2015年6月 8日 (月)

 保田與重郎と棟方志功

 昨日の、毎日新聞の書評欄に長部日出雄氏の「棟方志功の原風景」という著書の批評が載っている。書評氏は最後に志功と保田与重郎は近しかった、と書いている。アカショウビンは若いころ友人と東北を旅した時に青森の禅寺で志功の作品と正面した。『釈迦十大弟子』である。そして書評氏は、保田がドン・キホーテなら志功はサンチョ・パンサだが、本来的な意味でのポストモダンすなわち「近代の超克」を成し遂げたのはサンチョ・パンサのほうだったのではないか、と書いている。なるほど、そうかもしれない。保田は志功との出会いを新学社文庫22巻の『作家論集』で書いている。久しぶりに保田を読むことにする。

 保田が昭和30年に「日本談義」に「棟方志功のこと」として書いた文章は文庫の207頁から210頁までの他の作家論に比べれば実に短く、そのぶん事の本質を見抜いた日本論と日本人論になっている。多くの人に一読を薦めたい。そこで保田は「何故『日本的なもの』が世界性をもち、『頑固な日本主義者』に世界のムナカタとなる可能性があるあらうか」と問うている。

 そして次のように続ける。

 美術の世界では、模倣と創造の区別は極めて明白だ。日本的なものがよいとか、日本的なものでなければ駄目だといつた議論だけでは通らない。日本的であるまへに、日本そのもをぢかに現わしたものでなければ、誰も納得しない。造型はそれほど明白である。造型の美の明白さは真理の明白さに通じている。(208頁)

 更に「我々は棟方の藝業をみて、死語だつたものが、生きて血色をふき出すさまを味つたのである。(209頁12行~13行)と書いた。優れた芸術作品と出会うということは正しくそういう経験である。昭和30年とい戦後10年後に書かれたこの一文は繰り返し毎読すべき内容を有していることを再確認した。

 それにしても戦後70年、インテリたちもマスコミも珠に読むべき内容をもつ論文や論考に出会うことも多い。まぁ、こちらの関心事の領域に限定されているのだろうが、そういった文章や言説に遭遇すれば、こちらのふやけた心身にも好い刺激となることは間違いない。

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2013年10月11日 (金)

新聞から

 10月3日の読売新聞は水俣の特集を組んでいる。特別面という体裁で18面から19面までの2面構成だ。19面の見出しは「水俣の悲劇 教訓に」。胎児感染をした坂本しのぶさんのコメントとお母さんのコメントを掲載している。そのコメントの重さを政治家と為政者はどれほどの覚悟で聞き読むか知らない。安倍首相の「克服」に患者側から強い批判があったことは当然だ。安倍(以下、敬称は略させて頂く)は水俣病をどれほど勉強し患者達の声と叫びを聴き取っているのか?石牟礼道子の「苦海浄土」という作品をどれほど熟読、精読しているのか?もし日本の歴史の一事件が世界的な問題を孕んでいるという意識で発言するなら「克服」などという官僚の作文で世界にメッセージを伝える筈はない。

 渡辺京二や石牟礼道子が地元から血を吐く思いで書き残し、書き続けている言説、論説を踏まえて発言するならあんな稚拙な官僚の作文を読むだけのメッセージになる筈がない。水俣の人々や作家、写真家、映像作家、思想家たち、自らの問題として引き受けた者たちからすれば、それぞれの位相で発言の内実というものがある。安倍の集団的自衛権と憲法改正への意欲は二代目、三代目の政治屋の言説、論説では済まない位相の問題である。その事に自覚的か、能天気かという判断は明確に立て分けなければならぬ位相の問題であることは自覚したほうがよい。

 水俣病という公害は我が国では田中正造が明治時代に告発した歴史と密接に関連している。それは米国でレイチェル・カーソンが「沈黙の春」という著作で農薬公害を告発した時から米国と日本の中で通底している主題なのだ。公害という言葉は「公益を害する」という言葉から命名されている。田中正造が生涯を賭けて戦った「足尾銅山鉱毒事件」は正しく事件なのである。田中から言わせれば、それは「国家犯罪」である。田中は人生を賭けて故郷の国家犯罪を告発したのだ。その経緯は既に「田中正造の生涯」(林 竹二著 1976年7月20日 講談社現代新書)の中で林が詳細に説いている。林の著作と「谷中村滅亡史」(荒畑寒村著 1999年5月17日 岩波書店)を読めば足尾銅山鉱毒事件の経緯は水俣病という惨事として繰り返されていることは明白だ。

 深夜のNHKテレビではオリバー・ストーン監督のシリーズ番組の第3回を再放送している。トルーマンとヘンリー・A・ウォレスの確執を描いた回だ。これは以前に観た。それはオリバー監督の冷静な言説と母国の歴史にメスを入れたものだ。そういう作品は日本でも作られている。小津安二郎や黒沢 明、木下恵介、新藤兼人らの巨匠、名手の作品を見ればわかる話だ。しかしドキュメンタリーとして映画作家が先の大戦と向き合った佳作は小林正樹監督の「東京裁判」だ。これは一兵士として戦争に参加した映画人の作品として、また日本人として刮目して視なければならない作品と言える。それはさておく。しかし、日本人が敗戦として経験した先の大戦は現在の政治、経済、文化の問題まで含んで現在を生きる日本国民には重大な歴史として継承されている。それは左右両翼の激論、暴論、妄論を聴き読めば各国民に突き付けられる喫緊の問題であることは言うまでもない。

 水俣の問題に戻ろう。読売新聞の特集で、「同じ思いしてほしゅうなか」の見出しで坂本しのぶさんのお母さんが語る話を安倍首相も与党の大臣も与野党の政治屋も政治家も心底で聴き取らなければならないだろう。そこから役職とか社会的立場ではなく一人の人間として声を発さなければならない。明治の国策として生じた足尾銅山鉱毒事件、米国の農薬公害、日本の戦後に起きた水俣病事件は明らかな関連がある。それは原発にしてもそうである。東電の事件は人災以外の何物でもない。それは科学者や福島で震災の被害に遭われた人々の声と告発を詳細に聴き読めば現代という時代に科学技術が発展、展開して、どういう結果を齎しているのかという本質的な問題に至る。それを究明しなければ瑣末な表層的な問題として同じ過ちを繰り返すだけだろう。

 米国が日本に2発の原爆で大きな犠牲を最小限に留めたというトルーマンの言説は欺瞞以外の何物でもない。それは日本国民として日本人が世界に発信しなければならない究極のメッセージである筈だ。そのような人類にとって根幹的な問題を米国世論に気を使う必要などありはしない話だ。その事に我々日本人は自覚的でなければならない。それは米国のポチと成り下がって失言を繰返す為政者の問題でない。アカショウビンは一人の日本国民として昨今の政治状況や経済状況、日本の文化の問題として実に危うい意識を持つ。

 本日は日本画家の竹内栖鳳の作品展を東京国立近代美術館で観てきた。それは雪舟、応挙、若冲、北斎、広重、鉄斎に続く大観と並ぶ、日本画の到達点の如きものである。泰西名画と拮抗する日本美術の粋の一つと諒解する。保田與重郎の日本美術論とも絡めて論じなければならない主題だが、いずれ展開させよう。

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2013年9月14日 (土)

上野の西洋美術館へ

 連休初日の土曜で人出が気になったが上野の国立西洋美術館まで出向いた。何でも第2・第4土曜日は常設展が無料で見られるという情報をキャッチしたので。 

 1階と2階は「ル・コルビュジエ」展が広く展示されていて16世紀から近世までの常設作品はいつもと違う場所。だが逆にこれも新鮮。入場者の多くの関心はル・コルビュジエなのだろう。そのためか常設作品は来場者も少なくゆっくり見られたのは幸いだった。

 本日の収穫は、ティツィアーノの「洗礼者聖ヨハネの首をもつサロメ」(2011年購入)が新収蔵作品として展示されていたのを見られたことだ。午後5時30分の閉館ちかくで慌ただしく見て回っていた時だったからだが注視した。なんとも、ふくよかなサロメだ。ヨハネのどす黒い生首と侍女と思われる女の妖艶な表情。サロメの白い明るい肌の対比があざといほどに見事だ。サロメのイメージは、鋭角で華奢な風貌という先入観があったからだ。それはさらに作品と正面し、こちらの全身で応じなければ寝ぼけた精神には響かない。いくらか時間がとれたのは幸い。次回が楽しみだ。

 ピーテル・ブリューゲルの「鳥罠のある冬景色」がじっくり見られた。隣にはヤン・ブリューゲルの「アブラハムとイサクとのいる森林風景」。イタリアからパリに戻っての作品という。これも絶品。2階にはカルロ・ドルチ(1616~1687)の「悲しみの聖母」(1655年頃)とも久しぶりに対面。神品のオーラを湛えた作品と感嘆するしかない。ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593~1652前半)の「聖トマス」(17世紀前半)も久しぶりに堪能した。

 彫刻ではブールデルの「弓を引くヘラクレス」(1909年・松方コレクション)の習作がある。それに「首のあるアポロンの頭部」(1900)、アカショウビンはブールデル大好きなのである。ロダンよりも。他に「横たわるセレネ」(1917)。こちらも素晴らしい。「ヴェールの踊り」(1910)も。サロメのイメージはこちらのほうが何となくしっくりくるのだ。ティツィアーノは、それはそれで見事だけれども。それにマイヨール(1861~1944)の「夜」(1902~1909)が展示されていたのも幸い。1987年に購入された由。外の景色も眺められる空間は心地良し。3時間では半分も見られない。次回は午前中から腰を据えたい。それにしても久しぶりに心安らぐ時空間に浸れた。「ル・コルビュジエ」展までは時間が足りず。連休初日のせいなのか人出はそれほどでもなかったのは幸いだった。

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2012年4月25日 (水)

竹中 労と美空ひばり

 戦後生まれのアカショウビンが中高年の歳になり余命がいくらあるか知らない。しかし、その間を生きた時空間は「戦争を知らない子供たち」という歌の文句を借りれば今の若者たちと同じだ。しかし両親の話や物心ついて読み見聞きした時代は大戦の後の「戦後」という時空間である。去る者日々に疎し、という世の習いから言えば戦後は終わり既に戦前へと向かう時空間の中にあると賢しく言うこともできよう。そんなこんなを愚想するのも「完本 美空ひばり」(竹中 労 ちくま文庫 2005年)を読んでいてである。竹中によれば美空ひばりという歌い手は「民衆」から生まれ出た不世出の歌姫である。戦後の歌謡曲史、芸能史の中で毀誉褒貶はあれど、日本人の基層にある情念を歌えた傑出した歌手である、というのが竹中の主張である。それには本書を読みながら同意する。アカショウビンとて美空ひばりという歌手が周囲のなかでどのようにみなされていたかを実感として承知しているからだ。竹中 労という〝性風俗ライター〟から〝芸能評論家(芸能評判家(?)〟(「あとがき・朝日文庫版」 同書p320~321 )に変貌する出世作が同著である。それは戦後史に対する竹中の心のたけを、美空ひばりという戦後の日本が生みだした唯一の〝国民歌手〟を介して、あるいはダシにしてと言ってもよいだろうが、戦後史への違和を集約した著作である。そこが刺激的で挑発的なのだ。竹中の戦後体制への怒りと情念は、ひばりという竹中が日本人の情念を歌にできた、敗戦後の時空間の中から生まれた、という意味での不世出の歌い手、を追跡するなかで一つの著作として啓発的だ。

 竹中の声がもっともよく聞きとられる箇所を引いておく。

 戦中―戦後の「歌暦」を、私はアトランダムに年譜にとらわれず書きつづってみた。いわば、この雑駁な「巷談」は、日本の民衆史の空白な部分を補うための埋めぐさである。民衆の歴史は、もっぱら、被虐の系譜で描かれてきた。戦後、私たちはいやというほど、民衆の悲惨を描いたドラマを見せつけられた。そこで名もなくまずしい庶民大衆は、つねにしいたげられ迫害される存在であった。裏がえしていえば、民衆は無力で意識のひくい、デクノボーの群体としてとらえられていた。私たちは、ほんとうの意味での民衆芸術を、戦後長い期間にわたって持ち得なかった。たとえば、戦後文学の代表作はときかれたとき、即座に一篇の詩を、戯曲を、小説を挙げて答えられるだろうか?太宰治の一連の退廃小説以外に、「戦後」と真摯に対決した文学を持たぬことは、私たちの不幸ではないのか?(同書p260)

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2009年10月17日 (土)

京の秋

 以下は先日、ミクシイに書いた日記を少し加筆、修整した。

 先日、仕事がない日に京都へでかけた。この日記にご懇切なコメントを戴いている美術家の若生さんご推薦の河井寛次郎記念館を訪れるため。まだ関東に棲んでいたころ、たまたまNHKのラジオ深夜便を聞いていたらご遺族の方が氏の逸話を語っておられた。実に気骨のある磊落な人柄の未知の陶工に興味が湧いた。埼玉から大阪に引っ越す前に、若生さんから京都には寛次郎の記念館があるので、あちらへ行かれたらぜひ訪れるとよい、とご推奨のコメントを戴いていたのである。文庫本で「火の誓い」(講談社文芸文庫 1996年)、「蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ」(同文庫)の二冊も買い求めた。

 その日は大型台風18号の台風一過。ぬけるような青空というわけでもなかったが、京のまったりと深まる秋を味わった。鴨川の河川敷では軒を連ねる料亭が夏の涼みの施設を解体していて季節の移り変わりも実感した。各駅停車の電車から途中で快速急行に乗り換え、阪急京都線の「河原町」で下車。歩いて幾らもない京阪電車の「祇園四条」に乗り継ぎ、一つ目の「清水五条」で降りる。ぶらぶら歩いて10分くらいで記念館に到着する。実は先日、近くの会社で面接があり、ついでに訪れたのである。ところが月曜で休館。その会社は結局不採用だった(笑)。担当者との面接では少し脈があるかな、と思ったのが甘かった。

 それはともかく、その日は無事に午後3時前に入館できた。受付の女性の京言葉が何とも雅で耳に心地よい。館内は2階建ての純和風の間取りで休憩所もあり寛げる。花瓶など調度品は厳選されている風情で来館者への心配りがありがたい。ドイツ人のご夫婦も訪れていたが来場者は少なく、ゆっくり見て回れた。寛次郎の多くの作品を生み出した「登り窯」も拝見できた。季節によって入れ替えられているという展示品も思わず立ち止まされること暫し。1階の開け放たれた扉と大きな窓からは中庭が見渡せる。そこにさわやかな秋の風。何とも、まったりとした時間だ。実に貴重な時をすごせた。もっとゆっくりしたかったが近いうちに再訪する機会もあるだろう。帰りは鴨川の河川敷を阪急「河原町」駅まで鴨や白鷺の姿を眺めながらゆっくり歩いた。実に雅な古都の秋の午後だった。

 記念館は住宅街の一角にひっそりと残されている。「火の誓い」の巻末には寛次郎が自宅(記念館)に住まわせ共に作品を制作した英国人の陶芸家ドナルド・リーチや韓国人の孫 昌さんらの逸話を愛嬢の河井須也子さんが「人と作品 点描記」という題で紹介している。実に心温まる文章である。

 河井寛次郎は明治23年、島根県の安来町(現・安来市)生まれ。東京高等工業学校(現・東京工大)で学び、京都市立陶磁器試験所に入所、研究制作に励んだ。
 31歳の時に東京高島屋で開かれた第1回創作陶磁展覧会に出品。「陶界の一角に突如慧星が出現した」と絶賛される。その後、柳 宗悦、浜田庄司らと民芸運動に参画。46歳の時には東京駒場に「日本民芸館」の開館にも尽力した。67歳でミラノ・トリエンナーレ展でグランプリを受賞。世界的な作家として名を轟かした。晩年は雑誌「民芸」に「六十年前の今」を59回に亘り連載執筆。昭和41年、76歳で没した。

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2009年7月25日 (土)

この百年

 毎日新聞に掲載されている存命なら今年で百歳になる作家の特集記事が面白い。これまでに登場したのは大岡昇平、中島 敦、太宰 治、シモーヌ・ヴェイユ。先週は花田清輝だった。アカショウビンは「復興期の精神」や吉本隆明氏(以下、敬称は略させて頂く)との論争で記憶している人だが、そのユニークな言説で西洋ルネサンス時代まで照射する才覚は見事に思えた。ルネサンスへの言及は林 達夫の論考と共に面白く読んだ。評者の川本三郎が指摘しているように映画評論も面白く、ゴダールやアンジェイ・ワイダの「灰とダイヤモンド」(1958年)評が花田らしい。黒澤 明の「椿 三十郎」(1962年)で主役の三船敏郎より脇役の奥方、入江たか子や団 令子に注目するのも共感する。

 花田の持ち味は「道化の精神」というものである。吉本の「直球」より花田の「変化球」の柔軟性は今改めて読み直す価値があると思うのである。1909年(明治42年)から百年という歴史的時間は大正・昭和・平成と先の大戦を経て日本国にとって大きな「転形期」(@花田清輝)となった時代である。この時代にレトリックを駆使し真面目をからかう精神は大切である。

 昨日の毎日の夕刊で研究のため西アフリカで9年間を過ごした川田順造へのインタビューも面白い。1960年にフランスから独立したブルキャナファソという国はモシ王国として栄えた。モシの民は文字を持っていない。表現やコミュニケーションが優れているから文字を必要としない、と川田は言う。彼らには「今生きている私は、祖先や、これから生まれてくる者たちも含めた人間の一部だ」という感覚がある、とも。私個人で完結せず、「私たち」で共生する。

  個人の優位を主張する近代人は、この感覚を失ったのではないか。ニーチェの言う「生」の感覚。ハイデガーの説く「有」(存在)から「立ち去られた」ギリシア以降の西洋の運命という告発が、そこに反響している。百年の変化は更に200年、300年と遡り、人類の歴史の中で文字を持たなかった頃まで「起源」として考察し、我々が生存している現在を反照し思考しなければならない。

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2009年3月 7日 (土)

阿波徳島の門付芸と部落の文化

昨日、このブログにも懇切なコメントを頂いている若生さんのご紹介で、「部落の文化・伝統芸能の夕べ 門付芸、舞の宇宙-祝福と予祝~小沢昭一と門付芸人を迎えて」という都内の明治大学会場で行われた公演と講演(対談)を見聞してきた。徳島県で伝承されている門付芸の実演は初めて見た。放浪芸や大道芸にも詳しい小沢昭一氏が来訪されるというので映画俳優としての氏の大ファンであるアカショウビンは悪天候ではあったが大いに楽しみにして駆けつけた。

 実に面白い実演と講演(対談)であった。第一部の実演では門付芸を受け継がれる中内正子さんと南 公代さんが「えべっさん」「大黒さん」「三番叟」を披露された。1960年以降は、ほぼ姿を消した阿波木偶(地元ではデクではなくデコと読むようだ)「箱廻し」の芸が実に面白かった。地元では4体の人形を収納した10kg以上もある箱を天秤棒で担ぎ女性二人が家々を訪問するのである。年明けの門付は徳島市内から吉野川流域の山間部まで、2カ月で700軒を超えるという。多い日は一日60軒。7年前に伝統芸を先代から受け継いだ中内さんと南さんは、最初の頃は関心のない家庭から追い返されることもあったそうだ。一度は消滅しかけた伝統芸能の復活は昨今での関心の広がりはともかく生易しいことではなかったであろう。NHKテレビでも紹介され反響のあった映像を挟みながら第一部の公演は行われた。それはコーディネーターの川元祥一氏によると被差別部落の歴史と密接に絡んでいる。第二部では小沢昭一氏と川元祥一氏がご両人の研究成果を通じて経緯を語った。

 川元氏は大学で部落学を講じておられるという。「部落学」という新たな学を唱えられる氏の論考もネットで読める。それは日本史の裏面史でもある。新鮮な論説であった。例えばケガレという語がある。映画「おくりびと」の中で主人公の妻が夫の仕事が納棺夫ということを知り、それを「けがらわしい!」と詰るシーンがある。それは昨今の表記では「汚らわしい」であろうが、死体に触れることを忌避する習俗からすれば「穢らわしい」という漢字をあてることもできるだろう。それは「納棺夫日記」の著者、青木新門氏が傾倒された親鸞の時代の言葉で言えば「欣求浄土厭離穢土」の穢であろうし、穢多・非人の穢であろう。ところが川元氏の説明によると「ケガレ」の正しい漢字は「気枯れ」であるらしい。気が枯れる状態という指摘は新鮮だ。気とは生気とも読める。穢れとはそういう状態ということになる。

 部落民の生業は獣を殺し、その皮革を商品化し購うなど一般大衆が忌み嫌う仕事である。牛や豚の屠殺の仕事なくして一般民衆の食生活は成り立たない。しかし、そういった仕事を国家や国民は被差別者にあてがい表の歴史から隠蔽してきた。それは貴族(宮廷)文化や政治史など文字で記述された日本史からは隠れた歴史であるというのが川元氏の主張である。しかし、それは社会の中で蔑視されながらも機能していたというのは事実であろう。川元氏は20年前に新潟県村上の部落で江戸時代初期から伝わる大黒舞を取材した。8年前に久しぶりに再訪すると舞を踊れる人々が激減したという。83歳になる女性に演じてもらう約束を取り付けた。ところが前日になって「踊れない」と言われた。理由は「それを踊ったら村に置かないって言われた」と言う。それは現在でも苛酷な差別があるという証である。被差別者の疎外感と憤り、怒りが充満していることを川元氏や小沢氏は研究の過程で体験されている。

  対談で小沢さんのお耳が遠くなっているのがわかるのだが、それを笑いにかえるのは芸人根性というものである。お二人のお話はもっと聴きたかったが短い時間では、ほんのサワリ程度だったのが残念だった。しかし、そういう放浪芸や大道芸を生業とした芸人の多くが被差別者として国家や国民から蔑視されながら生き永らえてきた事実を知ることは実に鮮やかな歴史の裏面というか隠蔽された民衆史というものと出会う経験であった。そこからは人間という生き物の孤独と孤絶という在り方にも思い当たる。ハイデガーの独特な概念である「現存在(現有)」として論じられる人間という生き物は有という世界の中で孤独を堪える生き物なのだ、という洞察とも通底しているようにも思われる。差別され生き死んでいった人々や先の大戦で国家のためと死んでいった人々、病で死を宣告された人々、国家から死刑を宣告され死を覚悟している人々、親から見捨てられたストリート・チルドレン、それらの人々の孤独・孤絶は他人事ではない。アレコレと考えさせられた企画だった。

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2006年9月12日 (火)

祖先崇拝

 アカショウビンはコラムニスト(とお呼びしてよいのだろうかと迷うが、どこかでそのような肩書きを読んだ記憶もあるので、とりあえずこう書かせていただく)中野 翠さんのファンである。サンデー毎日の「満月雑記帳」は辺見 庸氏も連載を書かれておられた頃に併せて読むのを楽しみにしていた。辺見氏の連載が終わった後は保阪正康氏が引き継ぐ形になっている。これも面白く読んでいる。

 今週号を読み興味深かったのは先ず中野さんのコラム。秋篠宮妃の出産の話題に始まり、夏に読まれた、きだみのるの「気違い部落周游紀行」のエピソードを紹介している。きだみのること社会学者の山田吉彦が疎開先の奥多摩村の人々の生活を観察・分析したのが同書である。

 村人は一本の桜が自慢。その傍には芭蕉の句碑がある。村人の自慢は芭蕉がそこを通って、桜を句に織り込んだというのが自慢のポイントというわけである。しかし目の前にある桜は若木。山田が「だが芭蕉とこの桜じゃ年代が合わないようだな」と言うと、村人曰く「はぁ、実生の五代目でさぁ」。そこで山田は次のように書く。

 「これは祖先崇拝の国でしか見られない物の考えであろう。この桜は世襲制華族を当然とする精神的雰囲気に支持されて、学問的に且つ素質的に何の違いもない同類を見下しているわけである」。

 この指摘の是非はともかく、中野さんが曲者なのは天皇家の話題でもちきりの世相を見ながら、さりげなくきだみのるを持ち出し、「案外私も無意識のうちにこういう『祖先崇拝の国でしか見られない物の考え方』を受け入れているところがあるんじゃないか、ほんとうに無意識のうちにね。」とさらりと書くところである。

 敗戦から2年後に出版されたこの「名著」が「戦後民主主義」の時代思潮のなかで評価されたことは、もう少し深く読み直す必要があるようにも思う。きだみのること山田吉彦氏は今では同書の著者というより林 達夫と共訳した「ファーブル昆虫記」の訳者として知られているにすぎないのではないか。 

 アカショウビンが中野さんの文章を面白く読む理由のひとつは相当な映画フリークというところである。ご推薦の作品を観て外れたことが少ないのはなかなかの見巧者だと一目置いている。

 コラムはその後で深沢七郎を持ち出し、杉浦日向子で締め括っている。そのあたりが中野 翠という人の精神の基盤を彷彿させて興味深いが、それはまた別の機会に追求してみよう。

 保阪氏のコラムについては後日。

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2006年8月 2日 (水)

追悼と将棋名人戦

 7月31日、吉村 昭氏と鶴見和子氏が相次いで亡くなられた。お二人の著作を楽しみながら学んだ者として心から哀悼の意を表したい。

  昨日から新潟へ一泊出張。赤塚から新発田までレンタカーで駆けずり回った。きょうは仕事先の担当者さんが、「きょうから長岡の花火大会が始まるよ。もう一泊して帰ったら」と親切なアドバイスも。しかし哀しきものは俸給生活者。そういうわけにもいかずビールを買い込み新幹線に飛び乗った。

 ところが神か仏は何を思われたか粋な計らいを。電車が長岡に滑りこもうとするころ、何と宵闇に光の玉が面白くも美しく空を彩っているではないか。その偶然を天の采配と承り何十年ぶりかで句を詠んだ。

  おもしろく光玉散る宵の空

  花火は地上から人魂のようにひょろひょろと上昇する。

  人魂が光となりぬ遅き夏  

   空には月も見える。

   上弦の月はかかりて魂も見る

 一昨日、将棋名人戦が棋士総会で毎日新聞から朝日新聞に移行することになった。その結果は意外だった。これまでの経緯を注視していたアカショウビンとしては毎日新聞に収まって事なきを得る、というのがヨミ筋だったからだ。一日の棋士総会で191人の投票の結果11票の僅差というからファンとしても仕方がないか、と思う。さりながら経緯に注目しマスコミ報道を読みアレコレ考えた者としては何か釈然としない感じも残る。しかし米長会長の言う如く「将棋界が一致団結し」て将棋文化の普及に励むことは一人のファンとして歓迎する。

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2006年7月27日 (木)

音の楽しみ

 先日、仕事で山梨に行き甲府の駅前のホテルで一泊した。初めて入るホテルだった。料金を聞くと高い。アカショウビンのように薄給会社に勤めるいじましいサラリーマンは出張時には安ホテルで少しでも出張費を浮かすさもしい行動が習性になっている。 ところが今回は後輩を同行している。値段を聞いて他をあたるというのは沽券に関わる。まぁ、いいか、と宿泊することにした。

 夜にチェックインするときは気付かなかったが朝食をサロンでとる時に驚いた。凄い音がするのである。それが何と飼っている鈴虫の発する音なのである。いや、その音の凄いのなんのったらないのだ。それは騒音といってもよいくらいだった。それでも音源を目にすると心改めたのが大和男子(おのこ、と読んでいただきたい)である。突如、世界は古今、新古今の、もののあはれの世界にワープしたと思われよ。その騒音の主が、秋に、か弱く鳴き人々のあはれをさそう、あの虫のお姿か、と思うと知らずマジマジと、暫し食事の前に彼らの生態を童心に返り観察したのであった。

 我が大和民族は、虫の音を音楽のように聴く、世界に稀なる精妙な感性を有する民族というのが宣長翁以来、いや万葉、天平、白鳳の往古からの誇りであった筈だ。いやしくも和歌を詠み、國学を学んだ貴顕は言うに及ばず田夫野人までもが秋の夕べに季節の移ろいに感慨を抱き虫の音に目を細めそれを楽しむ。それが畏れ多くも國体を拝する民草の実存ではなかったか?

 しかるにアカショウビンは鈴虫が梅雨時に鳴くという事実を知らなかった。恥ずべきである。これでも小学5年生の頃はファーブルに熱中し昆虫学者を志したこともあったのである。

 話は少し飛ぶ。先日、さる現役の女性ヴァイオリニストのブログで、私は一部の作品を除いて殆どモーツァルトが嫌いなのです、という書き込みを見て暫し呆然となった。それは鈴虫の鳴く音に驚いた時よりも、深く心の奥で哀しみを覚えガッカリしたのである。生誕250年(だった筈だが)の馬鹿騒ぎはさておく。いやしくも現役の演奏家がモーツァルトを嫌いという言葉を吐くところが立派である(なんのこっちゃ)。それは確かに恐ろしく勇気ある発言である。アカショウビンは最初にその書き込みを読んだ時にあっけにとられた。しかし、よくよく考えてみると、それは実に「常識」を覆す天晴れな言説と思えた(それは今だが)のである。

 アカショウビンからすればモーツァルトの音楽を楽しまない人々は、鈴虫の鳴く声に、もののあはれを聴き取る感性を持たぬ異国の蛮族と同じ鈍感さ、と断じるしかない。しかし、時の首相が軽薄に道化の如く、かつての戦の相手の地を訪れ、彼の国の野蛮で軽薄に腰振り歌う破廉恥歌手の電気音楽に媚びる姿が、この皇統燦たる國の現実なのである。アァ、國体の衰滅はここに極まれり。一人の若い女流演奏者がモーツァルトが嫌いと恥じなく発言し、オーケストラの一角に陣取り音を出す。これが、この國で奏される西洋音楽の現実なのである。三島氏が愛想をつかしたのもむべなるかな。今やもって瞑すべしなのか?新時代の馬鹿騒ぎに和して同じるのが「大人」の器量なのか知らぬ。何、どうでもよいことではあろう。

 しかし、アカショウビンは哀しいのである。そこで今宵は、モーツァルトでなく我が邦の一柳 慧氏の作品を聴きながら白河夜船といこう・・・。

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