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2018年7月 1日 (日)

マーラーの作品

 先日、中古店でワルターが晩年に録音したマーラーの交響曲第9番のリハーサル風景をレコードで見つけ欣喜雀躍して購入した。ここのところマーラーの作品を集中して聴いていて彼の作品をもっとも理解していたと思われるワルターの演奏は貴重である。もはや伝説的ともなっている、ワルターがナチスの追手を逃れてウィーンを去る時のウィーン・フィルとのライブ録音は何度も聴いてきた。しかしライブ演奏のモノラル録音の音は最良のものではない。しかし、1961年、ワルター84歳の録音はステレオで鮮明に聴き取られる。オーケストラは米国の名手たちを揃えたコロンビア交響楽団で、ウィーン・フィルとは異なる感性の演奏者たちだが、このマーラー解釈では傑出している指揮者の細かい指示に忠実に従う演奏家たちの誠実さは録音から幽かに聴き取られる。その全曲録音の前のリハーサルは何とも興味深いのである。この録音はハリウッドで四日間にわたっている。マーラーの最高傑作とも言える、この作品にウィーンでのライブ以来かけるワルターの意気込みは全曲盤で繰り返し聴ける幸いを言祝ぎたいのである。

 このレコードは高校生の頃に買い求め聴いた記憶があるジャケットだった。その頃はマーラーの作品は殆ど聴いておらず、むしろモーツァルト演奏の最高峰ともいえるワルターの音楽づくりに興味をそそられ聴いたように思う。だから、それ以降、断続的にマーラーの作品に馴染んでいった後に改めて聴いて実に興味深いのである。それは録音でしか聴けないものとしてもワルターの声は時間が逆行したように聞こえる。時間が逆行するのか、という問いは哲学的だが、それはさておく。

 マーラーは私には難しすぎる、というのは吉田秀和の溜息の如きつぶやきだが、もちろん、この稀代の批評家が言う「難しさ」というのは凡百のわれわれ音楽好きが言う「難しさ」とはことなるのは言うまでもない。しかし、その「難しさ」の中身を吉田秀和の文章で読めばそれを少しは理解できる。

 それにしても、残り少ないアカショウビンの娑婆での時間にマーラーの作品は何とも繰り返し聴いて、音楽とは何か、死とは何か、という問いとなって反響する。それはまた別のテーマだが。

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