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2018年5月18日 (金)

浜田知明の作品群③

 「男と女」(1976)も面白い。「月夜」は男女の愛と欲望を浜田流に時間と空間のなかで表出している。「風化する街」(A)(B)は、浜田の視た都市の本質と人間たちの姿である。「取引」(1979)は、トランプとプーチンのカリカチュアとしても見られる。「ボス」(1980)は、安倍だろう。

 何と浜田は遠藤周作の『沈黙』を作品にしている。これは浜田の版画による感想として面白い。「カタコンベ」(1982)もシュールレアリストとして浜田を評すなら独特の視角だ。「怯える人々」(1985)然り。「H氏像」(1989)は正にシュールな作品だ。浜田をシュールリアリストとするのは陳腐すぎて正しくないだろうが。

 戦前までは、銅版画といえばエッチングが主だったが、アクアチント、メゾチント、エングレーヴィングなど、関野準一郎が多様な技法に挑んだ。それに浜田も強く影響された。「ニコライ堂」(1950)は、エングレーヴィングによる。「郊外の風景」(1948~1950)は、メゾチント。1951年から1957年まで、〝デモクラート美術家協会〟という団体があり、そこに浜田は参加し作品を出品していたらしい。

 展覧会を視た日には映画上映もされていて観た。『戦ふ兵隊』(1939年・亀井文夫監督)、その前の週には『真空地帯』(山本薩夫監督)も上映されたらしい。その解説を角尾宣信(つのおよしのぶ)氏が上映後に語った。氏はその作品を反戦映画と説いた。しかし、どう見ても国策映画である。ところが映像の裏に監督の反戦思想を読み取るのが氏の主張である。『真空地帯』であろう、陰歌(替歌)で兵隊の真情が伝えられると氏は説く。原曲は森繁久弥の録音がある。「お国のためとは言いながら、人の嫌がる兵隊に召されていく哀れさよ、可愛いスーちゃんと泣き別れ」。これはアカショウビンも聴いたことがある。森繁節が何とも面白い。

 角尾氏は、亀井作品の最初の五分間に作品の構造が示されていると言う。そこには〝見る主体としての中国人〟が撮られているからだ、と。なるほど、確かにそうだ。カメラで撮るのは英語でシュート、銃を撃つのもシュート。監督はそれを逆転している、と。そこで監督はエイゼンシュテインの影響がある、と氏は読み解く。それを利用して監督は加害者の「顔」を隠し検閲を逃れたというのが氏の読みだ。しかし結果として、作品は陸軍により〝反戦映画〟と見做され1939年に上映は禁じられた。氏は1908年生まれの亀井は戦前の〝左翼〟、〝マルクス・ボーイ〟と言い、1917年生まれの浜田は、大正デモクラシーも知らない絵描き。亀井がそうなのは、作品にキリスト教のモチーフがロシア正教のシーンに現れていると解釈する。『真空地帯」』を介し、内務班の相同性、とも説明する。亀井作品は1938年、9月から10月の武漢作戦の映像。それはカモフラージュの反戦思想、とも。そして浜田作品の運動性を論じた。被害性と運動性が浜田作品の真骨頂だ、と。亀井の加害性の主張は日本軍の殺しのシーンを描かないことにより隠蔽された事実を逆説として作品に織り込んだ、というのだろう。

 しかし、浜田の戦争版画には他者としての呵責がない、と言うのが角尾氏の『初年兵哀歌』はじめ戦後の戦争版画に見られる浜田作品の批評、批判であるが、2008年から浜田作品に他者としての眼差しが表出されてくると説く。浜田作品は決して〝反戦〟ではない、「人間の〝崇高性〟を否定するスタンスが浜田作品」という最後の総括も頷ける。〝風刺の美学〟と氏はその後の浜田作品を評する。不気味で滑稽、それが浜田作品、というのも確かにそうだ。

 日清戦争のころは遺体が従軍画家の作品のなかには描かれるが、日中戦争、太平洋戦争では、それがなくなってくる、という指摘も興味深い。それはまた藤田嗣治の作品も挙げて論じなければならない論点だろう。

 講演のあとでアカショウビンは『詩人』(1999)のブロンズ像も熟視した。塔の上で詩人が何かを叫び語っている像である。そこには古代ギリシアの詩人の姿も想起される。ホメロスやヘロドトスかもしれない。昨年から今年にかけて読み続けているハンナ・アーレントの作品にも啓発される。その感想も近く書いていきたい。

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