« 国家という共同幻想 | トップページ | 雨だれ »

2020年7月30日 (木)

ニーナ・シモンを聴け

 ここのところマイルス・ディヴィス漬けの毎日で、今朝は気分を変えてエリザベト・レオンスカヤが録音したシューベルトのセット物から『即興曲』を聴いた。実に心安らぐ演奏だ。体調の悪さを癒す効果がありがたい。暫く身体を休めながら次に何を聴こうか思案しニーナ・シモンにした。1960年代の録音を集めた3集のうち第2集。「ムード インディゴ」と銘打たれたCDである。中古屋で手に入れ他の1集と3集はない。しかし、これを聴くだけでニーナ・シモンという歌手の稀有な存在の何かが伝わる。歌詞がわかれば、もっと違う印象になるだろう。しかし、傾聴すれば何かが聴き取られる。それはアカショウビンが稀有と感得する歌い手のもつ怒り、嘆き、悦びを通じた伝えようとするものである。それは、これから何度も聴き、そのつど感じ取るものとでも言うしかない。それくらい強い印象を与えるものをこの歌い手はもっている。アカショウビンにとっては〝ディーバ〟の一人である。このアルバムは全20曲、70分以上が録音されている。

 昨日は久しぶりにアラン・パーカー監督の『ミシシッピー バーニング』(1988年)をレンタルDVDで観た。何度観ても見事な傑作である。アカショウビンの映画ベスト10に入る作品の一つである。1964年の事件を基にした小説を映画化したものだ。事件はミシシッピーで起きた三人の公民権運動の活動家若者の殺害に関わる顛末だ。主演のジーン・ハックマン、ウィレム・デフォーが見事な演技を残している。観るたびにアカショウビンの精神を励起、鼓舞する。この作品とニーナ・シモンの声が共振するのである。それは人種差別の怒りを叫ぶ黒人たちのものだ。われわれ日本人には隔絶したものかも知れぬ。しかし、怒りは共有できると確信する。

|

« 国家という共同幻想 | トップページ | 雨だれ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 国家という共同幻想 | トップページ | 雨だれ »