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2020年3月29日 (日)

皆川達夫さんの引退を惜しむ

 日曜日朝のNHKラジオ「音楽の泉」は毎週楽しみにしている長寿番組である。司会は皆川達夫氏。聴き慣れた作品も氏の解説付きで聴くと新たな視点(というより聴点か)で味わいが深くなるのを楽しみに聴き続けてきた。それが今朝は寝耳に水。きょうで番組を降りられると言う。残念だ。しかし最後に氏が選んだ作品はバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ。西洋音楽の至宝のひとつだ。アカショウビンも若い頃から聴き続けるバッハ作品のなかでも繰り返し愛聴してやまない。皆川さん(氏ではよそよそしい。敢えてこう呼ばせていただく)が選ばれた録音はヘンリク・シェリングのおそらくグラモフォン盤だ。名盤の誉れ高い演奏だ。皆川さんの番組最後を飾るにふさわしい作品と演奏だ。このブログでは何度か書いたが、アカショウビンが偏愛する演奏録音はヨーゼフ・シゲティのヴァンガード盤だ。それはさておく。今は静かにシェリングの過不足ない演奏に集中しよう。

 皆川さん、長い間ご苦労さまでした。いろいろ勉強させていただきました。此の世のご縁を心から感謝申し上げます。いつか新宿でお見かけしたとき、こちらの不躾にチラとこちらに眼を向け粋に片手で挨拶してくれたのを思い出します。またどこかでお声を聴くのを楽しみにしています。益々ご壮健で御活躍されますことを心からお祈り致します。

  シャコンヌとガボットが聴き納めというのも皆川さんらしく粋で味わい深い。外は雨が霙から雪に変わった。春の雪である。

 番組最後は皆川さんの別れの挨拶。1988年10月から番組を担当したという。アカショウビンはもっと前からと思っていた。しかし、それでも32年。皆川さんも92歳になられたのだ。ご長寿でなにより。重ねて電波を通じた不可思議な此の世の縁に心から感謝申し上げます。

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2020年3月27日 (金)

病床閑話

 今回の入院で辛いのは食事が栄養剤頼りということである。定時の食事時間に向かいのベッドのSさんはクチャクチャと音をさせてお食べになる。さもおいしそうに食べておられるのが伝わる。この病院の病院食は五年前の入院生活で経験している。おいしいのである。退院の時は食膳に一筆お礼のコメントを書いたくらいだ。それが食べられないというのだから二重に酷な状態なのである。

 しかし、Sさんの食欲には驚く。先日、胃の全摘手術をしたばかりだからだ。アカショウビンは噴門側切除だったが普通の食事ができるようになるまで食欲はなかったと思うのだが。五年前は二週間で退院の筈が46日に延びた。退院前の昼食を夕方に全て吐いてしまい病院側が大事を取ったのだ。

 それはともかく、先日の審査腹腔鏡検査でガンが見つかった他の部位にガンはなかったことがわかり、改めて4月6日に食道と空腸の間のガンと狭窄部位の外科手術を行うことになった。説明を聞くと気管切開も考慮し大変な手術になるみたいだ。しかし、お任せするしかない。運を天に任すというのは正しくこういう状況を指すのであろう。

 

 

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待つことあるいは到来すること

 入院の無聊と退屈は読書と音楽で紛らす。映画が観られないのがアカショウビンには辛いところだが。もちろんノートパソコンは持参した。YouTubeで観ようと思えば観られはする。しかし偏屈なアカショウビンはそれが嫌いなのである。スクリーンは劇場か自宅のディスプレイで音響はそれなりでなければいけない。面倒な奴だな、というのが友人、知人の本音だろう。しかし、それはこだわりというものである。

 表題は読んでいる『ロシアの捕虜収容所で年下の男と年上の男の間で行われた夕べの会話』の中からキーワードと思えるハイデッガーの奇妙な文章から。編者によれば、この手稿は1945年5月8日の日付という。つまりドイツ敗戦の年月である。戦後もナチだったと暴露された哲学者は敗戦をどのように甘受しようとしていたのか。この手稿を読む限り、ひとりの<思索者>としてハイデッガーは祖国の敗戦に耐えていたと思われる。実に穏やかに会話という新たな形式で彼は思索を継続している。それは難解だが、その穏やかさが秘めた決意の如きものを看取させる。しかも、この二人の男は戦死した二人の息子を追想しているとも解されている。

 待つことによってはじめて

 我々は我々になり、すべての事物に根拠への帰還を許す。

 一度も聞かれることなく消え去った古えの名バイオリンの優しい響きのように 

 人目につかぬキャビネットの中の楽器のように

 上は年下の男に意図せず語りかけられたと話す言葉である。それは誰かの詩とも思われる。ハイデッガーが傾倒したヘルダーリンかも知れない。

年下の男は、また次のように年上の男に語る。

 私たちは楽器のようなものです。その響きの中で世界最古の演奏がこだましている非常に古い弦楽器のようなものです。(中略)われわれが待っている純粋な到来も、流れ去ってしまうような漠としたものではありません。それは、われわれ人間が、あるものをそれを基礎づけているものに委ねておくことがほとんどできないために、当然のことながら、ゆっくりとしか対応できない単純で卓越したものなのです。

 次の箇所は洋の東西を越えて敗戦国日本にも通じる。

 年下の男 おそらく民族における詩作し、思索する者というのは、最も高貴な形で待つ者に他ならず、彼らが到来を待つこと(Gegenwart)を通じて語(Wort)が人間の本質の応答(Antwort)に達し、またそのようにして言葉へともたらされるのです。

 年上の男 そうすると、詩人や思索者を持つ民族は卓越した意味での待つ民族であるということになりますね。

 年下の男 そうした民族はまず、そしておそらくまだ長い間、その本質の到着を待たねばならず、そのことによってその民族は、荒廃が過ぎ去ったものとして無視されることになる到来を待つ者になれるのです。

 上記の箇所はハイデッガーにとって詩人はヘルダーリンであろうし、それは我が国にすれば斎藤茂吉が心酔した柿本人麻呂とも解される。それはまた新たに熟考されなければならない別の論点であるけれども。

 『野の道での会話』所収の三つの会話は難解を極めるハイデッガー哲学をやさしく語り明かしたような風情をもつ。それは悟りの境地のようにも思える。ハイデッガーは戦前の思索で何かに到達、会得し、戦火の中でそれを静かに反芻している、そんな趣がある。さらに熟読していきたい。

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2020年3月26日 (木)

鰤漬け丼

 きのうから新潟県の佐渡市で行われている将棋王将戦七番勝負の最終局をネットで楽しんでいる。二日目のお昼に対局者の注文した料理が写真付きで面白い。お昼は二人とも鰤(ぶり)料理である。渡辺王将は、鰤のステーキ、挑戦者の広瀬八段は鰤漬け丼。アカショウビンは八段の料理に食指が伸びるだろう。鰤は刺し身にして良し、照り焼きにしてもおいしい。佐渡の寒ブリは(三月半ばでそうは言わぬか)さぞや脂がのっておいしいことだろう。この四ヶ月、普通に食事がとれないアカショウビンには酷な写真だが、見て楽しむのは和食の基本。おいしい食事で頭脳をフル回転させて最終局を飾って頂きたい。

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アンキバシエー

 放下と訳されたドイツ語はGelassenheitである。別訳では先のブログで引用させて頂いた委ねられている状態、あるいは「平然さ」である。放下と訳された辻村公一氏は仏教哲学的な意味を含ませたかったのかもしれない。ハイデッガーに仏教哲学の知識は日本人留学生たちを介し幾らか伝わっていただろう。何せ親鸞の宗教思想には強い関心を示したそうだから。その急所は他力という親鸞の思想的確信と思われる。加えて悪人正機説はシェリングの悪の論理とも呼応しハイデッガーの関心を惹いたのかもしれぬ。シェリングの『人間的自由の本質』を論じた講義は『シェリング講義』としてまとめられている。ハイデッガーや教え子のハンナ・アーレントが追及した<意志>についての論考は、仏教哲学で解すれば自力ということになろう。しかし宗教の多くはキリスト教でも他力である。ちっぽけな人間の力の及ばない大いなる力に頼り、任せる。それが人間にとって宗教なるものの発明というか発見とも創造となった、とは言えるだろう。

 後期ハイデッガーを読み解き、理解するうえで、創文社全集の第77巻に収められた『野の道での会話』の三編はハイデッガー理解に特異な位置を占めていると思われる。そこには神秘思想、秘教的退行とも解されかねない会話が交わされているものの、生涯を通してハイデッガーが会得した哲学的境地を、論文ではなく、死すべき者たちの人間の言葉で苦心、工夫して伝えようとする意図が伝わるのはアカショウビンの錯覚でもないように思うのだが如何であろうか。

 『野の道での会話』の第一編は、「科学者、学者、賢者の三人による野の道での鼎談」である。ギリシャ語のアンキバシエーとはヘラクレイトスの言葉。ドイツ語では〈近づいてゆくこと〉と訳される。翻訳は麻生 建氏。この戯曲の如き論考が1944年から45年に書かれたというのも興味深い。敗戦の断末魔のなかで思索を続けるハイデッガーが自らの思索をこのような形式で文字にしたということが興味深いのだ。そこには『存在と時間』以来の思索が繰り返し継続されているのを実感する。

 他の二篇は次の通り。『塔の登り口の戸口での教師と塔の番人の出会い』『ロシアの捕虜収容所で年下の男と年上の男の間で行われた夕べの会話』。『ロシアの捕虜収容所~』は、戦争で失った二人の息子への追想が込められているとも解説されている。

 

 

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2020年3月24日 (火)

放下あるいは委ねられている事

 本日これから手術仕様の検査である。審査腹腔鏡、これが正式名称。ガンが胃の外側にないか調べ他も見るという検査だ。臍と腹の二、三箇所に穴を開け内視鏡、カメラを入れて覗く。医療技術の進歩のなせる技である。五年ぶりに同じ病院で処置してもらう。医師スタッフは様変わりしている。上手い下手もあるだろう。しかし任せるしかない。俎板の上の鯉である。

 外は風が強い。五階の病室から見える病院敷地内の巨樹の葉が大きく揺れている。

 表題はハイデッガーの生前は未刊の論考から。入院で持ち込み久しぶりに読み直した。感想は後で。これから手術室に向かう。

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半世紀前の〝時限爆弾〟

 一昨日、『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』(豊島圭介監督)を観た友人から感想を聞いた。週刊誌で、三島が仕掛けた時限爆弾という見出しで書かれた菅 孝行氏の寄稿文の感想は少し書いた。アカショウビンは高校生の時にあの事件を新聞報道で知った。友人と温度差はあるが、多感な高校生にあの事件は衝撃だったという点では同じだろう。このブログでも毎年ではないが、三島が市ヶ谷の自衛隊に突入し割腹、自裁した11月25日には感想を書いている。それはともかく、友人は映画に登場した〝盾の会〟のメンバーのインタビューが殆ど注目するものではなかったと話した。アカショウビンが興味をもつのはそこだったからだ。しかし三島と全共闘の芥氏とのやりとりには圧倒されたらしい。一昨日の新聞記事では〝宇宙人の会話〟のように思えたという感想もあった。それくらい三島と彼ら若者たちは率直に知的に遣り取りしたということだろう。44歳の三島からすれば息子や娘のような世間を知らない若造である。三島はと言えば功なり名を挙げた人気作家である。格が違う両者が対等に渡り合うというのは三島由紀夫という人間の度量でもある。そういう場がかつてあったことを知ることは観る者にも刺激となる筈だ。

 三島の死や作品について高く評価したのは保田與重郎である。しかし、その死について辛辣な批判で一撃したのは吉本隆明だ。アカショウビンがもっとも刺激されたのが吉本隆明の論考のなかでの次の箇所だ。

 三島が<日本的なもの>、<優雅なもの>、<美的なもの>とかんがえていたものは<古代朝鮮的なもの>にしかすぎない。また、三島が<サムライ的なもの>とかんがえていた理念は、わい小化された<古典中国的なもの>にしか過ぎない。この思想的な錯誤は哀れを誘う。かれの視野のどこにも<日本的なもの>など存在しなかった。それなのに<日本的なもの>とおもいこんでいたのは哀れではないのか?(『試行』第32号1971年2月15日)

 この是非は問わなければならない。それは三島由紀夫という作家と人物の真価を探るうえで不可欠だろうからだ。そして、三島が〝仕掛けた時限爆弾〟を現在に照り返し新たな問いとして我々に回答を促すだろう。

 

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2020年3月20日 (金)

入院3日目

 五年ぶりの再入院だ。初日は点滴処置のみ。24日の腹腔鏡検査まで栄養剤注入で体力を少しでも回復するためである。何せ数日前から処方された栄養剤が満足に飲めなくなった。きのうは鼻からチューブで腸まで栄養剤を注入する処置をした。内視鏡室で鎮静剤を使いウトウトしている間に終わった。ただ主治医が忙しいというのでスタートはきょうから。点滴に電源のある器械は付いてないが、こちらは充電機能のついた装置にコントロールされている。一箱200kcalの栄養剤が8時間かけて胃に注入される。食物繊維、オリゴ糖が配合されている。点滴は築地の病院と同じ“ビーフリード”という輸液。500mlの中にブドウ糖、約37・5gの他、塩化カリウム、塩化カルシウム水和物、硫酸マグネシウム、硫酸亜鉛水和物、チアミン塩化物塩酸塩が入っている。

 四人部屋で二日間はアカショウビンだけ。今朝若い男の患者が入室してきた。奥さんのような女性と共に。看護師が出ていったあと挨拶も。入院生活の相部屋は気を使うのだ。

 午後に友人のIさんが訪れてくれた。アレコレ話せて気が紛れた。きょうから公開される映画の券もお渡しした。映画関係に知人の多い別の友人N君に自分の分とチケットを頼んでおいたのだ。アカショウビンは公開中に行けるかどうか。50年前の三島由紀夫と東大全共闘の討論の秘蔵フィルムを再構成したドキュメンタリー映像らしい。週刊誌で関連記事を読み見ておきたくなったのだ。

 午後四時すぎ、主治医のM医師から別室で検査の説明を聞く。予定術式は審査腹腔鏡。検査だけなので早ければ30分から一時間で済むという。食道から小腸に繋がる箇所がアカショウビンの場合極端に狭くなっていて、先の胃カメラ検査でそこに癌が見つかったわけだ。今回の検査で他に癌が見つかれば手術より化学療法(抗がん剤)となるという。抗がん剤治療はやりたくないのだが。検査後に改めて相談になる。ともかく、持ちこんだ本を読み、CDを聴いて過ごす。

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2020年3月19日 (木)

闘争の生き証人女性の死

 様々な死がある。17日東京新聞の〝本音のコラム〟でルポライターの鎌田 慧(かまた さとし)氏が「ある事故死」の見出しで書いておられる。1972年、成田空港建設反対運動が起きた。学生たちは「三里塚闘争」と銘打ち鎌田氏も参加した。「学生運動の昂揚のあとで全国から学生や労働者が駆けつけ、常駐した。援農に支えられ、小学生もふくめた家族ぐるみの抵抗闘争は、数多くの逮捕者、負傷者ばかりか自殺者、死者をだした。計画から五十四年たったが未完成。計画変更後も混乱を極めている」。そうか、それでも闘いの成果はあったのか、と少しは安心もする。このところ小川紳介監督の『三里塚シリーズ』をはじめ、幾つか小川作品をまとめて観ていたからだ。事故で亡くなった石井紀子さんは、農家の若者と結婚した十数人の女子学生の一人で「ミミズにも恐怖する、東京の教員の娘だった」という。「土と闘争に根を張って生きた。それで得た人生です。この在り方を続けていきます」と彼女は爽やかに語っていたとも。鎌田氏は17年前に他界した義父、八年前に離婚した夫と懇意であったそうだ。半世紀の間には様々な人生と世の変化がある。小川作品を観てアカショウビンも様々な感慨と感想をもつ。或る新聞記事でアカショウビンの現在と過去が接点を得る。偶然のようで偶然ではないようにも思える。それを結びつけ明るみに出すのはアカショウビンの意志しだいとも思える。

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2020年3月17日 (火)

異なって見える風景

 診察が終わりひと休み。外は少し風があるのだろう、木々がそよいでいる。建物の中は空調が効いて落ち着ける。きのうの風は台風なみだった。あちらこちら自転車で回り用事を済ませたが突風に何度も立ち止まった。夜勤の警備の仕事も風が強いと身体にこたえる。雨風が凌げるということはありがたいことなのだ。

 築地にはサラリーマンの頃からいろいろな思い出がある。市場は人々が行き交う場所だ。そのざわめきがいい。声のやりとりがいい。生き生きとした人間たちがいることが実感できる。商品として売買される生き物たちには気の毒だが、おかげで人間共は生き延びられる。そこに気づく者は殆どいないが、その事実はときおり想い起こそう。

 アカショウビンを鍛えてくれた縁ある人々の何人かは鬼籍に入った。様々な記憶が甦る。浮かんでは消えまた浮かぶ。人の生もかくの如し。企業も同じ。倒産した会社を幾つも見た。今も築地をぶらつけば、かつてあった店の奥で今は亡き或る社長が甲高い声で注文にこたえている姿と声が想い起こされる。いろんなことがあった。かつての風景は変わったが、そこにはアカショウビンの記憶に様々な幻視が明滅する。

 或る風景と場所の記憶は、そこに生きていた過去を今に呼び戻す。人の精神とは不可思議なものである。というより生きているということは不可思議なことなのではないか。そもそも有るとは何か、という問いにも立ち返らせる。

 小川紳介監督のドキュメンタリー映像を観ていると現在と照らし合わせ新たな思いに浸り刺激を受ける。三里塚の農民の熱い闘いは時空を超えて現在の思考、思索と行動を促す。田んぼや畑は百年、千年刻みで人間たちの営為を見てきている。百姓とは、そういう時空間を自然と共に生きる人間たちだ。時代は移り世界も変わった。しかし変わらぬものもある。そこに改めて視線を向けたい。

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ひと区切り

 下咽頭ガンの放射線治療が終わり、ひと月が過ぎた。火傷のような症状も回復し、きょうは主治医の診察へ。午後2時、ロビーは満員。さて、どれくらい待たされることやら。

 明日は別の病院に入院である。そちらは胃ガンの再発という見立てで、とにかくガンの拡がり具合を調べましょう、ということで腹腔鏡検査からすることになる。その前に点滴治療で栄養剤補給から。とにかく、この三ヶ月食事ができない。食べれば吐くのである。

 入院、手術で果たして食べられるようになるのか。既に余命は秒読みの段階ではないのか。囲碁、将棋でいえば起死回生の妙手がなければ投了という局面に近いであろう。それは心身が予感している。

 主治医の診察では、下咽頭がんは放射線治療の効果あったようだ。しかし胃ガンの話を聞いて苦い表情に。「ガンは厄介な病気なんですよね」と。それは医師がもっとよくわかっているだ。しかし患者は次の相手に応対しなければならぬ。明日は五年ぶりに再入院だ。

 粛々と整理は進めているが覚束ない。昨夜はCDや本を整理するラック作りに手をやいた。説明書を読みながら組み立てるのだが、これがひと仕事。未完成のまま今朝は出かけた。

 それはともかく。読み残した本や聴き足りないCD、観ておきたいDVDの幾つかを入院中に片付けたい。マイルス・デイヴィスの録音も改めて聴き面白い。モダンジャズの生き証人の生涯に渡る録音の変遷は衰えた心身を鼓舞する。マイルスは、常に新たな変化を求め若い演奏家たちと渡り合う。その気迫は聴く者に激しく問いを突き付け迫る。それに我が心身が反応するのだ。この音の交流こそが生きているという事の証だ。

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2020年3月 9日 (月)

怒りの行方②

 小川紳介監督が三里塚でキャメラを回していた頃の怒りと闘争は別の場所でも人と所を変え繰り広げられていた。今月、『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』(豊島圭介監督)というドキュメンタリー映画が公開されるらしい。先週号の〝サンデー毎日〟に菅 孝行氏(以下、敬称は略させて頂く)が感想を書いている。「三島由紀夫が仕掛けた“時限爆弾”」という主見出し。「革命」はどこへ行ったのか!?という副見出しも付いている。

 1970年11月25日号の自刃(自裁と表現する人もいる)は海外メディアにも広く伝えられた。三島は師の川端康成らと共にノーベル文学賞候補の一人だったからだ。ハラキリ小説家と揶揄もされただろうが、文学的な資質の高さは文壇でも了解済みの人気流行作家でもあったから日本では衝撃が走った。アカショウビンが高校生の頃だ。新聞には三島の首のスクープが掲載された。国語の担任教師は授業を中止して事件の感想を興奮して述べた。それは何度かこのブログでも書いた。以来、三島由紀夫という作家はアカショウビンの関心の領域の中に今なお居続けている。保田與重郎の追悼も後に読み興味深かった。保田は最大の賛辞を記している。

 それはともかく、菅の文章は三島と逆の立場から50年前のフィルムを見ながらの感想だ。そこには菅なりの戦後への問いかけが吐露されている。菅は三島が忌み嫌った戦後民主主義体制の日本への嫌悪のことば「このままいったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう、それでもいいと思っている人たちと口を利く気にもなれなくなっているのである」(「果たし得ていない約束」)という文章を引用し、それが高村光太郎の「根付の国」を連想させると書いている。それは当たっていると思える。「魂を抜かれた様にぽかんとして 自分を知らない、こせこせした 命のやすい 見栄坊な 小さく固まって、納まり返つた 猿の様な、狐の様な、ももんがあの様な、だぼはぜの様な、麦魚(めだか)の様な、茶碗のかけらの様な日本人」。三島は光太郎を読んでいたのだろう。三島が「鼻をつまみたくなる」と形容した戦後の日本は愛国詩人、高村光太郎の心情が言葉を換えたものだ。

 菅は「三島が二・二六蹶起将校の首謀者、磯部浅一(いそべあさいち)の獄中での心事に深く拘泥していたことだけは確かである」と書き、橋川文三(ぶんそう)が磯部の獄中記に、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」の相克と響き合うものを見出している、と書いている。その箇所を解説し、橋川は、「三島もまた磯部のひそみに倣うと予測していた節がある」とも。それは恐らく当たっていると思われる。橋川は日本浪漫主義をよく知る人だったからだ。

 三里塚の農民たちが国家と対決し闘っていた時に別な場所で一人の作家が「本気になって」学生たちと討論していた。その経緯の一端が映像で再構成されたのはアカショウビンも興味津々だ。いずれにしろ作品を観てからだ。

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2020年3月 6日 (金)

定期検査

 一昨日に続き都内の病院へ、こちらは半年ぶりの定期検査。膀胱ガンのその後である。先ず超音波検査。去年は腎臓に影があり生体検査をした。幸いガン細胞は確認されなかったが、その検査というのがきつい。十数か所に針を打ち込み生体を取るのである。膀胱ガンの手術後の抗がん剤治療もきつかった。ペニスからカテーテルを挿入し抗がん剤を注入するのである。拷問のようなものと悪態をついて女医さんに苦笑いされたものだ。それも何とか終わり、その後は異変はない。

 さぁ、これから超音波検査だ。

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2020年3月 5日 (木)

小川監督の世界

 小川紳介監督の『1000年刻みの日時計 牧野村物語』(1986年)は山形県の村に棲み、米作りを実践し稲の生態と田んぼの農作業にキャメラを回し、土地の人たちと交流し拵えた労作である。スタッフがそこを拠点にしたのは昭和51年。三里塚、芝山で作品を撮ってから数年後。小川監督は農民たちの日常の農作業に自ら取り組み、キャメラを回した。彼らの怒りの根源に分け入りたかったのかもしれない。動機は詳らかにしない。しかし、そこで新たな視線、視界を開いた事は作品に接すれば明白だ。『ニッポン国 古屋敷村』と同じ山形県上山(かみのやま)の別の村の現実と歴史に作品構成のネタを探った。プロの俳優も起用し江戸中期の百姓一揆も再現。物語とドキュメンタリーを併せた壮大な作品になった。

 アカショウビンには小川作品の音楽が興味深い。『日本解放戦線 三里塚の夏』はベートーヴェンの第九の4楽章と林 光の〈神々と善人たちの無防備状態の歌〉(『セチュアンの善人』1960より)。『1000年刻みの〜』では富樫雅彦がドラムスを叩いている。その音と映像の相乗効果がすばらしい。クレジットではパーカッションと記されているが見事なジャズドラムだ。映画、映像に音楽は重要である。これらの音楽を起用した小川監督のセンスにアカショウビンは共感する。林 光は新藤兼人監督作品で力量は承知している。富樫の音は乾いていて味がある。ドラムの打楽器としての効果を熟知しているのだ。映像良く、音楽良ければ秀作である。

 この作品は1987年に京都の鬼市場・千年シアターで公開された。廃屋の場所にスタッフと若者たちが手作業で劇場を築き上げた。その模様も映像化されている。その後、各地で地元と協力して上演されたのだろう。配給会社のロードショー公開にはなりにくい長尺である。しかし見る者は田作りの労苦と稲作特有の時間感覚で日常とは異なる時間の渦中にタイムスリップする不可思議な体験ができる。それは多くの日本人が失ったものである。それを映像で構成したのは小川監督の手柄である。

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2020年3月 3日 (火)

怒りの行方

 きのうは雨で仕事中止。途中の電車の車中で連絡が入った。そこで帰って借りているDVDを観る。今井 正監督の『米』と小川紳介監督の『日本解放戦線  三里塚の夏』。かつての熱い農民の闘いと苦しみが、それぞれの視点で映像化された佳作だ。

 前者は霞ヶ浦周辺に生きる農民の暮らしを丹念に描く。「五反百姓の次男、三男に嫁は来ねぇ」と言う若者の言葉に当時の農家の現実が集約される。〈夜這い〉という風習も笑いを醸す。かつての帆引き船漁の映像も貴重だ。昼は田畑、夜は漁師で働く農漁民の苦楽を今井監督は他作品に比べれば少しユルいテンポでキャメラに捉える。俳優たちもそれに応える熱演だが、小川作品を観るとそのユルさが対照するのだ。それは日々の労働に明け暮れ苦しむ農民たちを描く視線と、自分たちの土地を奪う国家と対決する農民たちの激烈な怒りと闘争に注視する対比となって鮮明する。

 糞尿弾(袋)、竹槍、鎌を武器に機動隊の催涙弾、装甲車、放水車、ジュラルミンの盾と棍棒に対抗する三里塚、芝山農民と支援若者、学生たちの姿は、韓国、香港、沖縄の現実に姿を変えて現在している。それを我々現在を生きる日本人は映像を通じ我が身に受容しなければならぬ。

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