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2019年4月 9日 (火)

万葉考

 新元号が万葉集や中国古典を元に制定されたという報道を読み、たまたま読んでいた梅原 猛の『日本学の哲学的反省』のなかで〝令〟を、官僚の規範、と書いている。「律令というものは、天皇を中心とした官僚を支える法律でございます。官僚体制の規則が『令』でございまして、この官僚体制に反抗する連中を罰するのが『律』でございます」。(昭和51年8月1日 講談社学術文庫 p45)。これは、1976年、3月14日、高崎での講演に加筆したものだが、当時の梅原の思索、考察を残して、万葉集という最古の文献を新たに再考する必要性を看取する論考だ。同時に、当時話題になった梅原の空海の論考も面白い。こちらは1980年頃の論考を集めている。それは仏教とは何か、という問いを改めて問い直す契機となる。

 とりあえず、春に桜が咲き散るころに日本という国で生きる意味を考えてみよう。先日は胃カメラ検査の結果を聞き、何とか娑婆での時間も与えられた。主治医が変わり、新たな仕切り直し。前の女性主治医は転院し、若い男の主治医と初めて会ったが、あまり好感はもてない。こういう医師に自らの命を託すのは、御免被りたいものだが。帰りは行きつけの中古店でCDも購入し生き延びる活力も充填する。残り時間は少ない。しかし多少の抵抗はしなければならぬ。

 かつて、渡辺一夫が書いている、セナンクールの言葉を水先案内としながら。

 「人間は滅び得るものだ。さうかもしれない。しかし、抵抗しながら滅びようではないか?そして、もし虚無が我々のために保留されてあるとしても、それが正しいといふやうな、ことにはならないとしよう」。

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