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2018年5月28日 (月)

過去と未来の間

 ハンナ・アーレントの先の大戦の終結後の思索を検証するのに『過去と未来の間』(みすず書房 1994年)は難解だが実にスリリングで面白い。それはナチスとソ連の全体主義を分析した主著ともいえる『全体主義の起源』の前後の思索として読む者に熟考を強いるからだ。生前に草稿として発刊されなかった『カール・マルクスと西欧政治思想の伝統』にはハンナのマルクス研究の過程と成果が読み取れる。ハンナは、マルクスの思想を次の三点に要約する。①労働が人を創った②暴力は歴史の産婆である③哲学を実現することなしには哲学を止揚することはできない。このマルクス理解を基にハンナは戦後の主張を論者たちと切り結ぶ。その経過がスリリングなのだ。ハンナは『過去と未来の間』の序でフランスのレジスタンスに加わった詩人、ルネ・シャールのアフォリズムを引く。「われわれの遺産は遺言一つなく残された』。ハンナは、これは「ヨーロッパの作家や文人の一世代全体にとってレジスタンスの四年間が意味を凝縮しその核心を記したアフォリズム」と記している。フランスの戦中の陥落は予期せぬ出来事であり、「この国の政治舞台は陥落のために日増しに空白となり、傀儡のような道化であるごろつきや愚者の手に委ねられていた」とも。この〝序〟「過去と未来の間の裂け目〟で構成される8つの章立てで論述される著作を読み進めるなかで、各章のタイトルを列挙しておこう。

 第1章 伝統と近代 

 第2章 歴史の概念―古代と近代

 第3章 権威とは何か

 第4章 自由とは何か

 第5章 教育の危機

 第6章 文化の危機―その社会的・政治的意義

 第7章 真理と政治

 第8章 宇宙空間の征服と人間の身の丈

 私たちは正しく過去と未来の間の〝裂け目〟に現存している。その視点は無限の過去と無限の未来の間に私たちは生存しているということだ。そこで歴史的に生きる人間存在に対する認識が必要である。その詳細をハンナはギリシア、ローマに遡り西欧政治思想の伝統を解体すべく思索する。その思索を辿ることがスリリングなのである。

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2018年5月21日 (月)

アトム化とは何か

 今朝の東京新聞朝刊の〝こちら特報部〟でハンナ・アーレントの著作が重版を重ねているという記事を興味深く読んだ。アカショウビンも昨年からハンナの著作を読み続けているからだ。みすず書房は昨年『全体主義の起源』と『エルサレムのアイヒマン』の新版を発刊したらしい。アカショウビンは先日来、『過去と未来の間』(1994年 みすず書房 引田隆也・齋藤純一共訳)を読み続けている。雑誌に掲載されたエッセイ(試論)の改訂増補版である。1954年から1967年にかけて発表した8つのエッセイが編まれている。

 その前には『カール・マルクスと西欧政治思想の伝統』を通読した。戦後、ハンナがマルクス研究に取り組んだ成果が両書には読みとられる。

 ハンナの基本スタンスは「西洋の政治思想の伝統は、プラトンとアリストテレスの教説に明白な始まりをもつ。わたしはこの伝統は、カール・マルクスの理論のうちで同じく明白な終わりを迎えたと確信する」、と『過去と未来の間』の第1章「伝統と近代」の冒頭で述べている一文に集約されている。

 〝アトム化〟とは、ナチスの全体主義的支配を招く大きな要因となったのは、ドイツの第一次大戦での敗戦後に顕著になった「階級社会の崩壊後に出現した大衆だった」と分析した。他人とのつながりをもたない、バラバラになって〝アトム(原子)化〟した状態が大衆の特徴という視角だ。これは興味深い指摘だ。なぜなら、それはライプニッツのモナド論とも通底する分析だろうからだ。その学殖は師のヤスパースやハイデッガーの示唆を経ていることは言うまでもない。その分析と指摘は日本でも歴史を振り返り反芻しなければならない思索である。

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2018年5月18日 (金)

浜田知明の作品群③

 「男と女」(1976)も面白い。「月夜」は男女の愛と欲望を浜田流に時間と空間のなかで表出している。「風化する街」(A)(B)は、浜田の視た都市の本質と人間たちの姿である。「取引」(1979)は、トランプとプーチンのカリカチュアとしても見られる。「ボス」(1980)は、安倍だろう。

 何と浜田は遠藤周作の『沈黙』を作品にしている。これは浜田の版画による感想として面白い。「カタコンベ」(1982)もシュールレアリストとして浜田を評すなら独特の視角だ。「怯える人々」(1985)然り。「H氏像」(1989)は正にシュールな作品だ。浜田をシュールリアリストとするのは陳腐すぎて正しくないだろうが。

 戦前までは、銅版画といえばエッチングが主だったが、アクアチント、メゾチント、エングレーヴィングなど、関野準一郎が多様な技法に挑んだ。それに浜田も強く影響された。「ニコライ堂」(1950)は、エングレーヴィングによる。「郊外の風景」(1948~1950)は、メゾチント。1951年から1957年まで、〝デモクラート美術家協会〟という団体があり、そこに浜田は参加し作品を出品していたらしい。

 展覧会を視た日には映画上映もされていて観た。『戦ふ兵隊』(1939年・亀井文夫監督)、その前の週には『真空地帯』(山本薩夫監督)も上映されたらしい。その解説を角尾宣信(つのおよしのぶ)氏が上映後に語った。氏はその作品を反戦映画と説いた。しかし、どう見ても国策映画である。ところが映像の裏に監督の反戦思想を読み取るのが氏の主張である。『真空地帯』であろう、陰歌(替歌)で兵隊の真情が伝えられると氏は説く。原曲は森繁久弥の録音がある。「お国のためとは言いながら、人の嫌がる兵隊に召されていく哀れさよ、可愛いスーちゃんと泣き別れ」。これはアカショウビンも聴いたことがある。森繁節が何とも面白い。

 角尾氏は、亀井作品の最初の五分間に作品の構造が示されていると言う。そこには〝見る主体としての中国人〟が撮られているからだ、と。なるほど、確かにそうだ。カメラで撮るのは英語でシュート、銃を撃つのもシュート。監督はそれを逆転している、と。そこで監督はエイゼンシュテインの影響がある、と氏は読み解く。それを利用して監督は加害者の「顔」を隠し検閲を逃れたというのが氏の読みだ。しかし結果として、作品は陸軍により〝反戦映画〟と見做され1939年に上映は禁じられた。氏は1908年生まれの亀井は戦前の〝左翼〟、〝マルクス・ボーイ〟と言い、1917年生まれの浜田は、大正デモクラシーも知らない絵描き。亀井がそうなのは、作品にキリスト教のモチーフがロシア正教のシーンに現れていると解釈する。『真空地帯」』を介し、内務班の相同性、とも説明する。亀井作品は1938年、9月から10月の武漢作戦の映像。それはカモフラージュの反戦思想、とも。そして浜田作品の運動性を論じた。被害性と運動性が浜田作品の真骨頂だ、と。亀井の加害性の主張は日本軍の殺しのシーンを描かないことにより隠蔽された事実を逆説として作品に織り込んだ、というのだろう。

 しかし、浜田の戦争版画には他者としての呵責がない、と言うのが角尾氏の『初年兵哀歌』はじめ戦後の戦争版画に見られる浜田作品の批評、批判であるが、2008年から浜田作品に他者としての眼差しが表出されてくると説く。浜田作品は決して〝反戦〟ではない、「人間の〝崇高性〟を否定するスタンスが浜田作品」という最後の総括も頷ける。〝風刺の美学〟と氏はその後の浜田作品を評する。不気味で滑稽、それが浜田作品、というのも確かにそうだ。

 日清戦争のころは遺体が従軍画家の作品のなかには描かれるが、日中戦争、太平洋戦争では、それがなくなってくる、という指摘も興味深い。それはまた藤田嗣治の作品も挙げて論じなければならない論点だろう。

 講演のあとでアカショウビンは『詩人』(1999)のブロンズ像も熟視した。塔の上で詩人が何かを叫び語っている像である。そこには古代ギリシアの詩人の姿も想起される。ホメロスやヘロドトスかもしれない。昨年から今年にかけて読み続けているハンナ・アーレントの作品にも啓発される。その感想も近く書いていきたい。

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2018年5月15日 (火)

男はつらいよ

 山田洋次監督の人気シリーズのことではない。クリント・イーストウッド監督の未見の作品『トゥルー・クライム』を中古店で見つけ昨夜、それを観て多くの方々に観て頂きたいと思い感想を述べたくなった。1999年の作品だが監督は老いの兆候が現れている。しかし、往年のカッコ好さは相変わらずで見事。実際の冤罪事件を映画化したものだ。黒人差別の米国の負の歴史を見事に作品にしたクリント節全開の仕上がりだ。仕事に賭ける男の生き様は時に家族から見放され辛く孤独なものである。そこを精妙に描く。もちろん逆にそれは女という生き物にも反照することである。それぞれの家族を描くデリカシーは比類ない。子役たちの演出も実にこまやかだ。
 先日は原 一男監督の新作『日本国vs泉南石綿村』と『マルクス・エンゲルス』も観て挑発された。ふやけた日常には通棒をくらわさねばならぬ。

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2018年5月10日 (木)

方言とバルバロイ

 アルバイトで東京駅を経由する。電車の中では外国語、日本各地の方言が飛び交う。それは時に楽しいが不快にもなる。今朝は関西弁が幅をきかしている。関東での関西弁のポジションは微妙である。道理の通う関西弁は耳に心地良い。しかし、漫才コンビの如き傍若無人の関西弁には怒りと殺意さえ生ずる。関西弁といえど方言である。それは何も特権を有しているわけではない。そのことに有知か無知かで人の品性は判別されるのである。古代ギリシアで外国語は蛮族の言葉として蔑視された。しかし、ギリシア語を解したうえでの方言までも都市国家の市民たちが拒絶したとは思えない。その時は都市の機能が狂った時である。日本や米国は果たして大丈夫か。

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2018年5月 8日 (火)

スウィング

 引っ越しから一年。北関東の越谷からの転居からすれば約二年。西東京の町田市は面白いところだ。一年間棲んだ玉川学園前の仮り住まいでは、横田基地が近いせいだろう、ジェット戦闘機の轟音に同居人さんも二頭の大型犬もアカショウビンも悩まされた。片足を手術で切断された一頭は遥か遠くの飛行音にも怯え、部屋の隅に小さくなっていた。アカショウビンはといえば、沖縄の米軍基地の横暴に抵抗するウチナンチュの怒りのいくらかでも体験できたことは幸いの如きものであった。沖縄に住む高校時代の同級生は、かつてアカショウビンが母の看取りで大阪に引っ越し棲んでいたころ、夏に彼が奥さんと一緒に上阪したときに他の同窓生たちと高校時代以来会ったおり「住んでみないと、あの騒音(飛行音の不快)はわからないよ」と語っていた。

 それはともかく。表題は町田市の中古屋通いで手に入れたCDやDVDを聴いて今朝はこのところの鬱屈から逃れる切っ掛けの如きものを感得したことによる。『ビレッジ・バンガードの大西順子』を聴いて面白いのだ。1994年5月3日から8日にかけてヴィレッジ・ヴァンガードに出演したときの録音だ。ライブの緊迫感と真剣勝負ともいえる緊張感とスリリングは、日常の陳腐と疲労感に支配されるアカショウビンの精神に禅の喝のごとき作用をもたらす。戦後渡米し日本人ジャズ・ピアニストとして認められた秋吉敏子いらいの快挙だろう。近年では上原ひろみか。アカショウビンの愛聴する女性ジャズピアニストとしてはユタ・ヒップの再来の如き人として登場した。

 解説によれば、ヴィレッジ・ヴァンガードは、オーナーのマックス・ゴードンが他界して以来、未亡人のロレイン・ゴードン女史がマネージされているという。ロレインはジャズの殿堂を守るミューズと解説氏は記している。このロレインが大西の演奏を「スウィングしている」というのが出演の決め手になったようだ。その録音を聴いて、アカショウビンも納得するのだ。アカショウビンが長年務めた会社の仕事のついでにヴィレッジ・ヴァンガードを訪れたのは1990年だ。ジャズの聖地ともいえるクラブの一つは偶然の機会のように訪れた。ニューヨークでの約10日近くの滞在でヴィレッジを三晩、「ブルーノート」を一晩訪れた。ヴィレッジのライブはつまらなかった。しかしジャズ・ファンとして義理は果たした。そのヴィレッジに日本人女性ピアニストが出演した録音は繰り返し聴いて楽しい。冒頭の〝ソー・ロング・エリック〟のハーリン・ライリーのシンバル・ドラムスが絶妙。ライブ開始のソロとしては絶品の演奏だ。観客の反応も正直。大和撫子は確かに名門クラブへの登場で更なる成熟への入り口に立ったのである。近況は如何であろうか。

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2018年5月 3日 (木)

ミロス・フォアマン追悼

ミロス・フォアマンが亡くなった報を知りレンタルDVDで二つ作品を借りて観た。『カッコーの巣の上で』と『アマデウス』。前者は何年ぶりかで久しぶり。『アマデウス』はそれより後に何度か観ている。レンタルではディレクターズ・カット版があるというので楽しみにして観た。以前何度か観たのは劇場公開のものだったから。その部分を観比べたわけではない。しかし改めて二作品を続けて観て、『アマデウス』が何とも面白かった。このところマーラーばかり聴いていてモーツァルトを聴くと、この二人の天才の異なる資質と音楽家としての違いに何か問いを突き付けられるような気がするのだ。モーツァルトが生きた30数年よりマーラーは長く生きた。しかし晩年の不幸は歌劇場指揮者から作曲者に転じ西洋音楽史に名を残す傑作を書いた恵みとなって結実した。私たちは、この数十年でその恩恵に浴している。しかし、その遠因はモーツァルトやバッハ、ベートーヴェンの作品の伝統によるものであることはマーラー自身が誰よりも理解していたことであろう。

『アマデウス』が撮られたのは偶然みたいなものであることをメイキングで監督が語るエピソードで知った。ミロス・フォアマンはロシア映画でさんざん観た音楽家を描いたつまらない作品など撮る気はしなかったそうである。しかし、ピーター・シェーファー脚本の舞台作品を観て考えを改めたと言う。それは映画として撮る意欲を掻き立てた。二人は喧嘩腰の議論を重ね作品を完成させた。それがアカデミー賞各賞を受賞する傑作となったわけである。それはともかく改めて作品を観ると確かに見事な仕上がりであることを実感する。二人が合意したのは、モーツァルトの音楽こそが作品の主役ということだ。それに納得する。事実はともかく、当時からあったというモーツァルト毒殺説をピーター・シェーファーは物語にし彼の想像で舞台ドラマに仕立てた。ミロス。フォアマンは出演者に有名俳優ではなく殆ど無名の役者を起用した。それが実に説得力ある演出と演技で俳優たちは脚本家、監督に応えた。それは初めて作品を観た時に意表を突かれる気がしたものだ。それも改めて観て納得した。それは傑作に仕上げた監督と脚本家の手柄である。当時の時代風景と人々の暮らしと精神病院の奇矯な患者たちを監督はモーツァルトの作品が上演されたプラハの劇場での作品を再現することで詳細な時代考証で作品化した。ミロス・フォアマンがプラハの出身であることも監督の語りと共に知った。当時の政権に異を示しミロス・フォアマンは故国を捨て米国に亡命した経緯もメイキングのなかで語っている。米国のアカデミー賞の受賞もそのような背景が作用しているのかもしれない。それはアカデミー賞というものが政治的影響を意識したものであることも今年の受賞経緯など知り過去の作品を振り返るとよくわかる。女優達が監督や制作者たちのセクハラ被害を公にしたことは社会現象となってマスコミを賑わしている。レディ・ファーストの国は実は建前で、実際はあべこべなのだというわけである。それが、フランスのカトリーヌ・ドヌーブらによって反論されているのも興味深い。

それはともかく、改めてディレクターズ・カット版を観てモーツァルト作品の素晴らしさに接したのは幸いであった。サリエりという歴史上の人物が嫉妬による毒殺者であるというピーター・シェーファーの創作による考察はミロス・フォアマンという優れた監督によって映像化された幸いを私たちは楽しむ。それがモーツァルトという天才の音楽に多くの人が接するということは音楽ファンにとっても悦ばしい。それほどモーツァルトの作品は豊饒なのである。    

  ミロス・フォアマンとピーター・シェーファーの功績は作品を通してモーツァルトが生きた時代背景を映像化したことである。それを改めて実感した幸いを言祝ぐ。

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