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2018年4月24日 (火)

作品と解釈

 『切腹』を撮った小林正樹監督は敗戦を沖縄本島の近くの島で迎えた筈だ。激戦の地での生き残りである。昨夜、久しぶりに観てリメイクの『一命』(三池崇史監督)との原作解釈の違いも確認した。それは主人公の語りの内容の違いに端的に露われている。小林作品で面白い仲代と丹波哲郎の決闘シーンは三池作品にはない。主君への殉死のシーンも三池作品にはない。それは主人公の行動の理由として三池作品は説得力を欠く。両者は脚本、撮影、音楽スタッフとの周到な意見交換で作品を練り上げた経緯が幾らか確認できたことは幸いだった。音楽は小林作品で武満 徹が担当していたこともすっかり忘れていた。武満は映画が好きで、その才能は当時すでに周知だっただろうから小林監督もあまり口を挿まなかったかもしれない。しかし脚本の橋本 忍とは周到に想を練った筈だ。そこで様々な事が幾つかのテーマで考察されねばならないと思われた。その一つには原作と解釈の違いという事である。小林作品のスタッフは出演者も原作を周到に読み抜いた筈だ。しかし恐らく三池作品で監督はともかく、俳優たちは原作を読んでいるとは思えない。その違いは歴然としている。時代の違いも影響している。小林監督は前作の『人間の条件』で自らの戦争体験を作品に反映させている。それはエンターテイメントとして二時間前後の作品に集約できるものでないことは作品を見ればよくわかる。しかし次の作品は戦争が主題ではないが監督の戦争体験が武士道批判として帝国軍人たちに色濃く引き継がれていたそれを痛烈に批判するものとして反映していることは視て取らねばならないだろう。小林監督の先の大戦への関わりとこだわりは『東京裁判』に引き継がれている。

 それはともかく。三池作品はリメイクとして評価できるものの小林作品の骨格を移譲しただけで小林作品に徹底している原作の解釈の周到な読みと解釈が物足りないことは否めない。それは先ず脚本に言える。そして結局は主役の器量の違いにも。小林作品は監督にとっても主役の仲代達矢にとっても最高傑作と確信する。それを三池作品は畏敬を込めてりメイクしたが元の作品を超えることはできなかった。それは残念というより仕方がないものとも思えた。仲代という稀代の俳優に市川海老蔵を比較することは酷というものである。それは小林監督の最高傑作とアカショウビンが見なす作品をリメイクで他の監督が超えられる筈もないというのも仕方がないという事かもしれない。しかし久しぶりに『切腹』を観て日本映画の全盛期ともいえる時代の秀作は明らかに世界的レベルであったことは間違いない。  作品と解釈といえば音楽でも同じ。このところ聴いているマーラーの各録音も様々である。それはまた稿を改めて考察しよう。

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コメント

お久しぶりです。
 気になりながらしばらく来ることができませんでしたが、GW初日の今日、ようやく。
 直近のこの記事から読ませていただいたところです。
変わらぬご健筆に感動、書き続けてくださっていることに深謝もうしあげます。
 小林監督の「人間の条件」通して観たことないので、あらたなテーマを与えられました。

投稿: シスタ | 2018年4月29日 (日) 午後 03時17分

 シスタさん、コメントありがとうございます。ご返信遅れて恐縮です。GWはいかがお過ごしでしたか。私は連休中もアルバイトでシノギの毎日です。余命の貴重をどれくらい充実させられるか、それが課題の毎日ともいえます。限りある身の力試さん、という賢人の言葉も木霊のように響きます。シスタさんもお健やかに。

投稿: アカショウビン | 2018年5月14日 (月) 午後 11時27分

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