2018年1月19日 (金)

英国人の孤独

 今年の米国アカデミー賞の作品賞は英国映画、『私は、ダニエル・ブレイク』らしい。これは昨年、試写会で観た。レンタルされているので改めて観て感想を書きたい。

 それはともかく、英国で高齢者の孤独に対する行政措置が取られたという新聞報道も読んだ。映画を介して彼の国の現状は日本でも同じとアカショウビンの生活はそれを生きる毎日だ。ただし孤独を否定的に解するか、そうではなく新たな理解が提出できるかは個々人の問題だ。その意味でアカショウビンは現実を受容し変化を求めるなかで新たな可能性を探りたい。その可能性のひとつを『私は、ダニエル・ブレイク』という作品は提示している。ケン・ローチ監督が描く中高年男の生き方は多くの共感を得るものであろう。しかし、それは監督の作品のなかでの話だ。現実は千差万別である。監督の近作をアカショウビンは劇場公開や試写会で観ている。しかし『麦の穂を揺らす風』の衝撃に達した作品には出会っていない。それは監督の主張と思想の齎すものと解する。政治的にいえば左翼的立場とも言える本作の底にある監督の主張はみやすい。しかし、その是非は問わなければならない。この作品は不幸な人々に対する正義感によるものとも見える。それが多くの共感を得た理由かもしれない。そうであれば多少の違和がある。それは映像作品の底にある思想と主張の是非を問われなければならないと考えるからだ。

 先日はアカショウビンの偏愛するシャーロット・ランプリングが出演するという英国映画、『ベロニカとの記憶』(リテーシュ・バトラ監督)の新作を試写会で観て来た。これまた英国の中高年の話である。原作のジュリアン・バーンズの小説、『終わりの感覚』を映画化したものだ。ここにも孤独な英国人の姿が描かれている。ただアカショウビンにはシャーロット・ランプリングが物語の前半には登場せず、ずいぶん待たされた挙句、付け足し扱いの役柄に不満があったが。若かりし頃の『愛の嵐』や『地獄に堕ちた勇者ども』の体当たり演技のシャーロットの姿を再見すると美しく老境を生きている女優の現在を言祝ぎたい感に浸ったことは正直な感想である。

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2018年1月 8日 (月)

此の世に棲む日々

 手術は2時間の予定が約20分で済んだ。終ってから「先生も張り合いがなかったでしょう」と話しかけたら苦笑いしていた。今回は6日間の入院で明日退院する。しかし相手は三つの癌である。油断はできない。しかしアカショウビンに〝闘病〟という言葉は適当でない。強いて言えば〝共存〟である。癌の医学用語は悪性新生物。悪性というのは人間の判断である。新生物にとっては勝手に悪者扱いされて迷惑だろう。これも何かの縁というものではないか。遺伝だとしたらどうしようもない。生活の不節制によるものだとすれば自業自得である。仏教哲学でいう縁起とはそういうものではないか。癌ノイローゼという言葉もあるくらいだから癌は恐れられる病である。しかし若い頃ならともかく、アカショウビンが癌に最初に罹ったのは50代の前半で10年以上が過ぎている。その時に数ヶ月か数年の命と覚悟した。それから10年以上生きられたのは恩寵の如きものである。三年前の胃癌、一昨年の下咽頭癌と膀胱癌、今回の下咽頭癌の再手術と度重なる癌との付き合いをアカショウビンは、これも此の世の縁と解している。下に10年前、2007年5月20日のブログを再掲する。今もその覚悟に変わりはない。

 司馬遼太郎は松蔭寅次郎の生を「世に棲む日日」という小説に仕立てた。それは松蔭という人物の生を読者に司馬的松蔭を伝えた作品としてアカショウビンはかつて面白く読んだ。アカショウビンの松蔭寅次郎への関心はそこから始まったといってもよい。小林秀雄が先の大戦の時に戦場に赴く兵士達を相手に講演した時に最後に引用した松蔭の辞世の歌はアカショウビンの精神の奥で木霊する。「呼び出しの声待つほかに今の世に待つべきことのなかりけるかな」。後に「留魂録」を読み、伝馬町での最後の日々をアカショウビンなりに反芻した。先日は新聞紙上で松蔭の伝記のような記事も面白く読んだ。

 苛烈で過激な松蔭という人の人生と思想を今の世と己の生に照らし合わせることは、どのような意味が生じるのだろうか?新聞記事の狙いはともかく、アカショウビンは、むしろこの世に棲み、そこを去る覚悟の如きものに関心をもつのである。人は、この世に「投げ入れられている」といった考えともそれは呼応する。

 人が世に棲む日々というのは何か、と問うことは大それた問いだろうが人生の中で個々人が正面することがある問いでもあるだろう。松蔭は自らの思想を国家と命を賭けて相対した。その声と姿に触発された弟子や親族は松蔭の過激と苛烈を愛し慈しみ閉口しながら自分たちが至れなかった境地に畏敬も抱いた。そしてアカショウビンや後の世の人も。この国の歴史の中で、その生と死は小説家や思想家を、また国民の中の或る人々を時々に刺激、挑発する。新聞記事に連載されるのも今の時代に鬱屈する思いと関連するからであろう。

 現今の政治状況と松蔭の生と死は時代を超えて音叉のように共鳴している。しかし、その激烈な魂と國の行く末に明晰な視界を拡げた思想的幅を有する人はどれくらいいるのか?現今の時の宰相や権力者たちにそれは果たして存在するのか。

 朝のテレビでローマ史を書き続けた文筆家が自分の仕事を通して世界のリーダー達の顔からその力量を判ずるという趣向の番組を見た。まぁ、番組企画に引っ張り出されるのも気の毒と思うが、そこでコメントに言葉を選択しながら話す姿に苦笑も禁じえなかった。私的な場で話すように公的なメディアでは口に出来ないことを飲み込みながら発する言葉の裏を想像するとテレビというメディアで発言することのいかがわしさは明瞭だ。

 世に棲む日々とは、そういった政治状況とも関わらざるをえない。生活を持続させるためにする仕事、親族の介護、病、報道で伝えられる事件を日常で見聞きしながら人々は存在しているからだ。この國がどこへ行こうが、一人の個にとって知ったことではない、と突き放すことも何やら出来かねる。肉親や親族、友人と無縁であるわけにもいかない。そこで情愛、情動、確執が生じてくる。松蔭の辞世の歌と文章は、そういった切実な苦衷を簡潔に表明している。小林秀雄が、死にに行く兵士達たちへの餞として選んだ理由もそこにあったと思われる。それは小林という人の誠実と人間という生き物への考えと国民としての覚悟を端的に現している。

 戦後60年余、この國で戦争のために死んでいくことはなかった幸いを言祝ごう。日常の瑣末なことに見出す喜びが如何に大切で幸いなことか。権力闘争を面白おかしく論説しているマスコミの軽薄と酷薄を直感しながらアカショウビンは思うのである。

 サラリーマン生活を放棄して毎日が日曜日を満喫している有閑は貴重である。世の多くのオトウサンはそうはいかない。されどインドで言う人生半ばを過ぎたら森の中に住むという林住期という考えは日本国のオトウサンたちには再考に値すると思われる。少なくとも現在のアカショウビンはそうである。森の中にこそ住んでいないが、これからの人生を如何に心おきなく過ごすか。それは経済的にも決して易しいことではない。しかし金銭的に裁量しながら、その領域とは距離をとりながら好きな音楽や書物をゆっくりと味わい現存していくしかない。世に棲む、ということはそういうことだろうとアカショウビンは思うのである。

 現存からいつか虚存へ移る時が来る。それは幸いにも国家から命ぜられるのではなく、というのが現在を生きるアカショウビンの幸いである。その時間を有意義に、その時を寛容に慎ましく受け入れられるように準備していきたいと思うのである。

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2018年1月 5日 (金)

慌ただしい新年

 昨日、一昨年の夏に手術した病院に再手術で入院した。採血し、歯科で口内を洗浄、マウス・ピースを作り、きょうの手術に備えた。14階の四人部屋は一昨年の部屋と近いのだろう。部屋の作りは同じと思われる。食堂と表示されているが食事を出すわけではなく実際は休憩室という部屋は同じだ。そこから築地の市場が見下ろせる。一昨年退院の前日に見舞いに来てくれたN君やM君たちと歓談したことを思い出す。昨夜の病院の消灯は午後9時だったが夜中まで読書。持ち込んだ本はブルーノ・ワルターの『主題と変奏』(白水社)。二段組み460頁の大冊だが時間はたっぷりある。

 朝は5時半過ぎに目覚めた。未だ暗く休憩室から見える隅田川の河口近くの高層ビルには灯が灯っている。築地の場内は車のヘッドライトがこまめに動いている。

 手術は朝一なのだろう、9時30分から。今、手術着に着替え、待機しているところ。主治医のY医師も挨拶に来られた。詳細は生還してから。

 今年のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートの感想も書いておきたい。

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2017年12月19日 (火)

ことし嬉しき事ども

 先ずは羽生が宿敵、渡辺竜王を負かし永世七冠制覇を果たした事を挙げたい。かつて三連勝後の四連敗という屈辱を与えられた相手を破った価値は計り知れない。アカショウビンは特に羽生ファンというわけではない。しかし、この百年に一人とも言える棋士が紆余曲折を経て偉大な実績を達成する時に生きる幸いは格別。昨年から今年は新たな天才少年も現れた。
 もう一つは、囲碁の井山七冠がある棋戦で中国ナンバーワンを破り来年の決勝に勝ち進んだ事。日本では圧倒的な強さの七冠も国際棋戦では中国、韓国の若手にコロコロ負かされて歯がゆい思いが繰り返された。それが相手に勝勢を意識させた局面から勝ち切った。内容的にも見事な一戦だった。
 昨年から今年はアルバイトで疲弊、消耗する毎日だが、時に嬉しい体験もする。

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2017年12月18日 (月)

悼みと響き

  伯母の訃報を従兄との電話で知った。92歳、大往生と思いたい。しかし、アカショウビンと一つ違いの従弟を若くして亡くした経緯を従兄から聞いた話では伯母は長男の突然死の悲しみを畳を叩き泣き叫んだという。親より早く逝く不幸はかくの如し。それから次男と従姉家族との愛情で家業を守り長寿を全うされた。従妹に電話し、その様子を聞いた。アカショウビンが還暦同窓会で父の逝去以来、二十余年ぶりに帰郷したときに伯母の家を訪問した。従弟とは会えなかったが従姉と従弟の奥さんが迎えてくれた。長男の従弟と伯父の祭壇に手を合わせ暫し此の世の縁を偲んだ。我が家とは宗旨が異なるカトリックの伯父夫婦とは生前、様々な確執があった。アカショウビンの母や弟、従兄姉妹たちとの確執はアカショウビンが故郷を離れて風の噂で聞いた。学生時代から社会人になり、故郷での一族の確執からアカショウビンは逃れて都会の喧騒のなかで放蕩の如き生活を続けた。そのような生活を両親は心配したのだろう、家業をたたみ大阪に移住していた両親は深夜バスでアカショウビンのアパートを訪れたことがあった。六畳一間のアパートでアカショウビンは、その日暮らしのような、父から言わせればルンペン生活で凌いでいた。それから、しばらくしてアカショウビンは零細業界紙に職を得て世間並みのサラリーマン生活に就いた。就職いらいボーナスも出て大阪に正月を過ごしに行くときはいくらかの金を家族に渡すこともできた。業界紙という世界にも次第に慣れた。その間に訃報が少しずつ届くようになった。此の世は無常ではない。いつか終わりがくる。従弟の突然死も、まさかという時に降ってきた天変地異の如く届いた。まさに此の世は無常で無情なのである。従弟の死はカソリックの信仰を偲び、マーラーの「復活」を聴き、悼んだ。“原光”の独唱が心に沁みる。終楽章の復活の死と再生の願いがあるとするなら、伯母の霊よ、息子と伯父の元へ静かに至り給え。アカショウビンもいずれ再会することもあるかもしれない。その折は故郷での確執を超えて故郷の食事と歌と踊りで歓談しましょう。

 

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2017年12月10日 (日)

ボケの効用

  ボケと言っても老人ボケのことではない。関西弁でいう「このボケが!」と罵倒するときの怒りの発語である。日々のアルバイト労働で、この怒りを発したくなることがしばしばだ。それは日々の新聞記事、電車で目にするスマホで漫画やゲームに夢中になっているバカ中年男やアホニイチャン、アホネェチャンにも。また週刊誌の見出しでも同じである。

  朝の通勤のバスの車中、電車のなかも同様。そのなかで、アルバイト作業の時の管理者や同僚たちの視線はアカショウビンのような老いぼれたちを見る冷ややかさに自らの現実を他人の眼を介し痛感するときである。それはそれ、その視線に対抗し自らを奮い立てる効用もある。その気概を喪失したら生き物として死の境界に遭遇する時であろう。その危機感を抱きながら日々を生きるのがアカショウビンの日常である。

  日々の活力を充填するにはモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、ワーグナーの音楽が欠かせない。ここのところはモーツァルトのピアノ協奏曲、オペラを熟聴している。それは汲めども尽きぬ豊饒な世界で遊ぶ楽しみとも言える。宇野功芳さんが生涯を通して楽しんだのも恐らくそれど同じとアカショウビンは思う。モーツァルトのピアノ協奏曲を初期のものから改めてペライアや内田光子、シフの演奏で聴く楽しみは格別である。

  それにレンタルショップで借りて観る秀作映画は日々の日常に喝を入れる。先日はアレクサンドル・ソクーロフ監督の『太陽』を久しぶりに観て面白かった。先に観たМ・スコセッシ監督の『沈黙』でイッセー尾形が演じた井上筑後守を観て、また遠藤周作の『沈黙』読み直して、この役者が昭和天皇を演じたのを確認したかったのである。そこにはロシアの映画監督が辿り描く日本の戦前・戦中が昭和天皇を監督の視線で描かれる。それは現実の私たちが生きる日常を律する背景にも思索を促す。『目撃』(クリント・イーストウッド監督)、『ノーカントリー』(コーエン兄弟監督)も、ふやけた日常に改めて眼を瞠る効果を看取した。前者は大統領の不正を糺す泥棒の話である。後者は恐るべき殺人鬼の話。それは映画の物語だけの話ではない。それは恐らく、私たちが生息している現実にも起きている事件の一端を捉えている。優れた映画作品は静かにその事実を伝えるからだ。

   憂国忌も過ぎ、開戦の日も過ぎて我が日常に喝を入れるのは上記に加え読みさしの書物である。アーレントのやハイデッガーの晩年のゼミナール、講義録は読むたびにアカショウビンの思索にこれまた喝を入れる。その感想も随時記しておかねばない。それは現実の世界を歴史的、実存論的に 俯瞰する思索だからだ。

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2017年12月 6日 (水)

稀有の偉業

  羽生善治棋聖がついに永世七冠という偉業を成し遂げた。それは将棋界という〝業界〟を超えて刮目すべき偉業といえる。〝永世〟という称号はタイトルを連続五期、通算五期~十期確保した棋士にしか与えられない称号である。それを一つでも達成するのは至難というより稀有の事である。それを七つのタイトルすべてで達成することが如何に至難なことか。将棋界という、世間からすれば異様な世界のなかで或る業績が実現された事は正しくアカショウビンにとって冥土への土産話である。

  映画『聖の青春』(2016年 森  義隆監督)のなかで村山聖が羽生との一勝は他の棋士との20勝に相当する、とライバル棋士に本音を吐くシーンがある。まさに羽生という棋士はそのような存在なのである。村山は、羽生を負かしたタイトル戦の後に羽生を誘った飲み屋の席で、羽生さんは他の棋士たちとは違う世界を見ている、と語りかける。それこそが、羽生という、将棋指しの棋士という肩書を付けられているが、正に稀有の存在の、村山という天才が命を賭けて倒すに足る存在と見做した存在と〝世界〟なのである。

  先日からモーツァルトのピアノ協奏曲を聴き続けている。初期の作品は真作が疑われる作品も有る。しかし、そこには天才とも神童とも評された人物の作品が息づいている。それは残された楽譜を通じて後世の人々に伝えられる。それは稀有の狭路とでも言う通路であろう。羽生の偉業が稀有であると同じようにモーツァルトの音楽も稀有のものである。それを私たちはピンからキリのピアニストたちの演奏を介して聴く。

  羽生は村山に勝負の読みの世界に没入していくとき、時に恐ろしくなることがある、と言う。恐らくそこは底知れぬ深淵というしかない世界だろう。そこへ羽生は村山となら行ってみたい、と語りかける。あの映画の中でアカショウビンがもっとも刺激されたのは、そのシーンだ。あのシーンを描けただけで作品の価値は、将棋で言えば一歩値千金、の重みを有する。

  天才は幾人かいるだろう。しかし、その才能が他の人間たちに伝わるのは稀有のことと思える。モーツァルトも羽生もそのような存在として歴史に名を残すとアカショウビンは確信する。

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2017年12月 2日 (土)

生きるための音楽

 先年亡くなった宇野功芳さんの放談本とでもいう本を拾い読みしていたらモーツァルトのピアノ協奏曲の多くをあまり評価していないのに少し驚いた。その本はモーツァルトの賛嘆本だったから、それを前提したうえでの語りであることは宇野氏の評価で西洋クラシック音楽にはまりこんだ者には聞き捨てできない話なのである。そう言われればモーツァルトのピアノ協奏曲の全曲をちゃんと聴いたことがないことに気付いた。そこで新たに全集を買い求めた。宇野さんが高く評価しているペライアとイギリス室内管のもの。これを熟聴し感想を書いていくことにしよう。

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2017年11月28日 (火)

Sさんへの届かぬ手紙

   Sさん、あなたが突然あの世へ逝ったのは一昨年の6月末でした。私はその時、胃がんの手術前の検査入院で北関東のK市立病院に入院した当日でした。知人から電話で連絡が入ったときに私は自殺かと思いました。理由はともかく何故かそう思ったのです。酔うと話の脈絡がなくなり突然怒りだすこともしょっちゅうでした。なぜあなたのことを思い出したか思い出せないのですが、あなたが突然この世からいなくなったことはお互い心残りであるのは確かです。あなたと最期まで付き合えたのはあなたと私が同じ街で短い少年時代を過ごしたことがもっとも大きな理由でした。私が小学生のころ、あなたは小学校途中でその街を去り鹿児島へ移住されていたのでしょう。私たちはお互いあの南島の小さな街で多感な少年時代を過ごしました。そういう過去をもつ者が何十年か後に首都の中心部で仕事の繋がりで出会う。これも此の世の不可思議な縁というものでしょう。あなたが学んだ小学校は街の中心部で私は海辺の近い街はずれ。小さな街でもそれは全く異なった時空間でした。あなたのお父さんは新聞記者から市長もされたという街の名士。私の父は小さな印刷屋の経営者。生活環境は大きく異なっていたことでしょう。そういえば、私が還暦同窓会で何十年ぶりかの帰省をすると話したら是非〝立神〟と〝山羊島〟の写真を撮ってきてほしい、とのことでした。しかし、それを失念し私は同級生たちとの交流に夢中で、約束を果たせなかったことが悔やまれます。

   あなたと飲んで酔った勢いでいつも喧嘩になったのは思想的な党派性でした。あなたは「俺は右翼だよ」が口癖でした。私は「そんなバカ右翼では本当の右翼が呆れる。そこは徹底して反論する」と私は対抗しました。そこであなたは間を空け、私は席を蹴り、立ち去ったことも屡々でしたね。憂国忌もすぎました。あなたと三島の話はそれほど突っ込んで話したことはありませんでした。しかし昨今の政治状況、思想状況はあなた以上に憤るしかないものです。Sさん、あの世の棲み心地は如何ですか?あなたなら死んで極楽へは行ってないでしょう、煉獄か地獄かどちらかです。私も同じだと思います。私の娑婆でのときも長くはありません。いずれそちらに行くときは再会することがあるかもしれません。その時は懐かしい故郷の話で盛り上がりましょう。島の焼酎を飲み空かし、島唄を謡い、朝まで踊り明かしましょう。

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2017年11月 5日 (日)

しのぎと雑感

  「しのぎ」という日本語は外国語にどう訳されるか知らない。しかし日本人でも決して一般的に流通している言葉でもないだろう。囲碁では勝負を決するギリギリの勝負手ということである。それは日常生活で生きるか死ぬかの瀬戸際の行為とでも言える。アカショウの現状をよく表す言葉だ。きのうもアルバイト先でそれを経験した。中高年者の動きは鈍い。それを管理する連中や同じアルバイトでも古株の連中は見逃さず荒っぽく詰る。そのような現場の事はこのブログでも日常生活の雑感として書いている、日々のロードウで経験することだ。

  また今朝は朝刊を読み現今の世相とも共振する。座間の事件、米国大統領の来日などで政治的状況にもあれこれの感想が湧き起こる。それらに促されながら貴重な休日に雑感として書くのである。

  先日から通勤時に日々の活力を得るために読んでいるハンナ・アーレントの本や遠藤周作の『沈黙』ともそれは共振する。ハンナは1951年に『全体主義の起源』を刊行したあとにマルクスの研究に取り組んだ。彼女はマルクスの解説書を書くのではなく、マルクスの西洋と世界的な位置づけをマルクスがどのような契機で書き始めたのかというところに集中する。そこがアカショウビンのような素人にも面白い。そこには当然の如くハイデッガーの思想・哲学が反映している。師であり恋人でもあった人の論考と思想の根幹とでもいう思索が読めるのは貴重で啓発される。難解で意味不明なところも多い。それはアカショウビンの無知と不勉強のせいである。しかしこの草稿でハンナが格闘している思考、考察はスリリングである。それはマルクス読者にもわかる筈だ。私たちが生きている現在の〝世界〟を理解するうえでもそれは不可欠な論考と言える。たとえば「労働」と「仕事」という〝概念〟を知るうえでも。しのぎの日常を生きているアカショウビンともそれは共振する。この一年以上のアルバイ生活で体験する日常はまさしく「労働」と「仕事」の区別を思索しながら生きることだからだ。

  朝の「音楽の泉」ではグレゴリオ聖歌が流れている。それは『沈黙』で書かれる殉教者たちが歌うオラショ(聖歌の合唱)である。続くフォーレのレクイエムも同じ死者を悼む合唱と管弦楽だ。アカショウビンはこの甘い響きが嫌いだった。モーツァルトやヴェルディのほうがはるかに好きだった。しかし、耳を傾ければフォーレの作品も彼らの作品と底で通じている悼みの心に溢れた音楽だ。なぜなら、それは人という生き物の声と優れた音楽に共通する響きだからだ。癌を抱え残り少ない時を生きるアカショウビンにそれは痛切に聴きとられる。キリスト教文明のなかで表現される人間の悼みの心情は東洋の民にも通じていることは殉教者たちが深く共感したオラショがそれを伝えると思われる。彼岸という仏教用語にはその一端が込められているだろう。人という生き物は言葉や音楽でその生を伝え合おうとする生き物だ。それは西洋古典音楽でも民族音楽でも同じだ。

  ハンナ・アーレントの論考にもそれは読み取られる。彼女が説く古代ギリシアの世界で残されている西洋語にもそれは伝えられている。そこに思索が鋭く展開されているわけだ。それを底まで読み取るのは異国、異文明・文化のなかで生きている私たち日本人にも促される言葉を介した思索だ。

  フォーレのレクイエムはサントゥスを奏でている。それはキリスト教信者たちが彼岸に達しようとする声である。アカショウビンはそこに若いころ強烈な違和感を看取した。そのような〝甘い〟響きに対立した。若さゆえの未熟ともいえる。宗教信条の違いともいえる。それはまた、かくも異文化への理解は難しく人の努力を必要とすることともいえる。

  先日観たマーティン・スコセッシ監督の『沈黙』にもそれは映像として表現されている。それを〝理解〟するには多少の努力を要するのだ。フォーレの作品は晩年のものではなく33歳のときに父親の死を悼み作品化されたものである。その痛切な心情は異教徒にも伝わる。それが政治的状況では困難を極める。

  それはまた座間の殺人事件でも。巷では事件に対する評語としても横行しているだろう。アカショウビンも先日のアルバイト先で一緒になった同世代の女性から聞いた。それは直接的な感想である。それには同調するけれども、もちろん違う感想がある。しかしそれは話が長くなる。相槌をうっただけで済ませた。ここでその感想を集約すれば、あの事件は日本という国・社会で生じた〝病い〟とでもいう現象とアカショウビンは解する。かつての敵国の、あまり知性があるとも思えぬ人物が来日し時の、これまたどれほどの知性があるのか理解できない言動の首相と会う状況のなかで私たちは日々の生を紡いでいる。

  フォーレの作品は終曲にむかう。それは悲哀に満ちた合唱と管弦の音である。宰相たちにもその響きは達するだろうか?しかし彼らは政治的駆け引きのなかで演技する。その現実は歴史のなかで繰り返される茶番である。しかし思索を深めればハンナ・アーレントが展開する論考に残されている洋の東西を超えた難問への回答が滅亡する前に人間たちの思索を促す。

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