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2018年7月30日 (月)

森田童子を初めて聴いた頃

 童子の第二アルバム、『マザー・スカイ』がCDの棚にあるのを見つけ、他のCDが耳に入らず童子の声に耳を傾けた。昭和51年の、ガラス細工のような、幽かな童子の声が時空を超えてアカショウビンに届く。童子よ、黄泉の住み心地はどうですか。あなたはアカショウビンの故郷も訪れたことをライナー・ノートで知りました。全国ツアーで奄美の印象はどうでしたか、近いうちに冥界で語り合いたいな。青いCDのジャケットが奄美の海の青さを想い起こさせます。私は、もう少し娑婆にいますが、それほど長くはないでしょう。夏の暑熱のなかで、あなたの夏の詩と声を聴けることは幸いです。あなたのカセット・テープを持ってきてくれた学生時代のA君とは久しく連絡を取っていません。太宰の好きなA君は詩を書き続けているのだろうか。アカショウビンが中野の三畳の下宿に棲んでいたころ、A君はアカショウビンを訊ねて来た。詩や小説の話でもするのかと思ったら、将棋盤と童子のカセット・テープだった。以来、アカショウビンは将棋にのめりこみ大学の授業をさぼり新宿の将棋道場が学校だった。将棋界も変わった。羽生の力にも陰りが見えてきている。時の流れは人々の姿も変えていく。時の氏神は有情であるのか。しかし時は無常である。人間はその無常のなかで生きる、残酷で野蛮、崇高で壊れやすい、この地球に棲む小さくて尊大な生き物なのだ。

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