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2018年8月26日 (日)

石牟礼道子の作品

 友人のN君が夏休みに熊本の水俣を訪れるというので、浜田知明の作品も是非観てくるように伝えた。先日電話してその話を聞いた。美術館に浜田のコーナーがあり訪れたようでいろいろ話が聞けてよかった。目的は石牟礼さん関連だったようなのでその話も興味深かった。それによると地元で石牟礼道子は殆ど関心が希薄だったようだ。それが意外だった。水俣を訪れる人々の関心が石牟礼さんなのに、地元の図書館でも石牟礼作品はそれほど関心をもたれていなかったと言う。

 それは水俣病が地元でも忌み嫌われていた、という事実と関連すると思われた。N君は、それは地元で漁師たちが差別構造のなかで位置づけされていた事と関連するのではないかと言う。それはわかる。それは土着の農民たちが差別構造のなかに位置づけられていた事と関連するだろう。水俣病が漁師から買った漁獲品によるものではないかと類推され、その原因が魚とチッソ工場の垂れ流しの有機水銀が関連づけられ石牟礼さんたちのチッソ弾劾闘争となったからだ。

 近代以降の産業社会のなかで武士に代わる市民がその位置を受け継ぐ。その産業がもたらす害毒を行政は隠蔽する。その過程に市民が同調する。それが科学技術の弊害であることに市民たちは眼を閉じて無視、黙殺する。その構造は近代の典型的な特徴だ。それは先の大戦以降、それまでの人類史を一変する。その事態は現在まで続いていることに無知ではいられない。しかし人々はその恩恵のみの生活を営み弊害に眼をつぶる。それが人類史の現在である射程に盲目であってはならない。

 それはまた浜田知明が戦争の惨禍を作品で告発した事と無縁ではない。N君とは近いうちに会ってそれらの事を語り合いたい。石牟礼文学もその中で際立つ筈だからである。

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