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2020年2月24日 (月)

たまには美食

 きのう友人を誘い、知人から頂いた食事券で三越のレストラン街で昼食に出かけた。もっとも下咽頭ガンの再発と胃の異変で、この二、三ヶ月普通の食事ができない。処方された栄養剤頼りでカツカツ凌ぐ毎日だ。きのうは友人の選択で中華に。自分の食事は小龍包二個。それも暫くしてトイレで吐いた。しかし確かにおいしかった。店の自信作があるのだろうから、それを食べてみたいものだが。

 それはともかく、たまにはそういうところで食事するのはよいものだ。食の世界の奥深さと食事空間の違いが体験できるからだ。アカショウビンのように、地べたを這い回り日銭を稼いでる者たちとは別な世界が確かにある。世界は確かに広いのだ。この島国の中でさえ。外国へ行けば更に驚くことだろう。アカショウビンも仕事で訪れた韓国、中国、東南アジア諸国でその一端は体験した。ニューヨークもウラジオストクも記憶の彼方に懐かしい。

 しかし、食事とは毎日の事だ。そこに美食はいらない。毎日、飽きずに必要な分を食べ続ける。それが食事という日常に不可欠の行為である。それがままならないのがアカショウビンの現在だ。果たしてこの状態は回復するのだろうか。栄養剤を摂取すれば栄養失調で死に至ることはなかろう。しかし、それはそれだけの問題ではない。生きて活動するために人は様々な状況の変化に対応しなければならない。それはリスクが増えるという事だ。

 きのう友人と会って気付いたのだが、ほとんど声が発せなくなっている。声が音になっていないのだ。こちらは何事か伝えようと話しかけても彼は聞こえないからまるでこちらを無視している。声にならないからむこうも苛ついているのだろう。まったく会話が成立していない。これにはこちらも唖然となり、腹が立ってくる。こいつにはコミュニケーション能力がないのでないかと疑う。

 それはともかく。友人と別れ、憂さを晴らすべく新宿に立ち寄り中古ショップでCDを物色。ミレッラ・フレーニのロシア物をゲットした。小澤征爾、ボストン響と組んだチャイコフスキーの『スペードの女王』。1977年の録音だから小澤もフレーニも壮年の頃である。早速聴いたら録音も良くボストン響の音も柔らかく、しなやかでフレーニも最高の歌唱と思われる。イタリア物から新たな世界に乗り出す意欲にも満ちていただろう。それは小澤征爾とて同じと思われる。この稀代の名歌手を起用し、あまり演奏される機会の少ないと思われる作品に挑戦する。その喜びと気合いが感じ取られる演奏だ。フレーニ追悼と、この歌い手の真髄に少しでも近づいていこう。

 

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