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2018年8月 4日 (土)

下層労働の現実

 アカショウビンの労働現場は中高年にとってかなりきつい時空間である。最初は比較的楽な作業と安心していた.。ところが、そのうち若い連中も行きたがらない場所に移動させられた。ベテランの若い先輩からすれば“虐待"というところである。まぁ、そんな深刻に思って頂くのはありがたいが、途中で倒れるわけにもいかない。笑いでやり過ごすのがアカショウビン流である。しかし、同じ中高年の新しい仲間のかつての労働現場の話を聞くと、今風に言うブラック企業である。何と、作業のノロさとトロさだろう、それに対し、カッター・ナイフを振りかざし威嚇したらしい。アカショウビンは、それは直ちに労働基準監督署に行き報告、通告し告発すべきですよと応じた。下層労働の現場というのはそれが実態なのだ。

 労働の本質は既にマルクス、エンゲルスが分析している。その是非や思想的立場は異なっても、その切り開いた領域に踏み込まなくして私達が生きている現実の変革も改革もありえない。そこでハンナ・アーレントの戦後の論考は熟読、熟考しなければならない。ナチスの蛮行とハイデガーの言う惑星的運動という観点を、教え子で恋人でもあったハンナは、戦後に深く思索しアイヒマン裁判の感想が亡命先の米国で物議を醸した。しかし、その間の思索、考察、研究が『全体主義の起源』という成果となって後に続く者たちの必読書となった。哲学者、思想家は師の教えと思索を弟子として批判的に乗り越えなければならない。ハイデガーの授業で学んだ古代ギリシアの哲学思想を現代に解釈、展開したのがハンナ・アーレントの思想である。
 アカショウビンのアルバイト先が過酷な労働現場といっても古代、中世、現代の奴隷労働より酷くはあるまい。しかし労働とは何か?という問いを立て思索し、愚索し、日々を凌ぐ糧とすることはできる。
 アカショウビンら中高年の下層労働の本質を思索、考察するという事は、正しく人間とは何か、という問いを思索する事である。それはハンナが考察した“人間の条件"として問い、思索し新たな人間を生み出さなければならない、後に続く私達に課せられた責務である。ヒロシマ、ナガサキの歴史を想起し戒めとしなければならない夏に下層労働の苦しみなど取るに足らないものと言ってもよい。嘆いてなどいられないのだ。根底まで考え抜き生きる活力を絞り出さねばならぬ。

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