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2018年10月31日 (水)

茂吉考②

 茂吉の歌を読むときに塚本邦雄の解釈、論考は不可欠である。『赤光』の表題由来が浄土三部経であることは『茂吉秀歌』(1993年 講談社学術文庫)にある。仏説阿弥陀経の極楽の描写である。それで茂吉は第一句を詠んだ。北 杜夫こと次男、宗吉が父親のときに揶揄されると回顧する茂吉作品に多く現れる「しんしん」という表現がある歌である。

 ひた走るわが道暗ししんしんと堪えかねたるわが道くらし

 暗しとくらしの相違に作者の思いが込められているように思われる。それは青年茂吉が師の左千夫の死の報を知り込めた思いであろうからである。

 師弟の間に明滅する情愛、敬愛とは相克も経てかくの如きものであろう。それは他者には測り知られない深淵ともいえる。

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2018年10月28日 (日)

朝のモーツァルト

 今朝の〝音楽の泉〟の第一曲はモーツァルトのディベルティメント k136である。モーツァルト16歳。皆川達夫さんの解説では、二度目のイタリア旅行から故郷ザルツブルクに帰ってからのものという。先日、友人から送って頂いたDVDの録画で小澤征爾が2002年、ボストンを去りウィーンに移るころのNHKの特集番組を観た。その頃に小澤は帰国し東北の田舎で若い演奏家たちとキャラバンという演奏旅行をしていた。その時も同行したチェロの巨匠ロストロポーヴィチの提案という。小澤の指導で奏でる若い演奏家たちのモーツァルトが実に瑞々しく透明感に溢れた演奏だった。

 今朝の演奏はボスコフスキー指揮のウィーン・モーツァルト合奏団の録音。それはプロの奏する異なる味わいだがアカショウビンは小澤と若い演奏家たちの演奏のほうが面白かった。それは16歳のモーツァルトと同世代の若者もいるだろう姿が若きモーツァルトの童顔を想像させて興味深かったのだ。小澤は彼らしい熱情で若い音楽家たちにモーツァルトの音楽を伝授する。それは師の齋藤秀雄が繰り返した「もっと歌え」という教えだろう。モーツァルトの音楽の歌を小澤は求めているのだ。若い演奏家たちは繰り返される練習、というより稽古の中から小澤が求める歌と音を醸しだした。それをクラシックを初めて聴く土地の老若男女に伝える。それは音楽を介した人と人との間に通じるささやかな狭路の如きものだが人間存在に生じる奇跡の如きものともいえる。旅に同行したロストロポーヴィチはハイドンの協奏曲を演奏する。その稽古の過程での若い演奏家たちとの交流も音楽という手段で巨匠と若い演奏家たちの技術を超えた魂の伝達が行われていると思えた。モーツァルトの一生の一場面を聴く面白さはアカショウビンには残り少ない娑婆での悦びである。

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2018年10月25日 (木)

歌姫考

 以前、歌姫という形容でアカショウビンの好きな歌手たちの列伝の如きものを書いていこうと画策したことがあった。それはジャンルを問わずオペラ歌手からジャズ歌手、中島みゆきをはじめ声を聴いて震撼させられた歌い手というのが条件となるものだった。その最上のものは誰か。少し前の新聞にアレサ・フランクリンの死去の報にからめて「アレサ・アムロ」というタイトルで追悼文を読んだ。二人に共通するのはソウル(魂)の歌い手という賛辞である。アムロはともかくアレサ・フランクリンを集中して聴いたことがなかったので中古屋でレコードとCDを買って聴いた。震撼させられない。アカショウビンの鈍感な感性ゆえだろう。そのソウル(魂)という賛辞で評する二人と比較できる歌い手はアカショウビンにはニーナ・シモンしかいない。かつて聴いたレコードやCDは引っ越しで段ボールのなか。中古屋を物色し未聴のアルバムを買ってきた。「ムード インディゴ」はニーナの60年代の録音を集めたシリーズの第2巻である。かつて聴いたものと初めて聴くものが混在している。しかしこれが震撼させられる歌い手とピアノの声と音なのだ。

 先日は依頼があり奄美のウタシャ(奄美では優れた歌い手を敬意をこめてこう称する)の里 國隆のかつて書いたブログを書き換えネット用に書き送った。里の声は黒い。奄美の言葉ではクルグイといったのではなかったか。それはいわゆる〝島歌〟とは異なる奄美という風土で歌い継がれ聴き継がれてきた歌というより唄、謡なのだ。アルバムの一つには「奄美の哭き歌」というのがある。それは慟哭という漢語の哭だ。それは嘆きではなく叫びというより〝おらび〟というものだろう。万葉集いらいの和語が当たらずとも遠からずの表記と思われる。

 それはともかく、ニーナを聴いて連想するのは里の声だ。飛躍だろうがそれはアカショウビンのなかで根拠というのか確信というのがある。それは前回のブログで書いたアドルノの突破という概念とも通底する。マーラーの作品とニーナ・シモンの声とピアノ、里の声、かきならす鳴らす竪琴は突破という概念でアカショウビンには括られる。

 ニーナのアルバムで更に震撼したのは『ライヴ・トリロジー』という三枚組のアルバムだ。ヴィレッジゲイト、タウンホール、ニューポートでのライヴを集めたものだ。これがまた凄い。ライヴでのニーナの声とピアノ、観衆、聴衆の讃嘆が聴き取られる。これを聴けば歌姫列伝のトップはニーナ・シモンで決まる。これが魂(ソウル)なのだ。

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2018年10月22日 (月)

突破する

 1973年、ツェーリンゲンでのゼミナールでハイデッガーは『存在と時間』(創文社版では「有と時」)の「物」はもはやその場所を意識の内にもつのではなくて、世界‐の‐内に持つ(この世界はそれ自身また、意識に内在するものではない)と述べている。(「四つのゼミナール」p111)。そしてフッサールの立場を「新カント派学派への関係においては一歩前進」と評価する。

 それは、対象を意識の内在の内へ組み入れることによってである、として「それゆえ意識の領域はフッサールにおいては全く問に付されず、まして突破されるということはない」と述べたようだ。

 突破(Durchbruch)とは、テオドール・W・アドルノがマーラーの作品を解くキーワードである。『マーラー 音楽観想学』(法政大学出版 龍村あや子訳)で、龍村氏は次のように説明している。

  突破(Durchbruch)は、「世の成り行き Weltlauf」「一時止揚  Suspension」とともに、アドルノがマーラーの形式を分析する上での基本概念として提示するものである。―マーラー論において<突破>は<世の成り行き>と対置され、この両者の対比は時間性の非連続として現れる。すなわち、<世の成り行き>とはこの場合単なる「世間」の意味ではなく、平穏でつつがなく流れて行く世間的な、あるいは表面上論理的な、伝来の芸術語法で了解可能な時間の動きを意味する。これに対し、その時間を突発的に多種多様に打ち壊し、目覚めさせようとする瞬間がすなわち<突破>として捉えられるのである。さらに、「突破」によってそれまでの内在論理が一時的に停止され、一定の時間、別世界が繰り広げられることが、いわゆる<一時止揚>にほかならない。

  このハイデッガーの痛烈な批判者の音楽哲学はハイデッガーの講義録を読むスリリングと面白さを共有して読める。

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田中一村伝

 昨日の東京新聞の書評欄に『評伝 田中一村』(生活の友社 大矢鞆音(ともね)著)が紹介されている。大矢氏は1938年生まれの安野光雅美術館長。評者の小林 忠氏は南海日日新聞からの依頼で連載を8年間続けたと書かれている。それをまとめたのが同著である。「見える世界の奥に見えない世界の存在を感じさせる」と説く大矢氏の弁に「一村画には宗教的な観念が通奏低音として鳴り響いている」と感じる小林氏の感想は重要である。その根拠は探ってみなければならない。なぜなら、「見えない世界の存在」とは正に哲学の存在論の主題であるからだ。それが宗教とどう関連するか、それは哲学的アポリアである。通奏低音とは音楽用語だがその響きを聴き取ることが「見えない世界」を見えるようにするということは聴き取ることにほかならない。アカショウビンが一村に惹かれたのは奄美の蝶や鳥、植物など人物がいない世界を一村はなぜ描きつづけたのだろうという疑問からである。果たして同書でその疑問は解決されているのだろうか。それはアカショウビンにとっても継続される問いである。

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2018年10月19日 (金)

憂き世を浮き世に

  先日膀胱全摘手術をした高校の同窓生TO君の見舞いに同じ同窓生NA君と行ってきた。その病院は重なる引っ越しでアカショウビンがかつて棲んでいたところから電車で数駅向こう。周囲の風景はアカショウビンが棲んでいたところとよく似ている。近くを川が流れ白鷺がゆったりと飛んでいる。病室の窓から見える景色をTO君は気に入っていると話した。アカショウビンも手術後のリハビリで同じような河べりを散歩するのが日課だった。TO君は未だ外出できないが点滴を支え持つTO君の姿は正しく三年前のアカショウビンの姿である。TO君は入院中に描いた鉛筆画の幾つかを見せてくれた。彼には退屈を凌ぐというよりこの数年鉛筆画を描くことが仕事となっている。それは趣味の域を越え彼の作品が売れるようになっているからだ。その幸いは家族が遭遇した窮地を乗り越える過酷と苦闘から生み出された。数年前には鬱病でも苦しみ絵も描けなかったと病を乗り越えたとき話していた。まことに生きる苦しみと悦びは裏腹なのである。
 病院を去りかつて乗り降りした駅を過ぎた。引っ越しを手伝ってもらったNA君と一杯やりかつて棲んだ街をゆっくり歩きたかった。しかし図書館に注文しておいた本を借りる期限があり帰途についた。
 スーパーでワインとツマミを買い込みバスに。DVDも借りた。福岡の同窓生にもラインでTO君の写真を送付した。帰って久しぶりに観たDVDは 『スウィング ガールズ』(2014年 矢口史靖監督)。少し鬱屈した気分を逸らしたかったのだ。少し冗長だが女子高生たちがビッグバンドジャズに取り組んでいく姿が面白いのである。方言指導はもっと徹底したほうがよいと思う。しかし家族やアカショウビンも経験した高校生の生態が落語を見るように面白く描かれている佳作なのだ。南島育ちのアカショウビンには夏冬でがらりと変わる東北の地方都市の風景が和めるのだ。圧巻は最後の晴れの舞台の演奏。ジャズに熱中したアカショウビンの若いころの記憶が甦る。デューク・エリントンの名曲が次々と思いだされる。「シング シング シング」を演奏する高校生の姿が眩しくもみごと。ジャズの素晴らしさを映像は見事に捉えている。久しぶりにビッグバンド・ジャズを聴きたくなった。

  TO君、共に憂き世を浮き世として彼岸に達しようではないか。アカショウビンもジャズや西洋古典近代音楽を聴きながら余生を生き凌ぐ。最後のクレジットで流れるナットキングコールの名曲が心に沁みる。

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2018年10月16日 (火)

私たちが棲む世界

 テレビが断線で観られなくなり数ヶ月。新聞だけが文字を介して現在の世界と通じる回路である。朝刊には新たな連載記事が掲載されている。コラムは鎌田慧氏。ブラックアウトのタイトルで原発稼働を優先させる現政権のエネルギー政策を痛罵している。同じ紙面には小泉元首相の政権批判の写真も。鎌田氏のコラムは、私達が生きている現実の生と解釈、批評、批判がある。実に啓発される論考だ。那覇や札幌など各地やヨーロッパを訪れた記事を興味深く読ませて頂いている。安い年金とアルバイトで生活している六十代半ばのオッチャンには嘆き憤る毎日である。さぁ、これからアルバイトの下層労働だ。新聞や本を読み、CDやDVDを聴き観てダラケ疲れる日常に喝をくらわそう。

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2018年10月11日 (木)

日々雑感

 稀代のソプラノ歌手が逝き、同時代を生きた力士が逝く。そういう時を私達の世代は生きている。
 輪島という横綱の全盛期をアカショウビンもテレビや新聞報道で見聞きし読んでいた。訃報を知り、かつて相撲や野球に熱中した世代として哀悼と追悼はしておきたい。
 新聞報道で、良き好敵手だった貴ノ花の倅が感想を述べていた。輪島の“黄金の左手"は、違う。右手のおっつけがきつかった、という父親の回想だ。これが、マスコミや語り伝えと異なる肉感として、最も納得できる述懐だ。相撲という格闘技の真髄が、この言葉によって伝わる。アカショウビンがテレビで眼を凝らしたのも、そういう映像を介して受け取った格別な体験である。
 相撲も野球も関心が薄れて久しい。しかし、同時代を生きた幸いは言祝ぎたい。
 きょうは、アルバイトを休み休息の一日。都心まで出かけ用を済ませる。観ておきたい映画もある。その感想も書いておきたい。

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2018年10月10日 (水)

美しく鋼の如き声

 スペインのソプラノ歌手、モンセラ・カバリエの訃報を知り手持ちのCDでベルリーニの『ノルマ』を久しぶりに聴いた。1972年のロンドン・フィルとの録音。85歳で亡くなった稀代の歌い手の最盛期の声が堪能できる。何とも美しく鋼の如き声が鮮明に録音されている。英国の優秀なオーケストラだがイタリア・オペラの味わいに、すっきりし過ぎて物足りなさは残る。しかしソリストが豪華。アカショウビンの愛聴するフィオレンツァ・コッソトを聴くために買ったCDだがルジェロ・ライモンディ、プラシド・ドミンゴと当時のトップ・スターを揃えている。

 この世の楽しみは、このような鍛え上げられ、磨き抜かれた声と遭遇することだ。ヴェルディに続くイタリア・オペラの伝統は1831年に一人の若者の作品によって引き継がれた。それはまた、ヴェルディの作品の偉大さを証明するものでもある。異空間から届く声は娑婆を生きる力を与えてくれる。その貴重を言祝ぎたい。

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2018年10月 6日 (土)

茂吉考

 斎藤茂吉という歌人に興味を持ち始めたのがいつか定かでない。アカショウビンが中学生のころ面白く読んだのが茂吉の次男宗吉、北 杜夫の『船乗りクプクプの冒険』だったことから、教科書で茂吉の短歌を読んだのかもしれない。
 十年近く前、長く勤めた会社を辞め気儘な日々を過ごしていた。五十年余り生きられてひと区切り、鷗外のいう中仕切りの時だと思い、学生時代に棲んだ中野など縁あった場所を歩いた。そのとき仮店舗で古本の茂吉全集の何冊かが格安であった。悦び買い求めた。小さな業界紙を辞めたのは直腸ガンを宣告されたからだ。残された娑婆での時を楽しみ終えたいのは人間という生き物の情というものである。読み残した本のいくつかが茂吉の著作、茂吉論、言説だった。
 あれから十年余、幸い生き延びた。倅が書き記す茂吉の姿は興趣が尽きない。戦後、山形の大石田に一人生活していた頃の様子を北は地元で老いた茂吉を世話した人の著作を介して晩年の姿を再現する。取材に来た若い新聞記者を怒鳴りつけ追い返し、改めて迎え入れる様子は実に面白い。上山で昭和天皇に歌を進講した時の茂吉の語る天皇の姿も。
 山形は長年勤めた業界紙の仕事でしばしば訪れた。北の文章で土地の風景と縁あった人達との交流が思い起こされるのである。茂吉が立ち寄ったという余目や上山はアカショウビンも何度も行った。冬に福島から米沢に向かう車窓から眺める風景は一変する。南島育ちのアカショウビンには実に鮮烈で心和む体験だった。
 全集の柿本人麻呂の歌の註釈は未だ読み終えいてない。しかし、力を奮い起こし読まねばならぬ。北 杜夫の茂吉回想で読む茂吉の歌は、その助力となる。

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2018年10月 2日 (火)

老いの本質⑤

 東京新聞夕刊に掲載中の小松政夫さんの「この道」という自伝は楽しみにしている連載だ。昨日はトニー谷を回顧していて記憶が甦った。トニー谷という芸人の晩年が知られて貴重な記録である。トニー谷がエノケン(榎本健一)を〝師匠〟とあがめていた、という。それも日本の芸人伝としてアカショウビンは納得する。トニー谷は小松(以下、敬称は略させて頂く)の舞台を必ず観に来て土産を持参し批評したらしい。年賀状もマメに書いていたようだ。その文面も面白く味がある。ここで引用はしないが芸人同士の本音が窺われて心を震わせる。「芸人はお迎えくるまで稽古あるのみ」という手紙の一節も師匠から受け継いだと推察される後輩への心からのメッセージだろう。

 小松が座長を務めた舞台を突然訪れエノケンの位牌を持参し「オヤジ、小松がね、いい座長になりました」と拝みながら泣いた、という。いい話だ。芸人に限らず、心の通じ合う、人と人の付き合いと芸人師弟の芸の継承というのはそういうものだろう。トニー谷は、その翌年1987年、69歳で亡くなった。晩年の姿が芸を受け継ぐ者によって見事に活写されている。

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