« ベルトルッチ批判・再々考  | トップページ | あくがれいづる魂 »

2018年12月12日 (水)

シューベルト

 先日のNHKラジオ〝音楽の泉〟はシューベルト16歳の弦楽四重奏と「死と乙女」の歌曲版をフィッシャー・ディスカウの録音で放送していた。最近、シューベルトのピアノ・ソナタを集中し聴いているため恩恵のように放送に耳を澄ませ聴いた。そして読み続けている北 杜夫の『壮年茂吉』(岩波現代文庫 2001年2月16日 第1刷)のなかに茂吉がドイツで師の葬式のときに聴いたシューベルトの歌曲の話を書いていることも偶然の恩恵のように読んだ。倅によれば父は極度の音痴という。ドイツ語も会話は下手だったという。しかし論文や読解力は抜群で、その茂吉が弔いで歌われたシューベルトに感銘し、「死と乙女」の茂吉のドイツ語訳を北 杜夫が記している。それを以下に抜いて、新たにシューベルトという若くして逝った天才の音楽を我が精神に吹き込み娑婆を生きる縁(よすが)にしたい。

処女、過ぎよ。あはれ過ぎよ。あらき死の者よ、去れ。われは未だうら若し。君よ、ここを去れ。われに触るな。われに触れたまふな。

死。汝(な)が手を取らむ。麗しくか繊(ほそ)き者よ。吾は汝(な)が友。汝(な)は罪せじ。吾はあらあらしき者にあらず。こころ和(なご)みて、しずかに吾にいだかれて眠れかし。

|

« ベルトルッチ批判・再々考  | トップページ | あくがれいづる魂 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: シューベルト:

« ベルトルッチ批判・再々考  | トップページ | あくがれいづる魂 »