« 九州より友来たる | トップページ | なかじきり »

2019年4月25日 (木)

歴史を遡る

 1945年3月29日、戦艦大和は呉軍港から出撃した。沖縄の米軍戦力を撃滅する一助として乗員三千余名は決死の覚悟を固め世界最大の不沈戦艦に乗り込み特攻作戦に参加する。しかし沖縄に到達する途上米軍機三百余と潜水艦の波状攻撃にあい激戦の末撃沈させられる。沖縄では米軍の攻撃に日本軍が対処し県民の移動を命令し迎撃体制を組む。しかし圧倒的な米海軍の艦砲射撃は激烈を極め沖縄島は形を変える様相を呈する。戦闘員以外の県民の死者数は兵隊の数を圧倒的に上回る戦闘が行われたのだ。

 先の大戦末期の断末魔は〝戦争を知らない〟戦後生まれのアカショウビンらの世代や現在の多くの日本国民にとり、歴史を遡り日本国民一人一人が現在の生を介して反芻するしかない。アカショウビンも一人の日本人として歴史事実を辿るのである。その一助として戦艦大和の生き残りの戦闘記を奇跡的に残された吉田 満氏の文章は熟読しなければならぬ資料である。『戦艦大和ノ最後』は文庫で読める。氏が戦後を生き延びられた経過は『戦中派の死生観』として読める。これは正しく氏の遺書といえる。昭和55年2月に文藝春秋社から刊行され、1984年8月25日に文春文庫から再刊されている。アカショウビンは毎年、この時期にはこれらの書物の他、沖縄の集団自決の書籍、先の大戦に従軍した方々のドキュメンタリー映像などを読み観て歴史を遡る。沖縄の現実と、この昭和20年の敗戦までと戦後の歴史は共振している。それを確認するのが日本国民の責任だろうからである。もちろん、そんなことはないという意見もあるだろう。そんな〝非国民〟とアカショウビンは相手をしている時間はない。アカショウビンを含め多くの日本国民が暢気で能天気な日常を過ごしている。これからの十連休をどう過ごすか、あれこれ楽しみにしているであろう。しかし沖縄では国家と沖縄県民が対峙している。マスメディアは、そのような現実に意識的にか無意識にかアホ報道を垂れ流す。それに国民は誘導され動き回り遊びまわる。折しも改元の年である。政府はそれを支配し能天気な振る舞いで国民を悦ばせ誑かし、海外出張で国費を使い確信犯の如き活動をするのである。ボケはここに極まる。

 1945年8月15日まで大日本帝国は断末魔の経過を辿ったのである。その経過と沖縄の地獄は歴史を冷静に振り返らねば自らのものとはならない。アカショウビンも、そのために下層労働の合間に文献を読むのである。吉田 満氏の戦後は、そのような戦後史の生き証人の記録である。それに正面することは日本人として、日本国民として責務とアカショウビンは心得る。

|

« 九州より友来たる | トップページ | なかじきり »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 九州より友来たる | トップページ | なかじきり »