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2018年9月24日 (月)

老いの本質④

 先日、長年勤めた会社の縁で付き合いのある漬物会社の会長の85歳の誕生祝いに招かれた。都内の会場は二年ぶり。会長はじめ奥様とも久しぶりに歓談した。聞けば御近所で親交のある脚本家の山田太一さんは老人ホームに入られたようだ。二年前はお元気な様子だったが。その席には会長と同級生の海老名香葉子さんも同席され戦後の人生を講演された。

 静岡の沼津から二十歳で東京に出て会長は会社を起業。業界有数の企業に仕立てあげた〝風雲児〟である。会場舞台の横断幕にその文字を見た。〝風雲児〟とは言い得て妙。業界組合を脱し独自の信念で漬物を作り続けた人はそのように評してもよいだろう。長年の付き合いでアカショウビンには、戦後の日本人の生き方を体現した一人と思うからだ。叩きあげの中小企業の創業者の一人として十数年、興味深く話を聞いてきた。それは是非、一代記を残したい人である。業界の若手たちで海外も訪れ同業者たちとの確執もあった。その人たちも鬼籍にはいる人が増えた。その紆余曲折を記録に残したいと切に思う。たとえばタイトルは〝つけもの大将、風雲録〟。一つの業界の経営者の生き様は昨今の風潮に警鐘も鳴らすだろう。創業から65年、老骨に鞭打ち創業70周年を目指すと吠えるワンマンの気骨は共感する。早くご長男に譲り隠居にはいれば、とも思った。しかし、それができないのが叩きあげの経営者である。それはアカショウビンの父親とも似る。アカショウビンの父親は事業に失敗し67年の人生だった。しかし老社長は85歳の長寿で意気軒昂。それはそれぞれの戦後の日本人の生き様だ。そこに様々な老いの姿を見る。仏教で説く生老病死は、人それぞれに現象する。老いの本質というものがあるのか。さらに愚想を重ねたい。

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2018年9月18日 (火)

老いの本質③

 老いの透徹、武骨とでもいえる境地がある。それは、表題で愚想するなかで経験する。今朝はブラームスの交響曲第4番を聴いた。友人が昨夜、この作品を演奏するアマチュア・オーケストラの演奏会に行くとメールが届いたので棚から偶然取り出したのがクナッパーツブッシュの1952年のCDだった。ブラームスは、このワーグナー指揮者にとって余芸の如きものかもしれないが、この本当の意味での巨匠の面目が躍如する音楽を体験することなのである。オーケストラはブレーメン・フィル。時は師走の12日。貴重なライブ録音である。先日聴いたのはウィーン・フィルとのワーグナーの『ジークフリート牧歌』。アン・デア・ウィーン劇場での1963年のライブ録画である。それは晩年の巨匠の矍鑠たる姿と、そこから生起する、この巨匠ならではの音楽が当意即妙に生れるのが確認できる。この武骨で作品に通暁した人物にはワーグナーは十八番(おはこ)で生涯を賭けて指揮する至上の作品なのである。歴史的に眺めれば、それは西洋のロマン主義の系譜を継承するものといえるだろうが、個人に体現された表現を聴けば、そのエッセンス(本質)を聴く思いがする。

 老いの本質に透徹と武骨という姿と生き様を、この巨匠は体現していると確信する。それは茂吉の短歌にも通底する。「あらたま」のなかにそれを痛感する。あが母の吾(あ)を生ましけむうらわかきかなしき力おもわざらめや。先日から次男、北杜夫の『青年茂吉』(岩波現代文庫 2001年)を読んでいるが、そこには晩年の茂吉の姿も活写されている。そこにも透徹と武骨が読み取られるのである。

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2018年9月16日 (日)

老いの本質②

 老いの本質とは何か?という問いに一つの回答は、死の覚悟を促される時を生きる、とは如何だろう。アカショウビンは現在の高齢化社会のなかでそれほど高齢であるわけではない。しかし、三つのガンを抱え余命は平均寿命まで生きられるとも思えない。三つのガンの手術から三年、生きながらえているのは世間一般の常識からすれば不思議とも思われるだろう。しかし、生きている。その間にアカショウビンの晩年の思索と経験を記し残しておこう、というのがこのブログの主旨であることは再確認しておきたい。
 死を覚悟する、とはハイデガーの哲学論である。若い頃に主著である『存在と時間』を読んで以来、この著書他の講義録、対談・論争、晩年の少人数でのゼミナール記録などあれこれ読んできた。その論考は、そう遠くない死を予期するなかで生きるアカショウビンには刺激となり啓発されるのである。しばらくは、この問いの近くに接近し考察を深めていきたい。

 女優の樹木希林さんが亡くなられた、の報をネットで知った。心から追悼する。この数年で晩年の作品は幾つか観てきた。河瀨直美監督の『あん』や是枝監督の『歩いても 歩いても』などの作品で、その存在感は映画好きのアカショウビンには心に響き、沁みる映像だった。ガンは公的に伝えられていたからファンはじめ多くの人々が知っていたかもしれない。しかし、老いて仕事に集中し晩年を生きられたことと思う。それが多くの人々に伝われば女優という生き方の一端は多くの人の共感が得られるかもしれない。フランスや外国の映画ファンに、その存在は気に留められていたに違いない。明日はテレビや新聞で多くの報道がされることだろう。老いと病を介した死は、この高齢化社会のなかで一つの死かもしれない。しかし、死は人間という存在が先駆的に自覚するもの、というのがハイデガーの論説である。その是非を含めて更に考えていきたい。

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2018年9月14日 (金)

老いの本質①

 老いの本質とは何か、という問いを立ててみよう。それは哲学でいう根拠ともなるかもしれない。老い性ともいえるだろうか。斎藤茂吉、クナッパーツブッシュの晩年の著作、短歌や演奏録音を読み聴くと、そういう衝動に駆られる。それはアカショウビンの現実を介して言う事だから何の客観性もない。しかし、思考、考察するに足る問いかもしれないから考察してみよう。
 その契機となったのは、昨夜のアルバイトの帰りに同行した歳は下だが職場の先輩との出会い、会話を介して生じたものである。関西弁の彼、Kさんは作業場をよく知っているベテランであることは観察していてわかった。アカショウビンを、オヤジーとかオヤジさんとか呼んで声を掛けてくれる。昨日もアカショウビンの作業ミスを丁寧に説明してくれた。ありがたかった。他の若いベテランたちとは次元の異なる生き方をしている人と直感する。電車の中で語らいながら、それを確認した。阿佐ヶ谷に住んでいる経緯は聞いていない。しかし、親しく話してみれば、人となりは理解できるのがヒトという生き物である。 
 これからアルバイトの仕事場に向かう。続きは明日の休みに継続しよう。

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2018年9月11日 (火)

生誕90年

 今年は手塚治虫生誕九十年だそうだ。全集に未収録の作品も刊行されたらしい。漫画少年だったアカショウビンも手塚作品の影響下で現在まで生きている事に改めて気づく。手塚治虫の作品と思想は熟考しなければならない射程を持つ。それは少年・少女から大人までが理解できるものだ。手塚治虫が生きていたらどのような作品を描いているだろうか。最近、漫画はとんと読んでないが本屋に出向いてみようか。

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この十年

 昨日、都内の病院へ先週の検査の結果を聞きに電車を乗り継ぎ訪れた。主治医のK医師の診断では大きな問題はないようです、と言う。こちらは茶々を入れて小さな問題はあるのですか、と訊ねるとニコニコと微笑みながら、そういう言い方もありますね、と応えた。そして、いつになくゆっくりと二年前の手術の説明を手書きでしながら語った。それは同病のT君の再発による手術(膀胱の全摘)の話をしたからだ。膀胱の超音波検査の画面を見ながら。それによると前立腺のPSA数値がゆるやかに上昇しており、その検査も年内にしたいという。この歳になると、前立腺ガンの心配もしなければならないのだ。ともあれ、病院をあとにした。

 それほど残り時間はない。粛々と整理をしなければならないのだ。とりあえず、パソコンに残している、この10年を振り返ることにした。書いてきた論考を採録する。

辺見 庸氏の最新刊「たんば色の覚書 私たちの日常」はアカショウビンの日常を刺激する。氏が繰り返し書かれているのが氏と関わりの或る死刑囚への共苦とも悶えとも感得できる思考だ。氏は刑の執行を自分のなかで了解しようと苦悶する。しかし人は他人の苦しみを己のものとすることはできない。そこには個別の想像力の深度だけが或る可能性を持つだけだからだ。

 

 氏が、その想像力の契機となる映像作品として挙げる「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(二〇〇〇年 ラース・フォン・トリアー監督)を観直した。最新刊の中でも引用されている。これは何とミュージカル仕立ての作品である。評判を聞きかつて一見したが主演女優の見事さとカトリーヌ・ドヌーヴが出演しているのに驚いたことと、ミュージカルが独創的に使われていたことに記憶は留められ辺見氏の視角はアカショウビンにはなかった。しかし、この裁判劇でもある作品が死刑制度を思考するなかでジャーナリストで小説家でもある辺見氏にとって切実なものであることは再見すれば確認できる。

 

 一人の、か弱き女性、それは大概の男でもそうだろう、国家という装置と権力から裁判という紆余曲折の過程を経て殺される恐怖と苦しみを他者は共有できない。

 

 この作品は主人公が絞首刑に処されるまでの過程を詳細に描いている。その様子を辺見氏は凝視し、友人の死刑囚の執行の光景を反芻しているのだ。以前に観て、そのシーンは忘れていた。優れた映画作品というのは観る者それぞれに異なる印象を与えるものだ。アカショウビンは主人公が殺人に至る過程と裁判を経て死刑執行までの心理劇を主人公と周囲の人々の視線や感情を通してミュージカル仕立てにした才覚に先ず意表を突かれる。

 

 辺見氏の想像の契機となる映像は恐らく友人の現実の死刑執行とは異なる筈だ。しかし国家が一人の人間を殺す行為の無残と驕慢に疑念を抱くならこの制度についても多様な視角で国民一人一人が自ら考え熟慮すべきだろう。

 

 ここで想い起こすのは松蔭寅次郎の死である。もちろん、この作品の主人公や辺見氏の友人が国家によって殺される事態と吉田松蔭の刑死は内実と外見が異なることは承知のうえで言う。アカショウビンはその心境を愚考すれば「留魂録」に残された松蔭の辞世を想像の契機とするしかない。

 

 呼びだしの声まつ外に今の世に待つべき事のなかりけるかな

 

 十月二十六日黄昏書す 二十一回孟士 

 

 と記されている松蔭の声が心の奥で響く。この覚悟と心境の表出は誰にでもできるものではない。しかし人が「国家」によって殺される心情の澄み切った透徹さをアカショウビンは読み取る。松蔭は覚悟の上で、それは当時の政治状況と深い学問に裏打ちされた止むに止まれぬ愛国心を処刑の前に歌に託した。しかし、そのような逸材を国家はいとも簡単に殺す装置であることを忘れないでいよう。

 

 アカショウビンは国家が人を斬首であろうが電気椅子であろうが絞首であろうが殺す事に同意しない。

 

長野での出来事

 

先ほどミクシイで先日の長野での聖火リレーのデモ(チベット側)に参加した日本の若者が撮影した動画画像を観た。無表情な日本の警官諸氏と反対側の中国人たちとの怒鳴りあいが映像の中で鮮明に録画されている。当日の模様はテレビ番組で少しは見た。しかし恐らく、このような画像とコメントは公にはされていないだろう。ここには参加者のコメントだけをコピーしアカショウビンのコメントを添える。転載は自由ということだからお言葉に従う。

 

《日本は最低な国だ。平和だ、人権だと騒ぐ割には、中国の圧力に負けて平気でこういう事をする。警察を使って。》

 

 ★警察も使うし、政党も篭絡するし、外国の政治家たちとも通じている。国家はありとあらゆる手管を使う。恐らく中国の圧力に負けてではない。それは辺見 庸のいう日本の「世間様」だろうし中国の圧力だけでなく間接的には米国の圧力でもある。総じては「国家権力」、「権力」だ。

 

《帰りに携帯でニュースを見た。「聖火リレーは無事終了。沿道は大歓迎ムード。」「聖火リレーで日本人5人逮捕。中国人留学生に怪我。」 僕は愕然とした。 この国のマスコミは終わったと感じた》

 

 ★辺見 庸は既にマスコミを「糞蝿」と唾棄している。

 

《あの怒号は、僕らが受けた痛みは、
彼らの悲痛な叫びは、どこに反映されたのだろう》

 

 ★それは長野や何かイベントのある地方都市、市町村選挙が行われる場所で、金や権威といった幻想に塗れながら自宅に帰ればコロッと忘れてしまう日常の片隅で。

 

《警察によって意図的に中国人のみの沿道を作り、そこをマスコミは撮影し、
中国人の暴力を黙認して、日本人を逮捕する。 これが日本のやることか?ここは本当に日本なのか?中国の旗を持たないと歩けない沿道って何なんだ?》

 

★それが現実で、あなた達や私が快適な住まいに戻り、温かい風呂に入り、馬鹿テレビに大口を開け笑い呆け、贅沢な食事やポテトチップスや脂っこい獣の肉を賞味する同じ日本なのではないのか?

 

《この国は最低な国です。チベット人は泣きながらありがとうと言っていたけれど、僕は彼らに謝りたかった。初めて日本人であることを恥じた》

 

★それは、温かいご飯が食べられ、夜のお笑い番組に呵呵大笑し、一家団欒でチラリと画像に視線を向ける間にも持続しているのだろうか?もちろん、そのことは私自身にも問いかけているのだが。

 

《帰り道、僕らは泣いた》

 

 ★その涙は自宅に戻りテレビを観たあと一晩眠ったあとにも意味を持ち継続して考察されるのだろうか?

 

《これが真実です。僕は日本政府は中国以下だと思った。 弾圧にNOを言えずに、言いなりになって彼らの叫びを封殺したこの国は、もう民主主義国家ではない》

 

 ★でも、あなた達は、かりそめにも温かい食事とお風呂に入りコロンを振りかけ出勤の満員電車の中で新聞や文庫本を読むこともできない状況でも、仕事があれば食べていかれる。しかしイラクやアフガンやスーダンの現状をテレビやネットの画像で見て更に考究し、その言葉の重みはどれほどあるものなのだろうか?

 

《四月二六日長野。 そこには言論の自由はなかった。 歩行の自由すらなかった。中国人を除いて》

 

 ★これは既に辺見 庸が身を賭して繰り返していた言説の若者達のナマの声だ。彼らは国家の非情さと「国家」の〈姿〉に対面したのだ。辺見氏も、この現実を自らの眼と耳と嗅いと舌と肌と頭で、かつて、この世界のどこかで経験したのだ。いや、もっと恐らく苛酷な現実を。泣いても駄目なのだ。民主主義国家でない、と言っても、或る現実を視た人たちは、その甘いか塩辛いかの涙に「共感し」涙を流さないだろう。むしろ、そこに生じ、追求すべきなのは「怒り」であり、それに対応して化学反応のように生じて来る「諦め」と「赦し」といった現象と概念であり、我々が一歩も二歩も踏み込まなければならないのは、その事実の何たるかを究めようとする知的考察への意志だろう。

 

 どこかに希望はあるのだろうか?それを考え抜かなければならない。(二〇〇八年四月二九日)

 

 死刑制度と「靖国YASUKUNI」

 

死刑制度についてミクシイに意見を書き込み遣り取りをしていると、徒労感を感じながらも応答しなければならない責任を柄にもなく負わされる。死刑制度を「因果応報」的な制度として容認する若い人たちの書き込みは或る意味で率直さも感じる。しかし、極悪人といえどアカショウビンは国家が人を殺すことに賛同するわけにはいかない。

 

 それは欧米的な「人権」という概念に依拠するわけではないことは熟考すべきではないかと思うからだ。ミクシイでの遣り取りでも、死刑にすべき極悪人を無期にして彼らを税金で養う余裕は私にはない、といった論説を受け取った。しかし、果たしてそうであろうか?人を殺すことを、そのような金銭的な論拠で済ましてよいものだろうか?死刑制度に賛成する論調の多くは殺された者たちへの恨みを遺族たちに代わってはらすのが国家の役割だ、とする者と死刑に相当する罪科を犯した者を税金で養う必要はない、といった理由が大半だ。

 

 しかし、と思うのである。賛成する殆どの人々は、その当事者ではない。それを国家に託し軽々しく国家の殺人に国民が安直に加担してよろしいものだろうか?

 

 先の辺見氏の死刑制度廃止の論拠は冤罪にされた人々を含む囚人を含めて、広く人を殺すことの是非を問う言説である。それは経済概念を駆使するだけでは済まないことを了知して言うべき事と思うのだが如何なものだろうか。

 

 ミクシイの応酬でアカショウビンは、退廃の様を呈している現今の日本人ではあるけれども、たかだか百数十年の歴史を閲しただけで短絡してはいけない、という主張をし次のような反論があったので引用する。

 

 「日本の心底に受け継がれている優れた精神・・・・ですか?あの戦争をした精神が、ですか?あのバブルに踊り狂った精神が、ですか?今、また昔の右翼的愛国心に踊っている精神が、ですか?何処を見て、優れた、と言わしめるのでしょうか?」

 

 これについては返信したけれども、関連して書いておきたいことがある。話題の「靖国 YASUKUNI」を先日渋谷のミニシアターで観てきた。それが物議を醸したのは、この作品に「反日」の意図を見て取った国会議員たちの言説である。しかしアカショウビンは、それを疑う。果たして、この作品を「反日映画」と観る短絡には慎重であるべきと思うが如何なものだろうか?

 

 それはむしろ日本という国が歩んできた軍国日本の帰趨を問う作品である。この作品を論じるときに「ゆきゆきて神軍」(一九八七年 原 一男監督)という作品を思い起こさずにはいられない。そこには苛酷な戦争を経験した日本兵士の奇矯というか狂的な言動にキャメラを回し続けた監督の深い視線が視て取られるからだ。その比較を経ずしては、この作品の内容を安直に論ずることはできないと思う。

 

 追記 そのようなアレコレを思案しながらNHKラジオで「新日曜名作座」を途中からだが、たまたま聞き、聴き入った。何と西田敏行氏と竹下景子さんに話者が代わっているではないか。森繁久彌氏から引き継がれたのがいつか知らない。しかし音だけで聴く「語り」の素晴らしさに感服した。原作は宮部みゆきの「弧宿の人」(二〇〇五年)。途中から聴いていて山本周五郎か藤沢周平かなと思いながら聴いていたら宮部氏である。アカショウビンは宮部ファンというわけではない。しかし現今の作家で優れた書き手であることは彼女のファンや書評で聞き読んでいる。その耳で聴く作品にはアカショウビンのいう「日本人の精神」の伝統というものが継承されている事を看取した。昨夜が第6回だが、是非多くの皆さんに聴いて頂きたい見事な朗読である。声の力というのは、このように日本人の中で伝達される事にアカショウビンは感嘆したことを書き添えておきたい。

 

死刑制度・再考

 

政治家たちが、刑法に終身刑を創設することなどを目指す「量刑制度を考える超党派の会」を一五日に旗揚げしたという。来年の裁判員制度に向けて刑罰のあり方を問うらしい。現行法で、死刑に次いで重い無期懲役刑は十年以上が過ぎれば仮釈放が認められる。そのため極刑との格差が問題視されてきた。死刑という制度を国会議員たちが制度として喋々するのはけっこうなことだが、急所と思われる論議は極悪人といえど、現在の国家の仕組みのなかで国民の一人一人が殺人に加担することの是非と人の生存が絶たれることへの苦しみと悲惨への想像力の届き方という点だ。

 

 アカショウビンは死刑制度に反対の立場だ。それは「人道的」な立場でも「正義感」からでもない。言ってみれば、存在論的立場から、とでも言えるだろうか。辺見 庸氏は著作の中で戦後のハイデガーの講演の一節を引いていた。それは「乏しき時代の詩人」というタイトルで出版されたリルケ没後二十年の講演だ。辺見氏は、そこでハイデガーの述べた次の箇所に刺激されたという。

 

 「神性の輝きが世界から消えてしまった。(中略) もはや神の欠如を欠如として認めることができなくなっている」(同書八〇頁)。アカショウビンは氏の意外な指摘に刺激されて同書の他にブレーメン講演とフライブルク講演も読み啓発された。そこにはユダヤ人やドイツの知識人たちが絶滅収容所で殺されたり、戦後の中国で何百万人という人々が餓死していった報道に言及する哲学者の「存在と時間」以来の「有る」ということへの、神秘説とも読み取られかねない独特の言説と思索が開陳されている。

 

 ハイデガーの思想に辿れる人間という生き物にとっての「死」という現象と事実は、存在とは何か?と形而上学的に思索・考察した哲学者にとって根本的な思索を要する急所である。中国・四川省の巨大地震で亡くなった人々の死は人間という生き物が「能く死ぬ」ことではない、とハイデガーは考察する。先の大戦で亡くなった兵士や市民の死も果たして人間が「能く死ぬ」死に方だったか。人間が死ぬということはハイデガーによれば「死を抱えながら、それに耐え抜く」という生き方と覚悟である。その説くところを辿れば死刑制度は幾つかの選択肢を看取しうる考察であることがわかる。

 

 人の死を制度論的に論議することとは別に、死という生き物すべてに等しく到来する事実を考察することは、共に深い思索が求められる急所である。そのことに鈍感であってはならない。

 

 次の辺見 庸氏の言説と論説は、そこまで視野に治めたうえでのものである。

 

 「絞首刑用鉄鐶をそれを知って当惑しつつ、しかし丹精してこしらえているアルチザンとその家族や愛人の眼の不可思議な昏さを、そうした存在をまるで想像できず想像しないことにしている詩人とその家族や愛人たちの顔の明るさよりも、私がはるかに愛してしまうのはなぜであろうか」(「たんば色の覚書 私たちの日常」 毎日新聞社 2007年10月15日 p64p65

 

 この述懐の届く視界と思索の深さを了知すれば存続派の安直な論議には徹底して対抗しなければならない。

 

広き廈

 

 

 

 新聞のコラム氏が四川省の大地震に苦しむ人々を思いやり杜甫の詩を引用していた。「茅の屋(いえ)の秋風に破られし歎き」(吉川幸次郎、三好達治共著 岩波新書 昭和四九年七月二五日版)と訳されている作品の一節だ。大風で屋根が壊れ、雨が漏る家での詩人の嘆きと願望が記されている。観光名所となっている杜甫の草堂も破損したらしい。その博物館内に詩の碑文があるとも。一海知義氏は次のように訳されている。

 

 安(いず)くにか広き廈(いえ)の千万の間(へや)ありて 大いに天下の寒(まず)しき士を庇(かば)いて倶(とも)に歓(よろこ)ばしき顔し 風雨にも動(ゆる)がずして安らかなること山の如(ごと)きを得(てにい)れん

 

 コラム氏は、「広いしっかりした家に世の貧しい人々をすべて住まわせたいというのだ。さらに詩人は続ける――もしいつの日か、そんな家が眼前に現れたら、自分の家など壊れ、自分は凍死してもいい」と書いている。

 

 その詩人は、といえば乞食のような生活をして、近所の悪童共から嘲られ、幾ばくかの所持金品を盗まれる惨澹たる暮らしなのである。詩の全文を引き、時を超えて詩人の作品から読み取られる心境と気概を昧読しよう。

 

 

 

茅屋為秋風所破歎 

 

茅(かや)の屋(いえ)の秋風に破られし歎き  

 

八月■■

 

八月秋は高(た)けて風は怒り号(さけ)び
 卷我屋上三重茅

 

我が屋(むね)の上なる三重の茅(かや)を卷く
 茅飛度江洒江郊

 

茅は飛んで江を渡りて江郊に洒(そそ)ぎ
 高者掛
長林梢

 

高き者は長き林の梢(こずえ)に掛かり罥(まと)い

 

 下者飄轉沈塘

 

下き者は飄い転びて塘(いけ)の坳(くぼみ)に沈む
 南村群童欺我老無力

 

南の村の群童は我が老いて力無きを欺(あなど)り
 忍能対面為盗賊

 

むごくも能くまのあたりに盗賊をはたらき
 公然抱茅入竹去

 

公然と茅を抱き竹に入りて去る
 脣焦口燥呼不得

 

唇は焦(ただ)れ口は燥(かわ)けども呼ぶことかなわず
 帰来倚杖自歎息

 

帰来 杖に倚りて自ずから嘆息す
 俄頃風定雲黑色 

 

しばらくにして風は定まり雲は黒色に
 秋天漠漠向昏黑

 

秋のそらは漠漠として昏黑に向う
 布衾多年冷如鉄

 

布のしとねは多年の間鉄の如く冷かなるに

 

 驕兒悪臥踏裏裂 

 

 驕児は臥ざま悪しくして裏を臥みて裂く

 

牀牀屋漏無乾処

 

床も床も屋漏(やもり)して乾きし処は無く

 

雨脚如麻未断絶

 

雨の脚は麻の如くにして未だ断絶せず
 自経喪乱少睡眠

 

喪乱を経て自(よ)りは睡眠少なきに
 長夜沾湿何由徹

 

長き夜に沾湿しては何に由りてかあかさん

 

安得廣廈千萬間

 

安ずこにか得ん広き廈(いえ)の千万間

 

大庇天下寒士倶歓顔 

 

大いにに天下の寒(まず)しき士を庇いて倶に歓しき顔し
 風雨不動安如山

 

風雨にも動かずして山の如く安きを得ん
 嗚呼何時眼前突兀見此屋

 

嗚呼 何の時か眼前に突兀として此の屋を見ば

 

 吾廬独破受凍死已足

 

吾が廬は独り破れて凍死を受くともけすもすでに足らえり

 

(「新唐詩選」岩波新書 昭和四九年 吉川幸次郎・三好達治著 五一~五二頁)

 

 この作品には老いた詩人の貧しい暮らしぶりも垣間見られて哀れを感ずる。

 

 ウサギ小屋と欧米の民草から嘲られようと、われわれ日本人の多くは雨風をしのぐ屋根と温かい部屋のある家屋に住んでいる。この幸を改めて言祝ごうではないか。そして何かできることはないだろうか?詩人の気概の幾ばくかを心に刻むのであれば。周囲は少し静かすぎるのではないか。まさか、チベット弾圧の罰が当ったくらいに受け流しているのではあるまい。

 

 先日、仕事でT県のA市郊外の鄙びたMという土地を訪れた。創業五五年余というガソリン・スタンドの初老の経営者の話を伺うためである。昨今のガソリン価格の高騰は周知のとおり。以前に比べ格段に若者は車に乗らなくなった。庶民も自家用車を使うことをひかえている。今に始まったことではないが、スタンド経営はカツカツですよ、と氏の口は重かった。幸に、といえるかどうか、ご子息が昨年スタンド経営を継いでくれた。しかし、継いだ方の未来は明るく展望が開けているわけではない。父親は「苦しんでいるのは裾野にいる私たちですよ。漁業、農業に従事している人々がもっとも苦しんでいる。この国はあとは坂をころがり落ちるだけですよ」とボソリと呟いた。

 

 「坂をころがり落ちるだけ」。そこには五五年間、スタンド経営を続けて、良い時もあっただろうが、今はカツカツで生活をしのいでいる経営者の正直な感慨が込められている。

 

 昨年、亡くなった小田 実氏も、この国は、どんどん悪い方へ向かっている、と闘病のベッドからテレビキャメラに訴えていた。 

 

 氏の説く、戦後の日本が大金持ちも極貧の民草も比較的少ない、「中流の人々」を国民として醸成してきた事に対する期待感をアカショウビンも持つ。ただ、それは両刃の刃でもある。氏の警鐘は七五年間の人生から生じるものである。そこには過激も逸脱も過ちもあっただろう。氏の遺書とも言える「中流の復興」(二〇〇七年五月一五日 生活人新書 NHK出版)を興味深く読んだ。 

 

 小田氏が神戸の大地震の時に国家に対し市民として仕掛けた行動は、杜甫の気概を受け継ぐものである。氏の生涯と行動、思想は、恐らく時を経るごとに輝きを増すものと察する。それは詩人の慨嘆と気概に呼応する姿勢が生涯を一貫しているとアカショウビンは共感するからである。

 

 「雨の脚は麻の如くにして未だ断絶せず 喪乱を経て自りは睡眠少なきに 長き夜に沾湿しては何に由りてかあかさん 安ずこにか得ん広きいえの千万間 大いに天下のまずしきおのこをかばいて倶に歓しき顔し 風雨にも動かずして山の如く安きを得ん 嗚呼 何の時か眼前に突兀として此の屋を見ば 吾が廬は独り破れて凍死を受くともけすもすでに足れり」

 

 今や綻びを露呈しながらも、経済大国と諸外国から羨望と時に金満国家と揶揄の眼差しでも見られているだろう日本人の一人として、決して幸せでもないが、と己の身過ぎ世過ぎを振り返りながら、杜甫の慷慨と気概と、小田 実の「大風呂敷」と時に揶揄もされた構想の幾らかなりを、アカショウビンも引き継ぎたいと思うのである。

 

 

 

映画「休暇」

 

死刑執行官を主人公にした「休暇」という作品を観てきた。佳作と言える仕上がりを興味深く観た。役者の演技に過不足はあるが全体の静謐なトーンが観る者の想像力を駆り立てる。説明をできるだけ削った脚本と、敢えて言えば「退屈」を恐れないキャメラ映像と音楽のバランスが手柄と思う。

 

 若い死刑囚の刑が執行される直前に所属宗教であるキリスト教の教誨師が旧約の創世記を朗読する。仏教徒であれば僧侶が仏典を読むのだろう。その聖書の文言が声に出されても死刑囚の恐怖は安らうことはない。それでも刑は淡々と執行される。

 

 原作は吉村 昭。これは未読。しかし映画作品を観る者は十分に個々に対し、それぞれの問いが突きつけられる筈だ。それは簡単に答えを出せば済むという態の問いではない。死刑制度の是非を問うということを超えて、私達がこの世に棲むということは、どういうことなのか?といったことでもある。また制度が人を殺すということは具体的にどのようなことなのか?という事でもある。

 

歴史の彼方

 

 毎日新聞の「おちおち死んではいられない」というシリーズの最終回(二七日金曜・夕刊)は澤地久枝さんだった。近著では「琉球布紀行」(新潮文庫 平成一六年)を興味深く読んだ。アカショウビンは御著作の読者というより、テレビに登場されるときの話や人柄に興味を持ってきたファンである。

 

 「琉球布紀行」では奄美大島紬にも一章を割かれておられる。アカショウビンの故郷の名瀬には二度、沖縄から飛行機で訪れられたという。六四歳で亡くなられた、お母様の最後の衣装が大島紬だったとも書かれている。先の大戦での奄美出身の戦死者資料も持たれておられ、彼らが帰り得なかったふるさとを紬の特性をたしかめる目的で歩いた、とも。

 

 インタビューの前にインタビュアーへ新著が送られ、その帯には「いま、あなたに伝えたいことがある――」とあり、「希望と勇気、この一つのもの」(岩波ブックレット)には次の決意が書かれているという。

 

 「わたしの立場は、自衛隊を憲法違反の存在とし、日米安全保障条約の平和条約への変更、全在日米軍の撤退。つまり憲法本来の原点へかえしたい、というもの。実現不能の理想論とか、女書生の夢などと言われることは覚悟の上だ。今や世界有数の強大な軍事力をもつ自衛隊は、有権者によって正当に認知されたことがあるのか。わたしたちは諾否を問われたことがあるのか。答は、否でしかない」。

 

 その言や良し。昨年他界した小田 実とは四〇数年来の付き合いだった、という。

 

 今、小林多喜二の「蟹工船」がブームらしい。それに対するコメントも澤地さんらしい。「読むことはいいことだけど、かつて日本の歴史に何があったのか、今とどう違うのかは勉強しないと、小林多喜二が可哀そう」。また「黙っていたら破滅への道しかないわね」という言葉も。

 

 確実に世代交代は進んでいる。先の大戦の記憶もいつか歴史の彼方へと押しやられていく。戦争の砲声は、この惑星で止むことはあるのだろうか?(二〇〇八   年六月二九日)

 

久しぶりの「朝まで討論」

 

途中からだが、久しぶりに「朝まで討論」という番組を見た。見たくて見たわけではない。テーマは皇室問題で西尾幹二氏や猪瀬直樹氏らが出ていたので興味半分だった。特に西尾氏の発言で気になったことを二~三、思い出しながらピックアップしてみよう。

 

 番組の最後あたりに氏は顔を少し強ばらせながら、ここでこんな事を言うのは憚られるが(正確ではないが)、天皇陛下の病状(前立腺ガンの病後だろう)が決して順調ではない、と漏らした。また雅子皇太子妃は病気などではなく、この一年の間にケロリと復帰するであろう、確かな裏付けを自分は掴んでいる、と話した。氏の語調は、この番組で氏に向けられた批判に対抗するように、自分が書いたものが皇太子から好意をもって受け取られたことをも明かしながら、自負も込めて皇室サイドの情報に私は自信を持っている、と少しムキになった話し方だった。

 

 驚いたのは論戦の最中に自分は日本の国はアマテラスの血統をもつという神話を信じると広言したことだ。

 

 ほーぅ、そうなんだ、と思った。このニーチェ研究者で右派の論客として近年話題にもなる人は、そこまで踏み込む言説を吐くようになったのだ、というのが意外。なぜなら幾つか読んだ氏の著作は聡明なニーチェ学者でドイツの実情にも詳しく移民問題でも説得力のある提案をしていたことには共感を持っていたからだ。しかし、その後、教科書問題などで同調者たちと少しく過激な政治的立場に依拠している事をマスコミ情報やネットで伝え聞いた。そのような氏の言論活動は、学者が奇妙な隘路に入り込み自縄自縛に陥ったのではないか、と思えるものだった。氏は通常の大学教授というより有能な学者であり、文学批評や社会発言も積極的に行う「思想家」というのが業界での肩書きだろう。しかし、テレビでの話しぶりを見ていると、そういった高みにあって融通無碍という境地には程遠い、自説に拘泥する頑なで硬直した皇室のご意見番でしかない。ニーチェ学者にして天皇制の鵺にがんじがらめになっているのではないか、というのがアカショウビンの感想だった。

 

 この番組が先頃から話題になっている女帝の是非論と雅子妃の病気をめぐる甲論乙駁の巷のマスコミの言論とリンクしたものであることは明らかだ。番組を最後まで見ることになったのは最近読んだ保阪正康氏の「戦争と天皇と三島由紀夫」(朝日文庫 2008年8月30日)で氏と半藤一利氏、松本健一氏らとの対談等で話されている話が思い出されたからだ。 今や北一輝研究の第一人者として左右の論壇で発言力を高めている松本氏の論説はアカショウビンも長らく興味を持ち続けている。

 

 それはともかく。番組では司会者の田原氏も含め左右の論客たちの頓珍漢な言説を含め自由な論議が交わされている風情もあったが、喫緊で最重要な論点とは何だろうか、ということも問われている。それは天皇制の行方であるし国際情勢の中での国家の行方でもある。

 

 

 

死生観

 

一八日の毎日新聞夕刊 オピニオン4面で中村敦夫氏(俳優・作家)が、一〇月三〇日の夕刊に掲載された上智大学名誉教授であるデーケン神父の「デーケンさんの死生学」という記事を批評している。その箇所は次の通り。

 

 〈木々も枯れ葉を落とすこの季節、時には立ち止まって「生きる」こと、そして「死ぬ」ことの意味を思うのも悪くない〉

 

 この箇所に中村氏は〈たまには温泉につかって、仕事のことを忘れるのも悪くない〉みたいな、ノウハウものの手軽さを感じた、と書いている。

 

 さらに氏はデーケン氏が人生を次の三段階に分けていることを引く。第一の人生は、自立するまで。第二は引退するまでの社会人時代。第三が引退後。さらに神父は中年期には〈四つの危機〉が訪れるという危機も引用する。

 

 ①時間意識の危機(つまり残された時間があまりないという発見)②役割意識の危機(子育てが済んで役割を失う)③対人関係における危機(年をとると、協調性や柔軟性が失われる)④平凡な人生の危機(人生は同じことの繰り返しと気づいて、無気力となる)

 

 中村氏は、「こうした危機の指摘は間違いではないが、神父はなぜ四つに限定したのだろう?」と問いかける。「経済的危機や病気の危機はより深刻で現実的である」からだ。そして記者の踏み込みが甘く記事は「肝心の死生観に到達しないで、周辺整理でまとめてしまった」と歎いているわけだ。

 

 中村氏の批評はともかく、この四つの指摘は記事を読んだ個々人に突きつけられ考えこませたことではあろう。アカショウビンも、その年代の渦中に生きる者として他人事ではなく自らの事として考えさせられる。

 

 ①については何かの切っ掛けがないと危機感を持つには至らないだろう。たとえば自らの病や親や近親、友人の病気、死などによる。②は或る年齢になり子育てが終わり独立していったり自らも勤め人であれば定年で退職すれば仕事関係の役割は一応終えることで実感することだ。③これはアカショウビンも経験として実感する。以前なら我慢できただろう事柄にキレやすくなっている。今年になり2回も職を変えた(笑)④これはキルケゴールが「死に至る病」と論じたものである。

 

 先日、四月に大腸ガンの手術をした母が半年後の精密検査の結果、肝臓への転移が確認され春までの命と余命を宣告された。八一歳の老母に再手術は無理である。また髪が抜けるなど副作用が怖いから抗ガン剤などは飲みたくないと言い張る。しかし座して死を待つわけにもいかぬ。倅としては出来るだけの治療は施したいのが人情というものだ。しかし医師の判断は冷酷である。あとは延命治療でしかない、と。それは職業的な経験と判断によるものではあろう。余命。残酷な言葉である。ここで人は死すべきものといった一般論を喋々するわけにはいかない。一人の人間が残り少ない生きる時間を限定されたわけである。本人と家族は、この世で共に生きた時間の終焉を告げられたわけだ。それを受け入れることは簡単ではない。まして親不孝な息子からすれば後悔に苛まれ針の筵に座る思いである。

 

 この歳末、年始は親子にとってまさしく正念場となった。世間から見れば八一年の人生は決して短くはない。しかし本人にとっても子供たちにとっても腹を括らなければならぬ人生の土壇場である。どのように母の晩年を飾ることが出来るか?苦しみ少なく、彼岸・来世へ送り届けるには。

 

記憶の往還

 

ヒトの脳に記憶はどれくらい残されているのだろうか。先祖の記憶や、それ以前のものまで含めると、夢の中には、それが変形されて出て来るものもあるだろう。父や母や祖父母から更にそれ以前のものまで遡って脳に受け継がれる記憶とは何か?それは脳だけでなく肉体の細胞の一つ一つにさえ受け継がれるはずだ。身体と脳の連関でヒトの肉体は決定され現在を生きる。そこで精神は記憶を駆使し時空を往還する。それは文字を通して或いは語りで後の世までヒトに継承される。人間という生き物は、そこで他の動物と異なった進化の道筋を辿った。

 

 そして、この世に棲む時というものの不可思議さと或るとき人間たちは格闘する。

 

 「在日一世の記憶」(集英社新書 二〇〇八年一〇月二二日 小熊英二・姜 尚中 編)を読むと、そのようなことを思い巡らすのである。二世や三世に、その苛酷な記憶はどのように伝えられるのか詳らかにしない。それは記憶と場所と個人の語りと遺伝子で引き継がれていくのであろう。聴き取られた記憶は千差万別であり、それはごく一部でしかない。鬼籍に入った人も含めて五一人のそれぞれの記憶が一冊の書物にまとめられた。これらの記録を通して編者たちは、読者に語り手たちが生きた時を、読む者のなかで往還させ、何事かを読み取らせようと意図している。何事かとは差別された者たちの声であり、その反照としての差別した者たちの姿でもある。その反照は読む者の想像力に託される。

 

 記憶と体験が必ずしもすべて後の世の人々に伝えられるわけではない。ところが時に新たな発見として過去の或る時の光景が生々しく明るみに出される。本日の毎日新聞の書評欄で鷗外が日露戦争に従軍した頃の日記に記された詩が紹介されている。評者の川本三郎氏の文章を引用させていただく。

 

 中国のある村で逃げ遅れた娘が兵士に犯された。娘は恥をさらして生きるよりはと罌粟(けし)の花を大量に食べて自殺を図る。それを見た母親が罌粟を吐かせようと娘に人糞を食べさせるが、どうしても吐けない。そこで通訳から鷗外に知らせが入り、催吐剤を飲ませた。

 

 この詩を鷗外は「罌粟(けし)、人糞(ひとくそ)」と名づけ「うた日記」に残しているらしい。

 

 川本氏は鷗外が日清戦争に従軍したとき旅順の日本軍の民間人虐殺を知っていた可能性が高いと指摘している。しかし軍医として国家に忠実であった鷗外は戦争に勝利するため全力を傾けた。ところが文学者としての鷗外の中で国家と個人がせめぎあい、川本氏は、「森鷗外と日清・日露戦争」(平凡社)の著者の末延芳晴氏は、その「切実な魂の劇を、戦場にあって鷗外が書いた日記や詩、漢詩や和歌を丁寧に読み込んで浮かび上がらせてゆく」と評している。

 

 保田與重郎は「蒙疆」の中で昭和一三年五月から一月余に半島の慶州から満州、蒙古を師の佐藤春夫らと旅した記録を残した。それは鷗外の視角とは異なる文学者の記録である。戦争の悲惨と苛酷だけではない暢気な日常もそこには記されている。一方、「在日一世の記憶」は苛酷な歴史の現実を生き抜いた市井の人々の語りの集成である。

 

 これらの記録と文章を読むことで果たして歴史の視界はどれほど開かれてくるのか。それはひとえに読む者の想像力に任せられている。

 

死刑制度再々再考

 

辺見 庸氏の「愛と痛み 死刑制度をめぐって」(毎日新聞社)が発刊されたのを新聞広告で知りさっそく購入し読んだ。この著書の元になった講演は四月五日に行われアカショウビンも会場の九段会館まで出かけ聴いた。そのときのメモを元にした感想はこのブログにも書いたので繰り返さない。講演原稿を修正して文字にされた著書を読み終えて新たな感想も得た。そこから、この制度への新たな考察を継続してみたい。

 

 いうまでもなく日本国はこの制度を世界の趨勢にも関わらず頑なに維持し続ける国民国家である。EUに加入するためには死刑制度を排した国家というのが条件である。EUのホームページに記されている文言はアカショウビンも読んだ。しかし、そこにある理念はともかく9・11のときの彼の国々の偽善といってもよい欺瞞は辺見氏も承知している。そのうえで氏は彼の国々と日本国の差異を絶望的な憤りを込めて告発するのである。そこに氏の独特の踏み込みがあり共感せざるをえない。それは間接的な人殺しという制度への加担を偽善にしろ欺瞞にしろ拒絶する国々と、平気にか無念の思いからか敢えて承諾する国民に支えられた国の間に存する何か決定的な違いと見なしてよかろうと思う。

 

 この国では統計によれば7~8割の国民が制度を認めているといわれる。それは刑の執行を公開にしろ非公開にしろ、それを見せしめにして凶悪犯罪を抑止する意図とそれを容認する国民の合意を元に制度を維持し続ける国の是非が問われていることでもある。絞首にしろ、かつての磔刑、銃殺、斬首(現在もある)という残酷な刑にしろ、それを容認し、その現場を眼にする状況というのは如何なる現象なのか?そこで人は或る種の恍惚境に支配されているのではないか。そこで憎しみは殺人の現場に居合わせ忘我状態になるのであろう。

 

 江戸から明治にかけて、そのような見せしめの刑が執行された。世界史ではイエスの殺人に為政者と民衆が加担した。EUが死刑制度を廃止したのには宗教的土壌を強く意識した歴史認識がはたらいているはずだ。偽善といい欺瞞と辺見氏が指摘するところは、そのような異文化に対する鋭い違和があるに違いない。その意識をアカショウビンも共有する。しかしながら氏はマザー・テレサというキリスト者の言説 ・行為を引き合いに出し「愛」という優れて西洋的な概念を通して死刑制度を弾劾する。

 

 氏がこの著作で十分に展開されていない論説があるとすれば死刑制度とキリスト教という宗教土壌の下での様々な論説の展開と確執であるに違いない。それはマザー・テレサという稀有の女性の書かれた言葉と行動に眼配りすることで済むものではない。その視角から更に思考を進めていきたい。

 

加藤周一氏・追悼

 

アカショウビンは加藤周一氏の著作の熱心な読者ではない。学生の頃に「雑種文化論」を読んでから興味はあったが熱心な読者のように新刊が出るたびに買い求めることもなく、興味を惹いた本はたまに購入する程度の読者である。購読紙は毎日新聞だから朝日新聞の夕刊に掲載されていた「夕陽妄語」は、駅売りでたまに買う程度で最近はほとんど読まなくなった。別に政治信条が変わったわけでもなく、学生の頃から心情的に左翼や右翼を問わず興味ある論考には眼を通してきている。十年くらい前は吉田秀和氏の音楽評と共にマメに読んでいた。そこで展開される巧みな論説と該博な知識は、本日の朝日新聞で大江健三郎氏が書いておられるように「大知識人」という形容が少しも違和感のない言論人だった。老いてなお護憲派として舌鋒鋭く時局に発言していたことは周知の通りである。

 

 「夕陽妄語」は一九八四年から継続して書かれていたらしい。朝日であるから当然政治的発言は左翼的論説になる。しかし、それだけでは収まりきれないのが「大知識人」たるところだ。欧米の実状にも詳しく、母国の歴史、現実を見る眼は、そこらの並みのサヨクやウヨクの言説を遥かに超えていた。著作の不熱心な読者としても新聞に書かれた論説を読むのは楽しみだった。

 

 五日に亡くなられたのを知ったのは昨年から始めたミクシイというSNSの書き込みで。追悼を書くような読者ではないが気になった論説も思い出され昔の新聞記事の切り抜きを引っ張り出した。一九九七年一〇月二二日の「夕陽妄語」である。タイトルは「宣長とバルトーク」。その頃に氏が読まれていたという宣長晩年の随筆『玉勝間』を枕に説き起こしている。

 

 (宣長が)「皇国は万国にすぐれる」という「ナショナリズム」を抽(ひ)きだすことは、論理的にも実証的にも不可能である。宣長が敢(あ)えて不可能を企てたのは、なぜだろうか。『玉勝間』の「ナショナリズム」の内容は、漠然として、とりとめのないものである。しかし同時に、「ナショナリズム」の感情がいかに深く人の心に根ざしたものであるか、を示している、と私には思われる。

 

 と書いてハンガリーの作曲家バルトークの話に飛ぶ。それは第7回吉田秀和賞を受賞した伊東信宏氏の著書「『バルトーク-民謡を「発見」した辺境の作曲家』(中公新書、一九九七年)の論説を介するナショナリズム論である。

 

 バルトークの仕事と宣長の仕事が異なるのは、バルトークがナショナリズムに動機づけられながら民謡を収集し分類する過程で徹底的に分析的な態度をとり、遂に音楽的「ハンガリー心」の内容を、明瞭で普遍的な概念の組み合わせによって、叙述するに至ったからだと説き、ハンガリーのナショナリズムの呪力から免れ、もはや正体不明の『ハンガリー』なるものに振り回されなくなった、という伊東氏の文章を引き次のように述べる。

 

 そこには「ナショナリズム」を克服する一つの道があった。「『ハンガリー性の核』という考え方」、すなわち「ナショナリズム」の「呪力」の、否定ではなく肯定から出発して、その正体を見きわめることにより、その呪力から自己を解放する。―それはほとんど、「ナショナリズム」の肯定の否定を通じて、それを創造力に転化する、弁証法的過程である、といってもよいだろう。しかるに宣長には否定の契機がなかった。彼の過程は、きわめて複雑だったが、大すじにおいては直線的で、弁証法的ではなかったのである。

 

 バルトークの「ハンガリー」は日本に、「音楽」は文化一般に置き換えて読むこともできる。宣長の一八世紀後半は二〇世紀後半に、「から心」は「アメ心」に読み代えることもできるだろう。

 

 このように明晰で闊達な思考を継続できる知性は稀有のものとも思える。氏は小林秀雄が「本居宣長」を上梓したときも鋭い批評を書かれていたと記憶している。今は手元にないが、加藤氏の視角は同書を評した文章のなかでも際立っていた。保田與重郎が絶賛していたのとは異なる角度から明晰に批評されていたように思う。

 

 右よりの論壇人から見ればサヨクの大御所なのだろうが、半端な知識では太刀打ちできない知識人だった。護憲派からすれば力強い同調者を失った。ウヨクからすれば煩わしい敵が一人いなくなったことになるだろう。

 

 それはともかく、氏の仕事は、これから全貌が見えてくる。その言説・論説を受け継ぐ人物はいるのだろうか。アカショウビンも少しは著作にも目を通していきたいと思う。(二〇〇八年一二月七日)

 

死刑制度反対の一つの論拠

 

EU諸国の中でフランスが死刑制度を廃した論拠のうちにミシェル・フーコーの反対理由も国内では議論された事と察する。辺見氏の新著「愛と痛み 死刑制度をめぐって」(毎日新聞社 六七頁)には注釈で紹介されている。要約すれば次の通り。

 

 フーコーは死刑制度と終身刑にも反対する。近代において監視や管理が強化され、公共圏(これは辺見氏が忌避する我が国の「世間」とは異なる、ハンナ・アーレントやユルゲン・ハーバーマスが用いる意味であろう)が縮小してゆく過程を「生権力」という概念を用いて分析し監獄における囚人の待遇改善を求める政治行動にも参加した。フーコーは死刑を刑罰機能や精神医学との関係から捉える。その論旨は、死刑と終身刑は、犯罪者の矯正は不可能だとする理由で行われるが、犯罪者の矯正可能性を判断するのは司法でなく精神医学であるとして、精神医学のくだす判断自体、純粋に中立的な判断とは断定できないのだから、矯正(不)可能性に関する判断を司法は(精神医学自体も)すべきでない、というものだ。

 

 この論理はフランスやドイツの西洋流とでもいうものである。デカルト、カント以来の近代西洋哲学の主柱ともいえる論理学に鑑みた論理展開といってもよい。敢えて言えば近代西洋哲学の歴史に棹差した論理の内での反対論で、観念論の呪縛から脱却していない消極的反対論と見做しても差し支えないと思う。ハイデガーが批判したカント以来の近代西洋哲学への視角をフーコーが知らないはずもない。しかし現在のところフーコーの論拠は辺見氏の著作の注釈で知る限りであることはお断りしておく。フーコーの著作で辺見氏指摘の箇所を特定し更に考察していきたい。

 

 それではアカショウビンは、どのように反対論を展開できるだろうか。欧米の近代史は辺見氏もインタビューで対した米国のチョムスキーが告発するように血塗られたものだ。その矛盾を乗り越えるというより偽善とも欺瞞ともいえる論理で制度を廃した。そこには伝統的なユダヤ・キリスト教的土壌やバチカンの意向もはたらいているだろう。それは政治的、宗教的な土壌と歴史過程も踏まえた偽善といってもよろしかろう。それでも我が国のように間接的な殺人に加担することに同意する国民が7割~8割生活している現実の愚劣よりはまし、と辺見氏は唾棄するのだ。

 

 アカショウビンの反対理由は、かつて小田 実が叫んだ「殺すな」という絶叫とでもいうような声に耳傾けようではないか、というものである。そこに聴こえるのは空襲で焼き尽くされた大阪で無辜の死の姿を目の当たりにした人間の発する声でもあろう。それはやられたらやり返すという職業軍人の冷徹な思考ではなく、虫けらのように親・兄弟を殺戮された人間の根底からの声とも解される。

 

 それにひとつの説明を加えれば人間以外の動物・植物・生物の生命も含みこみ世界・宇宙を捉えようとする仏教的な生命観が突破口となるかもしれない。大拙の禅を通じた仏教の宇宙観・生命観は西洋にも理解される言説・論説であるようだ。そこに東は東、西は西といった二元論を越える豊饒な思索の可能性が発見できそうにも思うが如何であろうか。それが消極的な死刑制度反対論から積極的な反対論に変容するのは一人一人の思索と行動にかかっていると思われる。

 

辺見 庸氏の現在

 

先日の日曜日にNHKテレビで「しのびよる破局のなかで」という辺見 庸氏を取材した番組を見た。以下、それに挑発された箇所を任意に抜粋し感想を書いておく。ビデオに録っておかなかったのでメモによる感想であることをお断りする。

 

昨年、大阪で行った講演から氏の最近の言説・考察・思索が展開する。今、喋々される危機とか破局とは何か?マスコミの論説は整理されていない。秋葉原事件についてアカショウビンにはナニソレ?だったが犯人が携帯電話で残した「リア充」という言葉を氏は瞬時に理解したという。それは、リアルな充実の略ということらしい。犯人は「リア充」な人々に対する疎外感を感じていた。それが憎しみにもなり残虐な犯行となった。それは現代に生きる若者や中高年も含めて人間の「孤独」という現象として考え抜かねばならない領域の問題であるだろう。そこに思いをいたす人は、そう多くはないとしても人間という生き物の全容を問ううえで、それは不可欠の考察とアカショウビンは了解している。マスコミ上での論説は、その表層を撫でるものが殆どと言ってよろしかろう。何もアカショウビンは、それらと違うと言っているのではない。辺見氏の言説を介し、その領域へ踏み込み、光を射し込まなければ青年の行為の本質を理解することはできないだろうと思うのだ。それは、そんな理解が何の意味を持つのだ?という問いとは別の次元の話としてであるが。

 

番組で氏は同業の小説家(作家)を引用した。夢野久作とカミュだ。夢野が小説という形でなく昭和の初期に残した「猟奇的」な書き付けのようなもの。それとカミュの「ペスト」を引き合いに秋葉原の事件に象徴される今の日本という国が抱える病理と形容もできる現状を「しのびよる破局」として告発する。その言うところに賛否はあるだろう。しかし、病を負い日々を生きる氏に、それは恐らくどうでもよいことではあるまいか。現在の自分が被り、生きている現在から発しなければならない喫緊の考えを氏は淡々と語る。経済的な格差の問題だけではなく、不平等の拡大は当たり前なのだ、という人々の「無意識の荒み」を氏は指摘する。同意である。飢餓と大食い競争が同居しているのが現在の日本で、それは正気と狂気が共存しているということだ、と。これまた同意だ。それはもちろん他人の問題ではなく自分の問題でもあることを含めて考察しなければならない指摘だ。

 

「無意識の蜘蛛の巣」というようなものを私は考える、とも。それは、あの「悪霊」という作品の中でドストエフスキーがスタヴローギンという登場人物に語らせた告白も氏の思索の中で明滅しているのではないかとアカショウビンは推察する。

 

今の社会は人間という生体に合っていないのではないか、という指摘はアカショウビンが読み続けている西洋の或る哲学教師の思索とも共振する。

 

曰く「有は、神現の(自分たちの神についての神々の決断の前触れ的響きの)震えである」。

 

私たち人間がこの世に人間として存在していることの有るということは、どういうことなのか?という問いを教師は考え抜く。その回答は私たちの日常の思考からすれば異様なものである。しかし、それは実に不可思議な階梯を経る魅入られる思考でもある。

 

その思索の幾らかとも辺見氏の視線、視角は交錯している。それは、あながちアカショウビンの勝手読みだとも思えないのだが。

 

「社会が人々の真実をコーティングしている社会、それが現在の日本」と言う氏の主張は小説家というよりジャーナリストのものだ。病のリハビリで階段を上がり下がりする氏の姿は高齢者や病を抱える人々の日常を示し哀切である。健康だったときには何気なかった風景が異質に見える瞬間がある、とも語る。それは病や経済苦に支配されそうになる人々や精神を病む人々には共通する現実の姿だろう。反復して思索する時間が必要だ、しかし現在は、その時間が金と置き換えられている、その異常とは何か、という問いは日本という国で生きる一人一人に突き付けられる問いでもある。

 

荒れた高校の生徒達を聴衆にした講演で一人の高校生が、「先生=辺見氏」は女を買ったことがありますか、と訊ねられた事を三重県の教師たちを聴衆にした講演会で氏は明かす。「あるよ」、と氏は答えた、と言う。その高校生の母親は水商売で、母親が自宅で商売しているような環境で生きている少年なのだ。荒れていて、殺人以外は何でもあるという学校だ。そのような家庭で育っている高校生の挑むような問いに氏は受けて立つ構えで答えた、と話す。「言葉にはならないけれども、聴衆の思考は波動のように伝わるからだ」。その言や好し。

 

カミュの小説「ペスト」に登場する医師リュウが語る「ペストと戦うには誠実さが必要だ」という「誠実」という述語・概念にも氏は注目する。人間の徳目がカミュの時代とは異なり、現代は商品世界に優しさと愛も簒奪されている、とも述べる。また現在の社会は勝者の物語が流布された社会なのではないか、しかし敗者の物語を紡がなければならないのではないか、とも。それは「資本という根源悪」という思想とも切り結ばなければならない論点である。

 

先日はロシアのニキータ・ミハイロフ監督の新作「12人の怒れる男」という作品やアカショウビンの偏愛するギリシアのテオ・アンゲロプロス監督の「ユリシーズの瞳」という未見の作品も観ることができた。実に驚愕する傑作である。映画芸術というジャンルがあるなら凡百の作品群のなかで異様な磁場を発している芸術作品だ。その感想も記憶が薄れる前に書いておかねばならない。

 

鶴見俊輔氏の話

 

昨夜のNHKテレビで鶴見俊輔氏が登場されていたので途中からだったが興味深く見た。新聞を読むと「戦後日本・人民の記憶~」とタイトルされている。アカショウビンは氏の著作の熱心な読者ではないけれども小田 実氏らの「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)の連帯者、「思想の科学」の同人として幾つかの著作や新聞、雑誌の論考には眼を通してきた。それは「哲学者」として高説を述べる人ではなく、多くの人々にわかる言葉で自らの思考・思索を行動者として現す「思想家」として関心を持ち続けてきた人である。その理由の一つにはアカショウビンが中学生の頃に熱中した「プルターク英雄伝」(それは岩波文庫版ではなく、鶴見祐輔訳か他の訳か記憶の彼方だが)の翻訳者の一人、鶴見祐輔の長男ということもあったかもしれない。それに先の大戦の時に米国から帰国し戦地にも赴き戦争を経験しておられる私達の親の世代の人として関心を持ってきた。

 

 氏の姉君であられる故・和子氏の南方熊楠研究の著作も興味深く読んだ者からすれば鶴見家は俊輔氏の父親への反発も含めて知的刺激に富んだ一家のように想像する。氏は英国の哲学者ホワイトヘッドが留学先のハーバード大学で行った最終講義のエピソードを最後に愉快に語られた。氏は講義の最後の言葉を聴き取れなかったらしい。それを大学に訊ねコピーを受け取り読んだと言う。それは「精密なものは作りもの(fake)だ」ということなんだよ、と言って朗らかに笑われた。fakeには偽物という意味もあることを含めて氏はホワイトヘッドが自らの哲学をウィンクして講義を終えたのだと理解されたのではないだろうか。

 

 氏は六〇年安保とベ平連の活動を「人民」と「市民」が日本の歴史の中で人々が自らの意思を主張した刮目すべき闘争、活動だ、と語気強く述べられた。その眼光は八六歳の人間のものとは思えない意志を実感した。また氏は竹内 好を再考する企画に関わられているらしい。それはあの「大東亜戦争」を戦中・戦後に肯定した「国士」竹内と正面する意志と思われる。その意気や好し。丸山眞男逝き、小田 実逝き、加藤周一逝き、氏が生き抜いている戦後に自らの生き様と思索を時に語気を荒げ伝えようとする姿にはこちらの心身も共振した。自殺者が毎年、3万人を超えるという戦後日本の現在を同時代人として生きていて氏の思索、思考の幾らかでも継承したいものだと痛感した。

 

赤とんぼを歌う吉本隆明

 

先日、ネットのご縁で京都精華大学創立40周年記念事業の一環で笠原芳光氏が吉本氏にインタビューしたDVDを入手し興味深く見た。

 

そのなかで氏が六〇年安保闘争のころ全学連主流派の学生と共に総評、共産党と立場を異にし品川駅の線路に座り込み強硬な姿勢で臨んだときに期せずして「赤とんぼ」の歌が涌き起こり「ぼくも一緒に歌いだしましたですけど」というエピソードを初めて知った。鶴見俊輔氏や他の「市民主義者」たちと立場は異にしながら何やら如何にも「日本的な」状況に身をおきながら思わず口ずさむ「赤とんぼ」の歌に抗いがたい心情を率直に述べられた氏の熱弁に思わず引き込まれてしまった。

 

かつてアカショウビンは「吉本隆明25時」という一九八七年の九月一二日から一三日に品川の倉庫で行われたイベントを見る為に仕事を終えてイベントの途中から明け方まで友人のN君と会場に駆けつけた。そのときに司会をしていた中上健次がゲストで招待された都はるみさんと氏をデュエットさせようと画策した。これは見ものだ、とアカショウビンは興味津々で眼を凝らしたが氏はそれを頑なに固辞し、さすがの中上も諦めた様子を想い起こす。

 

このDVDは吉本隆明の戦後の生き様が、ご本人自ら真率に語っておられる貴重な映像である。先日、このブログで紹介した鶴見俊輔氏との遣り取りの一端も語っておられる。今年の正月にNHKで放映された氏の講演映像を、従姉宅のテレビでホロ酔い気分で垣間見ることしかできなかったアカショウビンにとって丹念に氏の訥々として饒舌な語りを見聞きし新鮮な刺激を受けた。戦後六四回目の真夏に向けて他の同時代者の書物にも眼を通し、今後のブログに、このDVDから引用することもあるだろう。

 

 

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2018年9月 9日 (日)

祷り、とは何か

 朝のNHKラジオ〝音楽の泉〟はモンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」である。この16世紀から17世紀にイタリアで活躍した音楽家の作品は西洋バロック音楽の開幕と位置付けられオペラの始まりともなっている。この作品の祈りは「晩祷」とも「挽歌」とも訳されているが「祷り」の音楽的表現である。祈りという漢字よりアカショウビンには祷りという表記がしっくりくるのは個人的なものであろうが、それはともかく、人は祷る生き物、といえる。

 その祷りの姿と行為は様々である。新聞報道では北海道地震、台風被害などで亡くなった人々の名前が公表される。多くは高齢者、子供たちだ。身を助けることの困難な事情が思わぬ事態に対処できないこともあるのだろう。それはアカショウビンのように病を抱え日々を凌ぐ者たちとは異なる突然の最期ともいえる。その死を遺族や縁あった人々が追悼する。その祷りも各人様々だ。しかし、そこに共通する祷りとは何か。声は人間という生き物の何物かを伝える。それは何か。それは祷りという行為と併せて考えなければならない急所であろう。

 それは宗教的な行為となって歴史には現れている。しかし、その内実は何か。アカショウビンにとっては喫緊の思考、思索を督促される難問である。

 番組の司会を長年務めておられる皆川達夫さんは長崎の隠れキリシタンたちの祷りであるオラショの研究者でもあられる。キリスト教の祷りは16世紀から17世紀にかけてスペインから日本に移植され歌い継がれた。皆川さんにとってはモンテヴェルディの音楽の響きは人間という生き物の洋の東西を問わぬ祷りとなって深く響くのであろう。それは西洋ではバッハが引き継ぎ西洋の人々の祷りとなって現在まで継承されている。極東に棲むアカショウビンにもその作品は共振し共鳴する。

 本日はこれから長年お世話になった業界のオーナーの誕生日祝いと退任の集まりに出席する。高齢の会長さんは熱烈な阪神タイガースのファンで野球好きである。アカショウビンはプロ野球に関心がなくなって久しい。しかし少年のころは野球に興じていたのは最近の子供たちのサッカーや野球以外のスポーツへの熱中と同じである。会長さんとは前職のときに両国の阪神タイガースファンの集まりに同行したご縁も懐かしい。85歳のご高齢で様々な苦難を乗り越えてこられた事はご本人から聞き知っている。久しぶりの再会も楽しみである。

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2018年9月 4日 (火)

漂い沈み、また浮かぶ

 病を抱え凌ぎの毎日の中で時に映像や音に集中する。昨夜は映像、今朝はモダンジャズ、リヒャルト・シュトラウスのオペラの古い録音に集中した。しかし、それは古く、新しい。そのような日常の中に生ずる至福の時がアカショウビンが生きる悦びとなり生起する。
 新聞には内外の世相が記されている。それを読みアカショウビンも娑婆に生息している事を確認する。残りいくらあるか知れない時を現存しているのだな、と。
 漂い、沈み、浮かぶなかで書物の数行にも瞠目する。「用象性」という漢語などに。新宿で乗り換え。台風の余波で雨が強くなっている。電車の車内では読書に集中もできない。昨夜観たのは『死刑台のエレベーター』。ルイ・マル監督の佳作である。先般、監督の訃報を知ったときにレンタルショップで探したがなかった。ところが友人のI さんが録画したDVDを送ってくれた。それを昨夜観た。物語の細部は殆ど忘れている。しかし、若きジャンヌ・モローの姿は女優の盛りの時期を留めている。マイルスの演奏も映像と音楽の掛け算効果を醸し出している。
 これから、アルバイトだ。沈み、また浮かび、肉体労働に集中しなければならない。

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2018年9月 3日 (月)

定期検査

 都内の病院へCT検査に。何ヵ月ぶりか。地下鉄の駅から通い慣れた道脇の風景は少し変化している。銭湯が改装工事し新たなコインランドリーもできている。台風の余波で雨を心配したが、それほどでもない。病院に着くと先ず採尿、続いて採血。これには以前、別の病院で見習いの若い女性に三度もしくじられ嫌な経験をしている。しかし今回は中年の男で実に丁寧で上手かった。病院の違い、医師の質の違いをこの三年でアカショウビンはしたたかに体験している。それからするとこの病院の対応はいくらか改善しているようにも思われる。今、CT検査の待機中。後ろの席の北関東訛りの初老の男と妻らしき女のぶっきらぼうな会話が不快だ。この病院にはそういう患者が多い。あまり神妙な患者にも違和感があるが、こういうのは腹立たしくなる。
 検査前に水分を取れと言うので買って来たペットボトルの水を飲み待機。
 以前の装置とは新しくなったようなSIEMENS社製。寝たまま寝台が三度、装置の下を往復する。息を大きく吸い止める。これでどれくらいの診断ができるのか不可解だが、患者は哀れなものである。現代医療のシステムのなかでなすがままともいえる。CTのあとは膀胱の超音波検査。医師らしく見えない人が器具を操作する。患者の心理というのは微妙なもので些細な事が気にかかるのである。そこらのおばさんのような人でもマニュアル通りに器具が扱えれば医療に携われるというのはこの病院だけの事ではあるまい。人の身体を部分で診るというのは、産業社会で分業体制が生産体制を効率化させるのと同じような構造をもつということだろう。それはもっと分け入って考察しなければらないだろう。
 10時過ぎ本日の検査は終了。結果は来週の月曜。

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