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2019年9月28日 (土)

久しぶりのコンサート

 高校以来の友人N君のご配慮で、久しぶりに錦糸町の「すみだトリフォニーホール」に行った。昨年、都響をシモーネ・ヤングが振ったブルックナーの第四交響曲の初稿の演奏以来だ。メイン演目はベルリオーズの幻想交響曲。ナマで聴くのは初めてではないか。以前はミュンシュとボストン響の録音を聴いた。以降、アバドや幾つかの録音も。未だに内外各地で演奏される定番の名曲だ。小澤征爾も得意にしている。

 指揮者はミシェル・プラッソン。N君からのメールでは日本人指揮者と思っていたから会場でパンフレットを受けとり驚いた。これは期待できるぞと気持ちが高まった。御歳86歳。パンフレットを読むと北京の中国国家交響楽団の首席指揮者を務めているようだ。冒頭の演目はシャブリエの狂詩曲「スペイン」。アカショウビンの好きな作品だ。これで期待が高まった。次がピアソラのバンドネオン協奏曲。小松亮太氏の登場に大きな拍手。本日の公演には、こちらが目当てで来場した方々が多いようだ。これも実に面白い演奏だった。ピアソラがクラシック音楽を学び3楽章構成で作曲した作品という。演奏が終わりアンコールが奏されたが何と指揮者の要請で三楽章が再び演奏された。これにも会場から大きな拍手。アカショウビンもこれを大いに面白く聴き、拍手を送った。メインプログラムの「幻想」も素晴らしかった。指揮者の得意曲なのだろう。フランス音楽は殆ど繰り返しレパートリーの中に入っていてフランスはもとより、世界各地で演奏しているようだ。オペラでは『カルメン』、『マノン』、『ファウスト』、『ウエルテル』などフランス音楽の傑作はキャリアの主要演目になっているのだろう。

 アンコールは『カルメン』の前奏曲だった。これにも会場が沸いた。実に充実した演奏会だった。開場前に錦糸町界隈を散策した。以前棲んでいた平井の近くで何度も訪れことがあり懐かしかったのだ。当時とは様変わりしているが当時あった「魚寅」は健在だった。周囲をぶらつき記憶を甦らせた。終演後は平井在住の友人も誘い三人で飲んだ。

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2019年9月26日 (木)

絶句

 山遊亭金太郎師の絶句と思われる投稿を高校以来の友人I君から知った。I君は、師匠も参加している俳句結社の機関紙編集に関わっているからだ。お通夜に参加できず、その日の昼に、I君と会いM社長に書いた手紙と、三十年近く前に寄席の打ち上げて撮った一枚の写真をI君に託し、一杯やりながら、I君からその句を書き取った。失礼を承知で引かせて頂く。亡くなる約二週間前、九月二日という。

 月山の微かな湿り稲光

 解釈は読む人それぞれだ。アカショウビンは実に味わい深い、噺家が趣味の俳句という、日本人が愛し続ける世界的にも珍しいと思われる、もっとも短い詩形で最後に文字にした、作品というより、痕跡と解するからだ。金太郎さんの故郷、山形県・小国からは遠い月山を何処から見たのか夢に見たのかもしれぬ。それは治療中の体感を文字にしたようにも思われる。稲光も死の予告に感じたかも知れない。一人の噺家の一生は、このように文字として残されたとも言える。それから約二週間。アカショウビンの母親の死もそうだったが、手厚い看護と、奥さん、子供たちの世話で、人は幽冥の境で死に至る。その様子は家族の人たち、お弟子さんから聞けるかもしれぬ。また噺家仲間から師の芸の独自性も聞けるだろう。それらの寄せ集めが一人の人間の一生なのだ。心から此の世でのご縁を感謝し哀悼の意を捧げたい。

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2019年9月24日 (火)

『狂う人「死の棘」の妻・島尾ミホ』の文庫化

 2016年10月30日に刊行された梯(かけはし)久美子さんの『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』(新潮社)が文庫化されたらしい。単行本は、刊行された時に読んだ。面白かった。読み終えるのが惜しく、最後の何十ページはしばらく読み残しておいたほどだ。単行本では、666頁。途中で読み終えられなくなった読者もいるだろう。梯さんは同書の前に『散るぞ悲しき 』(2006年)で、硫黄島で玉砕した栗林忠道という軍人の生と死を作品化し注目された。戦後生まれの者たちの多くはアカショウビンも同様に戦争を経験していない。しかし、日本と総称される国で生きている私たちに、その歴史事実を知らずに済ますわけにはいかない。梯さんにも、おそらく、そういう衝動が生じたものと思われる。その成果が二作品には読み取られる。『狂うひと〜』は、島尾敏雄という小説家の妻の姿と作品、手稿を女性の視点、視覚から読み解いた軌跡である。それは、先の大戦がこの国で生きる人々に、歴史を振り返り、自らの存在を新たに問う責務を促す。

 それはまた、人間とは何か、という問いにも人間たちを導く。それはあまりに壮大なテーマだが、歴史を振り返るなかで、ハンナ・アーレントの用語を使えば、新たな‘《活動力》を奮い起こす切っ掛けを与える。梯さんの新著は、詩人・原 民喜をテーマにしたものと聞く。それも読まなければならない。先の大戦を知るうえで不可欠と思うからだ。それはまた、現在の政治状況、文学作品とも向き合うという事だ。

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2019年9月21日 (土)

一日の労働

 今、やっと京急線「糀谷」駅にたどり着いた。午後6時24分、以前降りたのは二十年くらい前になるのではないか。駆け出しの業界紙記者の仕事で小さな佃煮メーカーの老社長に話を聞いたのだった。

 6時30分、糀谷発。羽田空港が近いとあってキャリングバッグを引きずる姿が多い。車窓からの眺めは駅まで歩いてきた景色とは一変する。この時空間の変化は私に何事かの思索を促す。

 朝6時過ぎ、JRと私鉄を乗り継ぎ現場の最寄り駅「大鳥居」まで行った。何回か来た所とは反対側でコンビニの店員さんに聞きながら何とか少し余裕をもって現場に到着したのだった。警備員は5名。工事施行者が到着するまで配置を確認する。アカショウビン以外の四人は軽口を交わすくらいのコミュニケーションはとれる仲だが、それは表面上だけなのは何度か一緒に作業すればわかる。こういう職場は本音と建前が他よりはっきりしているとも、あるいは建前になる会話をしないのが当たり前のような空気の現場もある。無駄なことはしない。自分に与えられた場所で一日中、立っているだけ、という現場もある。しかし、きょうは違った。これまでで、最も神経を張りつめ、少し怒りも含みながら、その場、その場を凌いだ。この雇い主のK建設は荒っぽい。親方とベテランの中年男は、二人の、ベトナムはハノイ近くの出身の若者を容赦なく罵倒する。「早く日本語をおぼえろよ」、「早く、シャベル持って来いよ」。それを照れ笑いのような表情で受け流し、黙々と肉体労働に従事するのだ。それが下層労働の現実であることを心身に叩き込まねばならぬ。

 午後6時5分前、「きたこうじやはし」まで歩いた。満潮なのか引き潮なのか、水面は静かに、思いのほか速く流れている。ときどき、ボラだろうか、魚が跳ねる。彼方にはもやっているボートも見える。夜のとばりが刻々と降りているのだ。



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2019年9月20日 (金)

現場の労働と労働の現場

 きのうは世田谷区狛江の現場、きょうは大田区萩中の現場だ。朝は4時過ぎに起床、風呂に入り、朝刊をざっと読む。昨夜は、図書館に借りていた本を新たに借りた。神田の古本屋街で蕎麦を食べ、古本屋をのぞく。ついでにCD、DVDショップも。それぞれ収穫あり。

 現場は5時前まで長引いた。帰りは9時過ぎになったが二日間仕事はある。カラスの古い録音を聴き精神に栄養を注ぎ、床についた。きのうからきょうと金太郎さんの思い出が脳裏で明滅した。人の死は、遠くから、また近くで経験される。アカショウビンの母は危篤の数日を病院の手厚い看護で兄弟で看取った。親不孝な長男だが親孝行のいくらかはしてやる事ができた。18日は、母の命日だ。一年半近くの大阪での生活は親子の凝縮された時間だった。金太郎さんのご家族、縁者、知人、噺家仲間、お弟子さん達も、そのような時を共にしたと思う。此の世の縁とは不可思議なものである。63年の生涯は現在の日本人の寿命からすれば短い。しかし、人の寿命は人それぞれ。人知で図れるものではない。金太郎さんは最新の治療を施されたように思う。であれば、天寿と諒解すべきとアカショウビンは思う。

 最新の治療といっても人間たちに出来ることはたかがしれている。しかし、珠にうまくいくことがあるから専門家は、その可能性を探るのだ。それはジャンルを問わない。将棋や囲碁の世界もそうだ。

 本日の現場は近くに広い公園と大きなスーパーがある。あちらこちらで工事の音もする。オリンピックまで経済は活性化するだろうアカショウビンも余命を全うし、娑婆での義理は果たしたい。

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2019年9月19日 (木)

ある噺家の訃報

 友人からのメールで山遊亭金太郎師の訃報を知った。享年63歳。これから味の出る、噺家の老成の途中での死だ。ご本人の悔しさは、いかばかりか。

 もう30年近くの断続的なお付き合いだった。アカショウビンがいた業界紙の仕事でクライアントの社長さんに紹介させて頂いた。都内、千葉の落語会にも足を運んだ。もうなくなったが、落語好きの社長が地元の我孫子は湖北のホールで定期的に開催されていた寄席にも取材でおじゃました。打ち上げにも参加させて頂き、楽しい時をすごさせて頂いた。落語界の裏表を、お弟子さんたちの姿を通し垣間見した。下積み修行というのは大変なのである。そのような経験を金太郎師も経て真打ちになったのだ。

 何年か前の正月に我孫子のホールで『死神』の大ネタに挑戦した。師の工夫が舞台設定にまで配慮され面白く見聴きしたことが思い出される。故郷、山形の小国町へも何度も里帰り高座を行っていたらしい。一度行ってみたかった。山形は、アカショウビンにとって、仕事で何度も訪れた有縁の土地だからだ。

 最後に見た高座は、お江戸日本橋亭だった。アカショウビンが胃ガンの手術のあと友人と赴いた。彼は金太郎師と俳句仲間で師の作品も俳句結社で発行している機関紙に掲載された作品を見せてくれた。亡くなるまで投稿していたようだ。

 旦那でもあった社長さんには逐次、病状を伺っていた。一度電話したら、偶々金太郎さんの病室に居て、師に代わってくれた。久しぶりに声を聞いた。弱い、消え入りそうな声だった。今年4月27日、噺家仲間や、お弟子さんたちが「お江戸日本橋亭」で企画した「山遊亭金太郎激励会」には満員の盛況に驚き、出演者たちの友情、厚情、ファンたちの熱気を体験し、改めて回復、復帰を期待した。そのときの出演者は次の通り。

 前座 山遊亭くま八(直弟子) 桂 小南 柳家蝠丸 神田松鯉 三遊亭夢太朗 三遊亭笑遊 春雨や雷蔵 新山真理 三遊亭小遊三

 それが叶わず、昨日の訃報となった。心から哀悼する。

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2019年9月18日 (水)

マリア・カラス

 先日、レンタルDVDで『わたしは、マリア・カラス』を観た。ドキュメンタリー・フィルムである。面白い。以前、10年前くらい映画にもなった。それも思い出されたが、今回のものはカラスのインタビューを基調に、様々の映像で構成されているものだ。それを見るとカラスの様々な発言と行動を介しマリア・カラスという稀代のオペラ歌手の姿が彷彿する。それを知るとアカショウビンのようなカラス派というよりテバルディ派も、派を超えて一人の偉大な歌い手の凄さを実感する。

 それを機にカラスの録音を幾つか聴いている。代表作の一つ、ベッリーニの『ノルマ』を聴いて圧倒される。ミラノ・スカラ座をトリオ・セラフィンが振った盤である。それは殆ど完璧な演奏である。改めてオペラ指揮者、セラフィンの偉大さも感得した。

 それにしても、映画版で見るカラス像とインタビューのカラスでは歴然とした違いがある。カラスが晩年に近い頃、来日しテレビで観た映像はなかったが、あの頃の太った姿と声で後進の日本人達に教示した映像は未だに脳裏に残っている。それらを併せてカラスの録音を聴くと人間の声が到達する領域の奇跡とも思える境地に感嘆する。改めてカラス評価の一端をアカショウビンも伝えていきたい。

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2019年9月15日 (日)

バッハのマタイ

 シェリングの無伴奏を聴きながら『マタイ受難曲』が聴きたくなり、リヒター盤を聴き直した。若い頃からレコードで繰り返し聴いてきた音楽史上至高の作品である。クレンペラー盤もリヒターとは異なる視座から晩年の遺言の如き録音にクレンペラーが到達した境地を録音に残している。クレンペラーのテンポは晩年特有の遅いテンポである。リヒター盤は壮年期のものだからテンポは融通無碍とでもいう自在なものだ。ソリストもアカショウビンの偏愛する人たち。エヴァンゲリストをエルンスト・ヘフリガー、第二の女をヘルタ・テッパー、フィッシャーディスカウの歌唱を聴いて謹聴させられる。昨夜は三枚組の二枚目まで聴いた。今朝は三枚目を聴き、偏愛する61曲目のアリアにハッとさせられた。ヘルタ・テッパーの声が作品の中に食い込み、イエスの嘆きとバッハの魂を絞り出す。

その歌詞を引用しよう。

 ――わが頬の涙 甲斐なしとあらば、おお、汝らわが心を取れ!されど主の御傷 慈しみの血しおを流すとき、わが心をばこを受くる献げの器ともせよ(杉山 好訳)

 ミュンヘン・バッハ合唱団のコーラスもリヒターの棒のもと哀切を極める。バッハの作品の価値は洋の東西を問わない。アジアの民人にも、その魂を介してイエスと周辺の人々の哀歓と憎しみ、愚かを越えて崇高を伝える。さらに無伴奏のヴァイオリン、チェロ作品を聴いてバッハの名品に沈潜していきたい。

 

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バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ

 本日の東京新聞夕刊にヴァイオリニスト、前橋丁子さんのインタビュー記事が掲載されている。今や御歳75歳。演奏活動57年にして二度目のバッハ無伴奏ヴァイオリンソナタ・パルティータの全曲演奏、録音に取り組んでおられるという。その意気や好し。最初の録音は1989年。以来活発な演奏旅行で世界を飛び歩き精進を重ねてこられた。体力もあるのだろう、或る時期から日本に拠点を据えて国内の演奏旅行に集中しておられることは新聞記事で読んだ。アカショウビンは一度、サントリー・ホールの演奏会を謹聴した。全身でヴァイオリンを弾く姿を眩しく見た。その時は名曲集だったが大いに楽しんだ。それが今度はバッハの神品である。興味をそそられずにいない。12月21日はトッパンホールで公演されるという。何とか駆けつけたいものだ。

 アカショウビンは何度かこのブログで書いたが、若い頃にヨーゼフ・シゲティの録音に驚倒した。以来、この録音はレコード、CDで繰り返し聴いてきた。アカショウビンの宝物である。前橋さんはそのシゲティの教えも受けている。スイス・ルツェルンのシゲティ宅の近くに住んだそうだ。その経緯は昨年10月に日本経済新聞に「私の履歴書」として一カ月連載された。それも興味深く読んだ。以来、この作品は何人かの名手の録音も聴いてきた。シェリング、ミルシテインらの演奏もこの作品の代表的定盤である。今宵はシェリングの最初のソニー盤の録音を久しぶりに聴いている。グラモフォンのステレオ録音が巷間の代表的推薦だが、こちらは1955年にパリで録音されたモノラル録音である。バッハ演奏に集中する若きシェリングの気迫が横溢している。これを聴けばヴァイオリニストたちが挑戦しようとする気持ちも良く分かる。しかし一筋縄ではいかない難曲である。技術的にも精神的にも弾きこなすにも年齢的に成熟を要する。前橋さんも、その時がきたと実感したのであろう。前橋さんの益々のご壮健を心から祷る。

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2019年9月14日 (土)

二本の映画

 先日、ピーター・フォンダが亡くなり、若い頃に作った『イージー ライダー』が観たくなり、レンタルショップで借りて観た。ついでに日本映画も、とあれこれ物色し任侠映画の『昭和残侠伝 吠えろ唐獅子』 佐伯 清監督)を借りた。この二本の映画は好対照である。片や日本、片や米国の作品が同じ頃に公開されている。それは偶然だが、そうでもないのは、観る側の事情である。アカショウビンは、この対照を面白く観る。それは異なる風土で仕上げられた作品である。日本の陰湿ともいえる風土で作られたものと、片や全く異なる乾いた風土で作られたロード・ムービーだ。それは1970年とい時代のメルクマークの如きものとしてこちらに伝わる。

 佐伯監督のこの作品は10数年前に集中してヤクザ・任侠映画を観た頃に観ている。しかし、その時はマキノ正博監督の作品を観るのが目的だった。そのついでに佐伯作品も他の任侠映画も観たのだった。改めて観て、その完成度の高さを確認した。東映ヤクザ映画に先鞭をつけたのはマキノだが、それに影響された優れた若い監督たちが輩出したのだ。その一人である佐伯 清監督の作品は玉石混交だろうが、昭和残侠伝シリーズ全9作は全て観たい。同作は第8作である。最初の一本が作られ公開されたのは1966年1月13日。『昭和残侠伝 吠えろ唐獅子』は、1971年10月27日公開である。主演は高倉 健、それを池部 良、鶴田浩二、葉山良二ら先輩名優が脇を固める。若い松方弘樹も好演している。女優陣は松原智恵子、新人の光山環世。ヤクザ渡世の理不尽を佐伯監督は見事に描きあげた。

 その頃アカショウビンは何をしていたか。ヤクザ映画より欧米映画、それに影響された日本の若手監督の作品に夢中だった。ベルイマン、ゴダール作品を観に池袋の文芸坐に足繁く通った。それでアカショウビンの青春は活性化された。その名残が今に残り、新たな作品をDVDや劇場の試写会、上映に通うのである。そこで新たな才能の発見にも遭遇する。観たい作品には傾向がある。それは多くの観客達とは異なるものだ。しかし、人生の残り時間少ない時に無駄な時間は極力費やせない。そこでも当たり外れがある。しかし、昔に観た名作は繰り返し観て新たな発見がある。小津安二郎しかり、黒澤 明しかり、新藤兼人しかりである。新藤には啓発されて荷風作品にも新たな関心が湧いた。残り少ない時間をそれら名作、秀作を観て冥土の土産にしたい。そういえば、セルジオ・レオーネ監督の傑作『ウエスタン』がオリジナル版で公開されるらしい。この作品は西部劇作品の中で出色の作品である。アカショウビンはもう何度観ただろう。劇場、ビデオ、DVDで繰り返し観て感嘆する。それを観る楽しみもまた冥土の土産だ。

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2019年9月12日 (木)

新老人たち

 新藤兼人が荷風の『濹東綺譚』を映画化する前に読みこんだ『断腸亭日乗』のなかに現れる永井荷風という小説家の老いの姿は新藤にとっても老いを生き抜く格好のモデルとなったことが「『断腸亭日乗』を読む」(岩波現代文庫 2009年5月15日)を読むと痛感される。新藤監督は『濹東綺譚』を五十数回読み、断腸亭日乗』を読み通し、その中から映画化の霊感と直感を得た。それが、この講演を文字化した文庫のなかに関係者、文筆家たちによって記されている。

 それを読めば、老いを生きる後に続く者たちに強いメッセージが伝えられていることがわかる。それは超高齢化社会を史上初めて経験する日本人たちの存在を<新老人>と称することができると思う。それは全ての高齢者たちが経験できることではない。過酷の中に愉楽を見つけるというのか、そのような至難の道を切り開き辿らなければ不可能な道とも言えるだろう。新藤は荷風を読み、映画化するなかでそれを見い出し体験した。それを、講座で語ることによって新たに見い出す。その貴重さをアカショウビンは読み取るのである。新藤作品はかつて観た。新たにレンタルDVDを探したが利用しているチェーン店の一つにはなかった。監督の述懐で幾つかのシーンは朦朧と想い起こされるが、新たに観直さなければ新たな発見と驚きは経験できない。此の世を去るまでには出会いたいと思うがどうだろうか。

 新藤監督に限らず老いを生きた映画監督のなかでアカショウビンは新藤の師匠、溝口健二、また小津安二郎、黒澤 明監督の晩年にも思い当たる。特に小津の晩年のカラー作品には完成度の高さに観直すたびに驚愕し新たな発見がある。それは優れた画家の作品化への過程と同じような描き直しの過程があるように思える。画家は繰り返す塗り直しのなかでひとつの作品を残すのだが、映像にする時にそれは俳優たちの演技の演出に繰り返される。新藤監督は師の溝口の俳優たちへの罵倒に監督それぞれの個性を伝える。弟子は師と同じやりかたはすまい。新藤監督は穏やかな人柄で俳優たちに接したように思う。それはインtビュー映像のなかに現れている。それは朴訥な語りに新藤兼人という男、人間の姿、声として。新藤が『濹東綺譚』の映画に取り組んだのは80歳の前後である。それから新藤は10年以上も生き新たな作品を作り上げた。それは映画史上、未踏の境地に至った作品と言ってもよかろう。そこには達観、仏教で言えば悟りに達した仏者の境地さえ彷彿する。それは時にユーモアとして現れる。それが貴重ともいえる。老いの過酷のなかに生じる笑いは貴重である。それは愉楽と称してもよい。そのような事が人には起こる。それは奇跡と言ってもよい。

 荷風の最期は哀れで無残とも思える。しかし果たしてそうか。世間的にみれば、それは長らく自堕落な老いを生きた変人とも揶揄された生きざまである。しかし、性の快楽と過酷を経験した老いの人生にはまた愉楽もあったことが新藤監督が重ね合わせる別の老人によって新たに生きられる貴重と崇高をアカショウビンは新藤作品に読み取る。それは、小津安二郎や黒澤 明の中期、晩年の作品と共通するユーモアと完璧と言ってもよい。映画に限らない、音楽の世界にもある。マイルス・デイヴィスやクラッシック音楽の指揮者、音楽家にもそれは感得する。私たちの同時代指揮者で小澤征爾氏はその好例である。現在の小澤氏はその新老人のモデルとも言える。新老人、それは私たち現在に生きる日本人たちに課される切実な課題である。

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2019年9月11日 (水)

映画と音楽、思想の力

 本日は都内の病院ヘ定期診察。先週のCT検査の結果の項目がないのは、どういう事か。主治医がパソコンのディスプレイを見ながら混乱していたが。それが原因か。ともかく、胃の主治医の診察の時に確認してみよう。

 昨夜は朝近くまで手持ちのDVDを観ていて、つい夜ふかし。フランク・キャプラ監督の『毒薬と老嬢』。主演はケイリー・グラント。ブラック ユーモア仕立ての喜劇だが、これでもか、これでもか、というくどさには閉口する。しかし、結末まで観させる力量には脱帽。観終わり就寝。三時間くらい寝て起床。読み継いでいる新藤兼人監督の「『断腸亭日乗』を読む」を読む。実に面白い。きのう買ってきたマイルスの1985年録音。エレクトリック期の底力が伝わる。きのうから気力が萎えていたが、キャプラ作品、新藤兼人、マイルス・デイヴィスに力を与えられた。

 診察が終わり、会計も済ませた。先週の結果は、問題なし。次は来年の三月に膀胱検査と胃の内視鏡検査だ。これから図書館に行き本を借りる。ハンナ・アーレントを再読、再々読しなければならぬ。繰り返し読み刺激されるからだ。余力を奮い起こし、娑婆の生を全うすべし。

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2019年9月10日 (火)

台風禍③

 きのう、現場までたどり着いたら工事は終わり他の場所に移動したあと。会社に電話すると、雇い主から断られた、と言う。台風で電車が停まろうが、彼ら工事施行者はトラックで移動するから、せいぜい渋滞で遅れるくらいなのだ。それで遅れてきたアカショウビンは切られ仕事にあぶれた。

 それはそれでよろしい。気持ちを切り替え帰途についた。行きつけの食堂で食事を済ませ団地に戻った。そういう日もあるのだ。路上警備という仕事はそういうものなのだ。それを粛々とこなす。きょうは大田区糀谷の現場。晴れて昼間は暑くなるだろう。

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2019年9月 9日 (月)

台風禍②

 最短はJR横浜線経由なのだが動くのは午前11時頃という。そこへ小田急線が9時30分に運転開始するというアナウンス。それでは、遠回りだがそちらで、と乗り場ヘ。きょうの現場は大田区西六郷。最寄り駅は蒲田である。とにかく現場に向かう。

 大変な混雑で不愉快このうえなし。ぎゅうぎゅう詰めの満員状態で気分が悪くなる乗客も出てくるだろう。何事もない筈の日常に何事かが起きると人の対応はそれぞれ。しかし、皆さん大声をだす人はいない。ただ、やはり気分が悪くなった人はいるようで時々電車は停まる。

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台風禍

 早朝、自転車で駅まで行くも電車が動いていない。倒木のため復旧作業中という説明。会社に連絡すると、遅れても現場には行ってもらいたいというので駅改札前で待機している。同じように大勢の客が駅ロータリーまで。空は曇っているが雨は降っていない。午前7時過ぎに駅に着き8時ころの運転再開というのが今9時前、まだ復旧していない。

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2019年9月 8日 (日)

1937年のレクイエム

 今朝のNHKラジオ、〝音楽の泉〟は寝過ごして途中から聴いた。ワルターがニューヨーク・フィルを振ったモーツァルトの『レクイエム』演奏だ。このCDは引っ越しの段ボールのなかで見つからず、とりあえず何枚かのCDを取り出した。その中にワルターが1937年にウィーン・フィルを振った録音があった。ワルターがウィーンを去る前の演奏だ。ナチの手を逃れるユダヤ人や無辜のドイツ人も次々と殺戮されていた時だ。その世情のなかで演奏されるモーツァルトの『レクイエム』は万感迫る。ソリストやオーケストラのメンバーにも格別な思いが交錯していただろう。ワルターの指揮棒はモーツァルトを介し実に様々な思いが込められているのを録音から聴き取る。それは哀しみの中にも毅然とした音楽として聴ける。戦火の中での演奏としてはワルターのマーラーの第九交響曲も残されている。それらを聴き、1937年という年が日本でも特別な年であることは辺見 庸氏の著書『1★9★3★7』(2015年 ㈱週刊金曜日刊)でもわかる。

 それらに聴かれ、読まれるのは二度目の世界大戦で世界が人類に齎した酬いとは何か、という思いに沈むことでもある。ハンナ・アーレントが戦前、戦中、戦後に継続して思索した経過を辿るのも、それと照らし合う。ハンナは「許し」とは何か、を旧訳・新訳の聖書を読み考え抜いている。その文章を読めばワルターやユダヤ人、ドイツに残り続け、最後にドイツを去ったフルトヴェングラーの人生にも思い至る。ハンナが説く神の下ではなく、人間たちが許し合うことが先決なのだ、という考察は新たに熟考すべきだろう。しかし、果たしてそれは可能なのか。現今の世情を探れば暗澹たる思いに浸る。今朝の東京新聞では沖縄の集団自決を経験した女性の証言が掲載されている。それを読んでも歴史の中で人間という存在は仏教でいう業の深い生き物なのだなと思う。しかし、それで済むまい。新しき人というのは小説でも映画でも様々に描かれる。しかし、人類の総体に、そのような時は来るのだろうか。それが来るとすれば〝祷り〟が齎す果てあろう。悔い改めよ、とは聖書の中の文言である。しかし、世界中の現在に、その至難さを知る。

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2019年9月 6日 (金)

下層労働の現実

 その工事作業者は渋谷駅近くの現場の夜勤の時に少し遠くから見た。何と、親方のような男から作業の仕方が悪いと罵倒され胸ぐらを掴まれていた。アカショウビンより少し年上と思われる中高年である。工事施工者の荒っぽさは経験、体験しないとわからない。きょう、彼はそれでも黙々と仕事に集中していた。下層労働の実態とは、かつての軍隊と同じなのだ。中高年の労働者は正しく「蟻の兵隊」なのである。

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2019年9月 5日 (木)

ハンナ・アーレント覚書⑦

 ハンナ・アーレントの一連の著作を読んでいてハッとさせられる事の一つを『人間の条件』(1994年 ちくま学芸文庫 志水速雄訳)を読んでいて出くわした。[33 不可逆性と許しの力]を論じるなかでイエスの許しを説くところである。引用しよう。

 ――人間事象の領域で許しが果たす役割を発見したのはナザレのイエスであった。たしかに、イエスは、それを宗教的な文脈のなかで発見し、宗教的な言葉で明確にした。だからといって、それを厳密に世俗的な意味で真面目に考えなくてもいいという理由にはならない。ついでにいうと西欧政治思想の伝統は、性格上、経験を取捨選択する傾向が強く、多種多様な真の政治的経験を明確に概念化しないで、これを排除する傾向がある。

 この箇所は、戦後に亡命した米国でのハンナの思索・論考を読むなかで、音楽でいう通奏低音として聴き取れるものだ。それはドイツで学んだ成果としてアカショウビンは読み取る。それはヤスパースやハイデガーの授業で学んだ成果として残されたハンナの仕事、業績であると確信する。続けて引用しよう。

 ――だからそのように排除された経験のなかに基本的性格をもつ経験がいくつか含まれていたとしても驚くにあたらない。(その理由についてはここで展開できない。)それはともかく、ナザレのイエスの教えのある側面は、もともとキリスト教の宗教的託宣と関係がなく、イスラエルの公的権威に挑戦的な態度をとっていた彼の従者たちとの親密で小さな共同体の経験から生れているのである。だから、それらの教えはもっぱら宗教的性格をもつものと誤って判断されたために無視されているけれども、真の政治的経験の一つであったことは確かである。許しというのは、活動から必ず生まれる傷を治すのに必要な救済策であるが、そのことに気づいていた唯一の萌芽的な印は、「敗北者を大切にする」ローマ的原理に見られる。ついでにいうと、このような原理はギリシア人にまったく知られていなかったローマ人の知恵である。あるいはまた、ほとんどすべての西洋国家元首の特権であり、やはりローマ起源と思われる。死刑減刑の権利の中にもそれらが見られる。

 最後の一行には現在の死刑制度の根拠を問う思考を促す論説ともなりうるが、それはさておく。p375の続く文章がハンナの聖書読解の瞠目する箇所である。

 ――私たちの文脈からいって決定的に重要であるが、イエスが「律法学者とパリサイ人」に反論したとき、彼は、第一に神だけが許しの力をもつというのは真実ではなく、第二にこの力は、神から来るものではないと主張しているのである。つまり、イエスの主張によれば、許しは、神が人間を媒介にして許すという類いのものではない。むしろ、人間が神によって許されることを望むなら、その前に、人間がお互い許し合わなければならないのである。

 これは漫然と聖書を読んでいたアカショウビンには実に鋭い指摘である。それはまたハンナが宗教を媒介とせずに政治行動家としてのイエスの側面に光をあて、先ず人間同士が許し合うことの政治的意義を強調しているということだ。引き続き、引用する。

 ――イエスの定式はさらにラディカルである。福音書では、人間は、先ず神が許し、人間は「同様に」なすべきであるゆえに許すというふうには考えられてはいない。逆に「もしも、あなたがたが人々のあやまちを許すならば」、神も「同様に」許すであろうとなっている。許しの義務に固執する理由は、明らかに「彼らは自分のなすことを知らないから」である。(同書p375)

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2019年9月 2日 (月)

夏休み明け

 本日の東京新聞朝刊の“筆洗"は夏休み明けの子供たちの自殺にフランクルの『夜と霧』を引き、親や教師たちに格別の注意を促している。歴史事実と現状に架橋するのは新聞人の責務である。アウシュビッツの地獄を介しナチズム、ボルシェビキの全体主義を分析したハンナ・アーレントの著作も継続して読まなければならない。

 本日の現場は日吉の建設現場。これまでの下水道工事とは異なり職人さんは荒っぽい。高齢者の土工さんに罵声がとぶ。アカショウビンも油断できない。工事現場脇の道路の片側交互通行に専念する。メンバーは三人。リーダーのTさんはベテラン。現場をよく知っている。天気が良くてよかった。

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