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2019年7月 2日 (火)

日々雑感

 先週の週末、高校時代の友人からの電話で同級生の訃報を知った。九州の実家に帰り熱中症になり意識を失い入院して回復したものの、帰京して再び意識を失い死去したという説明だった。彼と最後に会ったのは数年前の珠に企画される恩師を迎えての飲み会だった。そこで彼は痛飲しヘベレケになった。恩師も心配したが友人が駅まで付き添い帰した。少し奇行があるのは精神的に病んでいたのかも知れぬ。同級生では同じ熱中症で急死した例がある。それも高校時代以来、久しぶりに会っていくばくもない頃だった。まだ五十代、無念の死であろう。人の生はかくも家族にとり、友人知己にとり意外な時に突然訪れる。還暦を過ぎればその確率は確実に高くなる。災いは忘れた頃にやって来るのだ。

 アカショウビンも本日で物流センターでのアルバイト労働は最後である。単純作業の繰り返しで水分補給を怠り熱中症で倒れることは想定内だ。しかし外国人たちと共に働くシノギ労働は面白くも感じる瞬間もある。きのう同じ作業場で褐色の美人がカタコトの日本語で話しかけてきた。聞けばネパールから二年前に日本に来たと言う。女優にしてもおかしくない。同じネパール人の男のやんちゃぶりとは異なる気品さえ醸しだしている。それはともかく、現在の日本の下層労働現場を為政者たちは経験、体験していない。

 先日の日曜日に突然、友人から携帯に電話があった。新宿にいてデモに遭遇したと言う。何とザイトクカイという連中である。しかもそれを警察が保護している。友人はそれに激怒している。声を荒げ、警察の醜態を憤る。「そんな奴らに我々は税金を払っているのですよ」。正しく此の国の能天気は様々な場面で現象している。首相の大阪城エレベーター発言の胡乱さも同様である。新聞の一面は米朝の電撃会見で一色である。一喜一憂は庶民の日常である。しかし政治は時に意外な展開を演ずる。それがパフォーマンスだとしても。新聞論説は周到にそれを記事にする。それはまだしも。それに暢気に喜ぶほどアカショウビンは能天気ではいられない。それは万国の労働者も同じではないか?

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