2016年6月28日 (火)

顧眄す

 水野弥穂子さんは、道元の在俗の仏弟子・女性参学者、了然道者のことを、先日神田の古本屋で購入した「『正法眼蔵随聞記』の世界」で取りあげておられる。了然は道元より早く死んだ。道元は彼女に二つの法語を与えている。水野さんは了然という名が中国由来のものであることを説明し「永平広録」の偈を引く。

 廓然無聖(かくねんむしょう)、硬き(かたき)こと鉄の如し

 試みに紅炉に点ずれば銷(き)ゆること雪に似たり。

 更に問ふ、今何(いずれ)の処(ところ)にか帰り去る。

 碧波(へきは)深き処、何(いか)なる月をか看る。

 水野さんは、了然が亡くなるとき「終焉の語」を残して道元のところまで持って行かせたようです、と書いている。偈には由来があり道元はそれを踏まえている。「鉄の如し」とは『天聖広燈録』を撰した李遵勗(じゅんきょく)の悟道の偈、

 参禅は須(すべから)く是れ鉄漢なるべし、

 手を心頭に著(つ)けて便(すなわち)ち判ぜよ。

 直趣無上菩提、

 一切是非莫管。

 の「鉄漢」が下敷きになっていると思われます、と書いておられる。

 さらに――了然道者の座禅は達磨の廓然無聖のように全くの無所得の行であり、李遵勗の鉄漢のように不動のものであった、と訳されている。

 今、終焉の日を迎えて紅炉に投じてみると雪が銷えるようにさっぱりと消えていった。それでは、了然道者の正体は、今、どこに行ったのかと尋ねれば、碧々(あおあお)と深い波のうねる仏性海の底深く、どんな月を看ていることか。

 この「さっぱりと」という訳にアカショウビンは了然という女性の生き様の見事さを看取する。水野さんは「何なる月」とは、真如の月と説き、道元のもう一首を引く。

 爍破(しゃくは)す従来一版の鉄、

 落処を知ること莫し六華の雪。

 天辺の玉兎潭底(たんてい)に落つ、

 指折(ししゃく)して如何(いかん)が未だ月を見ざらん。

 この訳は次の通り。

 ――従来(これまで)、座禅で練り上げた一枚の鉄のような身は、命が終ると共に六弁の雪の結晶が天から降ってどこに落ちるかわからないように消えていった。

 天上界の月の中に棲んでいる玉兎が深い潭(ふち)の底に落ちてきたようなものである。指を折って掌(たなごころ)をさすように、どうして真如の月を見ないことがあろうか。(今はじっくりと、真如の月と対面していることであろう)

 道元が説き実践した座禅とは正にこのような仏法である。それを改めて骨肉に叩き込む気迫で道元は読まねばならぬ。道元の周辺の人々を、このように解き明かした水野さんの成果を私たちは受け継ぎ『正法眼蔵』を読み継ぐ。それは娑婆で過ごす悦ばしい時である。

 とりあえず再読したいのは「行持」だ。道元が弟子の了然の名前を中国の祖師たちのなかでも数少ない女性の得法者の名から取っていることを説明するなかで水野さんは道元の「山僧已むことを獲(え)ず、了然道者が志道の切なることを顧眄(こめん)す」と言ったことを引く。

 「顧眄」とは、ちらとこちらを見ることです。達磨大師のところに法を求めた二祖が、雪の中に立ってお願いしても、達磨大師は「顧眄せざるがごとし」――振りかえってそちらを見ることもしなかった――と、「行持」に巻に書いておられるその「顧眄」です。(同書p262)

 禅とは何か、とは道元を読むときに鈴木大拙の禅との異同を思案するなかで生じる問いである。それは手に余る。しかし道元の一言一句にはその回答が散りばめられている。それに接することは現在の生に新たな活力を得ることでもある。

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2012年10月 8日 (月)

九相図

 明け方のラジオで或る美術家のインタビューを聞くともなく聞いていた。声から誠実さが滲み出るようで、どういう人なのか興味が湧いた。インタビューの最後の辺りで自らの死に方について話され、「鎌倉時代の九相図のように」と述べられていた。そこで今年、横浜の美術館で見た松井冬子(以下、敬称は略させて頂く)の作品を想起した。禍々しいと忌避されることも多い松井の作品の中で幽霊画と共に死体を介して死は松井の作画の強い衝動となっている。この美術家も恐らく松井の作品を知っていると思われた。岐阜県の山奥のアトリエで創作されておられるようで、孤独についても語られていた。松井展の解説を読むと「九相図」は鎌倉時代以降、幕末の河鍋暁斎に至るまで多数の作例が残る、とされている。松井の「九相図」は2011年に新たに3作品が加わわり松井は「死相図が九つ揃うことで最終的な完結となる六道絵」と位置づけている。

 松井の絵を忌避する人々の感性の底にあるのは、死を不浄とする多くの日本人に通底するものと思われる。死は不浄だろうか、という問いは日本人という民族の何たるかを明かすようにも思える。鎌倉時代の仏教者は修行の過程で「九相図」を凝視し無常観と共に死を考え悟りの境地へ至る一縷の道程を探ったのだろう。

 日本史の中で鎌倉時代に続く戦乱の後の戦国時代から徳川幕府の家光に至る時代を生きた沢庵宗彭は、乞食の生を望みながら権力と仏法の狭間に悩み生涯を終えた。臨終にあたって周囲から求められて夢という文字を書き筆を投げて死んだ、と水上 勉は『沢庵』で書いている。

 沢庵の遺戒の言葉は次の如し。

 私の身を火葬にしてはならぬ。夜半ひそかに担ぎ出し、野外に深く地を掘って埋め、芝をもって蔽え。塚の形を造ってはならぬ。探しだすことができぬようにするためだ。身のまわりを世話してくれた、二、三名も二度とその場所に詣でてはならぬ。(p309)

 これが仏者の望む死に方である。地中で肉体は「九相図」の過程で朽ち果てることを沢庵は思い描き遺戒としたのであろう。アカショウビンの生死も斯くありたい。願わくば戦艦大和が轟沈した東シナ海に散骨して魚に食われたい、と友人たちには告げている。そのためには沢庵とは違い火葬にしなければならないのだが国法ではそうなっている。アカショウビンは仏教徒の端くれだが沢庵の宗旨とは異なる。火葬でも宜しい。其の後は先祖の墓の近くと東シナ海に撒いて欲しいと切に願う。

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2009年10月 7日 (水)

永遠と時間性

 昨日のブログで急所となる部分は僧侶が提出する次の問いである。

  >しかし、そもそも死というものは、存在するのでしょうか。

  >哲学者のウィトゲンシュタインは、『論理哲学論考』の中で、「死は人生の出来事ではない。人は死を体験しない/永遠が時間の連続のことではなく、無時間性のことと解されるなら、現在のうちに生きる者は、永遠に生きる/われわれの生には終わりがない。われわれの視野に限りがないように」と言っています。

 ★この僧侶が依拠するウィトゲンシュタインの断片にはとりあえず、異論を提示することができるだろう。「永遠」を「時間の連続のことでなく、無時間性のことと解されるなら」という前提の箇所だ。その前提は我々が生活する世界で現実的ではない。現実に、「われわれの生には」終わりがあり、「われわれの視野には」限りがあるからだ。

 「永遠」は「時間」と関わってくる概念であるし、「無時間性」という概念にはさらに説明を要するだろう。「時間性」についてはハイデガーの主著も熟読玩味しなければならない。

 また僧侶の問いは熟慮すれば新たな視野を開く問いであるのかどうか、ということも検討しなければならないだろう。僧侶が述べるように、死は存在せず、存在するのは「生」だけなのではないか、という考えには、良く言えば楽天性を看取する。そこにはディルタイの「生の哲学」の影響も反映しているかもしれない。最近の研究では既存の理解とは異なり、ハイデガーが逆にもっと強い影響を受けていた、と報告されもするディルタイの思索に対する考察の幅とスタンスを加味しても、ハイデガーは、その「楽天性」を斥けるようにも思える。

 学問的にはウィトゲンシュタインとハイデガーの哲学を照らし合わせて考察すれば幾つかの論点は浮かび上がってくるだろうが、とりあえず宗教者の視点を介して「死」について再考する機会を得たことは感謝したい。

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2009年10月 6日 (火)

或る生死観

  大型台風が近づき、本日の仕事は中止。大阪の地では未だ雨風が激しくなっているわけでもないが、台風の接近でこれからだろう。それでは屋外の仕事は仕方がないかと思うものの、一日の稼ぎがなくなるのは辛い。もう10月なのだ。古代・中世に十月は神無月と称され、神様たちが出雲にお出かけになり神様不在の月なのである。神様はともかく、母の死を自分の心のうちに納め了解するのには時間を必要とする。ネットを散見していると次のような論考に遭遇した。現在のアカショウビンの心境には実に刺激的なので無断で転載させて戴くことを赦されたい。

 >僕は、そのとき自分の関心から抜けられないから、あなたは死についてどう思うかって馬鹿な質問をしたわけです。彼はパレスチナ人だから、何かあるのではないか、と思って。しかし、彼は、自分は宗教、一切の神秘主義を否定する、自分にとって死というのは、残った家族をどうするかという問題である、と言った。なぜならば、自分はイスラエル左翼のヒットリストに載っているからだ、と。そのとき、僕は目が覚めたような気がしましたね。ああ、そうだった、と。僕の妄想は単なるナルシシズムにすぎない、と思った。

 >浄土真宗では、「死ぬ」と言わず、「浄土に生まれる」と表現しています。それが「生まれ変わり」と違うのは、わたしたちが死後に、よい世界もしくは悪い世界、いずれにしてもわたしたちが考えているような世界に行くという考え方の否定の上に成立しているからです。ということは、たとえば、死後よい所に生まれるために、この世でよい行いをしておこうというふうに、死後に向かって、この世の生活を律していくような生き方をやめようということでもあります。

 しかし、そもそも死というものは、存在するのでしょうか。

 哲学者のウィトゲンシュタインは、『論理哲学論考』の中で、「死は人生の出来事ではない。人は死を体験しない/永遠が時間の連続のことではなく、無時間性のことと解されるなら、現在のうちに生きる者は、永遠に生きる/われわれの生には終わりがない。われわれの視野に限りがないように」と言っています。

 死が人生の中でのできごとではないことは、お分かりいただけると思います。時間の持続という観点を排するなら、現在生きていることは、永遠の事柄です。さらに、わたしたちの視界には文字通りすべてのものが映っている、逆にいうと、映らないものがないのと同じように、わたしたちの生には欠けたものも、どこへ向かっているということもなく、それですべてです。この考えかたはすくなくともわたしにはぴったりきます。実際のところ「生」しか存在しないのではないでしょうか。 

 ★最初の節は現在もご活躍中の或る文芸批評家のもの。後は浄土真宗の僧侶が信者の質問に回答したものである。ここでは誰が書いたものかというより、こういう問いと回答を更に追求し考察する欲求に駆られる。前者のナルシシズムの内容を話者が明かしているのかどうか不詳であるけれども、それは直感とも啓示とも見做せる体験であるように思われる。しかし、死に対する考察と思索がナルシシズムとして了解されるものとも思えない。

 また僧侶が引くウィトゲンシュタインの「死は人生の出来事ではない」という断定も鵜呑みにはできないところだ。出来事とは存在論の用語でもあり、それを意識した思考だと思えるからだ。同様に「現在生きていることは、永遠の事柄」という「事柄」の定義する内容も明らかにしなければならないだろう。

 >さらに、わたしたちの視界には文字通りすべてのものが映っている

 ★それは果たしてそうなのだろうか?という疑問も湧く。「すべて」のものは視覚だけで網羅できるのであろうか?

 >逆にいうと、映らないものがないのと同じように、わたしたちの生には欠けたものも、どこへ向かっているということもなく、それですべてです。

 ★上の考えはドイツ・フランスを中心に展開された現象学的理解というものであろうが、それで、私たちの「生」や「存在」が解き明かされているとも思われない。

 >この考えはすくなくもとわたしにはぴったりきます。実際のところ「生」しか存在しないのではないでしょうか。

 ★僧侶の理解はともかく、「生」しか存在しないのではないか?という解釈は、一つの考えとして理解できても、それを全面的に承服するわけにはいかない。そこには、死は存在するのではないか、という逆の問いかけが根強く反照するように思われるからだ。 

 

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2009年9月27日 (日)

時間の宗教

 以下は道元について述べた方の講演内容を或るブログの管理者が写した文章からの引用である。なかなか興味深い指摘だ。

 キリスト教、浄土真宗は空間的意識の宗教である。禅とは、鎌倉仏教とは何か。禅の本質は時間の宗教である。ここでいう時間の感覚はヨーロッパとは違う。キリスト教徒は、つねにより良い場所を求めてさまよう。ここではないどこかにいいところがあるという意識をつねに持ち、拡げようとする。その意識は宇宙にも向けられている。

 (中略) 

 易姓革命もまた、空間の移動と拡大同様に、時間が断絶する。禅はまったく軸が違う。空間的な拡大や移動を求めない。氏は台湾の少数民族を訪ねて、そこに漂う感覚に禅に通じるものを見た。彼らは母系社会を形成し、山を隔ててそれぞれが違う文化を継承している。そこには、自然、時間、祖先を共有する生活があった。決して山を越えて領土を拡張しようという意志はない。あるいはより良い新天地を求めようとは考えない。

 般若心経における色即是空の色とは物質であり、空とは時間であり悟りである。自分が時間になりきることである。日本人が失った時間、日本の禅、空解釈を変えなくてはいけない。

 これは或る「右より」の集団での講演なので「母系社会~」以下の言説は政治的主張が含意されているようにも読める。しかし禅に関する論説はアカショウビンも殆ど同意する。では、親鸞はどうか、日蓮はどうか、と更に究思しなければならない。 

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2008年3月30日 (日)

響き合い木霊する問い

 2006年、秋の彼岸に父の墓に詣でたときアカショウビンは親鸞の言葉を想起し一文を書いた。

 親鸞は、父母の孝養のために一返たりとも念仏を唱えたことはない。その理由は、人は一切の有情とつながっているのだから父母のためにのみ念仏するのは仏法の考えに背く。親鸞は一切の有情の為に念仏するというのである。

 NHKテレビで太田 光氏と高 史明氏が親鸞を語っていた。 高氏も、その親鸞の「歎異の強い言葉の力に触発されたと話す。12 歳で自殺されたご子息の死に対する後悔と不憫から高さんは試行錯誤の末に親鸞に出会う。

 子供の自殺は親にとって耐えられない苦しみであろう。少年や少女の死は、なぜ起きるのか?番組は自殺未遂の16歳の少女が他人のためにご飯の炊き出しをすることで感謝され喜びを見い出す。その姿に高さんは子息に対する無念を幾らかでも晴らす思いを持たれたのだろう。

 先日、関西に住むアカショウビンの母が入院し昨日と本日、見舞ってきた。病は過酷である。かつて母は「死ぬのは怖くないよ」と、ぽそりと呟いたことがあった。その言葉に愕然とした。子達と離れて一人住む母に親不孝の限りを尽くしていることを改めて悔いた。昨年亡くなった叔父の葬儀に母は上京し弟と別れを告げた。その母が一年も経たぬうちに病に倒れた。医師の見立ては大腸ガン。部位が難しいところで手術は慎重を要すると言う。来週か早ければ今週にも手術が必要です、と外科医は説明した。昨日、内科医の説明を受けた後、母の棲むアパートの部屋に一泊した。室内は小奇麗に整理されていた。今朝、家を出て病院を再訪し電車を乗り継ぎ新幹線で戻ってきた。

 素面では耐えられず、アルコールを飲み不安と鬱をかわそうとし、うたた寝をして目覚めたらその番組が放映されていた。中学生達に高氏は死とは何か?生とは何か?と、ゆったりと問いかけ、回答を発していく。その語りは親鸞に触発されたご自身の生を通し息子を亡くして33年後の生の現在を映す。それはまたアカショウビンの現在への問いかけとなって反響した。

 それは、人という生き物が発する言葉とは何か?という問いにもなり、太田氏と高氏の対話・問答は、そのように形を変えてアカショウビンに木霊する。

 人の言葉と語りは他者との間で時に痛烈に哀切に交わされる。それはアカショウビンをも生とは何か?この世とは何か?という問いに導く。

 そのような疑念に、携帯した本の次のような文章が響きあう。

 人間の偉大な本質は、それが有の本質に帰属しており、有の本質をその真理のうちへと守るのに必要とされている、という点に存する。それゆえ、第一に必要なことは、こうである。まずは有の本質を、思索に値する事柄としてそもそもはじめて熟考すること。まずはそのような事柄を思索しつつ経験すること。まずはそのような経験に分け入るための小道の跡をさぐり、その小道を切り拓いて人跡未踏の地へ踏み入ること。

 およそこうしたことをわれわれがなしうるのは、次のときにのみである。つまり、見たところつねに最も近くにあり唯一差し迫っているように見える、われわれは何をなすべきか、という問いに優先して、われわれはどのように思索しなければならないか、という問いをわれわれがはじめてひたすら熟考するときにのみである。というのも、思索とは、本来的な行為だからである。行為という語が、元有の本質に手を貸して、そこに入っていけば元有がおのれとその本質を言葉にもたらすような場所を準備する、という意味であるとすれば、そうである。言葉なしには、熟慮しようとどんなに意欲しても、いかなる道も小道も欠けたままである。言葉なしには、あらゆる行ないに、それが立ち回り現実に影響を及ぼしうるはずの次元が、ことごとく欠如してしまう。この場合、言葉とは、まずもって思考やら感情やら意欲やらの表現であるのでは決してない。言葉とは、有に応答する原初的次元なのであり、その内部でこそ人間存在は、有の語りかけてくる要求に応答して語り、この応答的語りにおいて有に聞き従う、ということがそもそもはじめてできるのである。この原初的な応答的語りがことさらに遂行されると、それがつまり思索なのである。思索しつつわれわれは、有の運命の耐え抜き、つまり総かり立て体制の耐え抜きが出来事としておのずと本有化される領域の内に住むということを、初めて学ぶ。(「ブレーメン講演とフライブルク講演」 有るといえるものへの観入 創文社 ハイデガー全集第79巻 p89)

 「総かり立て体制」とは、戦後にハイデガーが哲学界に再登場した時にテレビや飛行機、原子爆弾や水素爆弾に象徴される時間を短縮する道具や、途方もない武器として人類に新たな不安をもたらした「技術」という概念に対し「存在と時間」以来継続する思索を開陳したものだ。そこには西洋の近代哲学史を「存在の忘却」と看取し思索した哲学者の独特の思索が展開されている。

 病床に横たわる母の姿を通してアカショウビンは、そのような文章に触発される。母の80年の人生とアカショウビンは相対し、この世での縁を不可思議に思うのだ。

 人とは何か?この世とは何か?親鸞やハイデガーの思索・考察は何をどのように切り拓いたのか?鼻から細い管を入れられ、弱々しく横たわる母の姿を見ていると、そのような問いが脳の奥で木霊のように響きもするのだ。それは病む母に、どう応えられるというのか?この世に棲む日々に母は確信とも言える回答を持っているようにも思えた。しかし息子は悶々と、その回答を探り求め、悶え苦しむのである。

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2006年9月24日 (日)

彼岸

 親鸞は、父母の孝養のために一返たりとも念仏を唱えたことはない、と言う。その理由は、人は一切の有情とつながっているのだから父母のためにのみ念仏するのは仏法の考えに背く。親鸞は一切の有情の為に念仏するというのである。

 日本の社会に葬式仏教ではない仏教の根幹が残っているとすると親鸞の言にその一つは反映されている。「浄土三部経」は日本と言う国で「宗教」の何たるかを考える上でキリスト教とも比較し考え易い経典だ。それは「他力」という概念で共通する部分が多いからだ。しかし釈尊の思索がそれで尽くされるわけはない。道元の禅も仏法の根幹を伝える思索と行為である。この国で仏教という宗教は葬式に深く関わっているというのが「常識」だ。しかし親鸞や道元の言説は痛烈である。アカショウビンは二十代の頃に道元の「正法眼蔵」を読む中で常識的な仏教観を覆す痛烈な思考に正面した。それは宗派を超えた思索が展開されている、と痛感する。その頃は旧約や新約の聖書も通覧し仏教をキリスト教と比較することも試みた。

 アカショウビンの学生時代は70年安保のあとである。60年安保の苛烈さが旧聞に帰し、その思想闘争の名残を振り返りながら政治状況とは距離をとりながら「人間存在」とは何か、と言う問いを文学や哲学や宗教に求め思索してきたのである。

 そういう経緯で昨今のこの国の現実を見ると、「天皇制」という制度が形骸化しながらも命脈を保っていることには深く関心を持たざるを得ない。

 保田與重郎を読むと天皇や神道に対するウルトラぶりに驚きながらも保田という人の個性と言説の面白さを感得する。天皇制は神道と仏教にも日本の歴史のなかで深く関わっている。現在の政治勢力が戦前から戦中にこの国を席捲した「神聖天皇制」をまたぞろ持ち出してくることはないと思うが、形を変えてこの国の近代史の亡霊を再興させようと画策するならアカショウビンは徹底して違和を主張するつもりである。

 そこでありがちな政治的な言説から抜け出し、そのことを本質的に思考するなら、それは「貴種と庶民」、あるいは「崇高と神秘」といった主題で思索することになるだろう。アカショウビンも本日は「彼岸」で父の墓に詣でた。暮れゆく夕刻の空を背景に読経し墓石を清めた。父が逝った4月は桜が美しい墓苑だが、秋はもの悲しさに満たされる。もののあはれに思いも致す。この世に棲む日々を悔いなくおくりたいものだが後悔ばかりではないかという声もする(笑)。

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2006年8月12日 (土)

輪廻転生

 かつてアカショウビンは道元の「正法眼蔵」や日蓮、親鸞、空海、最澄の著作、あるいはそれらに関する論考を渉猟した時に現在における筋金入りの仏教徒とは何ぞや、という問いを発してみる衝動に駆られたことがある。それはキリスト教についても、新約に書かれる、あるいは絵画、映画作品で描かれるイエスを通して、イエスとは何者か、救世主とは何者か、あるいは宗教とは何か、という連動した問いにも繋がっている。

 この夏に日本人はアカショウビンのように敗戦の意味と悲哀と有責(それはハイデガーの講義を聴いたユダヤ人哲学者エマニュエル・レヴィナスの用語だが)について考える人も少なからずいることだろう。しかし広島、長崎の記憶も敗戦の記憶も、経験者たちの逝去によって忘れ去られていく。それは彼らの「語り」を心に留める遺族や文書で、あるいは、あの歴史的事実を再構成する知的作業によって語り継がれてはいくだろうが、いつか消滅する。それは五百年後、千年後の世界に古文書として巨大コンピューターの中か、未来人類の幽かな脳細胞の中にかろうじて蓄積されるだけになるだろう。人類が滅亡して後も、その事実が宇宙史の一頁として残される可能性はあるのか?それは、あまりに突飛な飛躍だろうか?

 アーサー・C・クラークの「都市と星」というSF小説で、巨大コンピュータの中に人類の個々人のデータが膨大なDNAデータのように記憶というか蓄積されているという設定で物語が展開する(だったと思う)ところが面白かった。クラークの原作を映像作品として拵えたスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」という作品に震撼させられたアカショウビンはクラークの実に刺激的な発想のひとつとして面白く読んだ作品のひとつであった。未来に、地球を去り人類が銀河系外に脱出したという空想はかなりの可能性で空想ではない時代が来るのかもしれない。あるいは人類が何かの原因で自滅、消滅した時に、人類が生息し個々の存在が確かに実在したという記録は、その後に、それは宇宙史とでも言うしかない歴史に果たして残るのかどうか?人類の記憶を満載したコンピューターが宇宙を彷徨い、あるいは全く姿・形の変貌した人類が、別の銀河系の惑星で他のエイリアンと出会い記憶を甦らせ話をする。そのようなサイエンス・フィクションを読み想像を逞しくする元気は今のアカショウビンにはなくなっている。しかし異なる思考はかえって逞しくなっている、と強がりも言っておきたい。

 「輪廻転生」という仏教思想はキリスト教にはないらしい。それは果たして仏教に特有なものなのか?また、それはゴータマ・シッダルタという男の主要な思索なのか?お盆という、それは仏教的な習慣とされているが、この日本という国で、それはどれほど人々の思考の中に生きた意味を持ちえているのだろうか。

 保田與重郎という文人が面白いのは、彼は日本という國が天皇という神を中心にして歴史を刻んできた國である、という言説を本気で信じている、と思われる節がある、というところにある。文章を綴ったり、創作をする源泉、動機は神を想定しなくてはありえない、と彼は本気で考えている。

 保田が信じた神は、未だにこの國の記憶や人の思考に中に厳然と実在しているのだろうか?「信じる」という、行為というのか、ヒトという生き物の観念から生じる行動や姿に見て取れる現象、が存在する。それが外国から見れば特異とされ、いや、それは他の民族にもあることだ、と学者が指摘したりもする。「日本という国は神の國でしょ」と森というかつての首相が「失言した」とマスコミ報道されたことがある。アカショウビンは、森氏は靖国を語ることで、それは当然の前提と考えていた、と思う。それは内輪の会合で思わず吐露する当然の物言いとアカショウビンには映像から読み取れた。森氏のコメントは、天皇を神と信ずる人々にとっては当たり前の事で、それに票のためか、あるいは思想信条のうえでか、当然のように同調する昨今の能弁な政治家達にはよくある「失言」ではないかと推測する。

 先の大戦では、南方の過酷な戦場で戦闘もせずに虫けらのように死んでいった兵士たちや、あるいはごく日常的な生活が広島や長崎のように一瞬にして消滅した人々が確かに実存した。戦場で死んでいった兵士は英霊と奉られる。幾多の人々が天皇のために死に、それを三島由紀夫や保田與重郎らが命をかけてあるいは思想信条を賭けて「信じ」ていたことは果たして、どのように解釈されるのか?それは、この国で生きる者にとって思索するに値する問いであると確信する。神道という、この國ならでは、で今も生き続ける思想と仏教やキリスト教、イスラーム教ら諸宗教との異同は明確にしておくべきである。そして現在の諸宗教思想と哲学・思想、科学思想の先端と水位の高さと低さも。

 そこで輪廻転生という「仏教思想」は、この夏だけでも考えてみたい「思想」とアカショウビンは思うのである。

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2006年7月22日 (土)

無常迅速

 先日、高校の同窓生が亡くなったと連絡が来た。肝臓ガンで入退院を繰り返していたという。彼とは高校の寮生活を1年間だけ共にしたが殆ど言葉を交わすことがなかった。しかし多感な高校時代に同じ釜の飯を食った縁は他の友人たちを通して深く冥福を祈るしかない。今生の生を共にした縁を卒業写真を紐解き追憶しよう。

 昨年は中学時代の友人をガンで亡くした。共通の友人のI君から電話をもらったときは愕然とした。彼とは何と一昨年、30数年ぶりに東京で恩師を迎え同窓会を開いた時に酔った勢いで故郷にいる彼と携帯電話で話をしたばかりだったからだ。彼は「友人たちと農業をやっている。農業は奥が深いぞ」と島グチの元気な声で話していた。その声が今も脳裏に残る。

 私たち3人は故郷の中学で3年間を過ごした。その後アカショウビンは東京へ、二人は故郷で高校生活を過ごした。私たち3人の共通の話題は一人のマドンナを巡る初恋物語とでも言えるだろうか。

 中学時代に女子の転校生がやってきた。なかなかの美少女で、多くの男子生徒が心穏やかでなかった筈だ。アカショウビンも移り気だが仄かな恋心とでもいった感情を持った。亡くなった友人が先ず告白した。彼は今で言うイケメンだった。彼がそうなら他の二人はアタック権は彼に譲るしかなかった。悪ガキ3人は話し合ってマドンナの住んでいるアパートを偵察することにした。遠くから、あれが彼女の住んでいるところか、と3人で確認し感に堪えない、とでもいうように頷きながら帰った。まぁ、どこにでもある、ほのぼのと甘酸っぱい初恋物語である。

 アカショウビンは高校で上京したので、その後の消息は帰省したときに彼らから少しずつ聞くていどで詳細は露知らなかった。大学を卒業しI君は出版社に就職した。ところが、会社が倒産してしまった。その後、高校教師に職を得て埼玉県の高校へ赴任してきた。東京で暮らしていたアカショウビンとも近くなったので、ある時ふらりとI君が訊ねてきた。校長の世話で結婚するのだと言う。アカショウビンは彼が紹介してくれた婚約者と3人で新宿の喫茶店で会い祝福した。その後に電話でI君の話を聞いて驚いた。彼は高校時代にマドンナと付き合っていたというのである。しかし大学が別々になり彼は京都の大学へ彼女は東京の大学と別れ別れになった。そしてマドンナには別の恋人ができた。I君は彼女から告白され悲しみに突き落とされたのだろう「最後に川崎の駅で会い話をして別れたよ」としみじみと話してくれた。多くの人生は、そういうものだろう。甘酸っぱくも狂おしい青春時代の一齣である。

 その後、マドンナも結婚した。I君もマドンナも子育てが終わりかけた歳になった。それでI君の斡旋により東京で一昨年、30数年ぶりの同窓会が開かれたというわけである。I君もマドンナも今や良い友人だ。昔話に花を咲かせアカショウビンも可愛がってくれた恩師や同級生たちと飲み歌いながら泥酔した。朦朧として楽しく時間は過ぎた。少年老い易く学成りがたし一寸の光陰軽んずべからず、である。

 アカショウビンの残りの人生もあとどれくらいなのか知らぬが人生は無常迅速。世に棲む日々に未練を残さぬよう過ごしたい、と切に思う。

 

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2006年7月16日 (日)

弘忍から慧能へ

 夕刊紙で、中国に渡っておられる五木寛之氏が中国禅についてレポートされている。アカショウビンも興味深く拝見している。その中で五木氏は弘忍と慧能のエピソードに注目する。弘忍とは中国禅の五祖で、慧能とは六祖のことである。その法の伝達のされ方は日本の禅と異なり中国禅の面白いところが如実に現れていて興味深い。

 仏教では、釈尊が摩訶迦葉に「拈華微笑」という形で法を伝達した例をはじめ、達磨以来の禅でも法が引き継がれていく経緯は独特だ。特に禅は修行も他の宗派とは著しく様相を異にする。それが後世の人々の様々な論評を生んだ。日本の栄西や道元を含め空海や最澄ら中国仏教と関わった禅者、仏教徒の言説が海を渡ったことによって大きく変化したことは史実に明らかだ。

 五木氏は慧能のことを次のように書いておられる。失礼して引用させて頂く。

 「偶然に聞いた金剛教の一節に、火箸で胸をさしつらぬかれたような感動をおぼえ、すべてをなげうって寺へやってきた男」。慧能は風采の上がらぬ無学な小男だったようだ。弘忍の道場で、それはライバルというのでもなく、秀才の神秀とは雲泥の差があったのであろう。世評は弘忍の後継者は神秀というのがもっぱらだったが弘忍は慧能に決める。

 この後のエピソードは実に面白い。アカショウビンも久しぶりに祖師たちの言説を禅語録に探りながら、この世に生きる、とはどういうことか?この世に存在する、ということはどういうことなのか?と改めて問うてみよう。

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