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2020年4月 8日 (水)

病床独語

 何と、きのうから今朝にかけて四人部屋の病室が満室になった。カーテンで仕切られているだけで隣の話は聞くともなく聞こえてくる。時に複数の話が交錯する。世間はコロナで大騒ぎというより異常な静けさのようにも思える。さきほど古い友人が来院してくれた。こちらの病歴と現状を説明しただけで昔話は少ししかできなかったのは残念。しかし、ありがたかった。

 皆さんのお話は抗がん剤への不安など。後遺症は合併症などアレコレ出るらしいのだ。その不安は身体の不具合と重なり具体的。自らは余命も半年と告知され覚悟もされておられる。このような話が聞けるのも入院治療ならでは。人は立派なものなのである。死は耐えて受け入れるものとハイデッガーは言う。病はそれができる状況に人は滞在しているということだ、ハイデッガーによれば。わかりくい説明だが、アンキバシエというギリシャ語でハイデッガーは説く。それは先のブログで少し書いた。それは繰り返し読みハイデッガーの存在論の急所として腑に落とす箇所と確信する。

 手術の日取りは未定。他の患者さんのご様子も感知しながら気持ちを整えていきたい。 

 世間との通路は新聞のみ。きのうは『新聞記者』の原作者、望月衣塑子さんの記事も初めて東京新聞で読んだ。ぶらさがり会見への意見だが、新書の内容のほうがよほど刺激的。筋金入りの記者なのだ。有名になりすぎて筆がゆるんではいけない。現実を抉り、根底からの疑問を国家権力に突き付けて頂きたいと切に願う。そのような現状政治への憂さは『お節介なアメリカ』というノーム・チョムスキーの論考が晴らしてくれる。少し古くなるが、イラク戦争時の孤軍奮闘の論説である。このような本を読めば娑婆に対する未練も湧いてくる。残り時間を怒りと闘いに費やさなければ、と。

 とりあえず、手術が正念場になる。それまで、委ねながら会域に滞在し、ひたすら待つのだ。

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