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2020年4月17日 (金)

無化あるいは撲滅

 ハイデッガーは先の『アンキバシエー 科学者と学者と賢者による野の道での鼎談』を1945年4月7日に記し終えている。出版するつもりはなかったのかもしれない。それは手稿といってよいもので日頃の思索を〝文学的に〟戯曲のシナリオの様なものに仕立てた。しかし、そこにハイデッガーの思想哲学の真髄が現れていると確信する。時はドイツ敗戦のときである。辞任せざるをえなかったにしろ、自ら大学学長として若者たちの未来を教導した責任も覆い被さってきたにちがいない。しかし戦後もナチスの運動を信奉した哲学者は現実政治とは別に思索者として人間の歴史と存在について冷静な思考を持続していたことがわかる。それは論文、論考という形式をとってないだけかえってその肉声と思考の跡が生々しく読みとられるのである。先のブログで引用した箇所を再掲する。

 賢者 おそらく人間が自然を対象化しようとすると、まさに自然が自らを示そうとするものの中に技術の攻撃に対する秘かな反抗が生じるのだと思います。この反抗の覆いがはがされることによって自然の力が解き放たれ、それが無化(撲滅)という地球全体を取り巻いている出来事として爆発するのです。

 これは先の世界大戦を解釈したものといえるだろうが、昨今のコロナ禍にも当て嵌まるように思えないだろうか。それから一ヶ月後に記した『ロシアの捕虜収容所で年下の男と年上の男の間で行われた夕べの会話』は、戦死した息子たちの会話に託した父親の追悼ともいえる手稿である。その最後にハイデッガーは次のように記している。 

 1945年5月8日、ドナウの谷のハウゼン城にて  世界が勝利を祝っているが、自らがすでに数世紀以来、自らの蜂起の敗者であることにまだ気づいていない日に

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