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2018年8月31日 (金)

T君の個展

 先日、高校の同級生のT君が八月の一ヶ月間、地元で開催した絵の個展に他の同級生らと訪れた。個展といっても美術館での大掛かりなものではない。小さなコミュニティカフェでのものだ。N君とは何度か訪れているが今回はK君も参加すると言うので彼の車で会場まで同乗させてもらった。
 T君には今回の個展の経緯を聞いていた。彼もアカショウビンも二年前の同じ頃に膀胱ガンで入院、手術した。治療方法は異なるがガンという病の世間的な理解は死と関わり余命の診断も症状しだいではできるという事である。T君本人も家族もその理解はされている筈だ。しかし、手術は成功しT君もアカショウビンも生き延びた。アカショウビンはといえば、その後、下咽頭ガンにも罹り重なる入院、手術をした。その前には胃ガンの手術もしている。正に身体はガンの棲み家の如しである。T君はといえば、その数年前に御長男の病で肝臓の移植手術をしている。他のドナーを待っていると御長男は二十歳まで生きられないかもしれないという診断でT君は自らの肝臓移植を決意したのだ。難しい手術だったが幸い成功し親子は生き長らえたのである。正に人の人生は百人百様。娑婆の生活は苦しみばかり多かりき、なのかもしれない。
 意外だったのは個展の開催前にT君の膀胱ガンが再発したと言う話だった。定期検査でそれが確認された。来月中旬に今度は膀胱の全摘手術をすると言う 。しかし、そう話すT君はアカショウビンと違い実に前向きである。ガンに罹患しているのに会場を抜け出し近くの飲み屋でN君と三人で一杯飲んだときは煙草もアルコールもプカプカ、ガブガブ。奥方の忠告もあるだろうに意に介さない。アカショウビンも同じようなものだから苦笑いするだけだ。
 この数年、T君が描き続けているのは人や犬、、猫の鉛筆スケッチ画である。インターネットにも出しファンが増えていると言う。注文で買い取る客もいる。それがT君の生きる励みになっているのだろう。久しぶりに会ってそれを実感した。会場には御長男も来ていた。先々月、良き伴侶を得て結婚式を挙げたばかり。新妻も後から会場に駆けつけた。チャーミングな新妻である。アカショウビンも二人の同級生と共に祝福した。御長男はこの数年学んでいるギター演奏も披露。父と新妻に感謝した。親子と確執もあろうが、それを乗り越えた関係はいいものである。アカショウビンは家族を作らなかったが、人の人生と背負うものは人それぞれ。それに良し悪しはない。この世でそれを背負い最期に降ろせれば幸い。降ろせずに、それをあの世に持ち越すこともあろう。

 会場まで車に同乗させてもらったK君は、会場から太平洋岸を福島を経由し北上し青森まで行くという。若い頃に赴任した三沢へセンチメンタル・ジャニーだと苦笑いしていたが、某放送局の記者だった彼は思い出多い任地での記憶をたぐりよせたいのだろう。その旅の話も近いうちに聞けることを楽しみにする。

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2018年8月26日 (日)

石牟礼道子の作品

 友人のN君が夏休みに熊本の水俣を訪れるというので、浜田知明の作品も是非観てくるように伝えた。先日電話してその話を聞いた。美術館に浜田のコーナーがあり訪れたようでいろいろ話が聞けてよかった。目的は石牟礼さん関連だったようなのでその話も興味深かった。それによると地元で石牟礼道子は殆ど関心が希薄だったようだ。それが意外だった。水俣を訪れる人々の関心が石牟礼さんなのに、地元の図書館でも石牟礼作品はそれほど関心をもたれていなかったと言う。

 それは水俣病が地元でも忌み嫌われていた、という事実と関連すると思われた。N君は、それは地元で漁師たちが差別構造のなかで位置づけされていた事と関連するのではないかと言う。それはわかる。それは土着の農民たちが差別構造のなかに位置づけられていた事と関連するだろう。水俣病が漁師から買った漁獲品によるものではないかと類推され、その原因が魚とチッソ工場の垂れ流しの有機水銀が関連づけられ石牟礼さんたちのチッソ弾劾闘争となったからだ。

 近代以降の産業社会のなかで武士に代わる市民がその位置を受け継ぐ。その産業がもたらす害毒を行政は隠蔽する。その過程に市民が同調する。それが科学技術の弊害であることに市民たちは眼を閉じて無視、黙殺する。その構造は近代の典型的な特徴だ。それは先の大戦以降、それまでの人類史を一変する。その事態は現在まで続いていることに無知ではいられない。しかし人々はその恩恵のみの生活を営み弊害に眼をつぶる。それが人類史の現在である射程に盲目であってはならない。

 それはまた浜田知明が戦争の惨禍を作品で告発した事と無縁ではない。N君とは近いうちに会ってそれらの事を語り合いたい。石牟礼文学もその中で際立つ筈だからである。

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2018年8月22日 (水)

中島みゆきライブ

 友人のIさんから送られたDVDで2013年1月の中島みゆきのライブ映像を観た。『縁会』と称された都内ホールでのライブである。アカショウビンには眩しい歌姫のお姿が見られ冥土の土産となった。評者たちの顰に倣えば、中島みゆきはアカショウビンにとって菩薩である。性別は問わない。阿弥陀が娑婆で苦しむ者たちに、この手に掴まれ、と手を差し伸べる存在とするなら、中島みゆきは、我々世代の最高の歌姫であり、阿弥陀であり菩薩であり、観音である。時代が生み出す歌い手がいる。かつては美空ひばりであり、幾多の歌い手たちであろう。アカショウビンにとっては、中島みゆきである。10年前くらいであろうか、友人と飲んでいて、そのころ聴いた中島の最新作が聴こえ嗚咽した。それは、我々世代の男たちへの挽歌であり応援歌と聴こえたからだ。『ヘッドライト テイルライト』という曲だ。それは、かつて観た『初恋の来た道』という中国映画の幾つかのシーンを想起させられた。教え子たちが恩師の死に棺を担ぎ連なるシーンは正しくその曲の歌詞に重なる。人は優れた教師の恩を忘れない。その不在を現在に甦らせる。

 翁長氏の死もまた同じであろう。その遺志を継ぐ者たちは連綿と続くだろう。アカショウビンもその一人である。民族と国家の相克は人類の永遠の難問と言ってもよい。それはまた別の話だ。

 歌姫、菩薩との姿と声は現世に共鳴する。空と君との間に冷たい雨が降ろうと、君が笑ってくれるなら僕はいつでも悪になるのだ。旅人たちは、きょうは倒れてもまた歩きだすのだ。

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マキノ監督、追悼

 マキノ監督と言っても日本映画の巨匠、何度も名前を変えたマキノ正博監督ではない。先日亡くなった俳優の津川雅彦である。数年前に役者業から一転。監督した第一作『寝ずの番』を借り観て、追悼のようなものが書けそうになった。

 もとより、美青年は俳優として脚光を浴び、女性ファンの熱いコールに何本もの映画に登場した。しかし、歳経て老境に至り、撮られる側から撮る側に回り、演者たちを自在に使いまわしたいと思うのはオーケストラも同じである。指揮者の我儘に振り回されるより、振り回す側に回りたい。その一念と思しき情念で撮ったのが本作と思われた。監督が作品に登場する例は内外の作品に例はある。しかし、津川雅彦はそのような欲望を老いの慎ましさで見事に抑えた。日本映画の生きの良い俳優たちを自在に演じさせ笑いと涙を繰り広げた。監督がもっとも楽しんだろうが俳優たちも楽しく監督の遊びに興じ一作が拵えられた。その面白さを楽しめる。落語の好きな皆さんにはいっそう味わいが深くなること必定。是非、多くの津川ファンにご覧いただきたい佳作である。

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漂い沈み、また浮かび

 開高 健の対談集を先日古本屋で見つけ読みだしたら無類の面白さだ。この夏に読む本や映画、映像でアカショウビンは夏に活力を得る。『母と暮せば』を観たあと幾つか観て久しぶりに『父と暮せば』(黒木和雄監督)をレンタルで借り昨夜観た。やはり夏に観て嗚咽し、笑い、娑婆世界と彼岸の往還との事どもについて沈思し、黙考し、沈みまた浮かぶ作品である。開高の名言は、漂えど沈まず、である。しかし、アカショウビンは、漂い、沈み、また浮かぶ、というのがこの数年の経験である。入院治療が、手術で仮死し生還しまた娑婆に戻り下層労働に酷使される。
 それはともかく、山田洋次監督も苦闘し『母と暮せば』を撮りあげた。黒木監督も同様だろう。しかし、アカショウビンは黒木監督作品に激しく共振し共鳴するのである。それは黒木作品が前作『明日 tomorrow』の後に制作された作品であることによるかもしれない。また、原作者による。井上光晴と井上ひさしの。それはまた後に書こう。取り敢えず開高の対談で面白かったのは、きだみのるとのもの。ファーブル昆虫記の翻訳者である。開高は、この奇矯とも野人とも天才とも評される、奇人と言ってもよい人物から実に面白い話を引き出している。アカショウビンは、この文庫を大岡昇平との対談を読むために買ったのだが、それはまた感想を書くつもりだ。

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2018年8月15日 (水)

鎮魂と怒りの日に

  土曜日から本日までアルバイトを休み雑事にかまけた。きょうは、町田まで出かけ昼食を回転寿司屋で済ませ街をぶらついた。探している本を中古店で探したが見つからず、書店で新本を購入した。CDの中古店も覗き一枚購入。レンタル店でDVDも借りた。本は大岡昇平の『野火』、CDはアバドがミラノ・スカラ座を指揮したヴェルディの『レクイエム』、DVDは岡本喜八監督の『血と砂』(1965年)。これが実に面白い。岡本節全開の作品だ。友人と電話で話して『沖縄決戦』を思い出しレンタル店で探したが無くこれを借りた。以前に観ているが改めて観て岡本の戦争観が随所に見られて戦争の愚劣をストレートに陽気に悲しみと怒りを交えて映像化している。三船敏郎と仲代達矢が黒澤作品とは異なる役柄で兵隊の生き様を演じ秀逸。それも監督の戦争に対する怒りがエンターテインメントとして描かれている。戦中派ならではの描き方で、岡本喜八の面目躍如。1945年8月15日の中国戦線での死闘を描いて苛烈である。本日に観るにふさわしい作品だった。

  73年目の敗戦の日に読み、聴き、観るものとして、これがアカショウビンの材料である。先日は、原爆記念日にあわせ、林 京子さんの、インタビュー本、『被爆を生きて 作品と生涯を語る』(岩波ブックレット 2011年7月)、と作品集の文庫本『祭りの場 ギヤマン ビードロ』(講談社文芸文庫 1988年) も買い、読み継いでいる。『祭りの場』は、長崎出身者の作家の代表作だ。これらの作品を読み、聴き、鑑賞し敗戦の年の鎮魂と、現在の政治情況への怒りを述べ続けていきたい。

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2018年8月11日 (土)

人間の、すっことじゃなか

 『母と暮せば』(2015年公開)のなかで、息子の墓参りに出かけた母と息子の許婚者は1945年八月九日の午前11時2分、原爆投下の時間に他の墓参りの人々と共に投下の方角に向けて手を合わす。その前に中年の男が「人間のすっことじゃなか(することではない)」と言葉を絞り出す。それが、この作品のメッセージの一つである。映画がプロパガンダであるとするなら、メッセージを伝えることでもある。DVDで何度か観直した。音楽は坂本龍一氏。メイキングでは山田洋次監督は幾度か注文をつけ諒解する。坂本氏も監督の思いに応えるべく、苦心を重ねたと思われる。

 この作品が井上ひさしさん(以下、敬称は略させて頂く)により山田監督に渡されたバトンであることはメイキングで語られる。『父と暮せば』は黒木和雄監督によって映画化された。アカショウビンも公開時に岩波ホールまで足を運んだ。その後、DVDで何度か観直した。そこには黒木監督の執念の如き映像化が定着している。黒木監督が最初に原爆作品を撮った『明日tomorrow』は井上光晴の原作である。これはアカショウビンには新藤兼人監督の一連の作品とは異なる視点であることが鮮烈だった。広島出身の新藤監督と福岡県久留米出身の『全身小説家』(原一男監督)、井上は、原爆を映画化、小説作品で文字化することは同じ執念の如きものである。そのような意志を山田も継承しているのだ。数年前に観た黒木作品は幾つかDVD化されている。この夏にそれもあらためて観たい。73年目の夏に国政は非道を繰り返している。それへ抵抗の意志を突き付けねばならぬ。

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2018年8月 9日 (木)

七十三年前の地獄

 山田洋次監督は『母と暮せば』を撮るために呻吟、苦心、苦悶した。原爆投下の瞬間を映像化するためのヒントを得ようと、主演の吉永小百合さんと伴に美輪明宏さんを訪ねる。長崎の原爆体験者である美輪さんの話を聞き、活路を開きたかった、とも思える訪問だった。美輪さんの語る原爆投下の瞬間の語りが生々しい。百万個のマグネシウムが爆発したような光と、その後の見たことも聞いたこともない轟音。その後の此の世から音が無くなったような静寂。その表現が美輪さんならではのコメントとして山田監督にインスピレーションを与えたようだ。吉永さんの、あれは地獄、と言う台詞を丁寧に、執拗に修正する。そのような過程を経て仕上がった作品を、きょうは何年ぶりかで、心してじっくり観直してみよう。

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2018年8月 6日 (月)

8月6日と8月9日への想像力

 友人のIさんから送って頂いたDVDで四年前に公開された山田洋次監督の『母と暮せば』のメイキング映像を久しぶりに観直した。その作品に対する心情の痛切さが伝わる。戦争の悲惨と愚劣を知らぬ若い俳優たちに84歳の監督は細やかに演技の仕方を伝える。そのもどかしさは現在を生きる私たち中高年の苛立ちと重なる。アカショウビンも戦争を知らない世代だ。しかし両親の話や書物、映像、映画作品で見聞きすると、それは他人事ではなく、73年目の現在を生きる私達に問い返される日本人として、更には人間としての難問なのだな、と痛感する。
 主演の吉永小百合さんはまだしも、若い俳優達の戸惑いは仕方がないとは思う。そこで監督は想像力をはたらかせて下さい、と話す。想像力とは何か?それは夢想ではない。人間という生き物に備わる能力とでも言えるだろうか。それは秘められた力、能力であろう。しかし、それが発揮されるには意志を要する。歴史を振り返るには知性もはたらせねばならぬ。しかし、語り伝えで人の想像力は知性とは別にはたらく筈だ。山田監督も若い俳優たちにそれを求めているのだ。
 山田監督の執念は新藤兼人監督の執念とも相通じている筈だ。先日観直した『石内尋常高等小学校 花は散れども』や『一枚のハガキ』とも主題は通じているからだ。アカショウビンのふやけた日常に喝を入れ夏を通過していきたい。

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2018年8月 4日 (土)

下層労働の現実

 アカショウビンの労働現場は中高年にとってかなりきつい時空間である。最初は比較的楽な作業と安心していた.。ところが、そのうち若い連中も行きたがらない場所に移動させられた。ベテランの若い先輩からすれば“虐待"というところである。まぁ、そんな深刻に思って頂くのはありがたいが、途中で倒れるわけにもいかない。笑いでやり過ごすのがアカショウビン流である。しかし、同じ中高年の新しい仲間のかつての労働現場の話を聞くと、今風に言うブラック企業である。何と、作業のノロさとトロさだろう、それに対し、カッター・ナイフを振りかざし威嚇したらしい。アカショウビンは、それは直ちに労働基準監督署に行き報告、通告し告発すべきですよと応じた。下層労働の現場というのはそれが実態なのだ。

 労働の本質は既にマルクス、エンゲルスが分析している。その是非や思想的立場は異なっても、その切り開いた領域に踏み込まなくして私達が生きている現実の変革も改革もありえない。そこでハンナ・アーレントの戦後の論考は熟読、熟考しなければならない。ナチスの蛮行とハイデガーの言う惑星的運動という観点を、教え子で恋人でもあったハンナは、戦後に深く思索しアイヒマン裁判の感想が亡命先の米国で物議を醸した。しかし、その間の思索、考察、研究が『全体主義の起源』という成果となって後に続く者たちの必読書となった。哲学者、思想家は師の教えと思索を弟子として批判的に乗り越えなければならない。ハイデガーの授業で学んだ古代ギリシアの哲学思想を現代に解釈、展開したのがハンナ・アーレントの思想である。
 アカショウビンのアルバイト先が過酷な労働現場といっても古代、中世、現代の奴隷労働より酷くはあるまい。しかし労働とは何か?という問いを立て思索し、愚索し、日々を凌ぐ糧とすることはできる。
 アカショウビンら中高年の下層労働の本質を思索、考察するという事は、正しく人間とは何か、という問いを思索する事である。それはハンナが考察した“人間の条件"として問い、思索し新たな人間を生み出さなければならない、後に続く私達に課せられた責務である。ヒロシマ、ナガサキの歴史を想起し戒めとしなければならない夏に下層労働の苦しみなど取るに足らないものと言ってもよい。嘆いてなどいられないのだ。根底まで考え抜き生きる活力を絞り出さねばならぬ。

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2018年8月 2日 (木)

十六年間の時の変化

 十六年間という時は、生れた子供が中学生から高校生へと成長し親から社会の他の人々との付き合いも増えて社会への関心も高まっていく時期である。子育てはゼロからの十六年だが指揮者とオーケストラの十六年は技術的にも人間的にも成熟した大人のプロ同士の付き合いである。サイモン・ラトルとベルリン・フィルハーモニーが6月19日と20日に行った〝フェアウェルコンサート〟の様子が放送され、友人のIさんから録画DVDが送られてきた。曲目がマーラーの「交響曲第6番イ短調」というので興味深く観聴きした。昨年からマーラー作品をよく聴き6番もいくつの録音を聴いてきたからだ。その前にはラトルや団員にインタビューし構成した映像も見られたのは幸い。実に興味深いラトルのコメントや団員の面白い話が聞けた。

 先日、読み終えたアルマ・マーラーの『グスタフ・マーラー 愛と苦悩の回想』によれば、この作品は夫婦にとって特別の意味をもつという。

 「彼のどの作品も、この曲ほど心の深部から直接に出たものはない。その日私たちは二人とも泣いた。音楽とその予言する内容は私たちを深く感動させた。≪第六≫は彼の作品の中でも、もっとも個人的な内容をもったものであり、同時に予言的な作品でもある。≪亡き子をしのぶ歌≫においても、≪第六≫においても、彼は自分の生涯を音楽の中に予言したのだった。彼の上にも運命の打撃が三度加わり、その三度目で彼は倒れた。しかし、その頃はまだ平穏であった。彼はこの作品の偉大さを意識していた。彼はまだ枝が茂り花の咲く木だった」(昭和62年 中公文庫 p134 石井 宏訳)

 このような回想とともにラトルとオーケストラが演奏する映像を観れば興趣は尽きない。団員の一人はベルリン・フィルを父親から譲り受けた外国製の大型車で馬力はあるがコントロールするのが難しい車に喩えた。なるほど上手い喩えだ。ラトルは、自分の音楽を伝えるために様々なコメントを伝える。そのなかでもっとも興味深かったのが次の言葉。「十代の頃に気づきました。 私の好きな指揮者は人間味のある演奏をする人だと。私はトスカニーニより、ワルター派だったのです」。リズム感に鋭く、カラヤンのように音の響きを重視するのではなく、分析型で、かつ人間味のある指揮者、それが16年間かけて就任前のオーケストラの音を自分流に変えた音楽であることがリハーサルの遣り取りでよくわかる。それはカラヤンのような独裁者とは異なる、自由な発意が交流する人間関係、時空間がそこに生じた、ということである。前段のラトルのコメントで、私はハイドンが大好きで、彼と食事をし話をするのが夢だ、と語るところにアカショウビンは深く共感する。ベルリン・フィルを退任し半年の休暇の間、毎日ハイドンのピアノ・ソナタを弾くのが習慣になった、という話も実にいいではないか。ハイドンの偉大さを知る指揮者も演奏者も音楽を共に語りあえる人々である。今後は家族と共にホール近くに住み国立歌劇場での仕事が多くなるらしい。その様子も映像で観られるのを楽しみにする。

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