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2018年8月 6日 (月)

8月6日と8月9日への想像力

 友人のIさんから送って頂いたDVDで四年前に公開された山田洋次監督の『母と暮せば』のメイキング映像を久しぶりに観直した。その作品に対する心情の痛切さが伝わる。戦争の悲惨と愚劣を知らぬ若い俳優たちに84歳の監督は細やかに演技の仕方を伝える。そのもどかしさは現在を生きる私たち中高年の苛立ちと重なる。アカショウビンも戦争を知らない世代だ。しかし両親の話や書物、映像、映画作品で見聞きすると、それは他人事ではなく、73年目の現在を生きる私達に問い返される日本人として、更には人間としての難問なのだな、と痛感する。
 主演の吉永小百合さんはまだしも、若い俳優達の戸惑いは仕方がないとは思う。そこで監督は想像力をはたらかせて下さい、と話す。想像力とは何か?それは夢想ではない。人間という生き物に備わる能力とでも言えるだろうか。それは秘められた力、能力であろう。しかし、それが発揮されるには意志を要する。歴史を振り返るには知性もはたらせねばならぬ。しかし、語り伝えで人の想像力は知性とは別にはたらく筈だ。山田監督も若い俳優たちにそれを求めているのだ。
 山田監督の執念は新藤兼人監督の執念とも相通じている筈だ。先日観直した『石内尋常高等小学校 花は散れども』や『一枚のハガキ』とも主題は通じているからだ。アカショウビンのふやけた日常に喝を入れ夏を通過していきたい。

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