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2019年5月22日 (水)

追悼

 加藤典洋氏の訃報を今朝の東京新聞〝筆洗〟で知った。71歳とは平均寿命からすれば早すぎる死だ。しかし人の寿命はそれぞれ。アカショウビンは氏の論考をたまに読むていどの読者だが、それは戦後の此の国の現状に対し実に刺激的な批評家だった。それは加藤周一や吉本隆明に続く思想家と思う。

 筆洗では氏のゴジラ論を紹介している。曰く、ゴジラとは第二次世界大戦の死者たちの体現物である(『さようならゴジラたち』)。氏は『戦後後論』で、日本がアジアでの戦争加害と向き合うためには、まず日本の戦没者を弔うべきだ、と論じた。その視座に同意する。「戦争の先兵にして犠牲者。日本の戦争の死者の両義性を理解せずしてアジアの戦争犠牲者への真の謝罪はできない」という筆洗筆者の一文にも。それはまた『散るぞ悲しき』で硫黄島で散った栗林忠道の一生を辿った梯久美子さんの著書とも呼応する。また氏も読んだであろう、ハンナ・アーレントの政治思想とも。

 今朝は故人を弔いバッハの『マタイ受難曲』をクレンペラー盤で聴く。晩年の巨匠の遅いテンポの演奏はバッハのスコアの行間を読みこむ気配が感じ取られる。加藤氏はこれを聴いただろうか。それは正にイエスの死を受容する過程を辿る気迫である。改めて氏の著作を辿り戦後日本の経緯と現在に思考を巡らせたい。

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