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2018年10月 6日 (土)

茂吉考

 斎藤茂吉という歌人に興味を持ち始めたのがいつか定かでない。アカショウビンが中学生のころ面白く読んだのが茂吉の次男宗吉、北 杜夫の『船乗りクプクプの冒険』だったことから、教科書で茂吉の短歌を読んだのかもしれない。
 十年近く前、長く勤めた会社を辞め気儘な日々を過ごしていた。五十年余り生きられてひと区切り、鷗外のいう中仕切りの時だと思い、学生時代に棲んだ中野など縁あった場所を歩いた。そのとき仮店舗で古本の茂吉全集の何冊かが格安であった。悦び買い求めた。小さな業界紙を辞めたのは直腸ガンを宣告されたからだ。残された娑婆での時を楽しみ終えたいのは人間という生き物の情というものである。読み残した本のいくつかが茂吉の著作、茂吉論、言説だった。
 あれから十年余、幸い生き延びた。倅が書き記す茂吉の姿は興趣が尽きない。戦後、山形の大石田に一人生活していた頃の様子を北は地元で老いた茂吉を世話した人の著作を介して晩年の姿を再現する。取材に来た若い新聞記者を怒鳴りつけ追い返し、改めて迎え入れる様子は実に面白い。上山で昭和天皇に歌を進講した時の茂吉の語る天皇の姿も。
 山形は長年勤めた業界紙の仕事でしばしば訪れた。北の文章で土地の風景と縁あった人達との交流が思い起こされるのである。茂吉が立ち寄ったという余目や上山はアカショウビンも何度も行った。冬に福島から米沢に向かう車窓から眺める風景は一変する。南島育ちのアカショウビンには実に鮮烈で心和む体験だった。
 全集の柿本人麻呂の歌の註釈は未だ読み終えいてない。しかし、力を奮い起こし読まねばならぬ。北 杜夫の茂吉回想で読む茂吉の歌は、その助力となる。

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