2020年7月 6日 (月)

苔の候

 雨に曇る景色と微かな雨音が心地良い。退院に向けて体調を調えていかねばならない。緊急入院以来の無聊は友人たちに差し入れを頼んだ文庫本で凌いでいる。読み差しの本も団地から持ってきてもらった。読む時間はたっぷり。ただ体調がいうことをきかぬ。ここのところ下痢が続く。だるさが増したようにも思える。薬の影響があるのだろう。

 それはともかく、この雨で木々は生きる養分をしっかり蓄えることだろう。大樹には苔も生き生きとその色を映えていることだろう。先日は週刊誌で各地の苔の名所を特集していた。屋久島、京都など名所は多いようだ。しかし、近くに苔の美しさは見ることができる。アカショウビンが棲んでいる団地の前の公園には樫の大樹が威容をなしている。その木肌に苔が映える。名所とは異なるけれども、苔を観察することは返って都合良し。退院したら、雨の日が楽しみだ。

| | コメント (0)

2020年7月 1日 (水)

将棋・王位戦始まる

 今日から豊橋で王位戦が始まった。去年も大きな話題になったが、今年はそれ以上だろう。将棋界だけでなく高校生プロ棋士の藤井聡太七段が挑戦者になったことによる。アカショウビンは意外だった。ここまで来るとはまるで予想していなかったからだ。それくらい藤井君、と言わせてもらうくらいのやはり高校生だからだ。将棋界では羽生善治以来だろう。詰め襟の羽生が、時の名人や名人経験者たちを次々と破ったNHK杯戦を思い出す。凄い天才が出て来たと驚嘆した。

 タイトル保持者は史上最年長でタイトルを奪取した木村一基。話題性満載のタイトル戦だ。アカショウビンもネットで楽しみたい。

| | コメント (0)

2020年6月25日 (木)

差し入れ

 緊急入院ということで何の準備もなく病室に車椅子で運ばれた。三月の入院の時は用意周到。本とCD、ノートパソコン、携帯ラジオまで揃えた。五月四日に退院したときは、それでも読み残した本があった。

 今回は、たまたま携帯していた文庫本一冊。それでは退屈極まりない。そこで友人たちに懇願。ブックオフで安い本を買って来てくれるようメールで頼んだ。その本を暇に任せて読んでいる。時に病室の他の患者と看護師たちの世間話がうっとおしい。しかし、静かな時のほうが多い。読書には格好の時だ。

| | コメント (0)

2020年6月20日 (土)

ことし二度目のスイカ

 夕食は、すき焼き。スイカ付きである。ことし二度目。実に甘く、おいしかった。夏場になりスーパーに行っても価格の高さで手が出ない。しかし、病院食はあれこれ工夫してくださる。そこに登場するスイカに感動するのである。

 産地は茨城かもしれない。先ごろ観た、小川紳介監督の成田闘争の映像の中で、農民たちがスイカの収穫期の人出の事で親子、仲間たちの話題になることがあった。スイカは農家の稼ぎ頭なのである。

 そんな事も思い出しながらありがたくいただいた。

| | コメント (0)

2020年6月18日 (木)

王女メディア

 今朝の東京新聞〈筆洗〉は、エウリピデスのギリシャ悲劇『王女メディア』を引用している。北朝鮮が爆破した、開城の南北共同連絡事務所に関連した北朝鮮担当者が女性であることで連想したらしい。アカショウビンはイタリア映画のパゾリーニ監督『王女メディア』を思い出す。若いころに観たときパゾリーニの最高傑作だと確信した。稀代の歌い手、マリア・カラスを起用したのも監督の天才的直感がはたらいたのだろう。しかもカラスに台詞なし。映像だけで勝負するという監督の強靱な意志を痛感した。そこで出来上がった傑作である。

 エウリピデスの悲劇は、夫の裏切りに対し、花嫁と我が子さえ手にかけてしまう、という凄惨な物語である。メディアは我が子の亡骸を前に茫然となる夫に言い放つ。「おまえのせいだ!」。〈筆洗〉の記者は、これが、北朝鮮の韓国に対するメッセージだろうと推測する。その文学的譬喩は納得する。それにしても、国家間の意思疎通の難しさには虚しさがつきまとう。

| | コメント (0)

2020年6月 9日 (火)

歩け

 コロナのせいではなく。退院いらい身体各所の痛みのせいで外に出るのが面倒になっている。この数日は、背中に新たな激痛がはしり、さらに出不精になった。それが術後の経過によくないことは、八回もガンを体験された俳優の黒澤年雄さんが自叙伝やインタビューで、できるだけ歩いて身体を動かすことが大切と繰り返し強調されている。

 そうなのだ。歩くのだ。人間は歩き回り心身を整えてきた生き物なのだ。原始なら動けなくなることは死を意味する。現在でも、それに伴う不如意はあちらこちらに出てくる。

 話は違うが、きのうの将棋棋聖戦で挑戦者の藤井聡太七段が初戦を制したことは友人からのメールで知った。今朝は将棋好きの古い友人からラインメールが入り延々とやり取りし疲れ果てた。最近はブログやメールを書くのも疲れがひどいのだ。古い友人にいい加減なことも書けない。友人は実際に将棋はあまり指さないようだが、将棋界にはやたら詳しい。こういう人はどの業界にもいるのだろう。

 それはともかく、歩かねばならない。陽を浴び、風を呼吸し自然と世界に自分を置くのだ。

| | コメント (0)

2020年6月 5日 (金)

ある日目覚めると

 時代遅れになっている、というジャズマンの述懐にある焦燥感は他人にはわからない絶望を含んでいる。それは推し量り、想像力を駆使しても到達できないものと思われる。そういう現実の渦中で彼は毎夜仕事で現場に行き、時代遅れにはなるまいと〈前進〉していたのだ。若い才能は競って新たな音楽を創造する。老いたドラマーがそれについていくのは能力、技量の限界を超える。その絶望は悲劇でもあろう。

 時代が沸騰している時、というのはそういうものなのだろう。新たなモダン・ジャズが生まれていたニューヨークのジャズ・クラブやプレイヤーたちをナット・ヘントフは実に見事に活写している。

 アカショウビンは朝目覚めると、きょうも一日生きながらえたか、と思う。そして、ひとつひとつ済ませておかなければならない事に煩わしさが襲い、しばし瞑目するのである。しかし、ヘントフが記す録音の手持ちのCDを聴く楽しみは無上のものである。他にも買ったままで聴いてないCDセットもある。その音楽に心身を浸す。それができるうちに。

| | コメント (0)

2020年6月 4日 (木)

時代遅れ

 「時代に追い越されたくはない。だから私は前進する。しかし、ある日目覚めると私は時代遅れになっている」。フィリー・ジョー・ジョーンズという名ドラマーの述懐である。ジャズが急激な変化を生じ賛否両論、若者や古いジャズファンの間に議論を巻き起こしていた頃だ。その変化をナット・ヘントフが記している。『ジャズに生きる』(1994年 東京書籍 堀内貴和訳)。

 コンピュータにプロの碁打ちや将棋指しが勝てず、高齢者までがスマホを操作する時代に私たちは生きている。還暦を過ぎた者たちにフィリー・ジョー・ジョーンズの嘆きは他人事ではない。若者たちからすれば、アカショウビンたちは、時代遅れのポンコツであろう。病から遅々として回復の覚束ないアカショウビンには年齢に加え肉体的ハンディもある。しかし、と思うのである。時代の先を行くだけが人間の能ではない。過去を振り返り歴史を知り、現在の何たるかを理解する、腑に落とす。それは社会の変化の速度に合わせるのではなく、自らの現在の境遇を納得し、そこから思索、行動、行為するということだろう。負け惜しみの強がりに見えるかもしれないが。

| | コメント (0)

2020年6月 1日 (月)

野蛮考

 染み付いた野蛮は何も米国だけではもちろんない。歴史を省みれば暗澹となる。しかし国民として、民族として、という条件が付くと、そこで他人事ではなくそれぞれの個人に問いが突きつけられる。ナチズムはドイツ人に、イスラエルと米国のパレスチナに対する残虐行為はユダヤ人と歴代の米国政権に、日本軍の中国での残虐行為は我々日本人に。そこに積み上げられた死屍累々に眼を背けず過去から未来への隘路を探るのが現在を生きる我々の責任なのだ。言うは易く、行うは難し。しかし、安穏な生が営めるうちに考え抜かねばならない。コロナ禍に苛まれても戦火ではない。考え抜く時はある。それは未来を拓く隘路だが人類が生き延びるための不可欠の回路であり隘路だ。

 余命少ないアカショウビンにとって、そのような分不相応な気分に取り込められ不安になるのも体調不良のためかもしれない。しかし、アカショウビンはともかく、多くの日本人には時間と経済的蓄積と余力がある。そこで考え抜き、活路を拓くのに貢献するのだ。

 人種差別を超克するのは通過点でしかない。難問は積み重なり迫る。そのひとつひとつの超克なくして未来は拓かれない。世界と人々は共に有る。そこで問題は共有できるし、しなければならぬ。アカショウビンの生も、その中で翻弄されている。抗がん剤治療で、どれだけ残り時間が得られるか知らぬ。囲碁、将棋でいえば敗勢は明らか。しかし、一矢報いる。それが勝負の礼儀ともなり望みともなる。相手も同じ人間なのだ。病の場合、それは人体の不思議さという人知を超えた領域に分け入るということなのだろうが。

 それはともかく、萎えた体力と気力を奮い起こすにはどうするか。音楽と読書、それに映画だ。それに陽の光。あいにく本日は雨だが雨もよし。草木には慈雨である。早朝は鳥たちの声、囀りにも耳を澄ませた。此の世の現象は我が身と一体である。草木の繁茂、鳥たちの声然り。

 いかにして野蛮から超克するか。身の回り、書物にそのヒントはある筈だ。しばし瞑想の時に浸ろう。音楽はメシアンの鳥たちの作品を聴きながら。

| | コメント (0)

2020年5月30日 (土)

副作用

 きょうで抗がん剤治療4日目。きのうから食欲が落ちている。疲れやすさもこれまで以上で尋常でない。副作用を疑う。症状がでてくるのは一週間後というから少し早い。患者はあれこれ気にするのだ。まして体調異変は他人事ではない。あれこれ雑用をしなければならないがしばらく横になる。

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧