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2018年9月14日 (金)

老いの本質①

 老いの本質とは何か、という問いを立ててみよう。それは哲学でいう根拠ともなるかもしれない。老い性ともいえるだろうか。斎藤茂吉、クナッパーツブッシュの晩年の著作、短歌や演奏録音を読み聴くと、そういう衝動に駆られる。それはアカショウビンの現実を介して言う事だから何の客観性もない。しかし、思考、考察するに足る問いかもしれないから考察してみよう。
 その契機となったのは、昨夜のアルバイトの帰りに同行した歳は下だが職場の先輩との出会い、会話を介して生じたものである。関西弁の彼、Kさんは作業場をよく知っているベテランであることは観察していてわかった。アカショウビンを、オヤジーとかオヤジさんとか呼んで声を掛けてくれる。昨日もアカショウビンの作業ミスを丁寧に説明してくれた。ありがたかった。他の若いベテランたちとは次元の異なる生き方をしている人と直感する。電車の中で語らいながら、それを確認した。阿佐ヶ谷に住んでいる経緯は聞いていない。しかし、親しく話してみれば、人となりは理解できるのがヒトという生き物である。 
 これからアルバイトの仕事場に向かう。続きは明日の休みに継続しよう。

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