2017年4月 7日 (金)

徳之島西方二0浬(かいり)

 本日は昭和二十年、戦艦大和が特攻で出撃し徳之島沖で空から米軍機、海からは潜水艦による魚雷攻撃により沈められた日である。生き残った吉田満氏の“作品“は文庫で読める。しかし初出の文章はGHQの検閲により日の目を見なかった。それを米国で発見したのは文芸評論家の江藤淳である。その初出の文章は昭和56年9月号の「文学界」に掲載された。それは実に凝縮された漢字片仮名混じりの文章だ。検閲で書き直した文庫の文章とはまるで異なる。それは後に『一九四六年憲法-その拘束 その他』(文春文庫1995年1月10日)に所収された(p395~432)。それを再読し乗り組み員三千余名の鎮魂としたい。

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2016年11月17日 (木)

鷗外の短編

 梅原猛氏が新聞連載の記事で鷗外の短篇小説を改めて読んでいる感想を書いている。『山椒大夫』と『高瀬舟』だ。両作品の筋を記したあと、帝国軍人だった鴎外は、明治時代、世界の五大強国になったのは、社会の底辺に住む人間の犠牲の上に成り立った、として鷗外はそのような人々の悲しみの物語を、江戸時代以前に置き換え、日本帝国の発展の陰で犠牲になった人々の鎮魂を行ったのではなかろうか、と記している。さもありなん。動機の真偽は考証家に任せアカショウビンは梅原氏の文章に共振する。

 氏は、『山椒大夫』の涙をさそう場面を三つあげる。ひとつは、人買いに騙されて売られる姉弟と母が二艘の舟で離ればなれになる場面。二つめは、山椒大夫に奴隷としてこき使われる安寿と厨子王が山椒大夫を騙し、安寿が厨子王を一人都へ向けて脱走させ安寿が入水する場面。三つめは、丹後の国守に出世した厨子王が、生き別れた母を佐渡で探し出す場面。再会を果たした母は盲目で、当時身分の低い人たちの仕事とされていた鳥追いをしていた。

 幼いときに母と死別して伯父夫婦のもとで育った氏は、このような物語を読むと涙をこらえきれない、と書く。その心情は多くの読者が共有することだろう。アカショウビンもそうだ。

 鷗外の作品を読んだのはずいぶん昔だ。『高瀬舟」は安楽死問題がマスコミで話題になったときに読み直した。クリント・イーストウッド監督の『ミリオンダラーベイビー』という作品も安楽死をあつかった秀作で何度か観直した。安楽死問題はおく。梅原氏は『高瀬舟』について簡潔に要約しているのでそれを引かせて頂く。

 幼くして両親を亡くした兄弟が二人で助け合って暮らしていたが、病気で働けなくなり兄に迷惑をかけるのを心苦しく思った弟が喉を切って自害しようとしていたとき、弟からいわれるまま喉に刺さったカミソリを抜いたところ、弟が死んでしまったために罪人とされ、島流しになる兄、喜助の話である。喜助は、お上から二百文を与えられて島流しになった自分の境遇を甚だ大変ありがたく感じている。骨身を惜しんで働いても口を糊(のり)するのがやっとであったこれまでの人生を考えれば、二百文を元手に仕事ができるのが楽しいというのである。

 鷗外を読み直したのは、最近漱石ブームだそうで「へそ曲がりの」氏は鷗外を読んでいると書かれている。真意は別にあるのかもしれない。日本近代文学の二人の〝巨匠〟が二人とも小説が余技(漱石は職業作家になる前は教師であった)であったことを氏は特にこだわっているようにはみえないがその理由については研究者に任せるにしかず。われわれは作品を読みそれぞれが刺激され此の世を(仏教では娑婆世界と説くが)生きる意味を考える縁(よすが)になればいいと思う。生涯を哲学に関わってこられた氏が人生の晩年近くにそのような文学作品に刺激される。そのことにアカショウビンも強く共振するのである。

 三島由紀夫の命日も近い。巷では論客が喧しく三島論を喋々するであろう。死ぬ前に三島は鷗外を書きたいと述べていた。それは実現しなかったが、動機は梅原氏の鷗外を読みだした動機と幾らか交錯するかもしれない。それも研究者に任せアカショウビンは未読の史伝を読む機会を何とかもうけたいと思う。

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2016年5月22日 (日)

書評と演奏会レポート

 本日の東京新聞の書評欄に興味深い記事が掲載されていた。古橋信孝氏の「全南島論」(吉本隆明著 作品社)の書評。戦中派の吉本が戦後に活動を開始した途上から最後までの論考をまとめたものと思われる。アカショウビンが学生の頃に吉本の論考の中で特に関心をもったものに親鸞論と南島論がある。そのうち南島論についてはアカショウビンの故郷で戦後も暮したことのある島尾敏雄の小説作品、エッセイから発展したヤポネシア論が実に興味深かった。吉本の南島論も島尾の論考に触発、啓発されたものとして読んだ。吉本の場合には古典への踏み込み方が深く、それは折口信夫の研究をも視野に収めたもので吉本の思考の踏み込みが興味深々だった。その後も吉本は自らの南島論に考察を深めていたのだろう。その全部をアカショウビンは読んでいるわけではない。しかし両者の南島論は日本列島を広く見はるかす学者にはない独特の視角が面白かった。

 古橋氏は古典の優れた読み手である。「国家以前の共同体の歴史」という見出しで著作の感想を書いておられる。「吉本は(中略)国家に克つには国家以前の共同体を対置する以外ないと考え、『南島論』を書いたのだ」。「兄弟姉妹の関係のオナリ神信仰は家族の最も基層のものであり、その関係を基軸として親族が成立し、親族と家族の矛盾があらわれたとき、共同体が登場する。(段落)吉本は沖縄をたんに古層として掘り起こすだけでなく、歴史として位置づけているのだ。古層志向も結局現代を反対側から支える意味をもたされ、消費されてしまう。そこから逃れるにはこの歴史と全体知が唯一の方法ではないか。吉本は『南島論』の先に『アジア的段階』、『アフリカ的段階』という歴史を考えるようになっていった」として、氏は「現代の知の根源からの再考を迫ってくる」と結んでいる。「アフリカ的段階」は吉本が生きているときにアカショウビンも読んだ。吉本はそこで従来のヘーゲル哲学神話の一部を明確に批判した。しかしヘーゲルがまだ巨大な権威であるのは洋の東西を問わないだろう。それは後に続く者たちが新たな思想、哲学で乗り越えなければならない巨峰といえる。それはともかく、「全南島論」を通読してから感想を書いていきたい。

 南島論については村井紀氏の「新版 南島イデオロギーの発生 柳田国男と植民地主義」(岩波現代文庫 2004年5月18日)もかつて興味深く読んだ。ご関心のある方は一読をお奨めする。

 演奏会レポートは月刊誌に掲載された村上春樹氏のベルリンでの小澤征爾氏のベルリン・フィル指揮コンサートの報告である。それは小澤氏(以下、敬称は略させて頂く)を良く知る作家の文章として興味深く読んだ。選曲はモーツァルトの「グランパルティータ」、ベートーヴェンのエグモント序曲、合唱幻想曲。クラシック音楽ファンなら、この選曲を見てナルホドと思われる方もいらしゃるだろう。「合唱幻想曲」はたしか昨年、松本でマルタ・アルゲリッチがピアノを弾いて小澤が指揮したのをアカショウビンは友人が送ってくれた録画で見た。それは村上も書いているようになかなかの名演だった。今回はそのアルゲリッチが予定がつかず小澤の発案でピーター・ゼルキンが起用されたらしい。しかし、彼が不調でアルゲリッチの名演のようにはいかなかったことを村上は伝えている。しかしエグモントは熱狂的な歓呼で絶賛されたという。モーツァルトは指揮者なし。小澤の体調を考えればそれもやむなしということだろう。村上はベルリン・フィルの奏者たちに不満も述べていた。

 ベルリンの聴衆の感想として村上が伝えていたのはベルリン・フィルがカラヤン時代の響きを再現したというものだ。これにはアカショウビンは異論がある。小澤をカラヤンは確かに弟子と見ていた。それは小澤自身が話している。しかし小澤の師匠は齋藤秀雄である。指揮技術と音楽界での処世術はカラヤンが伝授したのかもしれない。小澤とカラヤンの演奏は似て非なるものというのがアカショウビンの考えだ。それは無味乾燥なカラヤンの演奏に対し小澤には情がある血の通った演奏であることからわかる。

 確かに指揮者などいなくてもベルリン・フィルやウィーン・フィルは勝手に自分たちの音楽が奏せるオーケストラだ。しかしオーケストラには指揮者という統率者がいるのも事実。器量の差はあれだ。カラヤン時代とは楽員も様変わりしたことだろう。カラヤン亡き後アバド、現在のラトルと代わり、それぞれの色が付けられている。その有数のオーケストラをドライブするには計り知れない実力が必要だ。それをもっともよく知っているのはベルリン・フィルの楽員と小澤自身だ。それは素人が入り込み、知る境地ではない。しかし、そこで何事かのコミュニケーションが交わされる。それはプロ同士の将棋や囲碁のタイトル戦の世界と似ているかもしれない。将棋も囲碁もパソコンソフトが一線級のプロを負かす時代だ。しかしオーケストラは人間たちが奏でるところに幾重にも味わいと深みが生じる。コンピューターには踏み込める世界とも思えない。もちろん異論がるのは承知のうえだ。しかし、かつて小澤が村上との対談で話していたコンピューター音楽への痛烈な批判はアカショウビンも同意するところだ。しかし生演奏に接する機会の少ないアカショウビンはCDやレコードで昔の演奏を繰り返し聴いて楽しむのが日常だ。これについてはどうか。それはアカショウビンも忸怩たる思いにかられるのだが、つまらない生演奏を聴かされるより往年の名盤を何十年かぶりで聴く楽しみもありなのだ。名演なんてそうそうあるものではない。しかし先日聴いた新日本フィルを指揮した準・メルクルの「ダフネスとクロエ」(ラベル作曲)は何とも素晴らしい名演だった。転居で持ち込んだレコードも少しずつ聴いている。それは音は悪くとも往年の名演だ。繰り返し聴いて厭きない。

 本日はこれまでもあまり聴くことがなかったベートーヴェンの「合唱幻想曲」のCDを注文してきた。その感想は後日。

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2016年1月23日 (土)

不眠の夜に

 今年は開高 健の生誕85周年の年で文芸誌が特集を組んでいる。そうか、生きていれば85歳か。亡くなった報道を知った時は早すぎる死が意外だった。高校から大学にかけて開高の読者だったアカショウビンは早すぎる死が無念だった。同時代を生きた作家の死は開高の場合、戦死と言ってもよいかもしれない。ベトナム戦争に新聞社の特派員として派遣され激戦の渦中で書き続けたレポートは出色のものとしてアカショウビンは小説作品と共に夢中になって読んだ。昨年は『ハンナ・アーレント』という映画が公開された。その中でアイヒマン裁判のもようが実写で挿入されていて開高が書いたルポルタージュを読み直した。「裁きは終わりぬ」という文章だ。先日読んだ辺見 庸氏(以下、敬称は略させて頂く)も読んだであろう。それは作家として、ジャーナリズムの中で生きる者として共通の論考として読める。

 辺見によれば日本国の現在は、既に戦時である。簡単に言えば戦争は始まっているという認識である。多くの日本人が何をバカな、という感想であろう。多くのマスコミもそうであろう。しかし、この十数年の辺見の発言、著作を読めば、それは納得できる判断だ。時の政権の横暴と傍若無人ぶりは国会中継の茶番のような質疑応答を見れば瞬時に判別できるだろう。男たちの多くの国民はテレビなど見られない。生きるために仕事をし家族を養わなければならないからだ。それは働く多くの女性でもそうである。アカショウビンのように失業のために毎日が日曜日のような者も珠に見るテレビだ。しかし、しばらく観ているとアホらしくなり電源を切る。そんなことより就業に向けて履歴書を書き、面接に足を運び疲れるのだ。還暦を過ぎた男に仕事はないよ、というのが世間的常識というが、そんな〝常識〟で片付けられてはたまらない。借金だけで此の世を去るわけにはいかない。

 それはともかく、現在に生きる緊張感を持続するためには日々の食事、昨年の手術後のリハビリをかねた散歩が必要だ。毎日歩く用水路周辺の景色は此の世の名残りの如き景観である。カワセミは久しく見かけない。しかしアカショウビンもカワセミも生きるためには食べなければならぬ。病に罹ったのも食わずにアルコール浸りが原因の一つとなったかもしれぬ。それは自ら調整し、抑制しなければならない日常だ。

 辺見の近作、以前の著作、現在のコメントに関しては継続して考察していく。新聞紙上ではインタビュー記事も読んだ。開高の論考の新たな読み直しと武田泰淳や堀田善衛の作品の読み直しと共に発言していきたい。そのためにアカショウビンには映画と音楽が不可欠である。先ごろ逝去したピエール・ブーレーズの録音と旧作映画、新作映画の再見、初見は継続しなければならない。本日は『銃殺』(1964 年・ジョセフ・ロージー監督)を興味深く観た。感想は後日。明日の夜明けは6時47分。少しは早起きしてカワセミとも再会したい。

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2015年7月 7日 (火)

幻影の人

 昨年だったか、ここ数年か、西脇順三郎の「旅人かへらず」を注釈をしながら精読しようと思いたったことがあった。社会人になり最初に勤めた音楽事務所を辞めアルバイトで食いつないでいた頃に、この詩人の作品は全部読まねばと心に決めた。『詩と詩論』は古本(筑摩書房 昭和50年)で揃えたが未だに全巻読み切っていない。少年の頃から学生の頃に戦慄した詩と詩人といえば宮澤賢治と吉本隆明、西脇順三郎といってもよい。しかし吉本は定本詩集いらい読んできたのは思想論、評論が殆どだった。余生の日に此の世の残りの時間は西脇を読むことに費やすのも天の声かもしれない。そこから賢治の未読の詩を読めば娑婆での時間はいくらか充填され冥土への土産になるかもしれぬ。

 西脇の〝はしがき〟によれば自分の中には種々の人間がひそんでいて、「まず近代人と原始人がゐる」。「ところが自分のなかにもう一人の人間がひそむ」。それを詩人は「幻影の人」と呼び、永劫の旅人とも考える。西脇はそれは原始人以前の人間の奇跡的に残っている追憶であろうとして、永劫の世界により近い人間の思い出であろう、と記している。

 昭和22年8月20日出版されたこの作品は保田與重郎の散文と共に戦後まもなくの詩人の作品としてアカショウビンの生涯の通奏低音として響き続けている。人が死に向き合う時に<私>とは何か、と同時に<死>とは何か、と問うこともあるだろう。ハイデガーは先に引いた「カッセル講演」でハイデガー哲学の専売特許ともいえる有名な〝死の先駆的覚悟〟という耳慣れない用語を次のように聴衆に説明している。

 可能性としての死を耐え抜くということは、死が純粋にありのままのすがたで差し迫るという仕方で、つまり、いつなのかは未定であり、来るという事実は確実なものとして差し迫るという仕方で、死を現にもつということです。この可能性を可能性として成立させるということは、この可能性を実現する―たとえば自殺することによって―ということではありません。そうではなくて、この可能性にむかって先駆する[自分の前にあるこの可能性にむかって走る]ということなのです。(「カッセル講演」p98~p99)

 これでもハイデガーの言おうとしていることは難解かもしれない。続いてハイデガーは日常的な感情で言えば絶望的なところで人には二つの選択がある、と述べる。

 現存在は、世界のうちで自分が出会うものにもとづいて決断するか、それとも、自分自身にもとづいて決断するか、どちらかの決断を下すことができるのです。

 そして次のように述べる。

 現存在の根本的意味が可能性であり、可能性そのものを存在しとらえることができるという点にあることを、カントは見ぬいていました。(p100)

 「幻影の人」とは西脇という詩人が可能性そのものを、旅人=〝水霊〟として存在しとらえた作品ともいえる。かつて暗誦した最初の一節を認知症が進む前に書き留めておこう。

旅人はまてよ

このかすかな泉に

舌を濡らす前に

考へよ人生の旅人

汝もまた岩間からしみ出た

水霊にすぎない

この考へる水も永劫には流れない

永劫の或時にひからびる

ああかけすが鳴いてやかましい

時々この水の中から

花をかざした幻影の人が出る

永遠の生命を求めるは夢

流れ去る生命のせせらぎに

思ひを捨て遂に永劫の断崖より落ちて

消え失せんと望むはうつつ

さう言ふはこの幻影の河童

村や町へ水から出て遊びに来る

浮雲の影に水草ののびる頃

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2015年7月 1日 (水)

みやらびあはれ補稿

 保田與重郎は半島の軍病院で〝瀕死の重患〟の渦中に老子を読んで入院の無聊を凌いだ。(p35~)その時にふと佐藤惣之助の歌の一節を思い出す。

 「一つの歌の全體ではなく『そらみつ大和扇を』かざしつゝ云々といふ上句の初句と、結句の『みやらびあはれ』とであつた。その二句だけで、あとはどう考へても確かな氣持ちとしては思ひ浮かばなかつた。歌のこゝろは、そらみつ大和扇をかざし舞ひつゝ、歸る旅人に、再度この島を訪れ給へとくどくのである。みやらびは沖縄で、をとめを呼ぶことばであつた。「(p36)

  軍隊生活をほとんど軍病院の病舎で過ごしていた保田は沖縄の戦況を半島の病舎で知る。「殆ど死の状態をさまよつていた。人間のあらゆる生理的機構が、あれほど全面的に無慚にくづれるものであらうか、身體のあらゆる部位が一様に停滞し、所謂瀕死になる」(p30)。

 その軍病院で会った一人の軍医が沖縄の人だった。保田の症状は貧血で血液が尋常の人の場合の3分の1位の濃度に減少していた。これには些か驚いた。というのも、アカショウビンの場合も体調不良で赴いた病院の血液検査で赤血球が平均値の約3分の1と告げられたからである。「朦朧とした危篤状態の中で、私は無言で沖縄沖縄とつぶやいてゐた」(p31)。沖縄の思い出を辿るなかで保田は那覇の港に船が入っていく時に町の赤い瓦を思いだす。その瓦屋根は沖縄戦で殲滅された。こうして保田の回想の中で在りし日の景色が読む者の脳裏に刻まれる。「熱帯性の自然のきらびやかな色彩の中で、ことに輝かしく見える」(p31)。ヤマト(内地)の人々にとってもっとも印象的なものが南島の自然だろう。それは奄美へ移住した島尾敏雄や田中一村にとっても同じだったと思われる。

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2015年6月14日 (日)

ミナマタ

 石牟礼道子さん(88)の 「苦海浄土-わが水俣病」が出版されたのは昭和47年12月15日。本日の毎日新聞の1面の朝刊は石牟礼文学二人三脚」の見出しで写真に石牟礼さんと渡辺京二さん(84)の写真。2面には不敵な面構えの若き石牟礼さんの写真も。「苦海浄土」の初稿は「海と空のあいだに」で、渡辺さんが編纂する「熊本風土記」に掲載されてから50年ということだ。アカショウビンが所有している文庫本は数度の引っ越しでボロボロ。水俣病は「チッソの工場廃液により集団的に発生した。利益偏重の高度経済成長のひずみが生み出した悲劇である」(記者)。その悲劇の舞台で石牟礼さんは昭和のジャンヌ・ダルクとも称されたとは初めて知った。それは2面の写真を視ると納得する。正に闘士の眼付である。

 記事は渡辺さんとの師弟とも同志ともいえる交流にスポットライトをあてている。この日本文学に画期的な杭を打ったともいえる作品は正しく二人三脚で仕上げられた。アカショウビンは平成4年に完成された「新装版 苦海浄土 わが水俣病」で改めてこの作品を読み直し世界史的な犯罪を改めて確認した。1968年12月21日未明に記されたあとがきのなかで著者は「そこで私たちの作業を記録主義とよぶことにする」(新装版 p360)と記している。これが世界的なレベルに達する石牟礼文学を切り開いたのだ。2面のモノクロの写真とカラーの現在の姿を比べると人間という生き物の存在の不可思議を探求する衝動に駆られる。

 吉本隆明亡きあと日本有数の思想家である渡辺京二が水俣病闘争を戦った時の当時のエピソードがさりげなく記者によって紹介されている。「このあいだ、私が水俣病闘争の初期にあなたに書いた手紙が2通出てきた。一緒に破滅する覚悟はできとります、と書いてあったよ。ハハハ」。師弟・同志は、そのような会話を交わしながら日常を生きている。その共時的な現実に私たちも共振しなければならない。

 先日、市立図書館で新書の「田辺元とハイデガー 封印された哲学」(合田正人 PHP新書 ㈱PHP研究所 2013年12月2日)が眼にとまり拾い読んだ。発刊された時に読んだ記憶もあったが再度眼を通した。封印された哲学という副題には師弟ともライバルとも見なせる優れた哲学教師の業績に対する現在の評価が含まれている。二人ともナチズムと日本軍国主義に加担し若者を戦場に駆り立てた悪名高き哲学教師という世評だ。当時のそれぞれの論考を著者は丹念に辿り、世評と事実がいかに相違し誤解、誤読されているかを明らかにしている。田辺は師が西田幾多郎である。同時に哲学者としてはライバルである。その経緯も面白い。田辺がドイツに留学しハイデガーに注目し、その論考を西田に紹介したらほとんど関心を示さなかったらしい。

 著者はエマニュエル・レヴィナスの翻訳者である。レビィナスはハイデガーの教え子である。田辺は丸山眞男ら戦後の大学教師たちからすればマスコミからはまったく干され、それは保田與重郎とも同じ晩年を過ごした人である。その戦前・戦中・戦後の哲学史の一端がこの著書で読み取れる。しかし、それも一部である。田辺はハイデガーを師ともライバルとも見なし、西田ともすさまじい論争を展開している。その一端が浮き彫りにされている。

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2014年12月21日 (日)

吉田松陰

  昨年か一昨年、新宿の古書市で買った河上徹太郎の「吉田松陰 武と儒による人間像」(2009年1月10日 講談社文芸文庫)を読み継ぐ。先日その本を知人に紹介したら来年のNHKの大河ドラマは 松陰の妹の物語らしい。知人は新潟県人で、あれは安倍首相の出身地である山口県の物語で私は見たくもない、とにべもなかった。

  しかし松陰の一生は国の歴史に深く掉さしている。その人生を辿り、著書を読まずして右も左もなく先人の功績、業績に学ぶ機会を無駄にしてはいけないと心得る。河上は長崎生まれで本籍地は山口県岩国市。小林秀雄の友人で、二人の対談や座談も実に面白い。小林が後半生に宣長に傾倒していったように晩年は多くの文学者が西洋への関心から日本に回帰していくという現象は考察するに値するがさておく。

  周知の通り松陰の主著は「講孟余話」である。松陰だけでなく江戸期から幕末の思想家のベースは論語、孟子、老子、荘子である。そこへ西洋の文学、哲学、思想が幕末に一挙に流入し、知識人たちを強烈に刺激した。その様子が河上の著作にも露伴の史伝にも読み取られる。私たちは現在を歴史を振り返ることで新たな現実に直面する。書物を読む面白さはそこにある。河上の著作は、松陰の国際認識から橋本左内との交際、師と仰いだ佐久間象山、と考証していく。昭和43年の著作で昧読すべき作品と心得る。

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2014年11月18日 (火)

露伴の「澀澤榮一傳」

  新刊の「渋沢栄一物語」(田中直隆著 三冬社)を読むと幸田露伴に「澀澤榮一傳」(岩波書店 昭和24年 8月25日 全集第17巻)があることが紹介されていた。何年か前に娘の文さんの著作を集中して読んだが父親の作品は学生時代に少し読んだだけで幾冊も読んでいない。そこで図書館で露伴の全集から一冊を借りてきた。昭和14年5月の日付が記されている。面白い。栄一の家族関係、師匠の先輩格の人物の描写から幕末、維新、明治期の時代の空気が生き生きと描かれている。とかく実業者として多くの経営者に範とされている栄一だが文豪の筆にかかると見事な読み応えのある伝記になっている事に感嘆する。新著では栄一が讃嘆する「論語」の影響の大きさを強調しているが露伴の栄一は実に人間臭さが伝わってくる。斎藤茂吉の「柿本人麿」と共に読む楽しみは格別。さらに引用も行いながら名著を昧読していきたい。

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2014年8月 3日 (日)

岩間から染み出た水霊

 西脇順三郎の「旅人かへらず」の注釈をしておかねばならないという衝動に駆られる。西脇の作品はアカショウビンにとって賢治の作品と同じく生涯の通奏低音のごときものだからだ。西脇は自らを作品の中で旅人として「岩間から染み出た水霊」となぞらえる。ここにアカショウビンは激しく共振する。戦後69年の夏を往くためには西脇の作品が余生を生きるアカショウビンの水先案内である。

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