2017年6月16日 (金)

胃の定期検査へ

  アルバイトの合間を縫って胃ガンの手術をした都内の病院へ定期検査に。前回は膀胱がんの抗がん剤治療で訪れたのだった。あれに比べればこちらは楽。主治医が話を聞くだけ。というより未だ生きているのを確認するだけなのだろう。

  電車を乗り継ぎ地下鉄の深いエスカレーターを何度も昇り降りし地上に出ると眩い陽光。いつもの弁当屋で昼食を買う。病院までの道端には街路樹の根元に近隣の人たちが植えた様々な花々が心和ませる。二年前は慌ただしい年だった。退職後、次の仕事の算段で試行錯誤していたとき幻覚など体調の異変で市立病院を訪れたら胃癌を指摘され七月に二週間の検査入院。そこで胃の全摘出手術をする予定がセカンド・オピニオンでこの病院を訪れたら全摘でなく腹腔鏡下手術で済むという。医者の印象も良かったのでこちらで手術することに決めたのだった。ところが二週間で退院できる予定が46日も入院した。その経緯は逐次書いた。胃の次は昨年の下咽頭がん、膀胱がんの手術だ。三つのがんを抱え未だ生きている。しかしそう長くはないだろう。昨年から二度の引っ越しで新たな環境にも慣れていかなくてはならない。それは、死を想定しながらそれまでとは異なる時間を生きるということである。

それは具体的にどういう事か。何といえばよいか。思索しつつ現在の新たな時間を開くということかもしれない。、

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2017年4月24日 (月)

通院治療

 昨年8月の手術から三か月ごとの膀胱癌・抗がん剤治療で1月下旬以来都内某病院へ。先週は別の病院で下咽頭癌の内視鏡検査。きょうはもっと苛酷な処置で戦々恐々の思いで今受付ロビーで待機している。膀胱鏡が尿道から侵入して来る不快感と痛みは男ならではかもしれない。
 それにしても抗がん剤治療は昨年の手術以来一方的に始まった。その効果のほどは詳しく説明されているわけではない。しかし10年くらい前から始まった治療らしい。まぁ、眼を見張る効果はなくとも癌治療の進展に寄与出来るなら実験台にもなるにやぶさかではない。しかしあの不快感と痛みは困る。治療への意欲も萎えるというものだ。
 去年はお盆前の夏の暑さに喘ぎながら、そのあとの下咽頭癌の手術に備え秋から冬を過ぎた。体力は衰えたとはいえ生きながらえている。やり残したことは幾つかある。それを済ませながら粛々と死に至りたいものだが引っ越しもしなければならない。現実は粛々とはいかないのだ。ジタバタ、ドタバタしながら娑婆を去ることになるだろう。午前10時の診療予定がもう46分を過ぎた。まだ呼ばれない。
 診察カードを受付に出し忘れたこちらのミスが遅れた原因。主治医のK先生も苦笑い。雑談の中でアカショウビンの前回の絶叫をよく覚えていた。まぁ、ああいう患者は珍しいのだろう。今回はできるだけ痛まぬようにと下半身麻酔は?と問うと抗がん剤注入でそれはないと一蹴。しかし前回の膀胱鏡検査ははしょってもらった。処置で麻酔ゼリーをたっぷり使ってもらったけれども痛みはあった。手術後これが3回目の抗がん剤注入。2年間8回処置するわけだから先は長い。それまで我が身はこの世に在りや無しや。

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2017年4月17日 (月)

上部内視鏡検査

 なめられた、というのが本音の検査だった。前回胃カメラ検査で見つかった下咽頭の5㎜くらいの癌を再度、去年手術をした病院で検査した感想である。先ず麻酔の処置をする若い女医の話し方に不快になった。これが患者の命を預かる医師の言葉か。そこらの呑気でキャピキャピの娘たちの調子と大差ない。間抜けで私は馬鹿ですという話し方だ。そのあと鼻から内視鏡を入れて操作した別の若い女医も同様。経験の浅さが如実に言葉と器具の扱い方に表れている。付き添っている若い男の医師がアカショウビンを後輩の練習に利用しているのが隠しようなく見てとられるのだ。痛みも伴う。アカショウビンは抗議のつもりで大声をあげた。胃がんの手術のときと同じように。ボンクラ医師たちにこちらの意思は伝わっていないだろう。処置時間は約30分。親切でこちらはまともそうな看護師さんの案内で仮眠室へ。約30分仮眠し検査を終えた。何カ所か生検はしたが何とも雑な対応だというのが本日の検査報告である。果たしてこんな対応で日本の医療は大丈夫なのか。

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2017年3月24日 (金)

内視鏡(胃カメラ)検査

 昨今の政治状況には呆れるばかり。やっと現政権のいかがわしさが公になり日本国民の怒りが爆発するかと思いきや音なしの構え。それについては改めて論じよう。 
 本日は一昨年の胃がん手術の胃カメラ検査。血圧を計り看護師さんの問診。しばらくして点滴の処置。この病院では鎮静剤を使わない方針らしいがアカショウビンは口から内視鏡を入れて喉から胃、十二指腸を動き回る不快感と痛みを我慢したくないので鎮静剤使用をお願いしている。いま、点滴を脇に置き控室で待機中。テレビは国会中継。“百万円寄付”の経緯が追求されている。アカショウビンの他13人の多くは中高年たちはテレビを熱心な様子で注視している。皆さんご自分の病で大変だが、そのような政権状況の中で生きておられる。それに無関心ではいられないのだろう。点滴はゆっくり我が体内に入っていく。しばらく後に内視鏡が体内に侵入し器官が精査される。がんは再発していないか。医師たちの見落としはないのか。受付の中年女性の機械的な対応の声が疎ましい。点滴パックは“維持液ソルデム3A”。
 11時28分、検査が終了し車椅子で安静室に移動。ベッドに横たわっている。
 時刻は12時40分。約1時間仮眠し目覚めた。点滴の針を抜かれ検査結果を主治医に聞くため待機。いつもの部屋に入ると主治医の穏やかな表情に微細な陰りが。案の定残念な結果を聞かされた。胃の術後経過はもんだいないが喉に5mmくらいの早期ガンが発見されたという説明。昨年別の病院で手術したとき主治医の医師にアカショウビンは喉に〝前がん症状〟のところがあるので再発や新たながんに気をつけなければならないとクギはさされていたのだ。それが事実となったということだ。まぁそれなら仕方ない。次の方策を立てねばならない。来週は幸い下咽頭がん手術の定期検査に行くことになっている。次から次と苦難は我が身にふりかかる。5月中に仮住まいも引き払わなければならない。新たな終の棲みかも探さねばならぬ。愉しみは読書と音楽それに映画だ。検査が終わって図書館に本を返し新たに借りてから友人のN君のお誘いで試写会にも行く。

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2017年1月30日 (月)

三ヶ月ぶりの通院治療

 もう三ヶ月経ったのだ。都内の病院で膀胱がんの手術を受けたのは昨年8月2日。それから三ヶ月毎に定期検診と抗がん剤治療を続けてきょうは手術後2回目。午前10時30分の予約で待機中。いやなのである、この治療。ポケットベルで血圧を測り受付に来いとの指示。血圧は上が115、下が74。脈拍数は73である。受付では顔見知りの女性が電話をしながら、ニコッと笑い体温計を渡す。
 ベルが鳴り説明室に来いの指示。主治医のK先生がにこやかに微笑んでいる。疑問点など質問。アカショウビンのように三つのがんを抱えているケースについて。それらがリンクしているのは大腸がん、腎盂がん、乳癌など遺伝子変異の可能性のあるガンの場合。アカショウビンの場合、それにあたるという報告は受けてないという回答だった。
 次の内視鏡(膀胱鏡)検査のためロビーで待機。そのあと抗がん剤の注入である。これが苦痛なのだ。K医師の説明では手術後三ヶ月に一度、二年間に8回行うという。それまで生きているのかどうか。
 正午5分前、処置が終わりロビーに戻ったところ。前回より痛みが強かったような。今回はカメラが入っている膀胱内の映像をディスプレイで見るように言われた。気の弱いアカショウビンはちらりと見ただけ。K医師は手術後の経過がよいことを知らせたかったのだろう。ところがこちらは痛みと異物が尿道に侵入してくる違和感と不快感に耐えるのに意識は占領されてそれどころではない。しかし不慮のミスもなくカメラは体外に戻ってくれた。しかし、これで終わりではない。30分から1時間後に抗がん剤の注入である。
 それにしても、厄介なガンに罹ってしまったものだ。前世の因果なのか。そうかもしれぬ。これくらいで済んでいるのはましなほうかもしれない。
 抗がん剤の注入処置が終わり別室で休憩。俯せになり15分間休む。処置時はカメラの時より痛みは強かった。大声を出さずにはいられなかった。アカショウビンは尿管が細いためだそうだ。それにしても難儀な部位のガンに罹ったものである。しかし受け入れるしかない。生きるということは或る時に苦行であり或る人々にとっては出自や病によって自分の責任外のことで背負わなければならない苦しみを抱えて生きねばならないこともあるからだ。それを仏教では業というのではなかったか。
 処置後の最初の排尿も痛みを伴った。あぁ、しかし耐えて生きねばならない。楽しみは読み残した本を読み終え聴き残した音楽を聴くことだ。そうそう、それに映画だ。

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2016年11月 7日 (月)

98日目の定期検査と治療

 昨年胃ガンの手術をした都内の病院で膀胱ガンの手術をしたのは8月2日。前日に入院、一年もたたないうちに二度の手術で既に下咽頭ガンも見つかりその手術もしなければならなかった。下咽頭ガンは別の病院で8月24日に行った。本日は膀胱ガンの手術から98日目の定期検査である。採尿、血圧、検温を済ます。これから診察ののため待合室で待機。尿道カテーテルという膀胱鏡が厭なのだ。しかも女医さん。男の性器を仕事とはいえ毎日見ると人間観、世界観も変わるのではないかと彼女にとっては余計なことを考えるのは不徳の致すところ。
 施術の後の副作用の説明。排尿時の痛み、血尿が止まらなかった場合の対処の仕方を聞いたあと無人の膀胱鏡室の施術椅子で待たされる。
 さほどの痛みはないがカメラが尿道を侵入してくる不快感は曰く言い難い。約30分の処置。再発はしていない、とK先生は爽やかな笑顔で話した。しかし、これで終わりではない。また待合室で待機したあと抗ガン剤を注入するのである。8月の術後の最初の排尿時の激痛を思い出す。痛みで全部排尿できなかった。明日はアルバイトの作業ができるのだろうか。
 車椅子に乗った老婆が一人で診察室から出てきた。若い医師は丁重に相手しているものの歯のない口から洩れるお礼の言葉は老いの酷(むご)さを自ずと現している。
 午前10時から、もう正午前だ。
 この数日の事を備忘録として記しておこう。金曜日は同居人さんと富士山の麓にある別荘へ。夏の避暑へ行かなかったための大清掃。その間、アカショウビンは犬たちを遊ばせた。毎夜の散歩と違い自然の中で陽の光を浴びるのは犬にも人にもよいことだ。朝は晴れていたが昼は曇り、残念ながら富士山は見られなかった。 
 きのうの日曜日は知人のお誘いで高尾へ。今は現役を引退されている倶楽部の会長さんに会うため。研究室という御自宅を訪れるのは初めて。お誘い頂いた方も二年ぶりという。
 抗がん剤注入のため待合室で待機していると、正午過ぎにやっと呼ばれた。カメラより細いカテーテルというが痛みははしる。堪らず声をあげる。K先生は優しく声をかけてくれるが痛みは我慢できるものではない。処置は10分くらいだろうか。終わって約30分、ベッドで俯せになり休憩。午後1時過ぎ会計し病院を出た。
 のんびりと老後を楽しむというわけにはいかぬのである。不徳の致すところとはいえ、しかし、それも一つの人生。できれば、心たおやかにそれを受け入れ、よく死んでいきたいものだ。しかし痛みが去れば日常に戻る。痛みの苦しみを忘れてしまう。帰りの電車の窓外に多摩川の川面を陽がきらめいている。自然は何事もないかの如く。私は、どのように、この自然と関わり死んでいくのだろう?とりとめもない問いが頭をもたげる。頭はボンヤリとしてはたらかない。刺激が必要だ。挑発する一行はないか。朦朧とした脳髄を励起する音楽はないか?

 

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2016年9月 8日 (木)

退院と娑婆での今後

 月曜日に退院した。手術後12日目、11日間の入院期間だった。それにしても病院という時空間は外界と違う世界だ。外は台風でも中はエアコンが効いて快適。今回はテレビも殆ど見なかったので世間との繋がりは医師たちと看護師さん、掃除の女性たちとの会話くらいである。それは刑務所の中のように娑婆とは隔絶した世界ともいえる。

  まだ手術の傷口は癒えない。抜糸(といっても昔と違って今はホッチキスのようなものだが)をしてからは自然治癒力に任すのだろう。しかし右の顎下から右耳の裏まで痛みと無感覚で不自由このうえない。顎の痛みは強いものでなくヒリヒリした弱い痛みが絶えず周期的に続くのである。これが不快だ。主治医によると完全に元通りにはならないという。しかしどの程度回復できるのか。手術前まで続けたアルバイトの軽作業は現状では無理である。しかし生活の算段は立てねばならない。

 それはともかく、入院時は読書に集中できたのは幸いだった。疲れれば築地市場や隅田川の眺めに心和んだ。持ち込んだCDもいくらか聴けた。その感想はこれから日常の中で日々を生きる自らへの喝として書き続けていく。退院の日の前に見舞いで訪れてくれた友人のМ君とN君との会話の中には永平寺を訪れた時の話題のなかで道元のことも語られた。それにも刺激され『正法眼蔵』や『随聞記』も繰り返し読まねばならぬ。それと断続的に読み続けている田辺元の戦後の著作である。『死の哲学』と『種の論理』は同時代人のハイデッガー批判として熟読し説くところを再考、考察しなければならない。入院中はハイデッガーの『真理の本質について』を通読した。これについては田辺の繰り返し強調しているハイデッガーの『パルメニデス』と併せて両者から読み取れる真理概念とハイデッガーの存在(有)の繰り返し説くところをさらに徹底して読みぬいていかねばならない。

 CDはR・バルシャイ指揮のショスタコーヴィチ交響曲全集とA・シフが弾いたシューベルトピアノ作品の感想も述べたい。取りあえずひと月の入院予定が短く済んだぶんは少し静養しながら、次の一手を捻り出さねばならない。

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2016年8月29日 (月)

月曜日、朝の築地

  月曜日の朝。空は曇りリバーサイドの高層ビルや遥か彼方の景色はターナーの風景画のようにくすんでいる。14階の食堂から見下ろす築地市場は、きのうとうって変わって動きが活発だ。この時間、海外からの観光客は少ないだろうが市場の労働者は忙しなく独楽鼠のように働いていることだろう。江戸時代も現在も食の要の場所というのは活気があっていいものだ。観光客が市場を訪問見学したがるのも洋の東西を問わず食は人間最大の関心事の一つということだろう。アカショウビンも海外へ行ったときは市場を見るのが楽しみだった。韓国の釜山の市場は小母ちゃんたちが陽気で元気だった。こちらが日本人だとわかると刺すような視線もあったはずだが。東南アジアの市場も活気にあふれていた。カニに指をはさまれて大声をあげたのも懐かしい思い出だ。あれはタイのバンコクだったか、ベトナムのホーチミンだったか。

  朝の回診は主治医のY医師がチームを引き連れて風のように訪れ去っていった。寸秒が惜しいかのように。停滞してはいられないのだ。それは現代という時代でビジネスチャンスを逃すことなのだ。医療も同じ。がん患者はどんどん増えている。次の患者の治療に停滞していては一つの命を救えないということなのだ。朝の診察で前頸の血抜きの管が抜かれた。右肩がだいぶ楽になった。手術から5日目。身体は少しずつ回復しているのだろうが気分はどんよりしている。

  東京湾から戻る屋形船が隅田川をゆるゆるとのぼっていく。この時間に客は乗っていないだろう。あいにくの天気だが昼にむけて市場も人が増えてくるだろう。こちらは部屋で一休みだ。

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2016年8月28日 (日)

術後4日目

 以前棲んでいた江戸川区のアパートが建て替えられてそこを出なければならないという夢を見た。というより私はそこに存在しその時を生きていた、というのが正確のような。そうなのだ、夢は見るのではなく、夢を生きる、あるいは夢で生きるというのが正しいのではないか。二階の6畳の部屋の廊下に黒いスーツ姿の不動産らしい男たちが押しかけ何事か大声でわめいている。私はその間に割って入り階段から一階に降りアパートをあとにした。

 これは夢のお告げでアパートが本当に建て替えられたのだろうか。しかし、それはどうでもよいことだ。入院で欝々としている時に過去が形を変えて現在にサインを送ってきたということだろう。そのアパートには学生時代、中野の三畳のアパートから引っ越してきたのだ。同じくらいの家賃で都内より広い部屋にということで探したのだろう。近くには銭湯が二つもあり棲みやすいところだった。そこを引っ越したのは叔父夫婦が住んでいた埼玉のアパートを引っ越すので代わりに住まないかという話があったため。二部屋あり一人で住むには十分の広さだった。

 こうして過去を振り返ることも娑婆での生の区切りをつけよという警告の如きものだろう。あまりにのんびりし過ぎているぞ、という。

 夢から覚めると向かいのベッドの患者が呻いている。その声で目覚めたようでもある。時計を見ると夜中の3時過ぎである。苦しむ声が続くのでナースコールで看護師さんを呼んだ。しばらくして声は止んだ。それから眠られなくなった。

 朝の「題名のない音楽会」を久しぶりに見た。そのあと“処置室”へ。既に数人の患者が座って待っている。明らかに平均年齢は70歳を越えている。アカショウビンが一番若い。前頚と後頚の二か所から管を入れ下咽頭のガン摘出部からの出血を器械的に吸い出しているのだが、その前頚からの出血が少なくなったので管を外した。部屋に戻り休息。とにかくだるさが回復しないのだ。きょうの看護師さんは聡明そうな女性。会話のやりとりでそれがわかる。聞くと回復までは数か月かかるという、右腕で重いものが持てるようになるまで。それまでくたばっているかもしれないと茶々を入れると、いえ私が助けてあげますと笑って答えた。その表情と声に聡明さが輝いていた。看護師も百人百様である。

 聡明とは何か、と少し考えたくなったが集中力が続かない。しばらく休憩する。

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2016年8月27日 (土)

手術後3日目

  バッグ入り液状栄養食150ml、これが今夜の夕食である。300Kcal。これを鼻から管で胃に流し込む。その不自由さは経験してみないとわからない。その本人でさえ時が過ぎれば忘れる。しかしこの体験を記録しておくのだ。

  水曜日の手術から3日が過ぎた。きのう初めて鏡で縫合された傷跡を見た。無残なものである。看護師に傷跡はガーゼか何かで覆わないのかと尋ねたら覆わないと言う。がんの摘出部からは出血していてそれを管で吸い出す。前頸と後頸の二か所から。そのため首筋が引きつれて痛む。これが苦しい。それよりも気力が失せている。こうしてパソコンのキーボードを打つのもやっと。部屋では音がうるさく迷惑なので食堂でこれを打っている。

  手術は約3時間の予定が5時間くらいかかった。最初の予定は午前中だったが午後12時30分に手術室入り。それから麻酔をかけ覚めたのが5時過ぎ。入院した部屋からナースステーション近くの個室へ。そこで一泊。そこから4人部屋に移された。窓側の部屋で去年胃ガンで入院した病院の位置と同じ。そこより少し広い空間だ。

  築地の市場と隅田川が一望できる景観は心和む。ここまで書いて息が切れる。

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