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2019年7月 4日 (木)

夕刊の記事から

 いつも楽しみにしている東京新聞夕刊の〝大波小波〟は池袋のミステリー文学館が7月いっぱいで閉館という記事。その隣は江藤 淳没後20年に「文学界」元編集長の評伝刊行の記事。江藤が死んでもう20年がたっているのかと時の迅速に面を革む思いだ。江藤は生前、保守の論客として論陣を張った。その幾つかにはアカショウビンも強い関心をもち読んだ。漱石に関する著作が文芸評論家としての江藤の評価として文壇の地位を築いたとも見える。しかし、文芸だけでなく思想家としての側面は晩年の著作に顕著だ。保守論客たちの中では異色といってもよい論説が興味深かった。何度か、このブログでも書いたが、アカショウビンの江藤評価は吉田 満の『戦艦大和ノ最期』の初出の原稿を米国の大学で発見したことによる。それはGHQの検閲により何度も書き換えられた。その初出原稿を探し当てた奇跡のような発見は江藤の功績である。アカショウビンはそれを読み二十歳前後に読んだ同作品の苛烈と酷烈を想い起こす。それは戦闘の凄まじさとして先の大戦を介し歴史を辿る遍歴として現在に至っている。

 ハンナ・アーレントを読む衝動も江藤の論説や論考を読む関心と共振するのだ。著者の平山周吉氏の「江藤さんは米国と憲法をともに疑った。日米同盟を支持する保守派と、護憲を訴えるリベラルの双方にとって都合の悪い考えだった」というコメントは江藤評価の核心を衝いている。それを江藤自身は〝生き埋め〟と表現したと氏は続ける。「今も変わらず江藤さんは『生き埋め』になっていると思う。だから、再評価への期待を込めて評伝の題名を『江藤淳は甦る』にした」とコメントしている。それは良く分かる。江藤の論考は『海は甦る』となって継続した。しかしアカショウビンが読んで挑発されたのは、西郷南州の最期を辿った晩年の著作だ。血族を薩摩にもつ江藤渾身の意気込みが伝わる文章だった。この平山氏の大著を読み通す若い批評家はいるだろうが、江藤の著作の本質を抉る作品は果たして現れるのだろうか。それはライバルとも同志ともいえる吉本隆明の評価とも繋がる戦後史を読み解き生きる現在となって結実しなければならない。先日亡くなった加藤典洋の仕事ともそれは共振する筈だ。

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