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2018年7月 9日 (月)

天災と人災

 九州、西日本豪雨災害の新聞記事を観て福岡の友人にラインでメールを送った。これは天罰ではないか、と。すると即座に激怒の返信があった。アカショウビンは現政権の横暴と無法に激怒し、その天罰と譬えたのだ。しかし友人は、その喩えを超えて亡くなった人々への冒涜と解したのだ。それは短絡に過ぎるとコメントしたが友人の怒りはおさまらない。仮想空間での遣り取りはかくもつまらない誤解を生む。それは誰しも経験していることだろう。

 友人は先日の麻原彰晃の死刑執行も遅すぎたとコメントした。果たしてそうか。他の友人たちとも携帯電話で話したが、それで事の真相が明らかになったわけではないのは新聞で遺族の方々を含め取材されている。それを読んでも死刑制度への疑念は払拭されない。刑の執行は絞首だろう。薬物、電気椅子と執行方法は様々だ。しかし国家がその権威で人を殺す行為に安易に同意するわけにはいかない。因果応報とは仏教用語だが、それをこの制度に使用することは誤りだろう。人は過つ。司法に携わる人々も人である。誤らない筈がない。その危険を法は疑わしきは罰せずと制限している。それにも関らず、政治権力と決して無関係ではない司法は分立の制限を踏み越える。執行は時の権力が行うからだ。

 話が逸れた。天罰とは比喩である。天とは神ではない。天地四方界という空間の中で響く声と言ってもよい。人間の所業の浅ましさを天網は逃さないということだ。それには言葉を尽くさなければならない。仮想空間の誤解は日常茶飯事だろうが、大切な友人との誤解は解かねばならぬ。時間が解決することもある。しかし歴史事実の解決にも此の国の歴史を辿れば途方に暮れる時間がかかっている。沖縄戦終結から8月15日まで国家と国民は儀礼と哀悼、怒りを発し過ぎていくのだ。粘り強く、糾える縄の如き誤解は解き証し真実へと至らねばならぬ。

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