2020年2月11日 (火)

羽田の夜勤

 先週来たときは風が強くきついなんてものじゃなかった。この現場は吹き晒しの場所。風を避けるところがない。ガードレールの陰に蹲り風が弱まる頃合いを見計らった。珠に入るトラックの案内だけとはいえ、むしろきつく辛い。それでも0時過ぎに終わり事なきをえた。

 きょうは、その風がほとんどない。ありがたい。助かる。かように下層労働の現場は様々で過酷なのである。羽田だけに夜間でも飛行機がひっきりなしに発着しているのが点灯している光で遠くに眺められる。乗客は地上のアカショウビンの事など夢想さえしないだろう。離陸や着陸の緊張の不安と楽しみの渦中、そんなところと経験的に想像するのである。

 夜間飛行といえば、ちあきなおみの歌にそれがあった。時に、ちあきなおみは無性に聴きたくなる好きな歌い手なのである。先日、イタリアのオペラ歌手、ミレルラ・フレーニが亡くなった報を友人のIさんからのメールで知った。ジャンルは違うといえどアカショウビンには偉大なミレルラよりもちあきのほうが好きな歌い手である。近いうちに二人の歌い手の声にも久しぶりに接したい。


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2019年12月19日 (木)

夜の妙音

 食べた物を吐き出すことを繰り返していて身はもたない。病院から処方された栄養剤の助けを借りる。パウチ袋に入れられた「イノラス配合経腸用液、300kcal」。これを朝夕、二袋ずつ飲む。ヨーグルトとりんご味の二種類あるが飽きる。食べられない状態で仕方ないから摂る最小限の医療対策なのだろう。現在の日常生活は、抵抗と消耗戦の過程の途中とも言える。男はつらいよ、ならず、病人はつらいよ、である。女にも健常者にもわからぬ事はあるのだ。逆もまた真なり。

 この憂さをいなすのに選んだCDは、モダンジャズカルテットの録音。昨夜は、これを聞きながら眠りに入った。今朝も朝に聴いて妙音の如く響く。

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2019年11月18日 (月)

老いの活路

 このところ、外の食事で必ず吐く。喉から食道に病変があるのだろう。きのうも弔問のあと新宿で好きな蕎麦屋で食事しようとしたら二口で全部吐いてしまった。きょうも昼過ぎに水餃子ならだいじょうぶだろうと好きな店に入ったら噎せて食べられない。トイレで吐き、バイクで団地に戻る途中も吐き続けた。戻って横になり友人から送って頂いた吉永小百合さんを密着取材した番組の録画DVDを観たが集中力か続かない。

 しかし、食べなければ人も動物も昆虫も生き物は生きていけぬ。それは生きとし生けるものの摂理というものだ。老いた者たちは人も動物たちも若い者たちから疎外される。そこからは、互いの折り合いである。その過程と結果は千差万別。現実に対応し活路は開かれるし閉じられる。老いとは正に、そのような現実を生きるという事だ。きょうは新宿の現場で夜勤だ。何か口に入るものを落とし込み活力を出さねばならぬ。一日、一日が凌ぎだ。

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