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2019年5月24日 (金)

朝帰り

  色気のある話ではない。先週に続き二度目の夜勤仕事である。マイクロバスから現場まで、先週は亡者のような連中に、はてアカショウビンも娑婆からオサラバしたのか、と周りを見廻した。しかし、大型スーパーはあるし若者たちは飲み屋で奇声をあげて盛り上がっている。まだ冥土ではないらしい。地獄八景亡者の戯れ、とはいかないようだ。

 それはともかく、間違いなく此処は東京湾に近い巨大な物流センターの一つだ。しかし、これまでの作業場とかなり様子が違う。先ず外国人が多い。しかもアジア系の。中には浅黒い肌の男女もいるが、行き交う言葉は東南アジアの、かつてタイやベトナムで耳にした、やわらかい女性的な声の響きだ。年齢は皆さんお若い。アカショウビンのような白髪頭の中高年は彼らからすれば不思議な生物のようなものだろう。そういう時空間で彼らと視線を交わす。彼らは日本人と会話したいのだ。しかし、恥ずかしがりで英語の下手な日本人は警戒して声をかけない。電車でも携帯電話に夢中な今の日本人のコミュニケーション能力は、これまで以上に減衰している。

 それは外国人にとって正しく不思議な人々なのだろう。サムライは何処にいるのか、まともな会話もできない人々から私たちは何が学べるのだろう。幕末から先の大戦、敗戦後の復興のエネルギーに眼を瞠った賢人は、日本に学べ、と国民に説いた。その声に応じ日本を目指した有為の若者もいるだろう。彼らは果たして現在のニッポンから何かを学ぶ事が出来るのだろうか。それには高度の知性を必要とするのではないか。それでは学べる者は限られる。その実態を知れば多くの皆さんが日本から欧米へと行き先を変えるだろう。胸襟を開く、と言う言葉は若者たちには意味不明な昔の言葉なのか、英語も日本語も不十分ではコミュニケーションなどできない。ひたすらスマホで自分の殻に閉じ籠る、井戸のなかの蛙である。

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