« 術後、初めての食事 | トップページ | いかに貧しく暮らし生きるか »

2020年4月27日 (月)

何が問われているのか

 手術からきょうで一週間が過ぎた。身体に入っていたチューブも一つ一つ抜けて行き、やっと歩けるようになったのは幸い。しかし脱力感と傷跡の痛みはどうしようもない。痛み止めで済む話ではない。回復には時の経過とこちらの免疫力、生命力が必須なのだ。それは対症療法では解決できない領域だろう。コロナ禍にしてもウィルスという生き物が相手だから何とかなる話で、それさえ世界に蔓延すれば、このザマだ。それほど人間は奢りたかぶり地球という場を浸食してきたということだ。人間こそが災厄の原因であることに気づけということなのではないか。経済活動の減退で地球環境が復活しヒマラヤの冠雪がインドで30年ぶりに見えているらしい。温暖化という事態の深刻さを米国は無視した。欧米でコロナが席巻しているということは昔の宗教者なら天の罰が下ったと判じるのかもしれない。それほど、人間は逸脱して文明化されているのではないか。近代史を俯瞰するだけで、産業革命以来の人類史は、自然を対象化し数値化し浸食、蚕食してきた。その結果が原発であり、ミナマタであり、様々な災厄だ。そこで何故学ばないのか。環境負荷を落とせば地球は息を吹き返すのだ。経済主導を根本的にパラダイム転換しなければならない。それは新たな革命を必要とする。米国民も日本人も今回の災厄で何が問われているのかに少し気付いている人も増えているかもしれない。しかし、それが日本人は政治に反映できない。米国はそれを反映させてトランプを選びこのザマだ。何かが狂っている。ボタンの掛け違いではすまない結果が既に生じているのだ。根本的な改革が必要だ。それは革命であろう。思考革命である。残り時間が少ないアカショウビンには、その革命の様子を見ることは叶わないが、それなくして人類の存続もまたないであろうことは確実である。

|

« 術後、初めての食事 | トップページ | いかに貧しく暮らし生きるか »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 術後、初めての食事 | トップページ | いかに貧しく暮らし生きるか »