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2018年10月22日 (月)

突破する

 1973年、ツェーリンゲンでのゼミナールでハイデッガーは『存在と時間』(創文社版では「有と時」)の「物」はもはやその場所を意識の内にもつのではなくて、世界‐の‐内に持つ(この世界はそれ自身また、意識に内在するものではない)と述べている。(「四つのゼミナール」p111)。そしてフッサールの立場を「新カント派学派への関係においては一歩前進」と評価する。

 それは、対象を意識の内在の内へ組み入れることによってである、として「それゆえ意識の領域はフッサールにおいては全く問に付されず、まして突破されるということはない」と述べたようだ。

 突破(Durchbruch)とは、テオドール・W・アドルノがマーラーの作品を解くキーワードである。『マーラー 音楽観想学』(法政大学出版 龍村あや子訳)で、龍村氏は次のように説明している。

  突破(Durchbruch)は、「世の成り行き Weltlauf」「一時止揚  Suspension」とともに、アドルノがマーラーの形式を分析する上での基本概念として提示するものである。―マーラー論において<突破>は<世の成り行き>と対置され、この両者の対比は時間性の非連続として現れる。すなわち、<世の成り行き>とはこの場合単なる「世間」の意味ではなく、平穏でつつがなく流れて行く世間的な、あるいは表面上論理的な、伝来の芸術語法で了解可能な時間の動きを意味する。これに対し、その時間を突発的に多種多様に打ち壊し、目覚めさせようとする瞬間がすなわち<突破>として捉えられるのである。さらに、「突破」によってそれまでの内在論理が一時的に停止され、一定の時間、別世界が繰り広げられることが、いわゆる<一時止揚>にほかならない。

  このハイデッガーの痛烈な批判者の音楽哲学はハイデッガーの講義録を読むスリリングと面白さを共有して読める。

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