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2019年5月28日 (火)

ハンナ・アーレント覚書②

 ハンナがナチズムとボルシェヴィズムの分析をしたあと、遺作まで思索、著作に集中した過程で不十分に終わったのは中国、日本の現状の分析、解析だったと思われる。1960年代の中国は文化大革命の猛威が吹き荒れていた。日本は高度成長期の途中で勢いがあった。中国の政情は恐らく表面的にしか伝えられなかっただろう。日本にも欧米にも、紅衛兵の姿や毛沢東ら指導部の表向きの現実の報道は、その裏で何が起きていたのかを伝えていなかっただろう。しかし、それは少しづつ洩れてきた。その現実と事実はハンナが分析した独ソの全体主義が新たに中国で生じていたと分析を展開したかもしれない。しかし、ハンナは独ソの全体主義分析で本質的な分析は済ませたように思える。新たな全体主義の分析と告発、行動はハンナの仕事を受け継ぐ後に続く者の責務である。

 ハイデガーは戦後の中国での災害、政治体制の混乱の中で数百万の人々が死んだ報道に長い論考を書いた。それは人が死ぬとは、どういう事か、ということへの考えを述べたものだ。それはハンナも読んでいる筈だ。米国でアイヒマン裁判に関する論説が大騒ぎになっていたころハンナは『全体主義の起源』の執筆に集中していただろう。続けてハンナはマルクス、エンゲルスとマルクス主義の研究に没頭していた。それは『カール・マルクスと西欧政治思想の伝統』で確認できる。米国で刊行は出来なかっが草稿も含めて日本では訳され出版されたのは幸いだった。

 アカショウビンはハンナの論考も読みながら中国や日本の当時の様子を確認していきたい。それは文献と映像も観ながら。

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