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2020年2月10日 (月)

迷路

 昨夜9時に開始した昨夜の夜勤は夜中の2時前に終わった。渋谷駅まで歩きネットカフェで仮眠。地下鉄銀座線で築地まで。途中、銀座駅で乗り換え。工事中やら朝の通勤ラッシュで迷路のような通路を辿り日比谷線ホームへ。築地に着いたときはほっとするが空は厚い雲が垂れ込めている。気分は爽快というわけにはいかない。

 本日の治療で全25回のうち24回になる。下咽頭という喉のガンを放射線で照射し退治するという治療だから首周りが日焼けしたようになる。肌がカサカサになり、きのうは風呂を沸かし喉のあたりにタオルをあてたら痛みが。火傷のような状態になっているのだ。処方されたクリームを塗りしのいだ。

 病の治療も迷路に迷い込んだようなものだ。特にガン治療はまだまだ決定的な治療法が確立されているわけではなかろう。アカショウビンの場合も三年前に外科手術で患部と転移していると診断された首筋のリンパを切除した。それが昨年11月に再発が確認され今回は放射線治療とあいなった次第。あと二回で治療は終わる。しかし完治というわけにもいくまい。副作用も治療終了後に生じてくるという。まだまだ迷路の中をウロウロ、オロオロするわけだ。果たして迷路を抜け明るい表通りに辿りつけるのだろうか。

 まぁ、迷路と言えば人の一生も迷路を彷徨うようなものとは言えまいか。仏教では迷いから悟りという筋道を模索し方法化した。座禅も称名念仏もお題目もその一つだ。迷いを脱するのは決して簡単ではないのだ。そこには信仰の厚さと信への集中が求められる。凡夫の愚鈍にそれは高い壁のようにも立ちはだかる。凡愚の身には一日一日がシノギである。深夜の寒さは病身に辛い。しかし、自業自得である。筋道入りの仏教徒なら自未得度先渡他と喝破する。しかし愚物は迷路をぐるぐる回るだけだ。少しはない頭をはたらかせ行動しなければならぬが。先ずはあと二回の治療を終えてからだ。

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