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2019年6月 1日 (土)

ハンナ・アーレント覚書③

 ハンナの全体主義分析が現在を生きる私たちに他人事ではないという実感をもたらすのは、新聞記事で諸外国の状況や事件を眼にするときである。その一つは北朝鮮が米朝首脳会談の準備に関わった高官を結果の不首尾によって処刑したという報道もそれである。北朝鮮は独裁主義国家であるが全体主義国家であるかどうかはハンナの分析によれば予断を許さない。それを判別しなければ全体主義国家、全体主義運動の現代性は理解できないだろうからだ。少なくとも、ヒトラーとスターリンという二人の政治支配者によって全体主義国家・全体主義運動という歴史上初めての事実が現象した。それはトランプや安倍という権力者たちが、それらの資質と権力を有する立場にあるということである。しかし〝民主主義〟という建前がそれを妨げる政体のひとつとなっている。ところが、彼らは十分に独裁者の要素を民主主義政治の中で、その可能性と権力を駆使している。それが十分でないということが民主主義という政体のかろうじての救いである。しかし、それは歴史過程のなかで束の間の期間かもしれないことには注意深くありたい。ハンナ・アーレントを読むということは、そのような意識と意志を励起させる効果をもつ貴重な機会なのである。マルクス・エンゲルスの顰(ひそみ)に倣えば、全体主義・全体主義運動という魔物の亡霊・悪霊が世界のあちらこちらを徘徊している。

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