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2020年7月 2日 (木)

『完本 マイルス・デイビス自叙伝』

 緊急入院以来、CDはもちろんラジオも聴けない生活だ。本はあるが音楽がない。それは音楽好きにはきつい。音楽関連の本を読むと、それは拷問のようなものになる。頭で音は鳴るのだ。しかし、それは本物ではない。ピアニストが頭でスコアを辿れてもピアノのキーを叩かなければ指と身体、精神は活性化しない。つまり、音楽は空間を満たさない。

 そんなアレコレをまさぐり思索の糸口を見つけて音楽が聴けない不如意を紛らそうとするのも、マイルスの自叙伝を読み継いでいるせいだ。『完本 マイルス・デイビス自叙伝』(マイルス・デイビス/クインシー・トループ著  中山康樹訳 1991年11月25日  JICC出版局)。これは出版された時に買って直ぐに読み出し読み終えたつもりになっていた。ところが、先日、何気なく本棚から取り出したら半分あたりに赤い紐がかかっているではないか。そうか、あまりにおもしろくて途中で中断したままになっていたのだ。

 それを緊急入院前から読み継いでいた。先日、友人に団地に行ってもらった時に、それを持ってきてもらい読み継いでいるというわけである。回りくどい話で恐縮。

 それはともかく、この自叙伝が抜群におもしろいのは、訳者がマイルスのサウンドに心底イカレた半生を過ごしたからだ。それは専門誌『スイングジャーナル』に勤めた縁もあるのだろう。マイルス関連の著作も多い。アカショウビンも幾つか読んだ。自叙伝の訳もマイルスの語りが目に浮かぶようにこなれている。黒人差別への闘士としてのマイルスも随所に現れる。しかし、おもしろく強烈な印象を受けるのは、優れたプレーヤー、音楽家としてのマイルス・デイヴィスである。それは他の優れたプレーヤーを見い出す批評家としての才能も抜群の音楽家だ。

 常に新しいサウンドを求め続けた、今では死語となった用語を敢えて使えば、〈前衛〉プレーヤー、音楽家としてのマイルスが、この自叙伝には横溢している。ともあれ、読み終え、退院したら改めてCDでマイルスを聴いていこう。エレクトリックになってからのマイルスは聴いてない録音も多いからだ。

 残念なのは訳者の中山康樹氏の訃報を、その後何年かして突然知らされた事だ。これから益々健筆を揮われる途上での急逝である。ジャズ界には大きな損失と言うしかない。しかし、この自叙伝にしろ貴重な仕事を残された。その貴重な成果を引き継ぐ者たちがいることを確信する。

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