2018年11月 9日 (金)

映画寸評

 昨年、北海道でロケーションし撮影され年初に公開された『北の桜守』(滝田洋二郎監督)をレンタルDVDで観た。主演の吉永小百合さん120本目の記念作品で今や日本映画界の重鎮になりつつある滝田監督の作品とあっては心して観た。吉永小百合、北の三部作の完結作である。メイキングでは滝田監督の力の入れようがよくわかる。海難事故の場面は主演、子役と共に夜の海でスタッフに大声で叫ぶ様子も見られ、実に映画製作は監督、スタッフ、出演者の肉体労働なのだな、と痛感した。

 さて仕上がりはどうか。佐藤浩一、堺 雅人はじめ滝田組が主演を支え、出演者たちの監督、主演への敬意が溢れているのはよくわかる。しかし、そのぶん主演の存在が薄い。それはアカショウビンの吉永小百合という女優への過剰な期待によるものであろう。その姿の現在が観られたのは幸い。しかし生涯の傑作という作品が観たいのがファンの真情なのだ。ないものねだりかもしれぬ。しかしそれを新作に期待する、それがファン心理というものだ。既に生涯の傑作は撮られているかもしれない。『キューポラのある街』や『夢千代日記』 がそうかもしれぬ。しかし同時代を生きる幸いは新たな傑作を求める。監督も出演たちも渾身の努力を厭わない。それは作品を熟視すればわかる。しかしアカショウビンのようなへそ曲がりは未知の傑作が観たいのだ。

 それはともかく、滝田作品を観直すために、かつて感銘した『壬生義士伝』(2003年)を借りて観直した。主演は中井貴一。見事な主役を演じている。盛岡弁を徹底して習熟した成果が伝わる。その声と演技の醸しだす力が観る者を共振させるのだ。中井貴一は、この作品で一皮も二皮も剝けて俳優として脱皮したように思われる。俳優は監督、俳優仲間と切磋琢磨し成長する。高倉 健しかり、各名優たちしかり。吉永小百合もかくあるべし。

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2018年10月19日 (金)

憂き世を浮き世に

  先日膀胱全摘手術をした高校の同窓生TO君の見舞いに同じ同窓生NA君と行ってきた。その病院は重なる引っ越しでアカショウビンがかつて棲んでいたところから電車で数駅向こう。周囲の風景はアカショウビンが棲んでいたところとよく似ている。近くを川が流れ白鷺がゆったりと飛んでいる。病室の窓から見える景色をTO君は気に入っていると話した。アカショウビンも手術後のリハビリで同じような河べりを散歩するのが日課だった。TO君は未だ外出できないが点滴を支え持つTO君の姿は正しく三年前のアカショウビンの姿である。TO君は入院中に描いた鉛筆画の幾つかを見せてくれた。彼には退屈を凌ぐというよりこの数年鉛筆画を描くことが仕事となっている。それは趣味の域を越え彼の作品が売れるようになっているからだ。その幸いは家族が遭遇した窮地を乗り越える過酷と苦闘から生み出された。数年前には鬱病でも苦しみ絵も描けなかったと病を乗り越えたとき話していた。まことに生きる苦しみと悦びは裏腹なのである。
 病院を去りかつて乗り降りした駅を過ぎた。引っ越しを手伝ってもらったNA君と一杯やりかつて棲んだ街をゆっくり歩きたかった。しかし図書館に注文しておいた本を借りる期限があり帰途についた。
 スーパーでワインとツマミを買い込みバスに。DVDも借りた。福岡の同窓生にもラインでTO君の写真を送付した。帰って久しぶりに観たDVDは 『スウィング ガールズ』(2014年 矢口史靖監督)。少し鬱屈した気分を逸らしたかったのだ。少し冗長だが女子高生たちがビッグバンドジャズに取り組んでいく姿が面白いのである。方言指導はもっと徹底したほうがよいと思う。しかし家族やアカショウビンも経験した高校生の生態が落語を見るように面白く描かれている佳作なのだ。南島育ちのアカショウビンには夏冬でがらりと変わる東北の地方都市の風景が和めるのだ。圧巻は最後の晴れの舞台の演奏。ジャズに熱中したアカショウビンの若いころの記憶が甦る。デューク・エリントンの名曲が次々と思いだされる。「シング シング シング」を演奏する高校生の姿が眩しくもみごと。ジャズの素晴らしさを映像は見事に捉えている。久しぶりにビッグバンド・ジャズを聴きたくなった。

  TO君、共に憂き世を浮き世として彼岸に達しようではないか。アカショウビンもジャズや西洋古典近代音楽を聴きながら余生を生き凌ぐ。最後のクレジットで流れるナットキングコールの名曲が心に沁みる。

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2018年8月22日 (水)

マキノ監督、追悼

 マキノ監督と言っても日本映画の巨匠、何度も名前を変えたマキノ正博監督ではない。先日亡くなった俳優の津川雅彦である。数年前に役者業から一転。監督した第一作『寝ずの番』を借り観て、追悼のようなものが書けそうになった。

 もとより、美青年は俳優として脚光を浴び、女性ファンの熱いコールに何本もの映画に登場した。しかし、歳経て老境に至り、撮られる側から撮る側に回り、演者たちを自在に使いまわしたいと思うのはオーケストラも同じである。指揮者の我儘に振り回されるより、振り回す側に回りたい。その一念と思しき情念で撮ったのが本作と思われた。監督が作品に登場する例は内外の作品に例はある。しかし、津川雅彦はそのような欲望を老いの慎ましさで見事に抑えた。日本映画の生きの良い俳優たちを自在に演じさせ笑いと涙を繰り広げた。監督がもっとも楽しんだろうが俳優たちも楽しく監督の遊びに興じ一作が拵えられた。その面白さを楽しめる。落語の好きな皆さんにはいっそう味わいが深くなること必定。是非、多くの津川ファンにご覧いただきたい佳作である。

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2018年8月11日 (土)

人間の、すっことじゃなか

 『母と暮せば』(2015年公開)のなかで、息子の墓参りに出かけた母と息子の許婚者は1945年八月九日の午前11時2分、原爆投下の時間に他の墓参りの人々と共に投下の方角に向けて手を合わす。その前に中年の男が「人間のすっことじゃなか(することではない)」と言葉を絞り出す。それが、この作品のメッセージの一つである。映画がプロパガンダであるとするなら、メッセージを伝えることでもある。DVDで何度か観直した。音楽は坂本龍一氏。メイキングでは山田洋次監督は幾度か注文をつけ諒解する。坂本氏も監督の思いに応えるべく、苦心を重ねたと思われる。

 この作品が井上ひさしさん(以下、敬称は略させて頂く)により山田監督に渡されたバトンであることはメイキングで語られる。『父と暮せば』は黒木和雄監督によって映画化された。アカショウビンも公開時に岩波ホールまで足を運んだ。その後、DVDで何度か観直した。そこには黒木監督の執念の如き映像化が定着している。黒木監督が最初に原爆作品を撮った『明日tomorrow』は井上光晴の原作である。これはアカショウビンには新藤兼人監督の一連の作品とは異なる視点であることが鮮烈だった。広島出身の新藤監督と福岡県久留米出身の『全身小説家』(原一男監督)、井上は、原爆を映画化、小説作品で文字化することは同じ執念の如きものである。そのような意志を山田も継承しているのだ。数年前に観た黒木作品は幾つかDVD化されている。この夏にそれもあらためて観たい。73年目の夏に国政は非道を繰り返している。それへ抵抗の意志を突き付けねばならぬ。

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2018年7月27日 (金)

老いの時

 老いを生きる時とはどういう経験と体験なのか、一つの例を『ストレイト・ストーリー』という作品でデイヴィッド・リンチ監督が秀作に仕立て上げている。多くの中高年世代の皆さんに見て頂きたい。アカショウビンは、1999年公開の作品をリアルタイムで観たのか記憶に残っていないが、あれから18年の時が過ぎている。光陰矢の如しである。しかし、その時を経なければ納得出来ない事がある。そういう事に思いを新たにする作品だ。
 今朝の東京新聞の朝刊に佐藤優氏が書いているコラムにも、それを看取し共感する。友情という人間関係もそういうものなのだ。映画では兄弟の愛情であり父娘の愛情であり、飲み友だちの友情であり一期一会の人々の善意と人生の不可思議と妙味なのだ。

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2018年7月24日 (火)

この映画を見よ②

 この時期になると先の世界大戦の歴史を極東の弧状列島で生きる者の一人として考えるのがアカショウビンの習慣の如き習性となっている。大戦の歴史事実の一つの報告書として驚嘆し驚愕し、その後の思索の契機となったのは吉田 満の『戦艦大和ノ最期』である。この戦闘報告書については何度か書いたので繰り返さない。吉田さん、あえてこう呼ばさせて頂くが、吉田 満が戦後に書いた文章は、戦争を経験していない者にとって、実際の戦闘の経過と奇跡的に生き残った乗組員のうちの一人の男の生き方と思索として、戦争とは何か、という問いとなって現在のアカショウビンの精神を駆り立て、鼓舞すると言ってもよい。ドイツと日本が戦争に駆り立てられイタリアと三国同盟を結び連合国と国民総動員で戦時体制を生きたという歴史事実はアカショウビンの世代は親の話や、その世代の小説家、詩人、思想家たちの作品、書物で知る知識である。先日、100歳で亡くなられた浜田知明さんの作品もそうである。それは稿を改めて考究していく。
 話を戻そう。この映画とは先に見た新藤兼人監督の遺作『一枚のハガキ』(2011年公開)である。また大袈裟な、というなかれ。日本人、世界の人々に推奨すべき映画と確信する。盟友ともいえる林 光さんの音楽も実に精妙で絶妙。映像の寓話性とでもいう表現に添い作品の意図を音にしている。レンタルDVDで100円で借りられる。アカショウビンは2011年の劇場公開のあとDVDで何度も観ているけれども、何度見ても監督の粘り強い執念とユーモア溢れる傑作、秀作である。DVDには監督や出演者のインタビューも聴ける。98歳のとき、60日の撮影期間を資金が足りなかったのだろう、45日に短縮し撮ったとは思えない凝集された映像と音楽、俳優たちの渾身の演技と声、台詞が見事だ。作品理解の特典映像も是非観て頂きたい。貴重な映像だ。繰り返し見て暑熱の夏を生きるうえで監督の我々への喝、としよう。

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2018年7月23日 (月)

弔辞

 橋本 忍の葬儀で読まれる弔辞に興味がある。アカショウビンは仲代達矢の弔辞を希望する。先日たまたま見直した小林正樹監督の『切腹』は仲代の存在なくして語れない。脚本は橋本忍である。リメイク版との決定的な相違はそこにある。小林監督、橋本忍、仲代達矢は、作品を仕上げる過程で様々な葛藤があっただろう。傑作が生まれるには一筋縄ではいかない。しかし日本映画の最高傑作の一つは、この三人と制作スタッフの献身で実現した。監督も多くのスタッフも鬼籍に入っている。それだけに仲代の弔辞が読みたいのである。
 心に残る弔辞の一つは開高健の葬儀で読んだ小田実の弔辞だ。ベトナム反戦運動で共闘し作家としても社会的行動派だった二人はアカショウビンが若い頃もっとも関心があった作家だった。その後二人はベトナム戦争終結後にそれぞれの生き方をしたが開高の早すぎる死に小田は愕然としただろう。小田の弔辞は同郷の大阪弁で「ほなサイナラ」だった。そこに小田の万感の思いが込められている。(文中、敬称は略させて頂いた)

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2018年7月22日 (日)

座れ

 橋本 忍さんが亡くなられた。100歳とはご長寿で何より。大往生であろう。東京新聞では、 弟子の中島丈博さん(以下、敬称は略させて頂く)に記者が取材した記事が掲載されている。中島が橋本に師事していたことは、この記事で初めて知った。その経緯で、24、25歳ころ師が弟子に仕事への姿勢を「一日八時間は机の前に座っていろ。まず座ることから始まり、書き続けてものになっていくのだから」と教えたという。立っていいのは昼食時とトイレに行くときだけ。これが面白い。まるで禅の修行のようではないか。道元なら只管打座というところだ。そこで何かが生じてくる。その何かと正面し捉え交流することで言葉や文字にすることができる。そのような人の生と存在の不可思議が何かに道を作るということだろう。脚本でも小説でも映画製作でもジャンルは異なっても創造とはそういうものということだろう。中島の脚本で出来上がった『祭りの準備』は秀作だった。原田芳雄はじめ出演者たちも熱演で改めて観たい衝動に駆られる。橋本の教えの賜物といえる。中島が最後に会ったのが死の一日前というのも師弟の別れを彷彿させる。今や82歳の弟子と師匠の今生の別れは格別で哀切だったろう。

 先日亡くなられた浜田知明といい橋本といい、百年生きた人間の仕事は、繰り返し己の中に受容し発信し生きる力としなければならぬ。暑熱のなかへばってはいられないではないか。映像と声、音楽で活力を得るのだ。とりあえず、『七人の侍』を観て橋本 を追悼しよう。

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2018年7月20日 (金)

常田富士男、追悼

 常田富士男(ときた ふじお)さんが、亡くなられた。出演された映画、独特の語り口が思い浮かぶ。『まんが日本昔ばなし』は大人も楽しめる番組でアカショウビンも或る時期に楽しく観ていた。映画では黒澤の『赤ひげ』ではヤクザのチンピラ役だった。その後なんとも味のある脇役に成られたことを言祝ぎたい。

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2018年7月18日 (水)

この映画を見よ

 先日観た『奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ』に続いてたまたま借りた『石内尋常高等小学校 花は散れども』を観て教育とは何かと暫し考え込まざるをえない。フランスの教育と日本の教育とは異なるようで同じとも言える。それは教師と生徒という立場を越えて人間と人間の付き合い、人と人の感情の交わりというものとは何か、という問いにもなる。教師という責任の重さはそれを担った者にしかわからぬだろうが、その一端を一本の映画から我々は直感できる。フランス映画でアカショウビンは教師という職業の厳しさと楽しさを、日本映画で自らも経験した恩師の教えの持つ意味と懐かしさ、授業のいくつかの記憶を想起した。日本映画の監督は新藤兼人。2008年の作品である。そこにはこの国の近現代史も織り込まれている。世の教師たちはもとより、日本国民が刮目して視るべき映画である。

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