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2020年8月 1日 (土)

雨だれ

 今朝は雨音で眼が覚めた。外は激しい雨が地面を叩いている。今年は長梅雨だ。朝はマイルスを聴きながら読書も。入院中に差し入れしてもらったときからあれこれ読み散らしているが、少しは系統だった読み方も、というので、ここのところは禅関連の著作に集中する。水上 勉の『禅とは何か  それは達磨から始まった』は労作である。氏の禅へのこだわりと関心が集約されているからだ。中国や日本各地に足を運び禅者たちの足跡を辿り思索を深めているのがよくわかる。臨済から道元まで、アカショウビンの関心とも重なり、刺激、挑発され思索を促す。

 雨だからというわけでもない。マイルスのあとにコルトーが弾くショパンの前奏曲のCDを聴く。先日たまたまオムニバス盤を聴いて改めてコルトーの演奏に強い印象を受けた。そのなかで前奏曲中の《雨だれ》にアカショウビンはもっとも惹かれる。今朝は1933年から1934年に録音された全曲盤を聴く。第15番変ニ長調。録音の古さを感じさせない、コルトー壮年の記録である。ショパンの抒情が啓示のように表出された作品と思う。静かな雨音は心が安らぐ。

 さぁ、読書にも集中しよう。水上氏の思索に督促されて、一休宗純の『狂雲集』も少しずつ。

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