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2020年7月30日 (木)

ニーナ・シモンを聴け

 ここのところマイルス・ディヴィス漬けの毎日で、今朝は気分を変えてエリザベト・レオンスカヤが録音したシューベルトのセット物から『即興曲』を聴いた。実に心安らぐ演奏だ。体調の悪さを癒す効果がありがたい。暫く身体を休めながら次に何を聴こうか思案しニーナ・シモンにした。1960年代の録音を集めた3集のうち第2集。「ムード インディゴ」と銘打たれたCDである。中古屋で手に入れ他の1集と3集はない。しかし、これを聴くだけでニーナ・シモンという歌手の稀有な存在の何かが伝わる。歌詞がわかれば、もっと違う印象になるだろう。しかし、傾聴すれば何かが聴き取られる。それはアカショウビンが稀有と感得する歌い手のもつ怒り、嘆き、悦びを通じた伝えようとするものである。それは、これから何度も聴き、そのつど感じ取るものとでも言うしかない。それくらい強い印象を与えるものをこの歌い手はもっている。アカショウビンにとっては〝ディーバ〟の一人である。このアルバムは全20曲、70分以上が録音されている。

 昨日は久しぶりにアラン・パーカー監督の『ミシシッピー バーニング』(1988年)をレンタルDVDで観た。何度観ても見事な傑作である。アカショウビンの映画ベスト10に入る作品の一つである。1964年の事件を基にした小説を映画化したものだ。事件はミシシッピーで起きた三人の公民権運動の活動家若者の殺害に関わる顛末だ。主演のジーン・ハックマン、ウィレム・デフォーが見事な演技を残している。観るたびにアカショウビンの精神を励起、鼓舞する。この作品とニーナ・シモンの声が共振するのである。それは人種差別の怒りを叫ぶ黒人たちのものだ。われわれ日本人には隔絶したものかも知れぬ。しかし、怒りは共有できると確信する。

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2020年7月27日 (月)

国家という共同幻想

 先ほど、レンタルDVDで『新聞記者ドキュメント』(2019年  森達也監督)を観終えた。東京新聞記者、望月衣塑子さん(以下、敬称は略させて頂く)を追った作品である。同監督の作品は、以前オーム真理教の信者たちを取材した『A』『A2』を観ている。今回の作品は『新聞記者』という映画が昨年公開され、そのとき森監督が、ドキュメンタリー作品を撮っている情報を知り期待して観たのだった。期待に違わぬ仕上がりだと思った。望月記者の評判は、漏れ聞いており、角川新書の『新聞記者』も読んだ。昨年の日本アカデミー賞を受賞した映画も観た。

 森監督作品は、映画以上に面白かった。何しろ望月記者の生の姿と動向を森監督は実に丹念に追っているからだ。それ以上に、望月記者の取材姿に瞠目した。大した女性である。横並びのへっぽこ男記者たちを尻目に、眼を瞠る行動力が素晴らしい。国会周辺のデモの実態も、この映像で初めて見知ることができた。アカショウビンの購読紙は東京新聞である。望月記者の記事もたまに読める。しかし、それ以上に生の姿に惚れ惚れした。他の著作も読み、今後の益々の活躍を期待する。

 それにしても、安倍政権の実態を通じ再考を促すのは国家という共同幻想の本質である。それは先日観た『三島由紀夫vs東大全共闘』という作品と共に改めて熟考しなければならないテーマである。先日は『靖国』(2005年  リ・イン監督)も観直した。これまた国家という共同幻想を如実に表現した佳作である。吉本隆明の『共同幻想論』も再読しさらに再考、考察していきたい。

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モダン ジャズ事始

 ここのところ、あれこれCDを聴いていると思いがけない録音に思わず惹き入られてしまう幸いに、それは正に遭遇する。今朝は、マイルス・デイヴィスの〈中期〉のCDを聴いたあと気分転換に1961年のキャノンボールのリーダーアルバム『ノウ ワット アイ ミーン?』を聴いて楽しい。MJQのリズムセクション、パーシー・ヒースのペース、コニー・ケイのドラムスに、ジョン・ルイスの代わりにビル・エヴァンスがピアノを弾いている。昨年から彼のアルバムを聴いて飽きない。それは多くがトリオ演奏だが、同じ頃にこんな面子に加わったのが、どういう事情があったのか詳らかにしない。しかし、実に見事で楽しいアルバムだ。レコードで発売されたものに別テイクが二曲入っている。アカショウビンが魅了されたのがコニー・ケイのドラムスである。それにのせられたのかビル・エヴァンスもキャノンボールも実にリラックスして快調な演奏を楽しみ没入しているように思える。こういう時に遭遇する事は何とも貴重だ。

 MJQを聴いたのはアカショウビンが秋葉原で電器店のアルバイトで生活していた三十歳前後の頃だ。何とジョン・ルイスは、バッハの『平均律クラヴィーア曲集』を録音、発売していた。アカショウビンはリヒテルやグールドで馴染んでいたから、ジャズ・ピアニストがバッハを演奏、録音した事に驚いた。

 その頃の仲間や店員にはジャズ好きが何人かいた。店長のOさんは、MJQが好きだった。コニー・ケイの名前もそのとき初めて知った。テレビCMでは、ニーナ・シモンの曲も流れていた。アカショウビンがコルトレーンやマイルスのモダンジャズに馴染んでいった学生時代以来、新たなモダン ジャズ事始という頃の事だ。

 あの頃とは秋葉原もまるで。様変わりした。時の移り変わりは世の常とはいえ時に唖然とする。しかし、現実を改めて自覚し凌いでいかねばならない。そこで懐かしい名盤に遭遇することは何とも幸いと言うしかない。

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2020年7月25日 (土)

ゴルトベルク変奏曲

 前日、いつものように、相変わらず雑然としている部屋を、少しは整理しなければと思いながらCDの棚からワンダ・ランドフスカのバッハを集めたセットを取り出し『ゴルトベルク変奏曲』を聴いて驚愕した。かつて聴いた時のことは忘れている。しかし、これに驚かなかった筈がない。それほど、この演奏と録音は際立っている。楽器がチェンバロというのも、その理由のひとつになるかもしれない。しかし、それは本質的ではないだろう。少なくともアカショウビンは、そこに19世紀という時代の名残りのようなものを、チェンバロというピアノからすれば時代遅れの楽器が醸し出す音に感じとる。

 その最初の響きとテンポに驚愕するのは、この作品をアカショウビンは、グレン・グールドの録音で聴きだしたからだろう。あの当時、世界的話題を博したレコードをアカショウビンも繰り返し聴いた。最初に聴いたのは渋谷の名曲喫茶店だった。面白い演奏だと興味を唆られたのがグールドのレコードを集めるきっかけとなった。グールドの突然の訃報には驚いた。自殺も疑ったが病によるものだった。しかし、50歳とは現代では若死にだろう。音楽家として、ピアニストとしては、これから円熟期にはいろうかという歳だ。多くのファンを嘆かせただろう。

 それはともかく、ランドフスカの演奏は、グールドの現代的なバッハ理解・解釈とは隔絶したところで構成されているのに驚く。この演奏が録音されたのは1945年6月5日、6日、12日の三日間、ニューヨークのロータス・クラブと記載されている。戦争中である。それに別な感慨を促されるが、それはさておく。

 吉田秀和は、戦後1953年にニューヨークを訪れ、ランドフスカの演奏会を聴いている。「ロマンチックな趣味をたっぷり残したスタイルの堂々と力強い演奏で、音量も大きく豊かに響いた」(『二度目のニューヨーク』1989年 読売新聞社)と書いている。この「ロマンチックな趣味」というのが、アカショウビンの感じる19世紀的なものなのである。それはホロヴィッツにも感じるものだ。かつて吉田秀和はホロヴィッツの録音したシューマンの〈クライスレリアーナ〉を評して、このようなシューマンを弾く人は最近少なくなった、と書いていたと記憶する。

 さて、今朝は引き続き、ランドフスカのバッハ『平均律』を聴きながら一日を始めよう。

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2020年7月24日 (金)

快癒

 昼間の苦しみが癒えて何とも平穏無事。喉元過ぎれば、というところだろうが、ありがたいことである。それは、元はと言えば、五年ぶりの胃ガンと下咽頭ガンの再発による。昨年暮れから年明けの後者の放射線治療、それが済んだ後には前者の再検査、入院・手術と何とも慌ただしい事だった。それでも、食事ができるようになったことがありがたかった。何せ、昨年暮れになった頃には食べたものを殆ど吐いてしまい、栄養剤頼りで過ごしてきたのだから。食べ過ぎや食べ間違いで腹痛になるというのも罰当たりということかもしれない。

 夜は珍しく自炊した。好きなナス料理を初めて作ってみた。スーパーで材料を買い挑戦した。豚バラ茄子の味噌炒め。実は、きのう行った中華料理屋の麻婆茄子の茄子が、その前に食べた時より小さかったのだ。明らかに料理人が違う。料理の仕方もプロと素人の違いだ。そんな料理を客に出してどうする。というわけで好きなだけ食べられるように自炊に挑戦した、とこういうわけなのだ。少し食べ過ぎたかと危ぶんだが今のところ何ともない。昼間の苦しみは御免である。食事には細心の注意をはらいたい。

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激痛

 数日前と同じ症状が生じた。腹痛というより激痛という痛みで正に悶絶である。食べたものを内臓が拒絶しているのだ。前日はスーパーで買ってきて食べた「ソースカツ丼」。胃を全摘しているのだから、少しずつ負担のかからない物を食べなければならないのに、つい油断してしまう。原因は食中毒かと邪推するが、単なる食べ過ぎか、食べた物が食道から十二指腸、大腸に至る間に拒絶されてしまうのだと思う。シロウト判断だが、本人の経験と体験からのものだから、当たらずとも遠からずだろう。きょうの原因は、菓子パンだ。コンビニで買ったやつだ。中に白いクリームが入っていておいしかったのだ。しかし、しばらくして激痛に襲われた。借りてきたDVDで映画を観ているところだったが、それどころではない。悶え苦しみ、時の過ぎるのを脂汗を滲ませ耐えた。

 前日と同じく、そのうち眠りこんでしまう。眼が覚めると痛みは去っているのだ。その変化は、体験した者でないとわからない。こうしてあれこれ書いても、読まれている方々には他人事なのであるのはアカショウビン本人が自覚している。しかし、こうして書かないと治まらないのがタチなのだ。恐縮するしかない。

 途中で止めてある映画も続きが観られる。感想は後で書こう。

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2020年7月23日 (木)

パーカーからショパンヘ

 きのう、何気なく棚からソニー・スティットがVerveに録音した演奏を集めたオムニバス盤を久しぶりに聴いたら、第1曲からチャーリー・パーカーもどきと貶されたスティットの流れるように澱みないアルト・サックスに忽ち魅了された。そこには、つまらない批評を蹴飛ばすスティットの紛れもない独自のアルトが響いている。それに促されてパーカーのCDを探した。幾つか聴いて、流麗なアルト・サックスの響きで一日を始める幸いに浸った。

 続けて、先日中古ショップで購入したホロヴィッツのショパン、サンソン・フランソワの録音と聴きだしたら、気持ちが集中してきてショパンの作品を、何年ぶりかで聴きいる切っ掛けを得た。先日来ショパンを聴きだしたのはYouTubeで、マルタ・アルゲリッチのスタジオ録音映像を見聴きしてからである。79歳というアルゲリッチが、無造作にショパンのピアノ・ソナタ第3番を弾き始める。次第に興がのってきたのだろう。その集中と没我の様子に感嘆した。それは、巷間眼にする79歳の女性の姿ではない。ショパンという男が書いた作品に没入するひとりの蛮族(@中村紘子)の姿だ。

 それから手持ちのCDでフランソワの録音をピアノ・ソナタ他など聴き続けた。ついでに大好きな〈マズルカ〉も全曲聴いた。何とも充実した時間を享受できた。その勢いでコルトーの録音も久しぶりに聴いた。フランソワを見いだした人である。これがまた凄いショパンを弾くのだ。改めて稀有のピアニストたちの演奏に没入できた一日だった。もう、夕方だ。佳い一日だった。さぁ、少しは読書もしなければならない。

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2020年7月22日 (水)

鰻の蒲焼の日々

 きのうは土用丑の日で、新聞は一面に目黒の秋刀魚ならぬ鰻料理屋に朝から行列が、という記事が掲載されていた。コロナ禍で、何か明るい話題が欲しいのはマスコミも国民も同じだ。高級料亭や街の鰻料理屋では稼ぎ時で、ここぞとばかりに従業員にハッパがかかったことと思われる。

 アカショウビンは、これまでサラリーマン時代、そういった風潮には一線を画してきた。元々食が細く、食い物に執着はしないタチだった。しかし、入院、手術で病院食のありがたさに感謝し、退院後の食事には人一倍気を使うようになった。そのなかでの土用、丑の日である。試しにスーパーの鰻重を買って食べた。これが量もたっぷりで、実においしい。そうか、これか、と思った。斎藤茂吉、加藤一二三さんの鰻好きは有名。それは本やテレビ・新聞で読み知ることで自分は違うぞ、というのがアカショウビンの考えというかスタンスだった。

 それが、この数日で見事に覆った。鰻の蒲焼は絶品である。世界に誇れる日本の食文化だ、と言ってもよろしい。土用の丑の日は過ぎたが、きょうも昼飯はスーパーで鰻重にしよう。

 ところが何と、スーパーの売り場に鰻商品は一掃されているではないか。土用が過ぎれば商品価値はない、という事か。きのうで製造工場の生産ラインは切り替わったという事か。大量生産、大量消費の見事な例がきのうからきょうの売り場の変化という事なのだろう。たかが鰻、たかが土用の丑の日だろうが、鰻重のおいしさに目覚めたアカショウビンには残念なことであった。

 外食チェーンには鰻丼を年間提供している店もある。今年は鰻の稚魚が豊漁と聞く。近いうちにそこヘ足を運んでみるか。

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2020年7月21日 (火)

伊澤蘭軒

 鷗外の史伝『伊澤蘭軒』を読み始めたのがいつか定かでない。今朝やっと百五十一である。次作『北条霞亭』の霞亭の逸話が一段落したあとである。何せ頻出する漢詩に難渋する。鷗外、漱石の漢籍の素養はアカショウビンの世代はいうに及ばず、多くの読書人と隔絶しているだろう。鷗外の史伝を読み出したのが何の切っ掛けかさえ定かでない。しかし、三島由紀夫が生前、こんどは鷗外卿を書きたい、と何かで語っていたのが気にかかったのが機縁かもしれない。

 先ずは通読しなければ、と断続的に読み継いでいるのである。病のため疲れやすく一章読むのも覚束ない時がある。今朝など集中できたほうだ。入院中も朝の読書は、これに決めていた。今朝は霧雨である。体調は相変わらずよろしからず。しかし、読書できるだけ幸いとしなければならない。音楽も聴ける、レンタルDVDで映画も観られる。隠遁の功徳これに極まると言って好し。

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2020年7月19日 (日)

若き楽聖の野心作

 今朝のNHKラジオ〈音楽の泉〉は若きベートーヴェンの交響曲第1番を放送していた。アンドリス・ネルソンス指揮のウィーン・フィル2019年、楽友協会での録音盤である。中波の音で最良とはいかないが、見事な演奏であることは聴き取った。

 指揮者は今年のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートにも登場したのではなかったか。その時は未知の指揮者で亡きマリス・ヤンソンスに学んだくらいの知識しかアカショウビンはなかった。しかし、既に十年前くらいから小澤征爾が出演できなかったウィーン・フィルとの演奏会の代役を務めるなど、世界の主要オーケストラに客演し、その実力は、音楽業界周知の指揮者のようだ。ボストン響の常任指揮者も務めているというのも小澤征爾との親交があるためかもしれない。

 それはともかく、今朝の放送は、続いてハイドンの『天地創造』から二重唱なども。なんでも、当時の演奏会で巨匠ハイドンの作品、モーツァルトの作品も演奏されたらしい。その中で若きベートーヴェンの最初の交響曲が演奏されたわけだ。ベートーヴェンは既にウィーンで人気ピアニスト、作曲家だったから聴衆も大いに期待して新作を聴いたことだろう。ベートーヴェンも、当時としては意表をつく序奏付きの楽章で新たな音楽に挑戦した。老ハイドン、大先輩モーツァルトの作品と並んで気鋭の若者の作品がどのように聴衆に受け取られたか興味あるところだ。

 今年はベートーヴェン生誕250年。楽聖の作品が未だに世界各地で熱く演奏されていることに改めて驚かざるをえない。最近は、マイルス・デイヴィス、ビル・エヴァンスを聴き浸ることの多いアカショウビンだが、ベートーヴェンにも時間を割きたい。とりあえずは、ブルーノ・ワルターとニューヨーク・フィルの録音でベートーヴェンの第1交響曲から。

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2020年7月18日 (土)

令和の隠遁

 友人のIさんは会社を自ら辞めハローワークで求職中である。まだ元気に仕事が出来るのは羨ましい、と言いたいところだが還暦を既に過ぎ身体の不調もあちらこちら出てくる歳になり、まだ働かねばならないのはさまざまな事情がなせる事である。家庭の経済的事情しかり、社会的立場しかり。しかし、働き蜂と外国から揶揄された此の国で他の選択は果たしてそんなにないのか?

 幾つものガンを体験してきたアカショウビンには同様の体験をされている俳優の黒沢年雄さんのように元気に仕事をされる力はあまりない。社会とは一線を画し不自由な身体を引きずり、静かに生きる手立てを探す昨今である。

 そこで模索するのが中世の隠者という生き方である。隠遁とはナカナカ含蓄のある漢語ではないか。あるいは隠棲。落語では、ご隠居である。先のブログの三島由紀夫からすれば一蹴、一喝されるだろうが、それは現在のアカショウビンには何とも魅力的に思える。病をかかえ楽隠居というわけにはいかぬが、それを自覚的に実践する楽しみはありそうだ。

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2020年7月17日 (金)

愛犬の死

 昨日、アカショウビンが埼玉の越谷から引っ越し、町田市の玉川学園町で一年間ハウスシェアで同居した方と久しぶりに会い、彼女の愛犬が二頭、相次いで死んだことを知った。約15年間共に暮らした哀切は余りある。他人には知る能わざる痛切だ。人間の歳にすれば百歳余りというから大往生ともいえる。アカショウビンは一年間だけだったが、彼らとは毎夜、散歩を共にした。自然と情はうつるものである。二頭とも人懐っこくアカショウビンにも馴れてくれた。一頭は黒いチョコラブというラブラドール、もう一頭は金色がかった肌色で、少し怯えたおとなしい大型犬だった。同居人のNさんは溺愛と思える飼い方だった。犬も猫も飼ったことのないアカショウビンには実に興味深い体験だった。ハウスシェアを解消してからもNさんの別荘のある富士の裾野の忍野には何度か車で同行した。都内や都下で大型犬を飼うのは、いろいろと気を使うもので、その大変さをアカショウビンも経験できた事はよい体験だった。

 兄貴分のチョコラブのMは6月30日、品のよいSちゃんは今月3日、Mの後を追うように死んだという。Nさんは、その話になると涙が止まらず耐え難い。アカショウビンは話題を変えるしかなかった。いずれアカショウビンの体力が回復したら忍野に彼らの遺骨と共に行きましょう、とNさんは話してくれた。共に暮らした喜怒哀楽は人も動物も同じだ。死んでも生き残った側には記憶と共に甦る。輪廻転生があるかどうか知らぬ。しかし、記憶はイメージとして脳裏に生き生きと甦る。それは生き残った側にさまざまにはたらきかける。それは仏教で説く縁起である。二頭の死の知らせはアカショウビンに、そのような思索も促す。MとSちゃんの冥福を心から祈る。

 

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三島由紀夫対東大全共闘

 先日、学生時代いらいの友人Iさんから郵便が送られてきた。新聞記事である。しかも3月25日の朝日新聞夕刊。『二十歳(にじゅっさい)の原点』(1971年  高野悦子著  新潮社)に関する記事だ。作家の関川夏央氏の一文も掲載されている。Iさんが何故この記事を送ってきたかは訊ねていないが何となく気持ちは伝わった。同じ歳で付き合った頃に読んだ感想をアカショウビンに求めたのだろう。同書は評判になり、映画化もされた。アカショウビンは単行本を読んだかどうか覚えていないが、映画の記憶は微かにある。著者は立命館大学三回生の1969年6月24日未明に鉄道自殺した。当時の燃え上がった学生運動に参加し悩み苦しんだ果ての選択である。それは関川氏が書いているように「いたましく思える」死だ。

 三島由紀夫が東大全共闘に招かれ討論したのは高野さん(以下、敬称は略させて頂く)が自死した前月の5月13日、東大駒場キャンパス900番教室。三島は〈楯の会〉を組織し当時の左翼に対抗していた。それはマスコミの揶揄も浴びる中での「本気の」行為、行動だった事は『太陽と鉄』『文化防衛論』『若きサムライのために』などの著作が示している。それらの著作を読んだのは三島の死後かなり後である。アカショウビンは三島の事件の時はまだ高校生だった。三島由紀夫の著作は若い頃の小説を幾つか読んだだけで作家の名前を知っているくらいのものだった。しかし、同級生が持ってきた朝日新聞の写真には驚愕した。そこには介錯された三島の首が写されていたからだ。そのような最期を選んだ作家とは何者なのか、という疑念は現在のアカショウビンに持続している。それが若い監督(豊島圭介氏は1971年生まれ。49歳だから若くもないが)によって映画化されたのは、何故今ごろ、という興味ともなったのである。しかし、現在の大学生たちの政治意識と行動は当時と雲泥の差があるのに唖然とするのはアカショウビンばかりではあるまい。豊島監督にとっても、そのあたりが三島由紀夫に関心を深めていった理由のひとつかもしれない。

 『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』と題したこの作品には、当時のTBSテレビの映像と共に「三島を論じる文化人」や元楯の会、元東大全共闘の面子に豊島監督がインタビューしている。三島と親交があった瀬戸内寂聴も感想を述べている。その中で、もっとも三島の作品、行動に精緻な分析をしているのは、小説家の平野啓一郎だ。1999年の芥川賞作家である。また、現在活発な著作、言論を展開しておられる内田 樹(たつる)氏もコメントを述べている。

 作品を観終えて同行した方と食事をしながら感想を交えた。彼女は当時学生で運動の渦中で事件を知ったわけで高校生のアカショウビンとは、まるで異なる感想をもっているのは当然だ。言ってみれば、三島とは対極の立場である。しかし、作品を観て三島の学生たちに対する真摯な言動に感心していた。それは、あの場にいた約千人の学生たちも同じなのではないかと思われる。また、この映像を観た観客たちにも。それほど三島由紀夫という作家は真面目に息子、娘のような若者たちに対峙した。それを新たな構成で映像化したのが、この作品の手柄である。

 高野悦子という女学生の死と小説家の死はあまりにかけ離れているようで、時代の奔流の中での痛ましい死と思える。しかし、それは本人たちの勁い意志によるもので、その善悪は問えない。我々はそれを自らの生き方で解釈し思索、行動に移すのみである。

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2020年7月13日 (月)

即興音楽と一期一会

 東京新聞の夕刊には、ドラマーのつのだ☆ひろ氏が「この道」という自伝を連載しておられる。67回目の本日は〈浅川マキ③〉。今や伝説の歌手である。アカショウビンも知人から話を聞き、秋葉原の石丸電気のCD売場で探したことがある。そのときは値段が高く買いそびれてしまった。しかし、幾つかのライブ録音は聴いた。そのアンニュイな歌いぶりと独特なステージが当時のインテリたちに持て囃されたようだ。つのだ氏の回想にも、その一端が書き綴られている。

 あるライブではミュージシャンは、つのだ氏とサックスの本多俊之だけ。「歌い手に不可欠なコード楽器を弾くミュージシャンが一人もいなかった。マキは冒険家だ。コードに合っていなかろうが、リズムからずれていようが、お構いなしで歌う。僕自身もあんなライブは人生で一度きりだ」。それは想像するだに白熱したライブだったろう。「こんな空間と音楽家の爆発を予見してプロデュースするマキこそが偉大な芸術家といえよう」。なるほど。続けて「おそらくフリージャズを代表とするインプロビゼーション(即興)の究極型はこんなものであったのではないかと思う」。

 その後の浅川マキのステージで「そんな実験的なステージ」はなかったという。「アレはアレで一つの完成形だったのではないか。一度、完成形を見たから、次もきっと完成形に違いないと考えるのは明らかに間違いだ。一期一会が音楽の常。即興音楽はそうあらねばならない」。正にその通りだ。モダンジャズからフリージャズへの変遷も、それを実証している。それはまたジョン・コルトレーンやマイルス・デイヴィスの音楽との向き合いかたとも通底する。

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王位戦第二局始まる

 木村の先手番である。作戦が注目されたが、「相掛かり」に。新聞解説では、前期には先手番で毎局採用し初タイトルの原動力になった、と。明日の二日目が楽しみだ。棋聖戦では渡辺棋聖がカド番を凌いだ。しかし両棋戦とも藤井有利。二タイトル奪取の大記録はマスコミの関心の的だろうが、アカショウビンのようなへそ曲がりは、木村、渡辺ガンバレである。

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2020年7月12日 (日)

皆川達夫さん追悼放送

 今朝のNHKラジオ〈音楽の泉〉は、先日お亡くなりになった皆川達夫さん解説の最終回の再放送である。これはアカショウビンも熟聴し感想を書いた。それからしばらくしての訃報だった。何とも見事な仕事納めだった。

 その最終回の放送に皆川さんが選んだのがバッハだった。「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」をヘンリク・シェリングの録音で。格調高く冴えわたる往年の名盤中の名盤である。このブログでは何度か書いたが、アカショウビンが、この作品に出会ったのはヨーゼフ・シゲティの録音だった。若いころ三畳の下宿で鬱屈しているとき、天啓のように作品が怠惰を打った。シゲティの音はいわゆる美音ではない。しかし、魂の奥底から音を絞り出す気迫と情念は強烈だった。禅の痛棒の如きものだ。以来、この作品はアカショウビンにとって至高の作品となった。

 番組で皆川さんは、ソナタのあとパルティータ第2番からニ短調の〈シャコンヌ〉を選ばれた。それは作曲当時のバッハに何があったか知らぬが、悲痛とも嗚咽とも、身悶えする如き旋律である。シェリングの演奏は、それに微動だにせず格調を保つ。その品格の高さが名盤のゆえんだろう。

 残りの時間は〈ガボット〉である。〈シャコンヌ〉の緊張を開放するような皆川さんの心配りを実感した。1988年から32年間、番組を担当し92歳になられた。最後に引退の挨拶で締め括った。それからしばらくしての訃報だった。見事な最期である。

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2020年7月11日 (土)

体調よろしからず

 一昨日、やっと退院となり、高校の同級生M君に車で病院から団地の部屋まで送ってもらった。前回の胃の手術の時と同じだ。これは本当にありがたかった。自分では何とかなるさぐらいに思っていても現実に体調は復調していない。少し歩くとふらふらし腰かけたくなる。きのうは、吐き気までした。近くのスーパーまで行くのも億劫なのだ。

 今回の入院は左の肺の膿胸という症状の治療が理由だった。脇腹から管を肺まで差し込み、肺に溜まった水と膿を器械で排出する治療をしばらく継続したが拉致があかない。それで手術という事になったのだ。幸い手術は上手くいき、肺も回復してきたというので退院となったのだが、手術のせいだろう、左の背中に鈍痛が続いている。これが歩行を困難にしているのだ。バスに腰かけていても痛みはとれない。身体を横たえないと楽にならないのだ。これではいずれ〈寝たきり〉状態で足腰が萎え死に至るだろう。そういうわけにいかせるわけにもいかない。些かの抵抗はしよう。

 友人のN君は万歩計の使用を薦めてくれた。アンドロイドにアプリをインストールし、一昨日から早速試した。しかし、N君のいう目標にはほど遠い。しかし、力を振り絞り歩かなければならない。動け、歩けである。

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2020年7月 9日 (木)

将棋棋聖戦第3局

 藤井聡太七段が初タイトルをとるか、注目の一戦が進行中である。現在、後手番の渡辺棋聖が王手をかけて藤井七段が考慮中。一見、渡辺棋聖が景気よく攻めているようだが、ここからの終盤へのねじり合いの強さが藤井の真骨頂だ。勝負はこれから、というところである。それにしても、藤井七段の勢いには驚く。これまでの戦いぶりを見て、勢いだけでなく天性のものと鍛え抜かれたヨミの正確さがある。ねじり合いの終盤に間違えない。それは紙一重の強さを争うトップブロの間で頭ひとつ抜きんでているということだ。同時進行の王位戦の第一局も征した。これまで、様子見のアカショウビンの藤井評価だったが、恐るべき若者の登場をしかと実感している。

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2020年7月 7日 (火)

エンニオ・モリコーネ追悼

 昨夜、映画好きの友人からのメールで訃報を知った。享年91歳。大往生であろう。アカショウビンが中学生のころマカロニ・ウエスタンと、それは本場アメリカでは〈スパゲッティ・ウエスタン〉と蔑称されたらしいが、イタリアで制作された西部劇が日本で大人気になった。本場とは異なる些か残酷さもあるものが多かった。そのなかでセルジオ・レオーネ監督の作品は音楽が奇抜で素晴らしく、俳優も実にかっこよかった。その音楽がエンニオ・モリコーネ、俳優はクリント・イーストウッド、リー・ヴァン・クリーフ。『夕陽のガンマン』、『荒野の用心棒』など中学生が夢中になる面白さだった。アカショウビンが通った中学では街の映画館で映画を観ることは禁じられていた。しかし、隠れて観た友人の評判は校則を破ってでも観たい衝動に駆られた。そしてハマった。友人たちと映画雑誌を回し読みし、映画にのめり込んでいったのだった。

 映画監督と映画音楽はたいがいコンビを組む。フェデリコ・フェリーニとニーノ・ロータ、小津安二郎と斎藤高順、新藤兼人と林  光など。そこには阿吽の呼吸とでもいう了解がはたらくのだろう。それは時に絶妙な効果をもたらす。モリコーネとレオーネに生意気な中学生は魅了された。それはレオーネの早い死に至るまで続いた。アカショウビンにとって『ウエスタン』という作品は、セルジオ・レオーネとエンニオ・モリコーネが創り上げた最高傑作で集大成のマカロニ・ウエスタンで、本場西部劇へのオマージュとなっている、とアカショウビンは解している。

 それはともかく、エンニオ・モリコーネの作品は三枚組のCDを買ってある。退院したら追悼に聴き、楽恩に感謝しよう。もちろんセルジオ・レオーネの作品も観直そう。

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2020年7月 6日 (月)

建国の精神

 先週金曜日7月3日の東京新聞〈本音のコラム〉のタイトルは「マスクをしない自由」。北丸雄二氏は、「彼らはマスクをしない自由を唱えます」と述べアメリカの建国の精神を説明する。清教徒たちが英国国教会という権威から逃れて建てた国というのは教科書で学んだ。しかし「自治から始まったので、連邦政府すら要らない、税金さえ払わないという考えが今でもあります」とは知らなかった。憲法修正第二条には「政府が変なことをしたら人民が銃を持って立ち向かう権利も保証されます」という条項も未だに銃規制が困難な理由というのも目からウロコだ。この日が7月4日、アメリカ独立記念日の前日に掲載されたのも北丸氏の意志の含みが察せられる。アカショウビンは、『アメリカの黒人演説集』で1852年のフレデリック・ダグラス氏の演説論考「奴隷にとって七月四日とは何か?」を読んだばかりなのも奇遇だ。

 同じコラムの6月27日の記事。タイトルは「これも差別」、師岡カリーマさんがパレスチナ自治区のエリコで行われたデモを伝えている。トランプ政権とイスラエル両国の国際法違反の暴挙を告発する。パレスチナ差別の歴史は長い。ドイツでユダヤ人殲滅の被害を被ったユダヤ人がイスラエルでパレスチナ人達の土地を奪い殺戮行為を繰り返す。それはベトナムでも繰り返された構造と同じだ。人間は歴史から学ばない。進歩とは共同幻想でしかない。

 デモには英国、日本の外交官も参加したらしい。「占領軍による一般市民殺傷のニュースも日常茶飯事。これが天下の超大国のお墨付きで横行し、抗議の声は世界に届かない」と師岡さんは嘆く。

 しかし、奴隷制度の残滓を未だに残す〈超大国〉の罪は〈世界法廷〉で裁かれねばならぬ。

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世界法廷を機能させよ

 きょうは先日友人のI くんに差し入れてもらった文庫を読み喝を入れる。マルコムXの演説だ。『アメリカの黒人演説集』(荒このみ編訳 岩波文庫 2008年11月14日)所収。暗殺される一年たらず前、1964年4月3日、オハイオ州クリーヴランドのコリー・メソディスト教会で行われた。「The Ballot or the Bullet」(投票権か弾丸か)というタイトルだ。かつてスパイク・リー監督の『マルコムX』を観てから参考文献を幾つか読んだ。その中にこの文庫はなかった。よい機会だ。アメリカ全土で黒人差別反対運動が継続している。暢気な日本人でいるわけにもいかない。この体調でデモに行くわけにもいかないが、共闘の思考だけは表明したい。

 映画の中で主演のデンゼル・ワシントンが演説する。「デモクラシー(民主主義)なんて姿を変えたヒポクラシー(偽善)だ」。それはこの文庫でも確認した。マルコムXの演説は痛烈だ。それは人種差別なかんずく黒人差別の国、アンクル・サム(アメリカ政府)の国の歴史を抉り告発、弾劾する。それがタイトルに集約されている。

 「そうだ。私はアメリカ人ではない。アメリカ二ズムの犠牲者、二千二百万人の黒人の一人だ。民主主義なんて姿を変えた偽善だ。私は今、アメリカ人としてあなたがたの前に立ってはいない。愛国主義者、国旗敬礼者でも旗振り扇動家でもない。とんでもない。私はアメリカン・システムの犠牲者として話している。犠牲者の目でアメリカを見ている。アメリカの夢など見ていない。アメリカの悪夢を見ている」(同書p291)。

 マルコムXは、このアメリカの罪を人権無視の罪として世界法廷に提訴しようとした。世界法廷とは国連である。国連の無力は歴史が証明している。しかし、カントや賢人たちが追求したモデルとしての世界法廷は実現なかばとしても諦めることは許されない。共闘の声、怒りの声を挙げようではないか。真の世界法廷の実現を目指し。

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苔の候

 雨に曇る景色と微かな雨音が心地良い。退院に向けて体調を調えていかねばならない。緊急入院以来の無聊は友人たちに差し入れを頼んだ文庫本で凌いでいる。読み差しの本も団地から持ってきてもらった。読む時間はたっぷり。ただ体調がいうことをきかぬ。ここのところ下痢が続く。だるさが増したようにも思える。薬の影響があるのだろう。

 それはともかく、この雨で木々は生きる養分をしっかり蓄えることだろう。大樹には苔も生き生きとその色を映えていることだろう。先日は週刊誌で各地の苔の名所を特集していた。屋久島、京都など名所は多いようだ。しかし、近くに苔の美しさは見ることができる。アカショウビンが棲んでいる団地の前の公園には樫の大樹が威容をなしている。その木肌に苔が映える。名所とは異なるけれども、苔を観察することは返って都合良し。退院したら、雨の日が楽しみだ。

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2020年7月 4日 (土)

薬漬け

 呼吸器外科病棟から元の胃外科病棟にきのう移ってきた。四人部屋できのうは一人いたのが幸いすぐに移動し今は一人である。満室だと大変なのである。鼾、傍若無人の携帯電話、面会家族のこれまた傍若無人の会話。今はコロナで面会が厳重になっているからいい。きのうまでいた呼吸器外科病棟はナースステーション前の重篤患者がいる四人部屋である。二人の患者は自分で排便、排尿が出来ない。一人は高齢者、一人は中年である。介護、看護の看護師たちは明るくそれを捌く。その声には不満の含みも聴き取れる。しかし多くは明るく振る舞うのに嫌味はない。

 それからすればアカショウビンはマシなほうだ。きのうから夜中の頻尿に気を遣うこともない。それはともかく、きのうから服用する薬が増えた。緊急入院で中断していた抗がん剤もきのうから再開した。他に4種類の薬を食後に飲まねばならない。元々、風邪をひいても薬など飲まない。それが入院するとまるで薬漬けだ。便の色が変わるのが不気味。鉛色の黒っぽい便なのだ。もっとも、便秘体質から解放されているのはありがたいけれども。後のために薬名を記しておく。

 オーグメンチン配合錠=炎症、化膿、感染症を抑える抗生物質。アモキシシリンカプセル=上に同じ。クエン酸第一鉄Na錠=不足している鉄分を補給し貧血を改善する。ロキソプロフェン錠=関節、腰、歯や傷等の炎症や痛みを鎮めたり、風邪の時の熱を下げ、痛みを鎮める。

 なるほど、それぞれ効果があるのだ。それは専門家、プロに任せるに如かずだ。

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人剖くよろこび

 寒夜鳥屋の赤きてのひら、割く鴨の胸さぐりつつ人剖くよろこび〈日本人霊歌〉

 今朝は塚本邦雄のこの破調で日常に喝を試みる。マイルスが求め止まず生涯を費やしたという〈新しいサウンド〉は塚本も戦後を生きるために短歌革新、前衛短歌に活路を求めた。当時の知識層に送った『水葬物語』に鋭敏に応答したのが三島由紀夫と中井英夫の二人のみというのも何やら戦後空間の作家の時間の偶然というより必然のように思える。

 

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2020年7月 2日 (木)

『完本 マイルス・デイビス自叙伝』

 緊急入院以来、CDはもちろんラジオも聴けない生活だ。本はあるが音楽がない。それは音楽好きにはきつい。音楽関連の本を読むと、それは拷問のようなものになる。頭で音は鳴るのだ。しかし、それは本物ではない。ピアニストが頭でスコアを辿れてもピアノのキーを叩かなければ指と身体、精神は活性化しない。つまり、音楽は空間を満たさない。

 そんなアレコレをまさぐり思索の糸口を見つけて音楽が聴けない不如意を紛らそうとするのも、マイルスの自叙伝を読み継いでいるせいだ。『完本 マイルス・デイビス自叙伝』(マイルス・デイビス/クインシー・トループ著  中山康樹訳 1991年11月25日  JICC出版局)。これは出版された時に買って直ぐに読み出し読み終えたつもりになっていた。ところが、先日、何気なく本棚から取り出したら半分あたりに赤い紐がかかっているではないか。そうか、あまりにおもしろくて途中で中断したままになっていたのだ。

 それを緊急入院前から読み継いでいた。先日、友人に団地に行ってもらった時に、それを持ってきてもらい読み継いでいるというわけである。回りくどい話で恐縮。

 それはともかく、この自叙伝が抜群におもしろいのは、訳者がマイルスのサウンドに心底イカレた半生を過ごしたからだ。それは専門誌『スイングジャーナル』に勤めた縁もあるのだろう。マイルス関連の著作も多い。アカショウビンも幾つか読んだ。自叙伝の訳もマイルスの語りが目に浮かぶようにこなれている。黒人差別への闘士としてのマイルスも随所に現れる。しかし、おもしろく強烈な印象を受けるのは、優れたプレーヤー、音楽家としてのマイルス・デイヴィスである。それは他の優れたプレーヤーを見い出す批評家としての才能も抜群の音楽家だ。

 常に新しいサウンドを求め続けた、今では死語となった用語を敢えて使えば、〈前衛〉プレーヤー、音楽家としてのマイルスが、この自叙伝には横溢している。ともあれ、読み終え、退院したら改めてCDでマイルスを聴いていこう。エレクトリックになってからのマイルスは聴いてない録音も多いからだ。

 残念なのは訳者の中山康樹氏の訃報を、その後何年かして突然知らされた事だ。これから益々健筆を揮われる途上での急逝である。ジャズ界には大きな損失と言うしかない。しかし、この自叙伝にしろ貴重な仕事を残された。その貴重な成果を引き継ぐ者たちがいることを確信する。

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2020年7月 1日 (水)

チューブを抜く

 肺に溜まった水と膿を抜く手術をしてから六日。その間、手術の時の血を抜くチューブが入り器械で少しずつ血が抜かれていた。赤い血が溜まっているのを見るのは嫌なものだ。それが先ほど、やっと抜かれた。痛くて大声をあげた。しかし、これで退院に向け一歩前進だ。

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将棋・王位戦始まる

 今日から豊橋で王位戦が始まった。去年も大きな話題になったが、今年はそれ以上だろう。将棋界だけでなく高校生プロ棋士の藤井聡太七段が挑戦者になったことによる。アカショウビンは意外だった。ここまで来るとはまるで予想していなかったからだ。それくらい藤井君、と言わせてもらうくらいのやはり高校生だからだ。将棋界では羽生善治以来だろう。詰め襟の羽生が、時の名人や名人経験者たちを次々と破ったNHK杯戦を思い出す。凄い天才が出て来たと驚嘆した。

 タイトル保持者は史上最年長でタイトルを奪取した木村一基。話題性満載のタイトル戦だ。アカショウビンもネットで楽しみたい。

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入院暮らし

 先月16日に緊急入院し、26日肺の手術し梅雨のうちに七月を迎えた。成り行きに任せた時日だった。入院から十六日、手術から六日が過ぎる。術後の不如意と痛み、退屈は友人から差し入れてもらった文庫、書籍と団地の部屋から持ってきてもらった読み差しの書物を読み継ぎ埋まる。

 4月20日の胃の全摘手術の後、排尿が近くて困る。水分はほとんどとらないにも関わらず夜中は一時間半から二時間に一度、トイレにかけこむ。手術後の肺の血を掻き出す器械を引っ張りながらだから不便この上ない。四人部屋の同室の二人の患者の病状からすれば、それでもアカショウビンの病状は軽い方である。向かいのベッドの耳の遠い高齢女性は明日退院である。二人の男患者はベッドから自力で起き上がれない。それは辛かろう。病の酷なる事ここに極まる。アカショウビンも手術直後の集中治療室では同じ状態だった。それからすれば、器械のセットされた器械を移動ポールで引っ張りながらだが、身体を動かせるのはまだしもである。今朝も梅雨空だが、雨は降っていない。病棟、病室はエアコンが効いて快適である。看護師さんたちの自他の看護、介護も手厚い。朝刊も売店から届いた。さぁ、きょうも一日が始まった。

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