない。現政権は右翼的だが右翼ではない。それは真正な右翼からすればモドキであろう。保田與重郎は右翼か。アカショウビンの視点は違う。竹内の言うように巫的天皇主義者というところと考える。それはもちろんアカショウビンの立ち位置と異なる。

 保田の昭和15年から16年の論考をまとめた著作が『近代の終焉』(2002年1月8日 新学社 保田與重郎文庫9)である。これは戦前の日本の思想空間を精査するうえで不可欠の資料である。若い人たちにも是非広く読んで頂きたいと心から思う。

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2016年1月26日 (火)

現在は戦時か

 神奈川新聞のインタビューで辺見 庸氏が話している。若い記者で辺見の著書をどれだけ読んでいるかどうかはともかく、辺見の気迫に臆している様子は記者のナイーブさだろうが物足りない。そこで辺見は現在の日本は戦時だと断じている。それは、この10数年の日本の政治状況を見れば熟思しなければならない指摘だ。記者もジャーナリズムも多くのジャーナリストもそこまでの危機感はないだろう。もちろん日本国民も。むしろ昭和元禄ならぬ平成元禄を謳歌しているように見えるのはアカショウビンの錯覚だろうか。

 また朝日新聞1月21日の朝刊にも辺見のインタビューが掲載されている。安倍政権が戦争法(安保法)を本気の死に物狂いで憲法改憲に突っ走っている現実を辺見は危惧し現在が平時でなく戦時だと考えるのだ。その言や好し。記者は憲法改正に対する安倍政権への反対の国民の声の大きさは侮れないのではないか、と水を向ける。それに対し辺見は苛立つように「安保法制なんて、周辺事態法を設立させてしまった1999年から決まり切ったことじゃないですか」と答える。さらに記者がSEALDsのような若者の行動は新鮮だったと話すと、あれは「現象」だとは思うが、ムーブメント(運動)だとは考えていない、という発言にアカショウビンも共感する。そして欧米でのサミットに反対するデモが資本主義のあり方そのものに反対していることに日本との違いを指摘する。「日本とは『怒りの強度』が全然違う」と。さらに安倍政権が現状をこれ以上悪くすることへの反発は認めながらも「どこか日本的で、むしろ現状維持を願っている感じがしますね」とも。「怒りの芯がない」と言うのも現状に対するアカショウビンの認識と同じだ。現状は、かつての日本ファシズムと本質が変わっていない、という辺見の指摘も同意だ。それは辺見のいう「戦時」という判断を斟酌すればだが。それには多言を要する。辺見が依拠している丸山眞男の著作にもあたらねばならない、また丸山を批判した吉本隆明の論説も介さなければならないからだ。

 先日、「一枚のハガキ」という新藤兼人監督が2011年に公開した映画をレンタルDVDで久しぶりに観直した。監督が遺言のように残した傑作である。アカショウビンは当時、渋谷の劇場で観て、その完成度に感嘆した。寿命の尽きようとする人間が残したそれは遺言と言うしかない作品だ。先の戦争への一人の映画人の渾身の発言である。それは広島生まれの監督が終生こだわる先の大戦への違和と抵抗である。奈良の天理教本部に召集された100人のおっさん兵のうち94人が死に、生き残った6人のうちの一人が妻から受け取った一枚のハガキを戦友が死んだら自分は筆不精で書いても検閲で届かないかもしれないから、そのハガキを持って、お前の気持ちはわかった、と伝えてくれという願いを叶えるために戦友の妻を訪ねるという物語である。殆ど忘れていたカットも多かったが広島の神楽舞のシーンなど実に鮮烈で面白い。監督の強烈なメッセージが伝わる。それは初期の『裸の島』のシーンも回顧されていて正に新藤兼人の集大成の如き作品に仕上がっている。初見の時の感想にも書いたけれども個々の役者への不満はある。しかし、それを超えて新藤兼人という人の強烈な気迫とメッセージをアカショウビンは新藤作品を見続けてきて痛感した。多くの人に観て頂きたい作品である。

 それはともかく、辺見 の近刊『1★9★3★7』(辺見 庸著 2015年10月27日 株式会社金曜日)は出版社を変えて増補版が刊行されたらしい。その増補箇所には興味がある。その感想は後日。

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2015年12月 8日 (火)

三島由紀夫論の補足②

 三島由紀夫については文学作品と思想行動の両面から論じられなければ全容は理解されない。文学者しての業績が先行するのは当然。だが作家が時代の現実と切り結ぶうえで思想や言動、発言は多くの社会的関心を呼ぶ。アカショウビンも三島の文学作品と思想行動、自決の陰惨さからからこの作家に興味をもった。人は生息している時代状況の中で生きている存在である。高校生といえど同じである。それは現在の政治状況を見ればわかる。集団自衛権や沖縄の現状に対して若い人たちの強い関心は周知の通り。アカショウビンも三島が自決した1125日は新聞各紙を読む。今年の東京新聞は29面の社会面に三島の裸体像にかかわった彫刻家の吉野毅さん(75歳)に取材している。

 このブログを始めた2005年の記事を再掲して改めて戦後の歴史の一幕を介してアカショウビンは生きてきた時代を想起する。

 2005年の11月の毎日新聞では、松本徹氏が「多様な応答がはじまった」という題で三島由紀夫没後35年の感想を述べている。上映中の「春の雪」を「「快い驚きであった」と評価し「三島が生命を投げ出して訴えた諸問題-憲法改正、防衛、天皇等々-を政治の次元だけでなく文学、演劇、さらには文化全体との係わりにおいて捉えなおすことになるだろう」と述べている。

 アカショウビンは815日のブログで、三島由紀夫が1969年5月13日、東大全共闘とのパネル・ディスカッションで提出した五つの問いを紹介した。①暴力否定は正しいかどうか②時間は連続するものか非連続か③三派全学連はいかなる病気にかかっているのか④政治と文学との関係⑤天皇の問題

 三島の「左翼革命が実現する可能性へ」の危機感がつのる過程でのこれはやりとりである。三島独特の揶揄と生真面目さによるものと推察されるが、アカショウビンにとって、この問いは現在まで、どれほど継続されているだろうか?その中で現在までアカショウビンが関心を持続しているのは②と④それから⑤である。その詳細は後に述べるとして前回の松本氏(こちらは健一氏)の著作に書かれている北一輝と三島由紀夫に関わる論説は興味深かった。

 『國家改造法案大綱』で北が提案した国家の姿は既に戦後憲法で実現しているというのが松本氏の認識である。北と三島は立場こそ違え国家と対峙した個として、この国の歴史に特筆される人物とアカショウビンは了解している。「予言的思想家」としての北一輝は戦後、国家から封殺され保田與重郎も三島由紀夫も、それから『昭和天皇』でハワード・ビックス氏もほぼ黙殺したのである。その事に対する松本健一氏の違和感をアカショウビンも共有する。

  

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2015年12月 2日 (水)

三島由紀夫論の補足

 三島の死について当時アカショウビンがもっとも刺激されたのが吉本隆明の論考のなかでの次の箇所だ。

 三島が<日本的なもの>、<優雅なもの>、<美的なもの>とかんがえていたものは<古代朝鮮的なもの>にしかすぎない。また、三島が<サムライ的なもの>とかんがえていた理念は、わい小化された<古典中国的なもの>にしか過ぎない。この思想的な錯誤は哀れを誘う。かれの視野のどこにも<日本的なもの>など存在しなかった。それなのに<日本的なもの>とおもいこんでいたのは哀れではないのか?(『試行』第32号1971年2月15日)

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2015年11月25日 (水)

1970年11月25日

読者の方からアカショウビンの三島由紀夫についての考えが知りたいというメールが間接的にあったので述べさせていただく。この10年間に何度かこの日に三島についての考えは述べてきた。三島に関する論考で近年、精読したのは保田與重郎のものである。「天の時雨」と題された論考は保田が文芸誌に書いた五つの論考から成る。(200010月8日新学社 保田與重郎文庫22「作家論集」) 保田は三島の死の前に「日本の文學史」(2000年4月8日新学社 保田與重郎文庫20)の全24章のうち第16章「南朝の文學」を書き終え、新潮12月号に掲載された。保田與重郎文庫には〝後記〟として昭和47年4月17日に記された一文が付け加えられている。

その中で保田は三島の自刃を次のように述べている。「三島氏の激文並に命令書は、日本の文學の歴史を考へ立言するに當つて、一箇眼目となすべきものにて、わが日本の文學史の信實である」。続いて保田は吉田松陰の刑死の七日前、安政61020日の書簡を引き、「私はこの義を以て、わが日本の文學史の永遠の思ひとするのである」と書いている。

このような論考は現在の我が国の文学風土、思想風土にどれほどの影響を与えているかアカショウビンは詳らかにしない。しかし、それを土台にせずして日本文学も日本思想もあり得ない。それは〝憂国忌〟などとして保守の論客や一群が気勢を挙げて三島を政治的に頑弄する事とは一線を画す。作家、文学者としての価値が先ず優先される。その中で三島の死を、小林秀雄と江藤淳が対談で考えを異にしたことはかつて書いた。そこが現在のアカショウビンの三島由紀夫という作家に対する眼目である。つまり三島の死は江藤が言うように三島の「単なる病気」ではなく、小林が言うように松陰の死という事実に比肩される日本の歴史の中に繰り込まれるべき歴史事実という視座である。それは恐らく左右両翼の論説を超えた日本という国の歴史に関わるものだ。そこには人間観、世界観も含めてハイデガーが現存在、現有と捉えた生き物の歴史と存在(有)が照射され考察されなければ解き明かされない実存の歴史事実だ。先ず、熟考された問いが立てられなければならない。それに対する回答が与えられる。そこからしか真理、真実への道筋は切り開かれない。三島由紀夫の死と生き方、死に方は、そこからしか捉えられないと言ってもよい。

高校生にとって、あの〝事件〟の衝撃は強烈だった。国語の教師は興奮して授業を中断し、三島由紀夫が、どういう作品を書き、どういう小説家なのかを演説した。何より同級生が持ってきた、朝日新聞の夕刊に掲載された、介錯された三島の首の写真が〝事件〟の凶々しさを象徴していた。象徴というより、それは自分たちが生きている社会の生々しい現実としてアカショウビンには痛烈な印象を与えた。三島の死を遥かに越えて還暦を越えた歳になり、未だに熟考を要する歴史事実の一つとして脳裏に明滅する。

 それは政治的状況や文学的な解釈を超えて、一人の小説家、男の精神領域への好奇心と興味、関心を伴い高校生の日常に割って入ってきた衝撃だった。政治的にも文学的にも〝事件〟の影響は幽かなものになっている。しかし、近年の論考では渡辺京二氏の「三島の意地」(『未踏の野を過ぎて』2011年11月25日 弦書房)と題する一文が興味深かった。一人の小説家の苛烈な死に様は、江藤 淳が揶揄したような〝病気〟ではないと確信する。それは小林秀雄が、それに対して応えた歴史的意味づけがされる〝事件〟とアカショウビンは理解する。

 何年か前に大観の展覧会で大観の作品群を観て三島の文学作品も日本という国の歴史、敢えて言えば世界史の中に位置づけられてしかるべき内容を含むと確信した。大観作品の奇矯は三島の死の奇矯と相通じる筈だ。それが此の国の〝歴史〟を通覧するときに炙り出される典型的な現象なのではないか?大観の大柄な金屏風絵の寒山拾得の表情の狂気の如き笑いは三島の高笑いの表情を想い起こさせる。それは娑婆の現実に対する理想家の拒絶とも唾棄とも解釈される意味性を持たないだろうか? 戦後を生き延びた死にそこないの人生に決着をつけたのが、あの〝事件〟であることは前後に自裁した人々の精神風景と近似しているのではないか?それは現在の政治状況、文化的現在とも共振し合っているのではないか?

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2015年10月23日 (金)

フーコーの、空間の再構成

 M・フーコーが『臨床医学の誕生』で、「現代医学は、その生誕期を18世紀末の数年間、と自ら規定した(同書p5)」と書いた前段で、この書の思想的な姿勢をよく説明している箇所があるのでそれを引用しておこう。

 話しかた(ディスクール)に変化が生じたとき、その変化を把握するためには、恐らくその主題の内容や、論理のありかた以外のものを問うべきなのであろう。つまり、「もの(レ・ショーズ)」と「ことば(レ・モ)」がまだ分離していない領域、ものの見方とものの言いかたとが、言語活動(ランガージュ)の起源とすれすれのところで、まだ互いに結びついている領域に問うべきなのであろう。発言されているものと、黙(もだ)されているものとの区別に対して、見える者と見えないものとの根源的な区分がどの程度結びついているのか、その結びつきの度合いに応じて、見えるものと見えないものとの根源的な区分を問わねばなるまい。そうすれば、医学的言語(ランガージュ)とその対象とが、単一な形態としてあらわれてくるであろう。しかし過去にさかのぼって自己に問うことをしない者には、何の特権も与えられはしない。明るみに出すに値するものとは、ただ、知覚されたものの、語られた構造だけである。この明るみとは、故意に未分化なものにしておくべきものである。つまりこれは、一つの充実した(強調の読点が付記)空間であって、その奥の凹み(これも読点)の中で、言語はその容積と尺度をくみとるのである。病的現象が根本的に空間化(これも読点)され、言語化(読点)されるレベルにわれわれは自らを置き、そして、今や何としてもそこに身を保ちつづけなくてはならない。医師は事物(もの)の有毒な中心にむかってまなざしを注ぐが、上述のレベルこそ、医師の多弁なまなざしが生まれるところであり、これが静思するところでもある。(p4)

 また次の段で、「太古以来のまなざしが、人間の苦悩のうえにじっと注がれたとき、そこに明らかな、秘密な空間が開かれたが、この空間が再編成されたことにもとづいているのである」(p5)。

 さらに、「臨床医学的経験とは、西洋の歴史の上で、具体的な個体が、初めて合理的な言語に向かって開かれたことを意味するのであって、人間対自己、及びことば(ランガージュ)対もの、という関係における重要な事件である。(p9)

 これが、この書物でフーコーが明るみに出そうとした試みである。

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