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2018年10月22日 (月)

田中一村伝

 昨日の東京新聞の書評欄に『評伝 田中一村』(生活の友社 大矢鞆音(ともね)著)が紹介されている。大矢氏は1938年生まれの安野光雅美術館長。評者の小林 忠氏は南海日日新聞からの依頼で連載を8年間続けたと書かれている。それをまとめたのが同著である。「見える世界の奥に見えない世界の存在を感じさせる」と説く大矢氏の弁に「一村画には宗教的な観念が通奏低音として鳴り響いている」と感じる小林氏の感想は重要である。その根拠は探ってみなければならない。なぜなら、「見えない世界の存在」とは正に哲学の存在論の主題であるからだ。それが宗教とどう関連するか、それは哲学的アポリアである。通奏低音とは音楽用語だがその響きを聴き取ることが「見えない世界」を見えるようにするということは聴き取ることにほかならない。アカショウビンが一村に惹かれたのは奄美の蝶や鳥、植物など人物がいない世界を一村はなぜ描きつづけたのだろうという疑問からである。果たして同書でその疑問は解決されているのだろうか。それはアカショウビンにとっても継続される問いである。

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