« 有為とは | トップページ | 多少の縁と追悼 »

2019年2月 5日 (火)

宗教的土壌の可能性と政治

 昨日の東京新聞朝刊はメルケル首相のプロフィールを紹介している。2015年はシリア内戦などで中東・アフリカから大量の難民が欧州に押し寄せた年だ。そのときに「私たちにはできる」とドイツは積極的に難民を受け入れた。米タイム誌の「今年の人」にも選ばれた。メルケル政権が難民を受け入れた首相の決断には「プロテスタントの牧師の娘だった信仰心が大きく影響したとされる」と記事は記している。批判も受けたが、そこでの首相の言葉が見事だ。「非常事態に親切心を見せて謝罪を求められるなら、もはやここは私の国ではない」。それは宗教と政治が或る可能性を示した一つの証として読み取られる。それは一つの論点となりうる。それは別の機会に論じたい。

 メルケル首相の愛称はアンジーらしい。来日の政治的意図は中国への牽制もあるだろう。かつての同盟国が何を論じるか興味があるが原発では異なる両首相の間で溝はあまりに深い。しかし来日前の動きを読むとどこにお互いの回路が開かれるのか期待はできない。しかし、サッチャーといいアンジーといい、欧州の女性首相の知性の鍛え抜かれた決断と政治的判断はどうだろう。先進国で最低の男尊女卑国家は果たしてどのように改革が出来るのか実に心もとない。

|

« 有為とは | トップページ | 多少の縁と追悼 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 宗教的土壌の可能性と政治:

« 有為とは | トップページ | 多少の縁と追悼 »