2020年9月19日 (土)

一年が過ぎ

 一昨日、17日は山遊亭金太郎師の一周忌だった。師と親しかった友人のI君に一周忌の集まりがあるかどうか問うと特にないという。アカショウビンは個人で弔うことにした。弔うといっても故人の事を想い起こすだけしかできないけれども。

 何時だかの新年の寄席で演じた『死神』は、師なりの工夫が凝らされて面白かった。あるいは、老人会の席での噺など気さくな師の姿が思い出された。ある年の暮れには、スポンサーの社長の慈善安売り企画にご夫婦で参加・協力しておられた。思い出は幾つもある。アカショウビンには仕事の役得でもあったが、現役の噺家に対する個人的な興味、関心からのものでもあった。

 その日は、高校の同級生T君が千葉県のデザイン展に入選し、作品が展示されるというので、県立美術館へ他の同級生も誘い出かけた。T君は趣味の鉛筆画がファンを増やし、地元の喫茶店などで作品を展示している。アカショウビンも何度か他の同級生達と会場を訪れている。今年はコロナ禍で開催は見送られたが、県展の入選が朗報となり伝えられたわけである。閉館後、駅近くの居酒屋で十年ぶりで会う同級生とも再会を祝した。還暦を既に過ぎ互いに人生の後半戦を生きる身である。高校時代の話は尽きることがない。金太郎師の思い出といい、T君の活躍といい娑婆の縁も続く。金太郎師の円熟の噺が聴けなくなったのは残念なことだが、これも寿命である。その芸はお弟子さんやファンが語り継ぐだろう。もって冥すべし。併せて、T君の益々の精進を祈る。

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2020年9月10日 (木)

名盤と名作

 一昨年から最近まで聴き続けてきたのはビル・エヴァンスとマイルスだった。手持ちの名盤を含めて未聴盤は中古屋通いで手に入れて聴いている。特にマイルスの未聴盤は山ほどある。それを聴くのが隠遁暮らしの楽しみのひとつだ。また手持ちのCDやレコードも引っ越しで整理がつかぬまま時に衝動的に聴くと以前に聴いた時とはちがう感興を唆られることがある。好き嫌いのはっきりしているアカショウビンは、最初の出会いが大事なのである。しかし年月を経れば、新たな好みが加わる。それが晩年の楽しみともなる。

 今朝は、キャノンボール・アダレイとビル・エヴァンスの共演に陶酔する。『ノウ ワット アイ ミーン?』。1961年にリバーサイド・レーベルに三日間かけて演奏したものを編集した録音だ。ベースは、パーシー・ヒース。ドラムスは、コニー・ケイ。ご存知、MJQ、モダン・ジャズ・カルテットのリズム・セクションである。名手が揃い、絶妙の味わいの演奏が繰り広げられる。まさに至福の時だ。

 先日は、『ポーギーとベス』、『夕鶴』もアマゾンで手に入れた。それも繰り返し聴く楽しみをとっておいてある。

 読書のほうが、ここのところ気力に欠けて進まない。しかし、『ニーナ・シモン自伝』は少しずつ読み進めている。新たにジェイムズ・ボールドウィンの『もうひとつの世界』もアマゾンで安く手に入った。今朝から少しずつ読み始めたが、なかなか読ませる作品だ。『私はあなたのニグロではない』(ラウル・ペック監督)のなかのインタビューと併せてコメントしていきたい。

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2020年9月 8日 (火)

風が通りぬけるだけ ②

 風は、通りぬけるだけ。しかし記憶と無意識の中にあるかも知れぬ事実の切片は彼女の現実と現在に作用する。それは、彼女や彼の行為、行動となって現れるだろう。

ざわわ ざわわ ざわわ

お父さんてよんでみたい

お父さんどこにいるの

このまま緑の波に

おぼれてしまいそう

夏のひざしのなかで

ざわわ ざわわ ざわわ

けれどさとうきび畑は

ざわわ ざわわ ざわわ

風が通りぬけるだけ

今日も見わたすかぎりに

緑の波がうねる

夏のひざしのなかで

ざわわ ざわわ ざわわ

忘れられない悲しみが

ざわわ ざわわ ざわわ

波のように押しよせる

風よ悲しみの歌を

海に返してほしい

夏のひざしのなかで

ざわわ ざわわ ざわわ

風に涙はかわいても

ざわわ ざわわ ざわわ

この悲しみは消えない


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2020年9月 6日 (日)

風が通りぬけるだけ 

 この夏の朝に繰り返し聴いたのは、『さとうきび畑』(寺島尚彦作詞・ 作詞作曲)だった。鮫島有美子(ソプラノ)が1994年2月にスタジオ録音したものだ。以前は森山良子のを繰り返し聴いた。きょうは、台風10号の影響で雨が断続的に降り続き、暑さからは免れているが、台風が去れば酷暑、残暑はぶり返すだろう。

 この曲を聴くという事は、先の大戦の惨禍と過酷を想像し、向き合うという事だ。穏やかな曲調と簡素な歌詞の裏にある悲しみと怒りを聴きとらねばならぬ。沖縄戦の地獄は、現在に継続する差別と蔑視として報道されている。しかし、われわれ日本国民は、どのようにその歴史事実と現在に対処し、想像、行動しているか?それがアカショウビンには覚束ない。しかし、夏の暑さの朝に、この曲を聴き続けたことは、アカショウビンの想像力を励起した。行為、行動としては、病後の疲弊する体調、体力をおして、3日の澤地久枝さんの国会議事堂前での安倍政治への抗議デモンストレーションに参加した。

 夏が過ぎ、安倍首相が退陣しても追撃の手綱を緩めるわけにはいかない。そのためにも、『さとうきび畑』の歌詞を書き写しておく。

 ✽ざわわ ざわわ ざわわ

 ひろいさとうきび畑は

 ざわわ ざわわ ざわわ

 風が通りぬけるだけ

今日も見わたすかぎりに

緑の波がうねる

夏のひざしのなかで

(✽くりかえし)

むかし 海のむこうから

いくさがやってきた

夏のひざしのなかで

(✽くりかえし)

あの日 鉄の雨に打たれ

地中は死んでいった

夏のひざしのなかで

(✽くりかえし)

そしてわたしの生まれた日に

いくさの終わりがきた

夏のひざしのなかで

(✽くりかえし)

風の音にとぎれて消える

母の子守(こもり)のうた

夏のひざしの

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2020年9月 2日 (水)

CT検査

 都内の病院へCT検査に。退院以来、何度目か。新たな病変が見つかるのかどうか。結果は来週だ。抗がん剤の錠剤を服用は励行しているが、始めた頃のように食欲がなくなるというようなことはない。面倒だが自炊であれこれ工夫もしている。ほとんど部屋で横になり、レンタルDVDで映画を観るのと好きな音楽を聴き、読書の毎日である。たまに、こうして遠出すると疲れるが、こういう時でないとできない事もできる。新宿の中古ショップでCDも買えた。

 病院行きのバスから降りると激しい雨。朝は降っていたが、昼前に出かける頃は青空も見えて陽も射していたのだ。少し濡れて病院の建物に駆け込む。検査は予定時間通りに済んだ。夕方には友人二人と久しぶりに会う。話したいことはたくさん。

 携帯した文庫本は、岡倉天心の『茶の本』。先日観た『日日是好日』を観て再読したくなったのだ。最近、露伴と併せて読んでいる、水上 勉の禅関連の著書や一休宗純の『狂雲集』と共に実に手強く強烈な刺激を受ける。残り時間を出来る限り充実させたい。工夫参学である。

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2020年8月28日 (金)

負荷を減らす

 警備の仕事をしていた時に買った原付バイクを処分した。生活保護担当者からの指示である。何と費用は1万9800円。かつかつの生活でその出費は痛い。しかし、無駄を省き身を軽くするためには仕方がない。アカショウビンの人生の持ち時間は既に少ないことがわかっている。仏教では〈断捨離〉だろう。死ぬのにも金のかかる世の中なのだ。

 昨夜、いつも録画したDVDを送ってくださるIさんからDVDが届いた。戦後67年に放送されたNHKの番組だ。戦艦大和の生き残りの人たちヘのインタビューである。乗員3300余名のうち、生還されたのは260余名。その中の数名である。皆さん既にご高齢だが、お達者だ。あれから8年が過ぎた。何人かは亡くなられたかも知れぬ。しかし、その証言を聞けば先の大戦に対する新たな思索を促す。大和の生還者の書かれた資料のなかでアカショウビンが熟読したのは吉田  満の著作だ。代表作『戦艦大和ノ最期』のほか、戦後の思索は幾つかの著作となって読める。〈戦争を知らない〉世代のアカショウビンも、これらの著作を読めば戦争について考えざるをえない。それはアウシュビッツの歴史事実とも向き合うということである。

 また映画作品では先日観た『続  拝啓天皇陛下様』(1964年  野村芳太郎監督)は、渥美清という稀有の俳優を起用し監督が戦争を描いた優れた作品である。若い人たちには是非観て頂きたい秀作〈喜劇〉だ。自らの残り時間を考慮しながら、映画や音楽、あれこれ読書し、その経過を書き留めていきたい。

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2020年8月27日 (木)

噺と噺家の極意

 本日で、東京新聞朝刊に連載していた五街道  雲助さんの「私の東京物語」10話が終了した。面白かった。特に師匠の馬生の描写が生き生きとして、馬生の姿が彷彿した。噺家の日常が弟子の眼で活写されていた。酒好きの馬生が朝起きて二階から降りて来ると、一升瓶から日本酒をちびちびやり、おかみさんが気の利いた肴を出す。それでいい心持ちになると一眠りする。その間、弟子たちは二階の掃除。馬生は起きると寄席に出かける。それをおかみさんと弟子たちが見送る。

 雲助さんは駆け出しのころ、そういう師匠の日常を見て、あぁ、噺家というのは何ていい商売なんだろうと感嘆したという。

 そういう記事にほだされた訳でもないが、三遊亭圓生の圓生百席の『双蝶々』を聴き直した。圓朝師の噺である。それを圓生流に脚色、演出している。圓生の凝り方が見事ですばらしい。或る境地を極めた芸の力である。噺の極意を極めた芸とも言える。ここのところ聴き続けているマイルス・ディヴィスの芸の録音にもそれが言える。きょうは、『ウィ  ウォント  マイルス』(1981年)を聴いて気力を奮い起こす。さぁ、読書もしなければならない。あれこれ書いておかねば鳴らない事は山積している。

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2020年8月23日 (日)

或る演出家の思い出

 明け方まえ、衝動的にラジオの電源を入れるとイタリアオペラのアリアが聞こえてくるではないか。いつもの放送番組と違うのか、と思いながら聴いていると同じ番組である。早朝4時からは、インタビュー構成なのでたまに聴くのである。アリアはプッチーニの『ボエーム』のなかのもの。パヴァロッティだった。聞き続けていると、どうもインタビューされているのはオペラの演出家さんのようである。そして女性アナウンサーの話しかける名前に、やはり、と思い当たった。今は亡き藤原歌劇団のオペラ演出家、粟国安彦氏の御長男なのだ。粟国 淳氏である。

 アカショウビンが社会人になった所は名称は敢えて伏せておくが、あるオペラ制作団体の事務局だった。大学の学部とはまるで関係のないところだったが、音楽好きのアカショウビンには日本のオペラ振興に名のあるここに就職できたのは心から嬉しかった。第一志望のマスコミは全滅だったが、これを契機に日本のオペラ振興に努力、精進しようと心に決めた。

 本採用前の3月の見習い期間に途中から関わったのが小澤征爾さんを指揮者に迎えたビゼーの『カルメン』だった。それはアカショウビンにとって深く心に刻まれた公演だった。指揮者、ヒロイン、出演者たちの練習、リハーサルにも立ち会えたのだから。

 その次の公演が粟国安彦氏を演出家に迎えてのヴェルディの『トロヴァトーレ』だった。イタリア語の堪能な粟国さんは指揮者の老巨匠エレーデと丁々発止にやり取りする。その実に精力的な仕事ぶりにアカショウビンは感嘆した。そのときの光景がアカショウビンの脳裏には焼き付いている。淳氏のインタビューを聴きながら、その記憶が改めて蘇ったのである。

 アカショウビンは、私的な事情で『トロヴァトーレ』を最後に事務局を退職した。粟国氏の訃報を知ったのは、数年後である。まだ48歳の若さだった。渋谷の劇場で追悼会が開かれ駆けつけた。沖縄の南大東島出身の粟国氏を偲び琉球舞踊も演じられた。本も出版された。それにしても日本のオペラ界には何とも惜しい才能を失ってしまった、と思う。御長男が藤原歌劇団で演出家をやられているのは漏れ聞いていた。その経緯を淳氏はインタビューの中で語っておられた。

 このような偶然の事も不思議な縁というのかもしれない。髭もじゃで精力的な粟国安彦の姿がアカショウビンには鮮明な記憶に残っている事も不思議な事である。調べてみれば亡くなったのは、1990年1月14日。それから30年もたったのだ。光陰矢のごとし、とは實に古人の至言である。

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2020年8月21日 (金)

溽暑堪えがたし

 東京新聞〈筆洗〉は、荷風の『断腸亭日乗』を引き酷暑の表記を一文の導入としている。荷風は、「炎熱」「蒸暑」などとも記しているらしい。漢語には暑さの表記はたくさんあるのだろう。〈暑さ〉と言っても、いろいろだ。人によっても感じかたが異なるだろう。アカショウビンは奄美生まれで夏は大好きなのだ。夏の陽光は、人が自然の中に生きていることを実感させるからだ。病で体力は衰え気力は萎えても、陽の光を浴び、好きな音楽を聴けば精神の躍動のいくらかが蘇生するような気がする。

 新聞の一面トップは、昨日の王位戦の新王位誕生の記事である。アカショウビンもネットで最後まで観戦した。木村は無念だろう。終局直後、友人のIさんから携帯に電話がきた。「中年の星」に期待していたのが高校生棋士に敗北。ベテラン棋士は何をしているのか、という怒りをぶちまけておられた。同感である。Iさんは、女性アナウンサーが、おめでとうございます、とコメントしたことに怒りが吹き上げたらしい。敗者への気配りがない、とお怒りなのだ。なるほど。そういう見方はIさんの繊細さと心配りの精妙さである。アカショウビンもIさんとは長い付き合いだが、Iさんがそのような感性をもっておられることに改めて感銘した。

 たかが将棋の世界、されど将棋の世界なのである。アカショウビンは、長年の将棋ファンだから、体験、経験を介して、その世界の一端くらいには馴染んでいる。今では希少な人間臭い世界なのである。それも以前に比べ臭みが薄くなってきたのを痛感する。それは、かつて〈チャイルドブランド〉とマスコミが揶揄した頃から始まったように思われる。羽生や森内たちが登場した頃だ。それまで、破格、破天荒な棋士の魅力がアカショウビンが将棋にのめり込んでいった理由である。升田、大山、加藤、米長しかり。他にも逸話に事欠かない棋士が何人もいた。それが羽生や森内らチャイルドブランドたちから画一的で人間臭さがなくなり、皆さん小ぎれいになったのである。その彼らも今や中年。藤井新王位はじめ新たな〈チャイルドブランド〉たちに押しまくられている。時代の変化の速度が以前に比べ異常と思えるくらい加速化している。将棋界も囲碁界も棋士たちのAI利用で様変わりした。それは将棋界、囲碁界だけの現象ではない。〈世界〉が急速に変化しているのである。それは或る識者が説くように〈世界の変態〉であるかもしれない。それは新たな主題として愚考を重ねなければならない。

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2020年8月18日 (火)

定期検診

 血液検査とレントゲン。午後1時に主治医の説明がある。前回は腫瘍(ガン)マーカーの数値が跳ね上がっていたので、今回の検査結果によっては現在使用している抗がん剤を変えるかもしれないと話していた。

 レントゲンは、これまでで初めて黒いワンピース型の検査着に着替えて行った。検査着といっても紙のような材質のものを加工したもの。腹と胸を立って、胸と腹を寝て撮る。これを済ませ、診察まで待機だ。とにかく、体力が消耗しているのだ。バス、電車、バスと一時間以上かけての移動は何とも疲れる。

  退院したのは5月4日だ。三ヶ月以上たったが体調はよろしからず。果たして回復するのか心もとない。これを宿命というのか運命というのか。外の気温は33℃という。病院内はエアコンで快適だ。『東京物語』の「私たちは、まだいいほうでさぁ」の名台詞が想い起こされる。

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