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2018年12月15日 (土)

あくがれいづる魂

 今朝の東京新聞“筆洗"は和泉式部の歌から書き出している。アカショウビンも先日観たルオー展で式部の歌が想い起こされた。理由は互いに異なる。しかし、この王朝歌人の歌は現在にも調べが何かを共有し挑発する力を持っているという事である。茂吉の歌も同じだ。歌とは詩魂であり何物かの魂なのである。それは言葉であり言霊である。
 アカショウビンが想い起こした式部の歌は、ものおもへば澤のほたるも我が身よりあくがれいづる玉かとぞみゆ。玉とは魂である。"筆洗“は、くらきよりくらき道にぞいりぬべき遥かに照らせ山の端の月。
 ルオーの作品を言葉にすれば、式部のあくがれかもしれない。恋する男とイエス、キリストへの対象の違いはあれど。

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