« 労働の現場④ | トップページ | 大人になれない政治家 »

2019年5月19日 (日)

ラルゴ エ メスト

 速度指定で「幅広く ゆったりと そして 悲しく 憂鬱に」という。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ作品10の三つのソナタのうち三番目の三楽章の速度指定である。ケンプの1965年の録音で聴き直した。若きベートーヴェンの息吹と嘆息が聴き取れる思いがする。続く四楽章、メヌエット アレグロへの移行も静謐ですばらしい。この録音を聴くきっかけになったのはグリューミオ・トリオが1967年に録音したベートーヴェンの弦楽三重奏曲の第二番ト長調の第一楽章アダージョをたまたま聴いて息をのむ弦の妙音に挑発されたからだ。若きベートーヴェンの作品を優れた演奏家が演奏すれば現世の妙音と言ってもよい調べが奇跡のように奏でられる。それに驚愕し刺激され、改めて若きベートーヴェンの作品に集中しようという気力を得た。弦楽トリオ、ピアノ・ソナタを経てベートーヴェンは作品15で最初のピアノ協奏曲を世に問う。それも幾つかの録音で聴いてみよう。

  そのような衝動に駆られたのも先に読んだ河島みどりさんのリヒテルの本、そして古本で購入した武満 徹の対談集を読んで刺激されたからだ。武満が1975年10月30日に出した『ひとつの音に世界を聴く』(晶文社)の中に吉田秀和との対談がある。それが実に面白い。1974年1月、『ユリイカ』に載ったものだ。タイトルが「ベートーヴェンそして現在」。興味ある方には是非読んで頂きたい。それは行間に若い武満や吉田の当時の時代情況への思いも読み取れるからだ。

 それはまた我々が生きる現実と現在、政治情況、文化情況とも呼応する。アカショウビンは一年近くテレビを観ないが、東京新聞でそれらは記事で読んで過不足ない。関心のある話題には更に突っ込んだ記者や論説委員の記事で読める。その幾つかはブログで感想を述べる。今朝の朝刊の27面〝本音のコラム〟は前川喜平氏が「高等教育無償化が変だ」という見出しだ。同紙のコラムは先日、奄美大島の見出しで同氏が初めて訪れたというアカショウビンの故郷の現実も興味深く読んだ。何と奄美にミサイル基地が設置中という。我が故郷も現在の政権の無法と横暴にに翻弄されている。

 コラムの下には先日、俳優・佐藤浩市のインタビューが思わぬ騒動になっていることを伝えている。彼のコメントに右派・保守派、ヘイト・スピーカーらが過剰反応したらしい。現在の政治・文化情況を反映すると思われる現象だ。改元やオリンピックに向けて能天気な空気のなかで時に突発的な状況が生じる。その一端を現わす遣り取りだろう。そのような空間・時間の中にアカショウビンも市民、国民も生きている。それは未だ幸いなほうだ。世界の各地では砲声が止まない。アカショウビンもベートーヴェンの作品に集中できる。それは現世の安穏ともいえる。それが否定される時が来る。将棋の故・米長邦雄の名言がある。タイトルは取ったときに笑っておけ、いずれ泣く時が来る。それは新名人の豊島名人も肝に銘じているだろう。将棋や囲碁の世界は盤上の勝負がすべてである。泣くも笑うも。しかし私達が生きる政治情況は将来の市民、国民に跳ね返る死活に関わる。そこに能天気ではいられない。

|

« 労働の現場④ | トップページ | 大人になれない政治家 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 労働の現場④ | トップページ | 大人になれない政治家 »