2016年2月25日 (木)

フェルメールを観に

  都内で用事があり、ついでに六本木の美術館で開かれている「フェルメールとレンブラント展」を見に東京駅から六本木まで行く。目玉はフェルメールとレンブラントだが、フェルメールの「水差しをもつ女」は、かつて見た「牛乳を注ぐ女」ほどの強烈な印象は受けなかった。女のスカートの〝フェルメール・ブルー〟が保存状態が悪いのではないかと思われるくらい全体の画調がくすんでいる。これまでに観た作品のなかでは画集との差が殆どないものとして期待を裏切られたというのが正直な感想だ。それに比べればレンブラントの「ベローナ」(1633年)は実物に正面しなければ体験できない強い印象を与える。それはフェルメールの「牛乳を注ぐ女」を観た時の印象にちかいものだった。もっとも「水差しを持つ女」は他作品ほどに修復が進んでいないことによるものなのかもしれない。それは修復者たちの技量にもよるだろう。

   今回の展示の面白さは二人の画家より彼らと同時代の他の画家たちの優れた作品に出会えたことだ。それはこれまで何度か他の展示会でも見た作品だが、当時のオランダ絵画の隆盛をまざまざと示す傑作、佳作、秀作が展示されている。今回のテーマは〝フェルメールの光とレンブラントの闇〟というものだが、そんな単純なものでないことは会場をまわれば納得する。サブテーマの〝オランダ絵画黄金期の巨匠たち〟の秀作、佳作、傑作が展示されているからだ。それは両者の2点の作品に拮抗する完成度を示している。

 ピーテル・デ・ホーホの「女性と召使のいる中庭」(1660‐1661年頃)は、フェルメール作品にも映描かれているデルフトの街中の家屋の庭で家事の材料の魚を扱う風景だが、その時が止ったような人が生きている生活感のようなものは共通している。それは後ろ向きの女主人の黒の服装に見て取られる。その黒と白の対比はフェルメール作品にもある。それは優れたモノクロームの映画作品にも看取できるものだ。アカショウビンは、その作品を観ていると、その時が止って描かれている作品の時空間と、それに正面している自らの存在に空恐ろしさを感じた。それは恐らく自らの日常の不安定の精神状態によるものなのだろう。それは言ってみれば芸術作品に出会う時の特有の場の力とでもいうものなのだろうが、それは改めて考察してみたい。

 会場は都心とはいえ上野など交通の便のよいところでないせいもあるのだろう。それほど混雑もなく、じっくり観られたのは幸いだった。

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2010年5月20日 (木)

鉄斎美術館を再訪

 先日、天気が好かったこともあり宝塚の鉄斎美術館へ出かけた。先月の富士を描いた作品群を展示したとき以来二度目である。あの時は美術館に到着したのが遅く作品を十分に堪能することができなかった。今回は早起きし午前中に会場に到着した。阪急の清荒神(きよしこうじん)駅は梅田から急行電車で30分くらい。最初に訪れたときは意外に近い事に驚いたものだ。ところが駅から山中にある美術館までは坂道を20分近く歩かねばならない。しかしながら途中には清澄寺参道の各店舗があり楽しみながらいつの間にか美術館に着く。

 今回は「粉本に見る学びの跡」と題して多くが模写である。鉄斎は自ら自分の画業を、特に師承はなく、すべては盗み絵と語った。それが謙遜などでなく本音と受け取れもする今回の展示群だった。しかし89歳で亡くなるまで古今の技法を模写を通じて鉄斎は独学で習得し習熟した。今回の展示作品は、それを伝えようとする意図もあるだろう。前回の富士や山水の晩年の自在の境地の傑作群を俯瞰すると、そこに達するまでの点景を確認した思いに誘われる。晩年に益々冴え渡る筆の技と構想の境地の作品は前回の富士や山水に幾つか見られた。晩年の山水は何度も見たい。生涯二万点ともいわれる全作品のうち1200点を収蔵する同美術館だ。いつか何点か目にすることもあるだろう。

 それらの完成された傑作群からすると今回の模写の作品群は物足りなさを感じた。しかし原画との比較は考証的興味を掻き立てる効果はあった。等伯の「千利休像」は流石に等伯には見劣りするが鉄斎の視線と精神が感じ取られる。それは顔輝を模写した「達磨像」にも言える。雪舟の「慧可断臂図」も想い起こされたのは錯覚でもないだろう。顔輝を模写する時に雪舟伝とされる「達磨図」を想起したかもしれないと邪推するからだ。展示品は85点。その中には狩野探幽、渡辺華山、牧谿の模写など実に興味深かった。こういう機会をもてるのが関西に転居した功徳というものである。

 先月来たときは桜が満開だったが先日は既に葉桜で初夏の陽射し。鶯も鳴いて季節の移り変わりを実感した。 

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2009年12月 6日 (日)

残す

 先日、画家の平山郁夫氏の訃報を新聞報道で知った。本日の深夜は偶々テレビの電源を入れたら2007年にNHKで放映した氏の特集を追悼放送していた。これはアカショウビンも観ている。数年前、一昨年辞職した会社の業界企業の研修旅行に同行し、初めて原爆ドームを訪れ江田島から瀬戸内海をフェリーで横断する途中、氏の出生地の島に降り立ったことが思い出される。記念館にも立ち寄った筈だが記憶は定かでない。それでもテレビや雑誌、新聞に登場する氏の姿やお話する様子を拝見すると温厚なお人柄と画業への執念を看取する。

 氏の作品は、日本美術史というものを考えるときに、どのように位置づけされるのだろうか?そのような問いは、何らかの意味を持ち得て展開される価値や可能性を持ちうるものなのだろうか?そのような自問も涌く。

 そこには氏が被爆体験を経て画業に赴かれたという数奇な画家の人生にも心惹かれるからである。氏が眼前にした死やご自身の死への覚悟も恐らく作品には込められている。それは残さなければ死にきれない、という意志でもあるように思う。

 原爆図は日本美術史に特筆される作品だろう。氏の原点に正面する気迫と情念を感得する。テレビ映像を通してであるが。この世に棲む日々の将来と未来の楽しみと希望は、このような作品の前に立つことである。

 仏教への氏の関心も東洋の芸術家として必然のものと思われる。一人の画家を介して日本という風土で制作され残された作品を観ていく楽しみがある私たちは幸いである。

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2009年3月21日 (土)

フェルメール賛

 その絵と最初に出会ったのは高校生のころの保健室で額に掛かっていた複製だったか或いはカレンダーに印刷されたものか記憶は定かでない。しかし独特な光の処理が印象的だった。後に購入した画集では表紙を飾っていた。その頃はヴェルメールと表記されていた。

 先日、上野の国立西洋美術館で開催されている「ルーヴル美術館展- 17世紀ヨーロッパ絵画-」で、あれから実に約40年ぶりにやっと実物に向かい合うことが出来た。

 「レースを編む女」は24×21cmの小さな作品である。1669年~1670頃のものとされているから画家は37歳から38歳。ルノワールが激賞した作品として1971年平凡社版の画集では、フェルメールの作品中「もっとも多くひと目にふれる作品」とし「クローデルは、ここでその肩も頭も手もすべてが針の先に集中されていることを賞賛している」と説明が付されている。解説は小説家・中村真一郎。その画集はアカショウビンの宝物のようなものだった。そこに掲載されている作品は14品。30数点しか残されていない作品の真贋は未だに侃々諤々の議論がされている。時を経るごとに当時からすれば破格に高く評価されている画家だろう。それは世界を席巻した黄金期のオランダの経済的富貴という時代状況が生み出した作品とも言えるかもしれない。

 中村真一郎は解説のなかでプルーストとドストエフスキーまで援用して画家の価値を称揚している。一昨年、六本木の国立新美術館で視た「牛乳を注ぐ女」は神品ともいえるオーラを発していた。中村は「牛乳壷から鍋に向かって注がれている、濃密で白い牛乳が、私たちの目の前で、永遠に流れているという、深い感動」と記している。それは実物を前にして強く共感したものだ。それからすると「レースを編む女」の印象はそれほど強いものではなかった。しかし来場者が少なくなった夕方の会場で何度も繰り返し視ると実に強烈な磁場を発していることを実感した。

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2008年11月 3日 (月)

不思議な絵

 休日中日、上野へ。国立西洋美術館で12月7日まで開催されている「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」を観に。何せ「北欧のフェルメール」と評されているのだから、いちおう見ておかねば、という変な衝動から。アカショウビンにはまったく未知の画家である。

 それにしても不思議な絵ではある。風景画は寒々とした調子が画面を支配している。代表作と思しき作品は、妻である人物をピアノやテーブルと共に部屋の壁の前に配置し、女性(妻)はたいてい背を向けていて顔は見えない。フェルメール作品の多くで人物は表情豊かに描かれている。どこがフェルメールと共通しているのだろうか。

 それは一つには画面の「静謐さ」とでもいうものか。画家は時に旅行には出ても生涯を首都コペンハーゲンのストランゲーゼ(25番地・30番地)という地区に住み続け、ひたすら室内の様子と背を向けた妻を描いた。

 一度会場を順路通りに一渡り眺めたあと、気になった作品の前のソファ(と称するのだろうか背もたれはないのだけれども)に腰かけ、しばらくぼんやりと5つの作品を見ていた。会場は噂に聞く最近のフェルメール展ほどには混雑していないと思われる。それでも来場者の静かなざわめきが会場を満たしていた。おとなしい哀しげな眼をした盲導犬とその主人が前を横切ったりもする。盲目の主人は介添え人に案内されて音声ガイダンスを聴いているのだ。

 ところで、その5枚というのは、一枚が視線を画面の左斜め前の本に向けていて珍しく顔が書き込まれている「読書する女」。他の4枚は壁を背にして女性(妻)がピアノを弾いていたり、左手でお盆を持って右腕が壁の前を拭き掃除でもしているかのような構図のもの。同じ人物と家具の配置で壁に掛かっている絵が二枚だったり四枚だったりする。その些細な違いと作品の醸しだす気分は何か神秘的でもある。或る評者はメランコリックと称したらしいが何か的を外しているようにも思える。

 こう書いてくると何だ面白くなかったのかよ、と呆れられそうだがさにあらず。この5枚は間違いなく傑作である。それともう一枚。やはり女性が後ろを見ていて画面の焦点が女性のうなじにあてられている作品。これらは神韻縹渺と形容してもよい完成度である。

 もう少し踏み込んで詳述したいが後日に。実は購入した図録で解説などにも眼を通して、この不思議というより奇妙とも言える絵の謎に迫るつもりだった。ところが或る事情ですぐには出来ないことに。その理由を少し。

 閉館の午後5時半を過ぎ会場を追い出され坂をとぼとぼと降りた。何やら、さっき観たハンマースホイの作品を少し人に語りたくもあった。そこでアカショウビンが近況を報告し気にしてくれていた高校の同窓のN君に電話。古本祭りで神田に来ているという。それなら、ということで秋葉原で会い一杯。彼は10月1日より本社勤務から福島県の郡山に転勤になっていて土日と祝日は東京に戻る生活に。絵のことや仕事を辞めたことなどあれこれ話し別れた。ところがほろ酔い気分で電車に乗り、座れたので安心し居眠り。あぁ~あ、それ見たことか乗り過ごしてしまった。上りの終電には間に合ったが電車を待っている間にカバンの脇に美術館で買い求めた図録を並べて置いた。ところが上り電車が到着し、よろよろと電車に乗ったときにカバンだけ取り、図録を駅のベンチに忘れてしまった。駅員には届け出たが、たぶん出てこないだろう。というわけでヴィルヘルム・ハンマースホイ作品については詳細が書けなかったというわけである。

 追記 ハンマースホイ展を観終えて約30分間、常設展を観た。二階の会場には神話に題材を採った絢爛たる宗教画が展示されていた。ハンマースホイの沈んだ調子とは何という違い!彼はイタリアへは旅したことがあったのだろうか。イタリアの空気は画家ばかりでなく北欧やデンマーク、北ドイツの作家たちにも憧れだったようなのだから。

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2008年8月 7日 (木)

フェルメール展

フェルメール展の感想を記憶が薄れる前に記しておこう。

今回の展示会では同時代の巨匠達の作品も閲覧できる。会場を回ると当時のデルフトの街と人々の生活までが再現されたような錯覚に陥る。そして今回の展示作品に共通するキーワードがあるとするとアカショウビンは「白」という色ではないかと思う。同時代のヘラルト・ハウクヘーストが描く「ウィレム沈黙公の廟墓があるデルフトの新教会」(1651年)の巨大な柱廊の何と鮮やかな白!その白はフェルメールの作品では「手紙を書く婦人と召し使い」(1670年頃)の婦人の頭巾と上着の白に思わず息を飲むような色として留められている。それは複製でも、ましてや写真では実感できない。

福音書のルカ伝による「マルタとマリアの家のキリスト」は1901年に作品を所蔵しているロンドンの画商が洗浄したところフェルメールの署名が現れ真作であることが認められたそうである。この作品はサイズ(160cm×142㎝)の大きさと構図はともかく色合いが中期から晩年の作品に見られる絵の具の照り返りがない。それは画家の狙いとも思えない。「洗浄した」時に原画の絵の具の一部は溶けてしまったのではないかとも疑われる。しかし近くで見ても素人眼にそれは定かにわからない。それほど「手紙を書く~」や去年の「牛乳を注ぐ女」の素晴らしさは神品とも思える見事さなのだ。「手紙を書く~」の光線の玄妙さは婦人の上着に反射する光量が奇跡的な白として画布に留められている。

「リュートを調弦する女」(1662年~1663年)の色調は今回出品されなかった「レースを編む女」(16691670年)に見られる暈(ぼか)しの色調が共通しているように思える。ただアカショウビンは本物を視ていない。画集で見ているだけであることはお断りする。

7作品を視て改めて確認したのは「小路」(1658年~1660年)に描かれる小さな人間たちの動きや白で表現された絶妙で不可思議とも思われる存在感である。これが画家の天稟であると確信されるほどの見事さだ。椅子に腰掛けて編み物をしていると見えるその女性は壁として最初は塗りつぶされたらしい。それが見事な存在感を持って配置され顔さえ見分けがつかないがデルフトの街の或る日の午後に、それはまた先日視たコローの作品とも共通する空の景色と共に確かに存在していたように永遠に留め置かれた。17世紀の優れた画家の作品群の中を周遊していると確かにその時代の或る時間が画布に確かに留め置かれたと実感する。それは錯覚だろうか?そうだろう。しかしその錯覚を楽しもう。それをあの世まで持って行きたいと妄想するのである。 

「ヴァージナルの前に座る若い女」(1670年頃)は思ったより小さめだ。髪形が1670年頃に流行した髪型であるらしい。確かに「レースを編む女」の女性と同じ髪型だ。フェルメールの作品の中でも「心をこめて構想した小品のうちの1点である」(ピーター・C・サットン)との評にも同感だ。女性の微笑みには画家の視線に対するあどけなさが絶妙に現れているからだ。フェルメールの視線の深さがそこに感嘆と共に看取できる。

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2008年8月 6日 (水)

奇妙な符合

 昨日、上野の東京都美術館で開催されている「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」を観て来た。昨年は「牛乳を注ぐ女」の1点に圧倒されたが、今年は7点も!その中では「牛乳~」と同じように画面左側の窓から光が射す画家得意の構図の「手紙を書く婦人と召使い」が絶品だ。

 それにしても不思議な縁というものだろうか、奇妙な符合である。前回エックハルトの福音書説教録でルカ伝のマルタとマリア姉妹の評価の仕方が通常とは逆でエックハルトの真骨頂は・・・と上田閑照氏の論説を興味深く読んだばかりだが、何と今回の展示会にフェルメール初期の大作「マルタとマリアの家のキリスト」(1655年頃)が展示されていたのである。それはユングの説く<共時性>という概念で説明されるものかもしれない。あるいはハイデガーが説く<世界・内・存在>として世界に頽落しているアカショウビンという現存在が無意識を介して出会った表象に過ぎないとも。

 それはともかく。ルカ伝ではイエスの足元で話に夢中になっている妹のマリアこそイエスの意を汲むよき娘で、家事にかまけ姉を手伝わない妹に不満を言う姉マルタはイエスを理解しない平凡な女というのがルカの記述を解釈した大方の理解だ。しかしエックハルトは独特の直感と言説でマルタこそイエスの意を体現した女なのだ、と説く。エックハルトの教説の解釈が奇を衒ったものでなく、眼を洗われるような論理説明が可能であることは上田氏の禅に対する洞察と西洋哲学の深い学識による。本家のドイツではどうなのだろうか?恐らく研究者の間ではともかく一般的にエックハルトは中世の異端の神秘主義者として黙殺されているのではなかろうか。

 ルカの記述はフェルメールも熟読しているだろうが、エックハルトの教説を読んでいたのかどうか?興味あるところである。フェルメール描くキリストと向き合う姉のマルタの表情には何やらエックハルト説を知っている気配がなくもない。解説を読むと、イタリアなどで伝統的に多いこの画題の殆どがマルタを背を向けて描いているのに対しフェルメールは伝統に逆らうようにマルタを正面に描き、しかもキリストを覗き込むように話しかけ、キリストも優しい表情でマルタに顔を向けているからだ。

 異教徒にはどうでもよいことのようなのだが、エックハルトという説教師の福音書読解の複雑さと深さというものを上田氏によって知らされるとアレコレ考えながら愚考を走らすことにもなる。しかし作品の仕上がりとしては、若い頃にイタリアの巨匠たちの構図を学びつつある画家という制約内の作品として円熟期の作品ほどの感銘は残念ながらアカショウビンにはなかった。それよりも、例えば「リュートを調弦する女」の表情の生命感と、くすんだ全体のトーンの渋さは正にフェルメールの神技であり、神韻縹渺の趣を呈している。

 アカショウビンのように過激でなくとも世にフェルメール・ファンは多い。日本にも世界の美術館に散在している作品を求めて大金を費やし旅したという少し羨ましくもなる熱烈なファンや評論家もいる。会場ロビーのパンフレットを読むと秋にフェルメール・ツアーが企画されているらしい。ヨーロッパと米国でそれぞれ数十万の費用がかかるようだ。それくらいの金なら両方参加するというお金持ちもいらっしゃるであろう。アカショウビンにそんな余裕はない。それからすると同展は12月14日までやっているのだから、閉展までに2~3回、訪れるなら安いものだ。

 それにしても二年続けて向こうから作品がやってきてくれる日本という国は何と幸なるかな。

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2007年10月28日 (日)

フェルメール再訪

 六本木の「国立新美術館」で開催されている「フェルメール 『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展」を再訪した。改めて観て神韻渺々のオーラを全身で浴びる。1632年生まれのフェルメールが27歳から28歳の作というから、その完成度の高さと天才というしかない作品に感嘆するしかない。

 前回観たときに注視した白い壁の空間に画家が描き込もうとしたのは地図や額に入った絵画、あるいは台所であることから暖炉ではないかという推測もされているらしい。しかし試行錯誤のすえにフェルメールは白壁の空間にした。また赤外線リフレクトグラムという装置で解析すると作者は女が牛乳を注ぐ左腕の最終的な輪郭を決定するまでに何度か線を引き直していることがわかるという。フェルメールは濃い青色の絵の具を厚塗りしながら入念に腕の形を整えた。まるで牛乳が重力の中で正確に壷から注がれているような壷を支える左腕に作者は細心の注意をはらったものと思われる。ともかく、この白い空間と左側に集中して描きこまれているテーブル上のパンや瓶のアンバランスのバランスが、この作品の面白さの要因と思える。

 横山大観に「隠棲」という作品がある。明治35年の作品だ。画面下にマリン・ブルーというのか素晴らしい色の腰掛に座り白いゆったりとした衣服に身を包んだ人物が横向きに左側に視線を投げている図柄である。縦長の画布の人物の上には何も具体的な対象が描かれていない。圧倒的な空白といえるが、それは「無」ではない空間だ。アカショウビンはフェルメールの白い壁に大観のその絵の空間を想起する。両作品を比較すると大観にアジア的・東洋的「空」を実感し、むしろこちらに共感するが、その記憶がなければフェルメールの白い壁にも感嘆することはなかったかもしれない。大観はフェルメールを知っていたのだろうか。興味あるところである。

 それにしても両作品ともに見事な空間表現と感嘆するしかない。

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2007年9月30日 (日)

フェルメール

一昨日、六本木の国立新美術館で開催されている「フェルメール オランダ風俗画展」を観てきた。お目当てはフェルメールの「牛乳を注ぐ女」。いやぁ、やはり本物は凄いオーラを発している。頭髪を覆う白い被り物と秀でた額の肉感、上半身を包む着衣の肌触り、フェルメール・ブルーというエプロンの色合いと質感、牛乳を入れる陶器の質感、これらを自在に描きだす技術。これら幾つもの要素の組み合わせで作品は構成されている。

館内を一回りして何度か「牛乳~」を見直した。右側の白い壁の空間と左側に描きこまれている女、テーブル、窓。そのアンバランスは画家の天才を示す証とも思量する。背景の白い壁から女が浮き出て生き物として存在する、それは果たして錯覚か?その経験は画集では認識不能だ。

 学生の頃に「ターバンの少女」(今は「真珠の耳飾りの少女」と呼ぶらしいが)、にゾッコンだったアカショウビンは以来フェルメール・ファン。しかし実物に接したのは数えるほど。18年前に仕事で10日くらい滞在したニューヨークのメトロポリタン美術館で観た作品が何だったか思い出さない(笑)。その前の1984年に上野の国立西洋美術館で開催された「マウリッツハイス王立美術館展」で画家初期の1655年頃(23歳)の作品とされる「ディアナとニンフたち」を観た。フェルメールが制作活動に入ったのが1650年頃というから約5年後の作品だ。ティツァーノ風の画風は円熟期の作品とは異質にも見えたが。

去年「フェルメール全点踏破の旅」(集英社新書)という本を出された朽木ゆり子さんのように日本にも情熱的なフェルメールファンが多い。平凡社のファブリ世界名画集(1971)の第17集がフェルメールで表記は「ヴェルメール」。 いつから「フェルメール」になり「ターバンの少女」は「真珠の耳飾りの少女」になったののだろう?

 それにしても絵画が光の芸術だといわれる以上にフェルメールの諸作は光を巧みに描いている。近くで視ると絵の具の盛り上がりは観る角度によって異なる印象を醸し出す。今回は想像したより間近で観られたのがさいわい。画面の右半分白い壁と窓の間で変化する色合いの漸減が神韻渺々。中国の水墨画を想起させられさえする。

 ここで「リアリズム」などと考えるのは小林秀雄流に言えば馬鹿げているのだろう。作品対象と観る者の感応が道交するのを経験すればよいのだ。

   アカショウビンはどうか。複製で馴染んだ作品の本物のオーラは対面して初めてわかる。作品は五感を刺激・挑発した。そこでは微かに「美」という人間的な「賢しら」がはたらくが。それにしても作品の構図は右側の白い壁の空間と左側に描き込まれた人物、テーブル、パンは常識的にはバランスを欠いている。しかし何度か描き直された結果のアンバランスにこそフェルメールの描きたかった狙いがあるのかもしれない。それこそが絵画における「存在」の現れ(わかりにくい言い方で恐縮)だと愚考する。そのアンバランスのなかには重力の法則さえはたらき、白い液体が光となって滴る。それは正に神韻渺渺の感があった。

 同美術館は初めてだったが広々とした空間はとても寛げた。「牛乳を注ぐ女」の前はさすがに人が鈴なり。作品は神品のオーラが横溢。足を運んだ甲斐はあった。

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2006年11月 5日 (日)

真実の心象風景と狂気

 NHKの「新日曜美術館」で山本丘人という画家が紹介されていた。門外漢のアカショウビンだが画家の力量の一端は感得した。生涯の作風の変化には田中一村にも通じる画狂人の存在を想像する。

 日本画家である丘人の絵には遠近法がないが、番組のゲストである入江氏という洋画家は丘人の絵には「フォーカスのあざとさがない」と説明していたのが興味深かった。遠近法というのは西洋絵画の特徴でもあろう。西洋絵画が日本に入ってきた時に大和絵の画人達は、それにもっとも刺激されたのではなかったか。

 遠近法という手法は絵画を通じて表現された最も西洋的な特徴ではなかろうか。日本絵画の特徴が平面的であるのに対し西洋絵画には奥行きがある。それは文明的な相違といってもよいのではないか。そういった論議は絵画の世界では既にされているのだろうが、丘人の作品を通して洋画家である入江氏の感想に肯うものがあったのである。

 丘人は「真実の心象風景を書きたい」から生涯に何度も画風を変えていったという。真実の心象風景というのは何だろうか?果たしてそのようなものが存在するのか?しかし丘人という画家を駆り立てた衝動はそういうものなのだろう。

 アカショウビンは田中一村という画家にも、そういった心の衝動を感じるのだ。遠近法という手法は日本画家達にとってどれほどの呪縛になっているのだろうか?一村の作品にもそれを感じる。昭和の初期に画才を磨いた一村に、そのことはどれほど意識されていたのだろうか?奄美に渡り一村の画風は一変している。それは丘人のように何度もではない。しかし一村にとっても画風の変化というのは「真実の心象風景」というのを求めてのことなのだろうか?

 一村と丘人に共通するのは「狂気」と言ってもよいのではないか。「狂気」とは何か?それは単なる病なのか?しかし、それは一村や丘人の日常に恒常的に現れていたわけではなかろう。作品を描く過程で、それは生じてくるものと思われる。それは優れた画家の抱える業のようなものかもしれない。

 

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