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2020年4月17日 (金)

回想と悔悟

 NHKのFM放送でビゼーの『カルメン』を放送しているので途中から聴いた。サイモン・ラトルがベルリン・フィルと録音したものらしい。オールマイティのラトルだが、『カルメン』」とは少し意外な作品である。しかし、おそらくそれは小澤征爾(以下、敬称は略させて頂く)への対抗意識もあったのではないか。小澤はフランスのオーケストラで『カルメン』を録音した。それは用意周到といえる準備だったように思う。タイトル・ロールは今は亡きジェシー・ノーマン。そのメイキング映像も発売された。それは歌手への徹底した発音指導など完璧を期した録音とも思われた。その何年か前に小澤は日本で二期会公演で『カルメン』を振っている。そのような経緯での本場、フランスでの『カルメン』だったのだ。その録音は繰り返し聴いてあきない優れた演奏と録音である。数ある『カルメン』の録音のなかでも屈指の名演と思う。アカショウビンは大学を卒業し一年の就職浪人のあと二期会事務局の応募に運良く合格した。それが小澤を起用した二期会の『カルメン』公演の準備期間の頃だった。来日前の小澤とも電話で楽譜の件で声を聞いた。壮年期の勢いあふれるマエストロだった。成城学園の練習にもお付き合いした。ご家族も見学に見えていてアカショウビンの近くにはタイトル・ロールの伊原直子さんも。親しく声をかけていただいたことなど懐かしく思い起こされる。それは音楽好きの社会人一年生にとって贅沢な体験だった。

 それはともかく、本日は父の命日である。1992年4月17日金曜日(奇しくもきょうも金曜日だ)、午前1時26分、京都の病院で逝った。68歳だった。現在の平均寿命からすれば早すぎる死だった。夜中に弟から電話が入り、翌朝の新幹線で京都に向かった。私鉄の駅の階段から母と弟が降りてきた。それから父たちが住んでいたアパートで一泊し、故郷の奄美まで空路で帰った。葬儀は盛大だった。かつての友人、知人、親戚に心から弔って頂いた。末っ子だった父親の実家の本家で一泊し、伯父夫婦が空港まで送ってくれた。

 父の容態が悪くなり、危篤が伝えられた。奄美から伯父が駆けつけた時の病室の様子をアカショウビンは忘れることができない。伯父は病床の弟の姿を見て入口近くで直立し、絶句し、「カズ・・・」と父の愛称を幽かにやっと喉の奥から絞りだしたのだ。その姿に弟も従兄もアカショウビンも顔を背け、嗚咽するしかなかった。生前は家業の印刷会社でライバル関係であり周囲は決して仲が良いともみていなかっただろう。しかし幽冥を分かつときの血肉を分けた兄弟の情愛というのはかくも深いものか、とアカショウビンは直感した。長男ながら結婚もせず孫の顔も見せられなかったことをアカショウビンは世間並みに悔やむ。しかし悔悟といえるものは家業を継がず好きな道を歩ませてもらった父親の期待に応えられなかったことだ。それはガン放射線治療のあと別のガンで大きな手術をひかえる今いっそう切実に身を苛む。手術から生還しても奄美を訪れることはないかもしれない。それより、余生は、この世での生を納得できるまで全うすることだろう。何ができるか、それは幾つかある。それがせめてもの父や母への恩返しであるように。

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